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    第11章 改めて知る無償資金協力のダイナミズムと奥深さ
    第2節 海の自然を相手にする漁港建設の難しさ


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    第11章・目次
      第1節 職務の醍醐味、それはトラブル・シューティングとの向き合い
      第2節 海を相手にする漁港建設の難しさ
      第3節 人生を変えたブータン不正事件、天と地がひっくり返る
      第4節 世界の全ての途上国、JICAの全ての部署・スキーム・課題を対象とするフォローアップ業務を担う

    序章~第9章 | 第10章 第12章 | 第13章~最終章



  無償資金協力業務部(無業部)では、直接的あるいは間接的に海に関連するプロジェクトに向き合えることは殆どない ものと思い込んでいた。だが、時が経るにつれ、海や船、港湾などにまつわる無償資金協力(二国間贈与)プロジェクトと繋がりをもてることが 分かって来た。とにかく海との関わりを持そうで嬉しくなった。もちろん、プロジェクトは 担当する地域(東アジアや南西アジア、中南米・カリブ海の各地域)に限定されてはいたが、頓着することではなかった。事例を上げるとすれば、 漁業訓練船や調査船・海上保安取締船・浚渫船などの建造、漁港やその関連施設(漁獲物冷凍冷蔵施設や荷捌き用施設など)の建設、 水産研究施設の建設、海峡・水路の航行援助施設の整備などであった。特に漁港整備プロジェクトの実施促進業務を担う ことができ、大いに経験値をアップできた。

  具体的に言えば、カリブ海に浮かぶドミニカ国(ドミニカ共和国とは別の国である)の首都ロゾーにて実施された漁港施設整備にまつわる トラブルは数ある中でも最もショッキングで、また最も深く関与したプロジェクトであった。ドミニカは、A4版の世界地図帳で探すと米粒 のような小さな島嶼国である。カリブ海地域で最大の島面積をもつのはキューバ国が治めるキューバ島、次いで大きい島は その真東に浮かぶエスパニョーラ島で、西にハイチ国、東にドミニカ共和国が存する。次いでプエルトリコ島の米国自治領プエルトリコと続く。 大アンティル諸島の国々である。その南東方向に点々と連なって伸びるのが小アンティル諸島である。南米大陸の北の一角を占めるベネズエラ のすぐ沖に浮かぶトリニダード・トバゴ国まで7、8の小さな島嶼国が連なるが、そのうちの一国がドミニカ国である。

     ある日のこと、ドミニカ国水産局から、「日本が整備した漁港泊地が波で大荒れになり、漁船が停泊できる状態ではない。漁船は泊地の 外側の海に係留することを余儀なくされている」というメッセージを受け取った。そこにはVHS方式のビデオテープ一本が添えられていた。 早速、課員と拝見した。ショッキングな映像が映し出され、それを見て仰天した。日本の無償資金協力で完成して間もない ロゾーの漁港泊地が映し出されていた。援助対象であった漁港施設は、漁船泊地と荷捌き場などの漁獲物流通・保冷施設などから成っていた。 泊地は長方形で縦横30m×15mほどで、2本の突堤と陸地2面で取り囲まれていた。泊地と外海との出入り口(港口)の間口は幅6~7mで、 突堤2本の間にあった。船内機関をもつ数トンの小型沿岸漁船が泊地岸壁に接する荷捌き場に漁獲物を陸揚げし、一時的に固縛・係留 される泊地であった。もちろんハリケーン等のために避難する泊地としても何隻か収容できる広さがあった。

  ビデオテープに話しを戻すと、最初の1~2分は、泊地は穏やかで何の変わった様子も映し出されてはいなかった。だが、そのうち、 泊地内の海水が少しずつ揺れ動き出した。やがて海水全体が四方にゆっくり大きく揺れ動き、そのうち激しく波打ち、ざわめき出した。泊地奥の 角域では髙波が飛沫をまき散らしつつ、今にも岸壁を越波しそうであった。とても船を泊地内に係留できる状態ではなかった。 そして、外海が映し出された。全く静穏で鏡の様な穏やかさであった。泊地の突堤の向こう側の海に一隻の漁船が静止状態にあり、 何の問題もなさそうに突堤の岸壁に繋がれていた。信じられないような泊地の内と外の違いがそこに映し出されていた。外海は全く静穏にして、 泊地内は湯船を激しく揺さぶったように大荒れで、手が付けられない様子であった。船を係留させておけないとは、まさに海洋立国・漁業大国 日本の面目丸つぶれであった。

  素人の目からしても、それなりの理由が推察された。外海から狭い港口を通って入り込むごくわずかなうねりが、泊地内四方の垂直型岸壁に 反射し、跳ね返りを繰り返すうちに波長が重なり合い、それらがいわゆる「共振作用」を引き起こす。 波長は増幅を繰り返し、泊地内の海水がついに「暴風波」の状態となっているように思われた。

