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    第10章 国際協力システム(JICS)とインターネット
    第5節: 自作ホームページに鳥肌が立ち感涙する


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      第10章・目次
      第1節: 食糧増産援助(2KR)は優れもの
      第2節: 調査団員の人繰りに明け暮れる
      第3節: インターネットの世界を熱く語る「M」さんとの出会い
      第4節: ネットサーフィンと海洋語彙集づくりの輝く未来
      第5節: 自作ホームページに鳥肌が立ち感涙する

    序章~第8章 | 第9章 第11章 | 第12章~最終章



  海の語彙集を本にして世に問うことなど毛頭考えてもいなかった。その理由は単純であった。アルゼンチン赴任中に海の多言語語彙集づくり を閃き語彙拾いを始めてから10年ほど経っていたが、内容の充実性からして自信をもって世に出せるようなものではなかった。だが、将来 技術革新が飛躍的に進み、いつの日か何がしかの「デジタル版語彙集」を世に送り出せるのではないかと、淡い期待をもっていた。 例えばフロッピーディスクなどの何らかのデジタル記憶媒体での語彙集の刊行も考えられた。また、パソコンの普及と情報のデジタル 化が爆発的に進んでいた1980年代以降の次世代にあっては、デジタル情報が大型コンピューターやパソコン間で自在にやり取りがなされる のではないかと、心のどこかで待ちわびていた。

  アルゼンチン時代から語彙拾いを始め、当時は自ずと西和・和西語主体の海語データの蓄積であった。だが、語彙集づくりの具体的な 達成目標などはなく、ましてや、その先どういう形で仕上げるのか全く見通しのないまま、語彙拾いとその蓄積を続けていた。 もちろん、語彙集に何がしかの一区切りをつけたかった。だがしかし、それもなしえないまま、アルゼンチン から帰国してしまった。

  帰国後語彙集づくりを止める訳にはいかなかった。止めるという選択肢だけはなかった。止めることは続けることよりもずっと簡単なことであった。 だが、そこで止めれば、今までの努力は全てが無駄になり、全てが終焉する。何の成果も生まなかったことに等しく、 その進化はそこで終わる。過去の努力の結晶はパソコン内の記憶装置にしまい込まれ、事実上死蔵されるままとなるだけであった。

  翻って、語彙データがパソコンにて日々更新され蓄積されると同時に、それが世界に発信され、かつ世界とシェア され有用となるのであれば、語彙集づくりは俄然それまでとは全く違う社会的意義をもつに違いないとの思いがあった。語彙集がアナログ図書 として刊行された場合は、その時点からコンテンツの更新は、将来その増補版が刊行されるまでなされないことになろう。 だが、デジタルの語彙データが日々更新されるのであれば、語彙集は毎日毎時毎分新しく生まれ変わり、関心ある人とシェアされ続けることになる。 それまで、そんなことを思い描いていた訳ではないが、インターネット時代の到来を認識した時、その意義についてはっきりと悟るにいたった。
(備考)1995年にマイクロソフトがパソコンの基本OSソフトである「ウインドウズ95」を発売したが、それをもって「インターネット元年」 と呼ばれていた。

  ネット・サーフィンのデモンストレーション体験のお陰で、既にインターネットの時代の真っ只中にいることをはっきりと見て取ることが できた。そして、そのインターネットを通してオンライン海洋語彙集を世に送り出すことができるチャンスが目の前に到来していることを実感 した。私個人としても恩恵に浴することができるデジタル情報通信の前途洋々たる世界がすぐ目の前に広がっていた。アルゼンチン時代以来 長いトンネルの中を歩むが如くであったが、初めて遠くに明るい光を見た。今後歩むべき方向と 目標とすべきところを見定めることができ、その喜びは一入であった。語彙集づくりの明るい未来をそこに見た。

  ネット・サーフィングのデモ体験に衝撃的感動を受け、間髪を入れず海洋語彙集のネット上での発信を決意した私は、 すぐさまホームページ作成法を独習するために、5、6冊の基本書を買い求めその手習いを始めた。 週末には基本書と向き合い、ホームページの基本構造やその作り方の基本、「タグ」という命令言語の基本的仕組みや使い方、 プログラミングの諸事例などを紐解いた。プログラミングの独学が進み、その理解が増すにつれ、ますますオンライン語彙集づくりにのめり込んで行った。

