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    第10章 国際協力システム(JICS)とインターネット
    第1節 食糧増産援助(2KR)は優れもの


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      第10章・目次
      第1節: 食糧増産援助(2KR)は優れもの
      第2節: 調査団員の人繰りに明け暮れる
      第3節: インターネットの世界を熱く語る「M」さんとの出会い
      第4節: ネットサーフィンと海洋語彙集づくりの輝く未来
      第5節: 自作ホームページに鳥肌が立ち感涙する

    序章~第8章 | 第9章 第11章 | 第12章~最終章



  人事部職員課に配属されていた私は、1994年3月のある日、部内で人事課長に呼び止められ課長室に招き入れられた。そして、課長はニコニコ しながら、「中内君、財団法人・日本国際協力システム(JICS)へ行ってもらいたい」と、突然、いわゆる出向の内示を言い渡された。 全く想定外の人事であった。課長は普段から「ニコちょん」と自称していて、ニコニコしながら厳しい人事をすることを自笑しつつも 誇りとしているようであった。JICS勤務を聞かされた時は唖然とした。一瞬、心の底で「それはないのでは、、、」と思ったが、 言葉を押し殺した。隠すこともないことだが、何故に私がJICS勤務なのか、という思いが真っ先に脳裏に去来した。だが、脳内回路を瞬時に駆け巡った そんな思いは、別の電気信号に変換されて戻ってきた。周回してきた電気信号は「出向の決意」という真逆の答えであった。

  人事部に在籍していた私には、詰まるところ、JICS勤務の再考を願い出るような選択肢はなかった。それにはある理由があった。 10年ほど前のことだが、アルゼンチンの国立漁業学校プロジェクトへの赴任の切実な願いを、時の人事課長にすんなりと叶えてもらった。 赴任の承認だけでなく、ある配慮も得た。赴任の直前に英国と「ア」国間でフォークランド紛争が発生し赴任が危ぶまれた。 水産室勤務はすでに丸3年が経過し異動の時期であった。しかし、紛争が落ち着くまで水産室にそのまま1年ほど勤務し続ける ことができ、その後和平が成立した結果、無事赴任に及んだ。

  人事記録にはそのことがテークノートされていてもおかしくはないと思っていた。「ア」国漁業学校プロジェクトへの赴任にまつわる人事上の この借りは、いずれ返すことが求められると思っていた。今回のJICS勤務は人事部からそのお返しを求められたものだと、その内示の日に帰宅 する道すがら、自分勝手な解釈を考えた。思い過ごしかもしれないが、恐らく遠からず近からずのことに違いないと、半ば無理やりにも 自己納得させた。だが、「ア」国赴任を巡ってJICAから背負うことになった人事上の借りは想像以上に大きかった。JICS勤務で借りは 帳消しになるものとその当時には思っていたが、借りが完済され帳消しになるにはほど遠いものであったことを、その後のJICA人生で知ることになった。

  人事部に在籍してきた者が人事課長の直々の内示に正面切ってその異動に不平不満たらしく、再考を願い出るのは如何なものなのかという 思いもあった。また、願い出ればどんな別の望まない異動が待ち受けているのか全く想像もできなかった。いずれにせよ、脳内回路の電気信号は JICSへの出向の内示が変更されることなどありえないということを暗示していた。 かくして、内示を受けたその場で、即座に「これも人生なり」と達観と諦観をもってJICS勤務を受け入れた。どんな「遠回り」の人生になるのか、 長い「回り道」になるのか想像もつかなかったが、社会人一年生の如く期待と不安を胸に新しい職場に通うことになった。ところが、 後で振り返れば、3年間JICSに勤務する道程において「黄金の光り」を当ててくれるある出来事に遭遇することになろうとは、人生の摩訶 不思議であった。さて、1994年から97年までの3年間、三井新宿ビル46階から同じビル内の8階にあるJICSの業務第2部に勤務した。

  さて、JICSの業務について軽く触れておきたい。日本政府による発展途上国への援助は、有償資金協力、無償資金協力、 技術協力の3つ形態に大きく分けられる。JICSが関わるのは後者2つの協力であった。まず技術協力であるが、JICAの技術協力専門家が、単独あるいは グループで途上国に赴き、技術的ノウハウを伝えながら「国づくり、人づくり」にいそしむのにいろいろな資機材が必要となる。 JICAはそれらの調達に当たり、商社入札に付し、買い入れ、その後現地へ空海送することになる。入札に当たっては、資機材の個々の品目 に対し複数社が応札でき、もって競争が成り立つように、品目ごとに技術仕様(スペック)を作成する必要がある。JICA調達部機材課の最も 重要かつ本来業務であるが、JICSは、その仕様作成をJICAから受託し、JICAによる入札を補佐し、資機材を円滑・効率的に調達できるよう側面支援する。 これは業務第1部の主要業務であった。

