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    商船大学の開学記念祭(1962年)

    第1章 青少年時代、船乗りに憧れるも夢破れる
    第1節 船乗りへの夢を駆り立てた神戸商船大学長との出会い


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     第1章 青少年時代、船乗りに憧れるも夢破れる
      第1節 船乗りへの夢を駆り立てた神戸商船大学長との出会い
      第2節: 家族との船旅は船乗りへの夢を育む原点であった
      第3節: 父の突然の他界で生活は激変、商船高専諦め普通高校へ進学
      第4節: 神戸商船大学の受験ならず、船乗りへの夢消える
     第2章


  茨木市立養精中学校の一年生になって間もない頃のことである。12歳の未だあどけない顔をした少年であった。祖父である中内清一と私は、 神戸商船大学の正門をくぐり抜け、その正面に建つ管理棟の二階にある学長室へと案内された。二人は学長室のソファに遠慮がちに 腰を掛けた。そして、緊張の面持ちで初対面の小谷信一学長と向き合っていた。

  遠い過去の話であり、また面談当時ひどく緊張していたこともあり、会話の内容はまるきし覚えていない。だが、祖父は、孫の清文を大学に 招いていただいたお礼を真っ先に述べたはずである。そして、続けて述べたはずのことがある。何故今日の訪問には 少年の父親ではなく祖父である自分が孫を連れ立って参上することになったのか、という理由である。父親の姿がないことの失礼を詫びし、 その訳を説明したはずである。

  儀礼的な挨拶が終わり、家庭事情の話も一段落した頃に、学長は、「神戸港を見たことはありますか」と私に尋ねられた。 私は海や船が大好きであったので、神戸港に足を踏み入れたことは何度かあるにはあった。だが、どう返答しょうかと 一瞬戸惑う表情を浮かべた故であろうか、学長はすかさず「今からご案内しましょう」と、我々からの返答を待たず自答された。 そして、秘書らしい女性を通じてすぐさま公用車が手配された。学長は、外国航路船の航海士を夢見る少年にとって、はるか雲の上の存在であった。 その学長との最初の出会いで神戸港見学をお誘いいただいたことで、学長との距離をぐっと縮めることができ、緊張感をほぐしてくれた。

  管理棟のポーチに横付けされた黒塗りの公用車に乗り込み、神戸港の突堤へと向かった。港までそれほど時間はかからなかった。海に大きく突き出た 何本かの突堤のうちの一つに車は滑り込んだ。突堤には大型倉庫が建ち並び、何隻かの大型貨物船が停泊し、荷役作業の真っ最中であった。 貨物船のタラップのすぐ下に公用車はぴたりと寄せられた。舷側下に立って見上げた船の高さは半端ではなかった。タラップの登り口にいた 当直員は、何の前触れもなく、いきなり現われた商船大学の学長と、いかにも田舎風の老人とチビの少年の、3人の「異邦人」の来訪にびっくり 仰天した様子であった。

  タラップを昇り切ったらすぐに高級船員用サロンに案内された。4、5人の幹部職員が何事かとすぐさま集まって来た。 幹部らは、学長らがいったい何用で突如来られたのか、怪訝な顔つきであった。だが、お茶がテーブルに差し出された頃には、学長の前口上も終わり、 事を構えて応対することはなさそうだと分かったのか、サロン内の緊張は融解し、幹部の緊張感はすっかり和らいでいた。

  学長が一人の幹部職員に、「ところで、貴君はどこの商船大学出身ですか」と尋ねられた。その幹部は「私は東京商船大学であります」と 答えた。何故か、今でもそれがはっきりと耳に残っている。同じ質問が投げかけられたが、神戸商船大学出身の幹部は誰もそこには居合わせてい なかった。不思議と、そのことも記憶に刻まれている。その後の会話の行方についてはさっぱり記憶にない。三人の異邦人は、仕事の邪魔になると いけないので、その後暫くして下船し、帰途に就いた。

  その年の夏のこと、私は再び商船大学の門柱を通り抜け、キャンパスに足を踏み入れた。泊りがけの少年向け海洋サマー スクールが大学で開催される日であった。学長から「それに参加しないか」と声をかけていただいた。カッター訓練は無論だが、手旗信号やロープ ワークなどを大勢の同年輩の少年らと学び、集団生活を共にした。 指導教官役の商船大学生は、実習用の制服に身を包んでいた。カンバス製の真っ白く制服で、清潔感に溢れていた。教官らは我々少年の参加者を 手取り足取り導いてくれ、誰もがはつらつとしていた。憧れの航海・機関士官候補生の勇姿が脳裏に焼き付いた。