  ところで、アルゼンチン時代には主に西和・和西の海洋語彙集づくりを手掛けたが、その時に使用したパソコンはOKI製デスクトップ型の 「IF800」というモデルであった。そして、当時用いたのは、日本語文書作成ソフトである「ワード」であった。デスクトップ型パソコン本体には、 フロッピーディスクを挿入するスロットが2つあった。左のそれに「ワード」のフロッピーを、右のそれには記憶媒体用フロッピー を差し込んだ。すると、モーターがゆっくりとうなり音を上げ高速回転を始める。回転が安定し音も落ち着いたところで、やおら 「ワード」を立ち上げ操作を始めた。「ワード」で作成された文書ファイルのファイル名の末尾には「.doc」という拡張子が付いていた。 語彙集のデータはその後2年間の「ア」国赴任中に何十枚ものフロッピーに増え続けていた。

  帰国後は、IBMのデスクトップ型パソコンに乗り換え語彙集を作成し続けた。集中して取り組んだのは、英和・和英の海洋語彙集 であった。当時IBMのパソコンはブランド品として世界的に広く普及し、海外でも多くの修理サービスポイントを有していたので、 その優位性を考慮しての購入であった。

  ホームページを閲覧するためのソフトウェアである「ブラウザー」としては、ネット元年当時最も一般的であったのは 「ネットスケープ」であった。ブラウザーで閲覧できるホームページのファイル形式はファイル名の末尾に「.html」という拡張子をもって いた。つまり、拡張子「.html」をもつファイルのみがブラウザーによってホームページとして認識され表示された。 ホームページづくりをして、そのことを初めて認識させられた。そして、最も驚かされたのは、拡張子の 「.doc」が付けられた日本語文書ファイルを、拡張子「.html」のファイルに変換するのに、前者から後者へ直に変換する ことができないことを知った時であった。

  アルゼンチンでOKIのIF800モデルで作成した「.doc」ファイルを、先ず「.txt」ファイルに変換した後でなければ、「.html」 ファイルへ変換することができなかった。そんな基本的なことすら知らなかったので大慌てする破目となった。その変換には、 日本語文書作成ソフト「ワード」が勿論必要であったが、何よりもアルゼンチンで使っていた同型のOKIパソコンが必要であり、それなくしては データを「.txt」ファイルに変換することができないことを知り、ショックを受けた。OKIパソコンは既に廃棄処分してしまい、IBMパソコンに乗り換えていた。 将来の備えとしてOKIパソコンをもって「.doc」ファイルを「.txt」化しておくことなど、当時全く念頭になかった。 知っていれば「.doc」ファイルの作成と平行して「txt」化しておいたであろうが、そんな知恵をもち合わせていなかった。
(備考)拡張子の「.txt」をもつファイル形式は、パソコンメーカーや機種を問わずデータの汎用性を確保し共通して利用可能にするための ものである。いわば全パソコンに共通するファイル形式である。

  急いでOKIのサービスセンターにコンタクトし、IF800型パソコンを購入したいと申し出た。それは世に出回って10年以上が経つ機種であった。 応対した年配の社員は顧客のそんな事情を知って真剣に探してくれた。結果、OKIが自社開発した初期の機種として都内のショールームに 一台だけなおも展示されていて、それがOKIでは唯一残存するものだという。博物館の展示室に年代ものとして置かれようとしていた ようなものであった。それでよければ譲ってもよいとのことであった。廃棄処分も間近だった らしいその1台を譲り受けるために、すぐさまショールームに駆け込み、運よく手に入れることができた。間一髪のところであり、天が味方してくれた。 まだ人生の幸運を使い果たしてはいなかったと安堵した。それがなければ、膨大なデータを再入力する破目になり、それを終えるだけでも1年は要する ことになっていたはずである。

