2年間の指導計画や協働計画を具体的に掘り下げてみると、6つほどの計画があった。専門家には、準備期間が設定されている
ことの意義を理解してもらうとともに、それらの計画づくりに専心してもらう必要があった。無償資金協力として供与される
主要機材(訓練船を含む)の実習計画づくりに加えて、
・ 来年度の対カウンターパート技術指導や彼らとの協働のためにさらに追加的に必要とされる実習用機材の詳細な計画づくり、
・ 無償供与の主要機材の教育的活用・操作・メンテナンスのための指導要綱・マニュアル作成に関する計画づくり、
・ 視聴覚教材作成に関する計画づくり、
・ カウンターパートの日本での技術研修計画づくり、
・ 長期専門家では指導し難いノウハウに特化して指導の任に当たる短期専門家の派遣とその活動計画づくり、
・ 各協力分野の補助テキストや特別資料作成にまつわる計画づくり、
・ 水産教育レベルの向上に資するその他の計画づくりが求められた。
毎日専門家と向き合い口角に泡を飛ばしながら議論を重ねた。
「業務調整」と「リーダー」を兼ねる私の務めとしては、一日でも早く、3名の専門家が、語学に慣れ親しみその能力のさらなる向上と
生活全般の安定化を図るとともに、自立的に指導活動を早期に実践できるよう、またカウンターパートと円滑に協働作業に入れる
よう、学校側と協力して環境と体制を整えることであった。
先ずは専門家の基本的な心得のようなことにも踏み込まざるをえなかった。
来年からの2年間の各協力分野における具体的活動項目やその達成目標とレベルに思い描くことから取り組むことを幾度も説明した。
その取り組みの成就には、専門家全員のベクトルを同じ方向に合わせ、チームワークを醸成し互いに
助け合いながら日々の活動に励むことの大切さを申し合わせた。べクトルがバラバラの方向を指向した場合のプロジェクトのありうる末路
についても事例を踏まえながら語りかけた。専門家一人が自らの努力で高い成果を収めたとしても、ベクトルがバラバラで非協調的な運営がなされ
ることになれば、JICAや「ア」側からすれば、残念ながらプロジェクト全体に対する評価を低く見積もられることになりかねないからである。
計画づくりでは幾つかの大切なことをいつも心して専門家と向き合った。それは「チュニジア・プロジェクト」の運営において学び取った
心得でもあった。先ずカウンターパートから「現状を教わる」ことを通じて「現況を知る」ことを基本に挙げた。「プロジェクトはカウンター
パートからいろいろ教わることから始めよう」と申し合わせた。例えば、漁業学校の教育制度全般や海技資格につき、また各自の指導
分野における座学や実習の具体的実態(内容、方法、カリキュラム、シラバス、単元など)、又それらの課題などをカウンターパートからよく教わり理解すること、
それがその後の指導計画づくりの基本となるはずであると訴えた。その過程において、カウンターパートが専門家からいかなるノウハウ
を期待し、またどんな協働的活動を望むのか、さらに教育レベルを上げるために何に取り組みたいのか、カウンターパートの
いろいろな思いや情報を吸収しながら、今後の協働活動計画づくりを打ち合わせることを促した。一にも二にも、じっくり時間をかけ
カウンターパートとコミュニケーションを図ることを専門家の基本とするというものであった。指導・協働計画づくりに当たり専門家
のイロハについてしっかり理解してもらえるよう繰り返し語りかけた。
さらに、専門家とカウンターパートがコミュニケーションをしっかり取りながら計画づくりを行ない、決して
日本人専門家だけで計画を完結させることがないよう申し合わせた。計画づくりには、専門家自身のリーダーシップが必要不可欠ではあるが、
カウンターパートとの日頃のコミュニケーションを通じてなされていくことが最も大切である。
カウンターパートとの充分な意思疎通と協働のプロセスを経ることなくしては、如何に精緻に立案された計画と言えども実効性をもって
執行されるものとは余り期待できない。計画づくりでは、専門家にうまくリーダシップを発揮してもらいつつも、カウンターパートと
「協働」することを強く促した。また、「技術指導計画」というようなおこがましいものを作成するのではなく、全て専門家とカウンター