  業務第2部の業務は無償資金協力に関連していた。無償協力を目的・ジャンル別に分けると数多くの形態があるが、JICSが、外務省やJICAを 側面支援するために関わる協力形態はそれほど多くはなかった。例えば、主要穀物の増産に資するための「食糧増産援助 (略称2KR)」、 楽器や音響装置などの文化的資機材を支援するための「文化無償」、ワクチンなどを主に国際機関を通じて供与する「医薬品無償」、 資機材の購入に当たって無償資金の使途が原則問われない「ノン・プロジェクト無償」などである。その他にJICSが関わったのは「一般無償」 といわれる援助であった。一般無償は政府予算のうち最大のシェアを占めていた。だが、JICSの無償援助業務の実施プロセスの観点から見れば、 「事前調査」や「フォローアップ調査」の海外調査などごく一部に限られていた。その他、「簡易機材調査」という、調査の受託だけでなく、その延長戦上において被援助国の政府代理人となって 機材調達を行なう仕事もあった。

  無償資金協力は、基本的には、外務省の責任の下で実施されるもので、政府系特殊法人のJICAや公益財団 法人としてのJICSが業務上関与する内容や程度は、援助形態ごとに異なっていた。JICSのミッションの一つをざっくりと言えば、 途上国から日本政府に無償供与の要請がなされた資機材について、JICAから委託を受けて技術的調査を行なうことである。具体的には、 資機材要請の背景、技術的妥当性、調達の概算額、援助の効果などを調査し、報告書に取りまとめ、JICAに提出することである。 JICAはそれらを精査のうえ外務省に報告する。外務省はそれに基づき、無償援助の内容・額などを閣議に諮り、政府として援助につき決定 することになる。

  JICSが外務省から直接的に無償資金協力業務を請け負う仕事もあった。その典型例が「ノン・プロ無償」といわれるものであった。 日本と被援助国との間で無償協力の実施が約束された後、JICSは被援助国政府とコンサルティング契約を結び、その政府代理人として 途上国から要請される資機材の技術仕様を詰め、入札図書一式を作成し、国際入札に付して、落札業者を通じて実際に資機材を調達し、 それらを被援助国政府に納入するという業務も担っていた。特定プロジェクトのための資機材ではなく、途上国が経済社会発展に必要と する資機材であれば原則何でも調達可能であった。例えば、セメント、鋼材、アスファルトなどの建設資材を調達するために必要な資金が援助される。 途上国はそれらを用いて、道路、橋梁などの社会インフラ基盤整備を図ることになる。JICAはこの無償資金協力には一切関与していなかった。

  「ノン・プロ無償」の場合、被援助国はそれらの機材を国内販売し、その得られた資金は「見返り資金(カウンターパート資金と 称される)」として当該国の国庫の特別口座にデポジットされ、さらなる経済社会発展のために有効活用されることになる。JICSが 被援助国政府の代理人として請け負うコンサルティング業務に対する報酬(コンサルタント料)は、日本政府からの無償援助資金の中に 予算化されている。

  休題閑話。さて、無償資金協力に「食糧増産援助」(2KR)という援助スキームがあるが、その2KR の援助対象資機材は、被援助国の 主要穀類の増産に寄与するはずの肥料、農機具、農薬などである。JICSでの最初の私の職務は、業務第2部2KR課が所掌していたこの援助に 関するものであった。

  発展途上国での主食は米、小麦、あるいはトウモロコシなどである。それらを自給できず輸入に依存することが多くみられる。その場合、それらの 生産性を向上させ、できる限り輸入量を削減し、国家財政支出を節減するという政策が追求されることになる。それらの農作物増産に 最も必要とされる資材が各種の化学肥料である。その他、病害による減収に対処するための農薬や、生産効率を直接的に向上させることにつながる耕耘機、トラクター、コンバイン、 精米機などの農業機械である。