  ようやく入手したOKIのパソコンで、「.doc」ファイルを「.txt」ファイルへ変換すべく、帰宅後の夜なべ仕事に、また週末などに、 少しずつ取り組んだ。4、50枚のフロッピー内の「.doc」データの「.txt」化は、いわば機械的な作業であり、時間はさほどかからないと見込んだ。 だが、その「.txt」ファイルの各見出し語と対訳などに、改行をするためのタグである<br>や<p>の命令符合を最小限書き入れる 必要があった。先ずは全フロッピーのデータに改行のためのタグを書き入れ、ホームページ化することにした。眼前には海語ホームページという具体的 成果が馬のニンジンのようにぶら下がっていたので、そのような強い動機づけの下で根気強く取り組むことができた。

  順次改行のためのタグを書き入れ「.html」ファイルへ変換し、頻繁にそれをダブルクリックして表示具合を確かめた。ブラウザーで 閲覧すると、まさにホームページの原画面を見るごとくそこそこ綺麗に表示されるのにしばしば感心し、作業続行の大きな励みとなった。 ブラウザーではタグに応じて、なるほどこのように表示されるのかと感心の連続であった。タグ命令の一文字や一スペースでも間違うと、 てき面にその表示は見るからに不自然なものとなる。正常なタグの使い方でないことがすぐに見て取れた。

  もう少し作業を具体的に述べるとこうである。英和語彙集の「.doc」ファイルを「.txt」ファイルに変換し、その「.txt」ファイルに、 基本書に紹介される事例などに則して、ファイルの最初の行にタグ命令の<html>、最後の行に</html>(タグは全て半角)を書き入れる。 それに挟まれた全ての字句や文章がホームページのために書かれたものであることを示す。次にタグ命令<title>の後にファイル名を書き入れ、 </title>でもってファイル名を閉じる。</html>や</title>の「/」は当該命令を終えることを意味する。 次いで<body>を書き入れる。これ以降の記載内容がホームページの本文であることを示す。最後に</body>をもって本文を閉じることになる。 ここでの本文とは、何百何千と言う見出し語(英語)と対訳(日本語)、及び語釈などのことである。 その「.txt」ファイルのファイル名の末尾に拡張子「.html」を付け加え、「名付けて保存」することで「.html」ファイルへと変換した。 その後、ブラウザーで閲覧すると、見出し語や対訳などが何の改行もされないまま、全てがベタ打ち状態で表示された。

  これがホームページ画面として最初に見たベタ打ち状態の英和語彙集であった。そこで、「.html」ファイルに改行を命令する タグ<br>や<p>を書き入れ、ファイルを「上書き保存」し、ブラウザーで再度見てみると、少しは語彙集らしく見出し語と その対訳などが見やすく表示された。さらに、基本書を頼りに、見出し語の英単語をブロック体にしたり、魚の学名を斜体にしたり、文字 (フォント)を大きくしたり、文字に色を付けたり、いろいろな線を行間に差し入れたりして、トライ・アンド・エラーを繰り返しながら、 先ずは20ほどのシンプルなタグ命令を使って体裁を整えて行った。そのページは何の飾り気もなくシンプルではあるが、辞書らしくなった。
(備考)「.txt」ファイルを「.html」ファイルに変換し、新規入力や修正など施した後「.html」ファイルを完全に終了する場合には、必ずその前に 「.txt」ファイルに変換し「上書き保存」しておく必要がある。今後に作業を再開する場合は、必ず「txt.」ファイルを立ち上げての作業開始と なる。「.html」ファイルを直に立ち上げると、当然のことだが、ブラウザーでホームページを見ることになってしまう。それでは 更新作業はできない。入力作業は先ずもって「.txt」ファイルで行うのが基本である。

  「.txt」ファイルに基本的なタグ命令を少しずつ丁寧に書き加えつつ「.html」化し、それを繰り返しながら、 英和・和英の全てのデータをホームページ化することに漕ぎ着けた。全てやり終えるまで一年近くの期間を要した。また、利便性を 高めるため、ページの初めにA~Zの目次を作り、その目次から辞書本体の各A~Zのページにジャンプ(リンク)するようにした。とはいえ、実際にホームページをサーバーにアップロードして公開できるまでは まだまだ時間を要した。先ずは一通り英和・和英語彙集をホームページ化することができたが、誤字脱字などの表記上の 問題はないか、あるいは内容上の誤りはないか一つ一つ点検する必要があり、機械的にやり終えられるものではなかった。まだまだホームページ をアップロードするまでの道のりは遠かった。