パートとの協業・協働をもって練り上げることを目指してほしいとの思いを何度も語った。そのような基本的な認識や姿勢の下で
事を進めることが何よりも大切と考えてのことであった。
計画づくりでは、専門家自身が作成してそれをカウンターパートに押し付けることがないよう何度もお願いした。たとえ時間が掛かろうとも、
カウンターパートとよくコミュニケーションをとりながら作成することを基本とした。さもなければ、日本人専門家が勝手に作り上げたもの、
また日本人による日本のための計画づくりやプロジェクトそのものになってしまい、アルゼンチン人と日本人によるアルゼンチンのための協働
プロジェクトにはならないからである。計画づくりは一人で作り上げないで、必ず打ち合わせをしながら積み上げてほしいと強く促した。
アルゼンチン人のプライドを慮る必要性と重要性がここにあった。かくして、専門家は、学校の漁労・航海・加工処理などの教育レベルの向上のために、カウンターパートと
しっかり意思疎通を図り、またいろいろな知見を乞いながら、「協業・協働計画づくりを共に進める」ことに努力を傾注するようにした。
今回無償供与される機材には重要で大型の新規実習用機材が幾つもあり、それらを航海・漁労・加工技術教育にどう取り込んでいくかが最重要課題であった。
例えば、オッタートロール網の50分の1ほどの模型を製作し、網の組成や曳き方によってどのように底層や中層の水中において曳網されることになるかを
観察する回流水槽実験装置がある。オッターボードの取り付け方や曳網速度などによる網口の開き具合、底層・中層・表層曳きでの
網なりや水中位置などを模擬実験しながら、実物での最適な漁具構成、製作方法、曳網法などを理解することができる。
トロール網をしてターゲットにする魚群を適格に網口に捉えつつ曳き回すべきかを理解し、魚群をうまく網内に取り込み捕獲する
にはどうすればよいかをシュミレーションできる。
回流装置のオペレーション方法やメンテナンスのためのマニュアルは、カウンターパートが仮に代わることががってもノウハウが
引き継がれ、持続可能性を担保するうえで重要である。漁網モデルの製作から回流実験に至るまでカウンターパートと協働し、その成果を共有し合い、
将来漁船甲板幹部職員となる生徒に曳網をデモンストレーションすることで、水産教育レベルの向上に資することができる。また、そのデモンストレーションに
関する視聴覚教材を製作することで、座学の一コマにおいて「漁具漁法の見える化」を図ることができる。さらに、訓練船「ルイシート号」での実際のトロール曳網
実習に生かすことができよう。
教室内に設置される電子海図と操船シュミレーション装置も重要な実習機材である。これは国連専門機関である「国際海事機関
(IMO)」の規則により、海技資格を付与する場合には、この装置を用いて一定期間、操船の模擬訓練を行なうよう義務付けされている。
アルゼンチンは当該条約の加盟国であった。操船シュミレーターを用いて学生にどのように操船の模擬訓練を施すか。
まずカウンターパートが電子操船装置に慣れ親しみ、その後さまざまなプログラミング方法を理解することが必要である。
そのプログラミング方法(電子海図上に、航路標識・自船と 他船・気象などの多様なパラーメータ―の
設定方法とそれらの動態に関するモニタリングと理解)だけでなく、模擬訓練の教授法・実施要領・電子装置のとメンテナンス法などにつき
しっかりと実用的マニュアルや補助テキストを作成しておく必要がある。カウンターパートが誰に代わって
もそれらが引き継がれ、教育上の持続可能性を確保できるようにしておくことが必須である。この実習によって学校の航海訓練レベルが一気に世界的
標準にアップグレードすることにつながる。
航海担当教授専用のパソコンモニターには、生徒が操船する「自船」とその他の多数の船舶を電子海図上で同時に表示できる。錯綜する港内
や狭い海峡を映す電子海図などを自在に設定できる。また、教授は、それらの船舶の動きについてのパラメーターを自在に設定できる。
例えば、船舶の航行する方位や針路、速度をはじめ、海流や風の向き・速さなどの海象条件をモニター上に自在にプログラミング