  カリブ海地域には何故か捕鯨賛成派の国が多く、国際場裏において日本の捕鯨政策を支持してくれることが多々見られた。 特にIWCにおいて、日本が捕鯨政策を外交展開するに当たっての重要なサポーターとなっていた。故に、日本にとってはそれらの捕鯨 賛成派国からの支持を取り続ける観点からも、何の善後策も執らないという選択肢はなかった。ドミニカ国だけでなく、周辺のカリブ海諸国からの捕鯨政策への 支持に対する負のインパクトを最小限に留めることは必須であった。域内で好ましくないうわさが流布することになりかねず、政策上放置する のは愚策であった。それに、漁港建設での高い技術や漁業先進国としての日本のプライドにかけて、善処する必要があった。

  何故にこのようなお粗末な設計になったのか、また日本の技術力が疑われるような事態に至ったのかと思いたくなるのは 誰しも同じであった。だがしかし、そんな個人的な疑念や思いは100%封印して、日本の外務省、水産庁、JICA、基本設計を行ったコンサル タント等の責任とプライドに懸けて、忸怩たる思いを払拭すべく早急の対応が望まれた。

  泊地のスプラッシュ問題の報に接して以来、JICAでは何度か、元基本設計調査団関係者、水産庁漁港部技官やコンサルタント、JICA関係部署 職員などと協議を重ねた。そして、現地にコンサルタントと共に赴き、現況の把握などを行ない、日本がこの問題に無関心でないことを示し、 誠意をもって解決法を探る必要があった。無業部でのトラブル・シューティングのためこれまで出張した地域は全て南西アジア方面であったが、初めて 太平洋を越えることになった。今回ドミニカ国でこのトラブルがなければ、無業部第二課として対応に乗り出し、現地へ出張することもなかった。 1999年(平成11年)4月中旬、コンサルタントと二人で出立した。マイアミで乗り換えてドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴ、更にプエルト リコを経由して、島嶼をホッピングしながらドミニカ国へ辿り着いた。

  外務大臣を表敬訪問し、水産局長と直に向き合いつつ意見交換の場をもった。局長は日本側に善処を強く訴えたいとの心境であったが、かなりセーブ していることが見て取れた。それでも、周辺諸国がこのスプラッシュに高い関心を持ち推移を見守っていること、暗にカリブ海地域の捕鯨賛 成派諸国への負のインパクトに懸念していることを示すことで、我が方に善処を要望するとの意思を表していた。その後局長室を出て、 施設を見て回ることにした。その間にも、局長は日本側の対処についてのコミットメントを慎重に見守っているようであった。ところで、 局長は生粋のドミニカ人ではなく、どうもお雇い局長の立場にあるようで、農漁業大臣に日本の前向きのスタンスを早く報告せねばな らないとの思いがあったようだ。だがそれとは関係なく、日本側にとっても誠意をもって具体的対処方針を提示することが求められていた。

  数日後には、水産局長は言い過ぎたと思ったのか、徐々にトーンが下がってきて、落ち着いた普通の様相に戻っていた。別れ際には何と、 局長は、「知り合いのダイビングショップに話しを付けておくから、ロゾーの地先の静穏で美しいサンゴ礁のある入り江でダイビング でも楽しんで行け」と、半ば強引に勧め、慰めようとしてくれた。気を取り直して、カリブの海で頭を冷やしていくことにした。局長の特別の計らいで、お勧めのショップで フィン、マスク、シュノーケルなどを無料で借りた。そして、局長のお叱りと懸念を忘れて、安全とおぼしき静穏な入り江の片隅に身を投じ、 暫しスキンダイビングを楽しんだ。そこは与論島の海中世界とひけを取らない、美しいサンゴ礁で覆われた「竜宮城」の世界があり、 暫し一人で戯れた。JICA人生で初めてカリブ海のど真ん中に浮かぶ国を訪問し、カリブの海を体感した。

  コンサルタントは引き続き改修のための設計に頭を悩ますべくロゾーに居残り、私はドミニカ国を所轄する在トリニダード・トバゴ国 の日本大使館に立ち寄り報告するためロゾーを後にした。カリブ海地域の多くの島嶼国を兼轄する日本大使館の立ち位置や諸国の動きなど についていろいろ学ぶところがあった。かくして、無業部業務第二課での勤務において、トラブル・シューティングは南西アジア諸国ばかり で集中していたが、ようやく大洋を越えカリブの地に赴いた。だが、2年数ヶ月間の勤務でそれが最初の太平洋越えとなったが、最後にもなった。

  ドミニカ国のケースの場合、やはり海という自然相手のインフラ整備事業がいかに難しいかを如実に示していた。漁港などの沿岸海洋 構造物の設計を行なう場合、その周辺海域の潮流の流向や速さ、風向・風力・降雨・ハリケーンなどの気象条件、 波浪や潮位、海底の地形や地質、周辺の陸上地形や河川の海への流入状況やその土砂含有量、周辺海域での漂砂の質量や動きなど、 しっかりと把握した上で、漁港の規模、構造、船着き場・突堤・港口などの位置・規模・構造などを設計する必要がある。 設計上特に重要なものは、堆砂と共振を最小限に抑制するとの観点から、通年における潮流・波浪、風向・風力などの 海象観測データである。適確かつ長期間にわたる実観測のデータがあればそれに越したことはないが、 途上国では、信頼のおける長期観測データはすこぶる少ないか、あるいはほとんどないことが多い。