  A-Zまでの全データを一つの「.html」ファイルに収めようとすると、その容量は大きくなり、ブラウザーでの表示スピードがどんどん 遅くなる。そこで、語彙集をABC別に細切れに分割し、26ファイルを作成した。更に例えば、「S」のファイル容量が大きくなれば、 それを二分割化した。目次も一つの独立した別ファイルとした。そして、新たなタグ命令を学び、その目次のABCから各ABCファイルへと直に ジャンプできるようにして、利便性を高める取り組みをした。また、「index.html」と名付けられる語彙集のトップページ のデザインをどうするか、いろいろ試行錯誤するのは楽しかった。
(備考)ホームページ作成上の決まり事として、ブラウザーがアクセスし表示する最初のネット上のページは「index.html」と名付けられる ファイルである。それは海洋語彙集ホームページのポータルサイト(トップページ)に付けるファイル名でもあった。

  ホームページとして発信・公開するにはまだまだ道のりが長かった。恒用することになる数十のタグ命令を重点的に学び、ホームページ を良くするよう務めた。更に先ずは、自宅のパソコンをインターネットに接続し、ネット・サーフィンが楽しめるようセッティングせね ばならなかった。また、ホームページをプロバイダーのサーバーにアップロードできるようにする必要があった。自宅に最も近いアクセスポイント をもつプロバイダーを探し、契約を結ぶこととした。当時、パソコンを電話回線を介してプロバイダーのサーバーに接続すると、時間数に応じて 電話通話料が課金された。大手のプロバイダーはローカルな都市である川口市内にはアクセスポイントをもたないことが多かった。 接続のたびに市外通話料がかかるのでは、その経済的負担はバカにならなかった。

  電話代が嵩張らないように、アクセスポイントを川口市内にもつプロバイダーを探した。 幸い川口市内を営業拠点にして、川口にアクセスポイントをもつ「サイネット」という地元のプロバイダーが見つかり、早速契約した。 当然アクセスポイントが同じ市内に所在するので市内通話料で済んだ。質問するにも市内通話なので電話代を気にせず気軽に相談できた。 当時接続料金は従量制であったので、接続時間数に応じて電話通話料の月額は高くなった。 もっとも世は日進月歩が常であり、次代には月単位の定額制が普及して行った。

  電話器本体から回線端子を取り外してパソコンのポートに差し込み、パソコン画面を見ながらプロバイダーへダイアルアップ方式で 接続する。すると、電話の発信音が響き、すぐに接続に成功したり、時間帯によっては混雑して繋がりにくかったり、何らかの障害 発生で繋がらなかったりであった。接続後はブラウザーを立ち上げ、ネット・サーフィンが可能となった。当時はネット時代の黎明期で 通信・接続上のトラブルも多かった。ダイアルアップ接続を可能にするには個人ベースでいろいろな事前作業が必要で、団塊世代に属する 私としては、いつも試行錯誤で悪戦苦闘であった。初めて電話を掛け、発信音を聞き、サーバーに繋がったという表示が現われた時は、 「やった!」と感激し喜びの声を発してしまった。

  あらかた英和・和英の語彙集のホームページが仕上がったところで、いよいよサーバーにアップロードし、公開することになった。 まだよちよち歩きの語彙集であったが、心が急いた。例のデモンストレーションからゆうに1年後のことであった。やっと漕ぎ着けた。 ホームページ「海洋語彙集」の作成に挑戦して以来初めて見る自作のページに鳥肌が立ち感涙であった。 私的には、アナログの語彙集や辞典のことを考える時代はすっかり遠のいていた。いつでもどこでも語彙集のコンテンツをアップデートし、 「進化」させ、グローバルに発信できるという願ってもない時代に身を置ける境遇にいることに感謝であった。 パソコンがネットに繋がってさえいれば、瞬時に語彙集を更新し、また活用してもらえるという信じられない時代に生きることにも 感謝と感激であった。