  被援助国の農業の一般事情や主要穀物の生産・輸出入状況、農業生産資機材の輸入状況などを調査する一方、要請資機材の内容・ 数量に関する妥当性、その調達の概算見積もり額などについて、報告書に取りまとめJICAに提出する。JICAはその報告書を精査のうえ、外務省 に提出する。援助の対象国は年間50か国以上である。また、一か国につき数億円から5億円程度である。JICSは、それらの被援助国 への2KR援助に関する閣議決定に結びつく、いわば技術的基礎資料作りを担っている。

  JICSは、JICAからの委託を受けて、数年に一度は、実際にそれらの被援助国へ調査団を派遣し、農業生産一般事情、主要穀物の単位面積 当たりの収量や輸出入状況、農業生産資機材の輸入状況、国内販売・流通事情などの最新データを収集し、報告書に取りまとる。 それは、JICAが今後2KR援助の内容や妥当性を検討するうえでの基礎的技術資料とされる。JICSには、年を経るごとにこれらの農業生産データや資機材の技術的情報などが 蓄積された。また、職員の調査能力は年々向上していた。入札は日本法人のみが参加できる「日本タイド方式」であったが、複数の応札者 間で適正な競争が成り立つよう技術仕様を作成することが厳命される。その点でも経験とデータを年々蓄積し続けてきた。

  2KRには、「ノン・プロ無償」と同じく「見返り資金」という積み立て制度がある。これは大変意義のある優れものとなっている。 被援助国政府は、日本から供与された、償還不要な資金を用いて調達したそれらの農業 生産資機材を、被援助国内での適正な入札手続きを経て農協や民間業者に販売する。その売上金を、政府の国庫特別口座に 納め積み立てて行く。そして、被援助国の政府関係機関と日本大使館・JICA事務所が適宜協議を重ねつつ、その資金を当該国の経済社会発展のための 具体的プロジェクトに有効に活用するというものである。

  ずっと後年になって赴任した中米のニカラグアで図らずも出会った事例であるが、太平洋側と大西洋(カリブ海)側とを結ぶ重要な幹線道路の 一部が未だに未舗装であった。半年間の雨期中に道路は目だって痛み続け、通行が極めて困難になっていた。辺境地にあるその 砂利道を整備し、物資や人が円滑に往来できるよう見返り資金が実際に活用されていた。資金が循環し更なる発展に生かされ、 国民の生活と生産性の向上につながるものであった。見返り資金の有効活用の様を目の当たりにして心が大いに高揚した。その整備の落成式典 には、日本大使の他、ニカラグアのオルテガ大統領も出席するという国家プロジェクトとしての力のこもった取り組みであった。

  また、後年ブータンに出張した折のこと、2KR機材の利用現場に遭遇したことがあった。ヒマラヤ山中の辺境地の嶮しい山間部にある小さな 農村において、2KRで供与された耕耘機にトレーラーを繫ぎ、農業資材や農作物を運搬していた農民に出会い、その活用を眼の当たりにして感激したことを思い出す。またブータンの首都ティンプー に所在する「農業機械化普及センター」では2KRによって供与された多くの農機具を含めた機械類の修理やメンテナンスが行われ、 その再生利用に真剣に取り組んでいる様に触れ、関係者の努力に目頭が熱くなり感謝感激であった。

  見返り資金の積み立て状況や、具体的にいかなるプロジェクトに活用されているかをフォローするのはJICSの本来業務ではなかったが、 JICSの報告書においてその使途や金額などの情報が記載されることも期待された。2KR資機材が適正かつ有効に活用されて、食糧増産に 結びつくだけでなく、2KR援助によって節減された国家予算や見返り資金が他のプロジェクトに有効に投資され、経済社会的発展の 好循環が生み出されることが大いに期待される。見返り資金をフォローし、その有効性や相乗効果の確証を得るにつけ、2KR業務に 携わることの誇りとやり甲斐が大いに鼓舞されるところであった。

  だが課題がなかった訳ではない。被援助国で病害が発生しなかったことによるものか定かでないが、未使用の2KR農薬が倉庫にストックされ たままとなり、しかも農薬の一部が環境上問題視されているとマスコミ報道されたことがある。また、現在では残留農薬が 世界的に大きな関心を集めている。子供の頃日本の農村でもよく見かけたホタル、メダカ、カエル、ミミズなどの小動物が近年では見かけなくなった 事例が多い。長年の農薬散布の影響とも考えられる。2KR供与の農薬について、当時にあっては害虫駆除などのためどこまで適正に利用されて いるか、あるいは未使用農薬をどう適切にストックや処分されているのか、十分な関心を払って被援助国政府と協力してフォローすることは少なかった と思われる。当時国内の農薬製造業は特定構造不況業種として法的に位置づけられ、政府が手厚い産業保護政策を執っていたことも影響した のかも知れない。農薬使用の現況や管理体制などにもっと関心を払うことが大事であったと振り返る。