することができる。学生はレーダー画面上の電波到達レンジを調節し、かつそこに映り出される自船と全ての他船の動きを把握しながら、
所定の海象条件の下で、あたかも自船のブリッジで舵輪を回し、かつ機関に指示を与えているかのように操船できる。
漁獲物処理の大型実習機材としては、魚の頭部を自動的にカッティングし、三枚に下ろす「バーダーマシーン」というフィレ―製造機があった。
また、燻製試作機もその類いであった。バーダーや燻製機の実習をカリキュラムに取り込みながら、実習手順やメンテナンス法のマニュアル作成、
補助教材づくりが検討された。地元のマル・デル・プラタには幾つかの魚類缶詰め製造工場が稼働していた。今回、学校には缶詰め製造
試験機は供与されなかったが、視聴覚教材を作成することで補うことが計画された。また、それらの工場への視察がカリキュラムに
組み込まれもした。
漁業学校として漁業教育レベルのアップに繋がる大型機材は何と言っても20トン規模の訓練船「ルイシート号」であった。訓練船は旧学校にはな
かったものであり、それを用いての全く新たな実習が加わることになる。海上での実習訓練をカリキュラムにどう組み込み、トロール網、
刺し網、延縄などの漁具漁法を、いずれの海技資格を志願する学生に順次実習させるか、詳細な実習・漁具製作計画づくりや、実際に
漁具を仕立てるための事前準備などが必要となる。担当指導教授の他に、訓練船の船長や実習助手の教官を別途配備する必要もある。
訓練船による海上実習も水産教育レベルの向上に直結するものであり、その計画づくりには多くの時間が割かれた。
計画づくりには短期専門家の派遣に関する計画も含まれた。長期専門家自身では指導し難い不得意な領域については、短期専門家の
派遣をJICAに要請し、カウンターパートに技術移転をしてもらう。そのための計画を練ることになる。視聴覚教材づくりのエキス
パートを招聘し、その教材作成担当の教官に対して、有用な教材の撮影・編集に関する技術移転を図ることは、極めて重要なチャレンジ
であった。その他、長期専門家とカウンターパート双方に対する「水産教育方法論」の指導についても検討された。具体的には、水産大学で漁業教育
に携わるベテラン教授の招聘が計画された。また、フル活用できていなかったパソコンの操作や活用法に関する指導などに当たる
短期専門家を招聘する具体的計画も検討された。他方、長期および短期専門家による現地指導も困難なテーマについては、日本の
適切な漁業関連教育機関などにカウンターパートを送り込み技術研修を提供することがベストか、その具体的計画
も検討された。
アルゼンチン海域で漁獲される商業的価値のある主要魚類について、漁船船長・航海士などの甲板部幹部職員がよく理解して
おくことも重要なことである。そのため、アルゼンチンの200海里経済水域で獲れる主要魚種の同定を行なう短期専門家を招聘する計画が立案された。主要魚種を写真、
イラストなどでもって学校独自の図集を作成することになった。
当時はまだデジタルカメラのない時代であったが、手作りのアナログのカラー写真やイラストの図集を作成し、学生に魚類基礎情報
をインプットすることは有益であった。また、
主要魚種の視聴覚教材を制作し、座学で学生に例示することも構想された。漁獲対象とする魚はどんなものか、どう加工処理されるのか、
鮮度を保持するにはどう船上処理されるべきかを説明する漁獲物処理関連の補助テキストの作成もありえた。漁業に従事する漁船員が
アルゼンチンの主要魚種をしっかり同定でき魚種の生物学的な主要特性を知っておくことは、学校の漁業教育レベル向上に資するものであった。
視聴覚教材を自ら作成し、それらをさまざまな領域の教育に活用することは、学校全体の教育レベルのアップには極めて有効な
取り組みであった。視聴覚教材づくりを専属的に担う教官を雇い入れ、カウンターパートに指名される予定であった。また、視聴覚
教材づくりの短期専門家の派遣要請も計画される一方、協働して制作すべき教材のコンテンツについて各協力分野で検討に付された。
視聴覚教材づくりは、三つの協力分野に限らず、電気、機械、救急救命など他の教科などにおいても取り組むこととなった。