  ところで、サーバーにアップするには「ftp」というソフトが必要であった。ネットから無料のフリーソフトをダウンロードし、いろいろセッティング して、それを使って英和・和英語彙集の各ファイルをアップロードした。なお、当時のホームページづくり環境と2020年現在とは大きく異なる点が一つある。 海洋語彙集の最初のホームページのアドレス(ドメイン名)は「http://www.sainet.or.jp/~…/」というものであった。「/~…」という 符合がプロバイダーのサーバーを間借りしていること、またプロバイダーのホームページ下にあって、それにぶら下がっていることを示していた。 「…」にはローマ字で自身の名前でも「oceandictionary」でも良かった。 要するに、私のホームページはまだ独立したネット上のアドレスをもたなかった。「サイネット」のポータルサイト (トップページ)に語彙集へのリンクを張ってもらい、同サイトから語彙集にアクセスするという仕組みになっていた。語彙集はプロバイダーの ホームページと紐付けられ、同ページが語彙集への唯一のゲートウェイとなっていた。

  当時、情報通信技術に精通しない一個人が、プロバイダーと同じように、24時間インターネットに接続する自前の ホストサーバーを持ち、もって独立したホームページ・アドレスをもつことは極めて限られていた。自前のホストサーバーを もつとすれば、その維持費だけでなく、ウイルスなどによる通信障害に対応できるプロフェッショナルなノウハウが不可欠であった。 それ故に、当時にあっては、プロバイダーのサーバーの一部をレンタルし、かつプロバイダーのポータルサイト経由で自身のホームページへ 入り込むという間接的アクセス法であった。当時数10MBのスペースをレンタルし、結構高額の月額を支払っていた。 当時としては、個人レベルであってはごく普通のホームページづくりのやり方であった。いずれにせよ、曲がりなりにも海洋語彙集のホーム ページを作成し、レンタルサーバーにアップロードし、世界のネットユーザーとシェアできるようになったことこそ、感涙もの であり、また、まるで歴史的偉業を達成したかのような境地であった。
(備考)ずっと後のことになるが、数多の画像ファイルをアップロードし、かつホームページに貼り付けたら、思いの他レンタルサーバー の容量がオーバーフローした。容量を増やすと経費はかさんでいくばかりであった。当時サーバーのレンタル料金は今では考えられない ほど高額であったため、最小限の容量を契約していた。もっとも、技術進歩は凄まじく、後年にはメモリー単価は大幅にダウンし、 その悩みは解消されていった。

     初めてのホームページをオンラインで閲覧した時の感激は決して忘れることはできない。試行錯誤を重ねつつ、ついに自身のホームページ をネット上で見る瞬間がやって来た。プロバイダーのポータルサイトには会員のホームページを紹介するコーナーに入り込むための 窓口ボタンが設けられていた。そのボタンをクリックして「海洋語彙集/中内清文さんのページ」をクリックすると 私のホームページが表示された。ホームページがリアルで眼前のパソコン画面上に表示された時には、感涙であった。 「やった! アルゼンチン以来の努力が報われ開花した。少しは形になった。素晴らしいインターネットの時代がやって来た。 語彙集を関心ある世界の人びととシェアできるようになった。語彙拾いが日」の目を見た!」。言うのもはばかれるが、感激で独り 踊り狂わんばかりであった。

  振り返って見れば、事の起点・基点はニカラグアへの出張であり、森さんとの出会いとネット・サーフィンのデモであった。未だ 若い時期にこの画期的な情報通信技術に巡り会えたことはラッキーと言う他なかった。 世はパソコンの黎明期を経て、やがてそれらが相互につながり、デジタル情報が自在にやり取りできるインターネット時代にあった。 パソコンの奥深くにしまい込まれていたデータが、一夜にして世界に発信されシェアされるという夢物語が現実のものとなった。 そんなネットと語彙集との融合の始まりに立ち会うことができた。何とラッキーであったか、ホームページ画面を前に暫く感謝と感激に浸って いた。これからはこのオンライン語彙集を進化させて行こうと言う思いで体中の血が沸騰しそうであった。国連への奉職という長年の夢と 目標に取って代わるかのような予感をもたらすほどであった。全く月並みであるが、諦めないこと、そして辛抱強く時を待つということの 大切さを知った。



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    第5節: 自作ホームページに鳥肌が立ち感涙する


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