  将来この商船大学を卒業し、外国航路船の航海士となって、世界中の海へ自由に羽ばたいてみたいという夢は膨らむばかりであった。 最早夢と言うよりも、ゆるぎのない将来の目標になっていた。大袈裟だが、私の人生航路の羅針盤の「磁針」はその目標方位を指し示していた。 磁針は釘でしっかりと固定されているかのように思えた。何の迷いもなく人生航路をまっしぐらに突き進んで行く少年を、自分と言うもう一人の 少年が頼もしく見つめていた。

  何故、祖父に連れられて神戸東灘区の深江にある、その商船大の正門をくぐることになったのか。事の始まりは、当時名も知らない学長宛てに出した 一通の手紙であった。その当時太平洋を行き交う大型貨物船が、日本近海などで、いとも簡単に船体中央部から真っ二つに折れて 沈没するという海難事故が相次ぎ、世間を騒がせていた。新聞でそんな海難記事を時々目にしていた。「何万総トンもある大型船なのに、 何故真っ二つに折れて沈んでしまうのか」。不思議でならなかった。誰に尋ねればその謎を解き明かしてもらえるのか、と模索していた。 思いついたのが商船大学長宛てに質問状をしたためて尋ねることであった。何のためらいもなく、無遠慮を顧みることもなく、学長宛てにいきなり 手紙を出してしまった。

  正直なところ、見知らぬ一少年からの手紙に果たして返答などもらえるかどうか、半信半疑であった。暫くして、白い封筒に便箋数枚をしたた めた手紙が届けられた。学長から直筆の返事をもらったことに感激で舞い上がり、家族に誇らしげに見せたりもした。 便箋にはいくつかの図が描かれていた。

  二つのピークをもつ巨浪の上に巨大船体が乗っかると、船体中央部では船体の自重が集中的に掛かかり、垂下(すいか)やたわみ現象が起こる。 一つのピークの巨浪の上に船体中央部が乗っかると、今度は船首と船尾に船体の自重がのし掛かる。いずれの場合も、中央部でぼっきりと折れる という惨事を引き起こすことにつながる。そのことが簡素な絵図をもって説明されていた。 巨浪が船体にたわみをもたらすことになる「サギング」と「ロギング」の現象のことである。船体二つ折れの理屈について図解入りで 分かりやすく説明されていた。

    [参考] 船体中央部が巨波の谷間に来ると、船体は主に船首尾部の浮力で支えられる。他方、船体の中央部の浮力は減少する。その結果、船体は 波の谷間を中心にして垂れ下がる形となる。その場合、甲板は圧縮され、船底は船首尾方向に引っ張られる。この状態をサギングという。 船体中央部が巨波の峰に来ると、船体は主に中央部の浮力で支えられる。他方、船体の船首尾部の浮力は減少する。その結果、船体は 波の峰を中心にして垂れ下がる形となる。その場合、甲板は前後に引っ張られ、船底は船首尾方向される。この状態をホッギングという。

  何の専門的な知識をもたない少年にとって、目からうろこの教示であった。何故現実に折れてしまうのか、船の構造や設計上の解析究明はこれからだと、 文面最後に結ばれていた。早速学長にお礼の手紙を送った。その後暫くして2通目の手紙をいただいた。そこには、一度大学に遊びに 来ないか、というお誘いのひと言が添えられていた。おそらく質問状をしたためた手紙に、将来の船乗りへの夢、商船大学への進学希望などを 綴っていたが故に、そんなお誘いを頂けたのであろう。大阪の片田舎に暮らす一少年にとっては、感謝感激で目を潤ませる 招待状であった。

  私の父・茂男はこの招待状を頂いた半年ほど前に交通事故で突然に他界していた。地元の安威小学校を卒業するわずか三ヶ月前のことである。 かくして、私は祖父に付き添われ、大学を訪ね、神戸港の案内までお世話になったという次第である。 学長との出会いや海洋スクール体験は、私に計り知れない勇気を与え、未来へと奮い立たせてくれた。



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      第3節: 父の突然の他界で生活は激変、商船高専諦め普通高校へ進学
      第4節: 神戸商船大学の受験ならず、船乗りへの夢消える
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