  私は農家の出であり、青少年の頃から米作りや数多くの野菜栽培など、25歳になるまで田畑で土にまみれながら育った。 学生でありながらも農協の組合員資格をえていた。農業分野での国際協力の一端を担うのにまったく違和感はなかった。2KR課の誰よりも 農業を経験してきたと内心自負していた。それがJICSの2KR課において自信をもって仕事ができた 所以であったかもしれない。こんなところで青少年の頃からの土いじりの経験が自身の下支えとなるとは 思いもしなかった。

  もちろん、JICSに着任して数ヶ月間は、出向者としては当たり前のようにいろいろな通過儀礼的な洗礼を受けた。当時、JICSの管理職の 全員が外務省・JICAからの出向者で占められていた。他方、2KR課には、15名ほどの若い職員や若干名の年配のベテラン常勤嘱託が勤務していた。一人一人と向き合い、 少しずつ意思疎通を図り、個性なども理解でき、何の違和感もなく努力のベクトルを合わせ共に協働するという真の実感を得られるよう になるまでには、それなりの精神的ストレスを伴った。また、出向者としての疎外感や孤独感もそれなりに味わった。いずれも出向に伴う初めての 人生経験であった。出向者というのは着任後暫くは「異邦人」そのものであり、どうしても一種の「違和感」を甘受せざるをえなかった。 それは自身を成長させる良薬のようなものであった。

  JICS勤務でのそんな当たり前の体験のことよりも、最も忸怩たる思いにかられたことがある。 無償資金協力は、業務第2部の50名ほどの職員が常日頃いそしむ業務であり、政府開発援助(ODA)の中の一つの重要な部分を構成する ものであった。だが、無償資金協力について、何たるかの十分な経験と予備知識をもたず、それゆえに何となく目に見えない後 ろめたさとプレッシャーを背中に感じながら日々の業務をこなしたことである。 だから、その点に関しては自信をもってどっしりと構えておれなかった。だが、何か月か経ればそれも少しずつ氷解して行った。 無償協力についてキャッチアップするのに時間が必要であったが、半年もすれば知識も増し日々精励することができた。だがしかし、 数年後になって無償協力スキームの奥義を身をもって自覚させられることになった。

  JICSの若い職員の先頭に立って業務するに当たり、無償協力業務についての知識不足は自助努力で補うことができたが、それだけでは 十分でないことを悟った。職員と一致協働して、外務省やJICAというクライアントからの求めに応え、役務を供し、その対価や報酬を いただくには、自身の全ての人間力を賭し事に当たることの大切さを知った。ある日、自身の全人格を曝け出し、全人間力をもって事に 向き合うことを決意した。職員が仕事に邁進し、そのもてる能力を高め発揮し、質の高い仕事をこなせるようにするとの観点から 仕事の環境を整備することに集中するようにした。それからはすっかり肩の重石が取れて皆のベクトルが同じ方向に向き、重なり合う ことが多くなったような気がする。

  さて、JICSに勤務したことで、海からはさらに遠くに離れてしまった。それに、「海洋法制・政策ニュースレター」をはじめ、英語版 「海洋白書/年報」の類の発刊も1990年までのことで、JICA人事部やJICS勤務の1990年代初めから1994年の頃には、全く何の論稿も編纂 できない状態になっていた。ただ、海の語彙拾いとデジタル入力だけは続けていた。海洋博物館や水族館などへの関心についても前のめりに なっていた訳でもなく、通りすがりに立ち寄って見る程度のことであった。また、当時はスチール写真の時代であり、数多の画像を撮影 して語彙集に貼り付けるなどという発想も持ち合わせていなかった。だがしかし、JICS勤務も丸2年になって、ニカラグアへある簡易 機材調査のために「M」さんと調査に赴いた。そのことがきっかけとなって、語彙集づくりに革命的変化が生まれ出る ことになった。海との関わりにおいては、JICSへの出向は「遠回り」の人生ではなかった。「M」さんはインターネットへの「水先案内」 してくれた。インターネットへの近道を得たことになった。そしてついに、「オンライン海洋辞典づくり」への世界に足を踏み入れること になった。



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