無償資金協力による実習機材の他に、技術協力のための予算枠において毎年供与される実習機材についての計画づくりをする
必要があった。2年目からの本格的協力期間における技術指導や協働のために必要とされる機材があるとすれば、その計画づくりは
早いに越したことはなかった。何故ならば、機材計画書をJICAに提出してから届けられるまで少なくとも1年を要する。
視聴覚教材を作成するために将来必要とされる資機材、水産教育用に世界や日本で市販されている同教材の購入とか、訓練船での
実習用引き網などを製作するための補充的な網地やロープ類、訓練船のその他の装備品などが
想定された。その機材内容をカウンターパートとともに想定し、出来る限り適格な技術的スペックの作成が求められる。
スペックの確認のためにJICA本部とのやりとりが重なれば、機材の到着はそれだけ遅れることになる。「チュニジア・プロジェクト」の二の舞い
を是が非でも避けたかった。調達の優先順位を付すとともに、急ぎのものは最初から空送を要望することにした。
2年間の技術指導・協働計画づくりにおいては、できる限り定量的な目標を設定するよう務めた。技術指導・協働の活動項目について
何をどこまで達成することを目標とするのか。その達成目標を定量的に設定するよう取り組んだ。
それは評価を客観的にしやすくするためである。カウンターパートにとっても理解しやすく、またベクトルを互いに合わせ易くなるはず
であった。定量化できない目標については定性的に設定することは止む得ないとした。また、カウンターパートと合意の上、
プロジェクト実施途上において活動項目や数値目標などを変更する場合、新旧の項目や数値目標・達成期間などを併記し、備考欄には
その変更理由などを明記することを予め申し合わせた。実施途上で、活動項目を全く新規に追加する場合は、その旨を備考欄に明示する。
いずれにせよ、それらの修正にも柔軟に対処できるようにする一方で、カウンターパートとの協議と同意を必須条件とすることを
申し合わせた。
JICA水産室で4年間いろいろなプロジェクトの運営を担当し経験を経てきた職員が、専門家をうまくリードできず、
当該アルゼンチン・プロジェクトを軌道に乗せることができなかった、という訳にはいかなかった。泣き言も言える立場にもなかった。
赴任を真剣にサポートしてくれた室長や、調整員の派遣稟議書に自筆署名をしてくれた人事課長、その他大勢の上司、先輩、外部関係者に全く申し開きがたたなかった。
我慢強く、根気強く専門家と対話を重ねつつ、2年間の具体的な計画づくりに取り組み、一年目の任務を遣り終えることができた。
プライドや技術レベルの高いカウンターパートを相手に、上からの目線による技術指導や移転の計画づくりではなく、「専門家・
カウンターパート全員がベクトルを合わせて協働しましょう」という基本姿勢で事に臨んだことが最もよかった。「カウンターパート
に教わりつつ協働作業を繰り返した」ことがプロジェクトの成功の基礎であったものと、後刻しみじみと思い起こした。
また、私的には、水産室でのいろいろなプロジェクト運営の経験、特に「チュニジア・プロジェクト」のそれがあったればこそ、
リーダー不在のままであったが一年間の準備期間を何とか乗り切ることができた。その経験なくして自信をもってこのプロジェクトに
臨めなかったことは明らかであった。経験に基づく知恵と忍耐とリーダーシップが生かされた最初の一年間であった。
私自身の赴任と存在の意義が問われ続けた一年でもあった。長いトンネルのような道のりが1984年4月から始まり、一年後についに
三人の専門家とともにプロジェクトの黎明期を乗り切り、明るい光を見た時には真に感無量であり感涙であった。
6~8月の厳冬期には底冷えする旧学校の一教室で一台のストーブを4人で囲み寒さを凌ぎながら議論を重ねたことも、今は昔の
思い出となってしまった。かくして、プロジェクトの準備期間の一年を乗り越え、「春を迎える」(現地では秋季)ことができた。
「討議録」において公式にプロジェクト準備期間として一年間が認められていたことは、本当に正解であり有り難いことであったと
しみじみと振り返った。
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