  ロゾーの漁港のすぐ傍には小さな川が海に注いでいた。その背後にはかなり髙い山々が迫っており、短時間に流れ下ってくる。その河口 では流水を少しだけ角度を変えて海に注ぎ出るよう導流するために、潜堤が設けられていた。その潜堤によって 流水が港の突堤の側面に直接強く当たらないようになっていた。つまり、その突堤から少しそれながら注ぎ出るようになっていた。その突堤先端 に港口があった。幸いにも、川の漂砂がその突堤を回り込んで港口を閉塞させるという堆砂現象については、局長との協議時にクレームを受ける ことはなかった。内心大いに安堵した。

  一般論として構造設計に先立ち、海況などの十分な実観測がなされるのが絶対的に必要となる。だが、援助の実施期間は、 国予算のいわゆる「単年度主義」に強く縛りつけられるが故に、それらの観測期間として、5年や10年の長期スパンを取る余裕は事実上もてない。 自ずと観測は短期間にならざるを得ないことが多い。構造物の設計をするに際して、それらのデータが少ない場合、潮流・波浪や含有土砂などの漂砂やその他の 自然条件が沿岸構造物にいかなる負の影響をどの程度たらすのか、科学的観点から正確に解析することが難しくなる。その科学的方法に 資する重要なツールであるシュミレーション・モデルの有効性が低くなってしまう。

  影響をもたらす自然パラメーターの観測が長期間となり、そのデータが多くなればなるほど、例えば、漂砂を含む海洋学的自然状況を コンピューター上で精緻に再現できるシミュレーション・モデルを構築することができる。その数値モデルの精度を高めるにはできる限り長期の 生の観測データが不可欠である。その髙精度モデルを用いることで、突堤や防波堤の長さ、向き、規模などを変えつつ、 堆砂現象がどの程度引き起こされるのかを解析することができる。 突堤などの構造物の規模・長さ・向き、泊地の大きさ・向き・構造、泊地への出入り口の幅や向きなどいろいろ設定しながら、 泊地内の静穏度や堆砂に関する影響度合いについて、より正確にシュミレーションできることになる。そして、突堤や泊地などの 建設コストとの兼ね合いを睨みながら、最適な構造設計を探ることになる。

  短期間の自然条件調査を基にシュミレーション・モデルを構築し、海況の実態を十分再現しえない精度の低い数値モデルによる 模擬実験あるいはさらに水理模型実験をすることになれば、とんでもない設計上の瑕疵に繋がるリスクがあろう。より細かいメッシュを 作成し、そこにより長期で多くの海象観測結果をプロッティングできればベストである。だが、短期間だと観測装置設営は 最小限のものとなり、結果観測のメッシュも粗くなり、精度も低くなることになる。 海外での漁港整備の限界を感じるところである。観測が長期かつ数多のデータとなれば、その数値モデルは実際の海況をより高い 精度で再現できる。モデルでは実データが最大の生命線であるといえよう。

  さて、帰国後何度か構造設計のための検討が重ねられ、最終的な改修設計案が練られた。垂直型の岸壁を取り壊し根本から改造することになった。 垂直岸壁の下部を刳り貫き空洞化し、その空洞に適度な斜路型コンクリート面を造作し、そこに消波用のテトラポッドを敷設するという 設計がなされた。うねりや波が入ってきてもそれらによって消波され、波の跳ね返りは大幅に抑えられ、共振作用につながらないような 構造に設計し直したものである。かくして、工事は「第二期漁港整備計画」として無償資金の手当てがなされることになった。 その後、実際に修復工事がなされ、泊地スプラッシュ問題は完全に解決された。私は、構造設計の最終素案検討までフォローした。その後は 人事異動のため、改修が無事完工したことはずっと後で知った。

  ところで、業務第二課では、状況変化によっては急きょ対応のため現地に赴くことになるかも知れない幾つかのトラブル案件 ファイルを引き出しにしまっていた。堆砂が深刻化し港内泊地がさらに埋没することになればどう対処するか。そんな「爆弾」を抱える プロジェクトのファイルを引き出しに入れていた。顕在化すれば小手指では対応しきれないものであった。因みに、それはスリランカの 首都コロンボから数百kmほど南東にあるキリンダ漁港での泊地の堆砂問題であった。 日本の資金援助で漁港を建設したが、徐々に堆砂で港口が堆砂によって閉塞され、漁船が入港・接岸できなくなった。 その後、堆砂浚渫船が別トラックで無償贈与され、堆砂が一通り除去され機能回復に漕ぎ着けたと聞かされていた。 他方で、防波堤を改修・新設するなどして漁港再整備の追加の協力がなされたという。だが、再び堆砂現象に悩まされているという現地情報に接していた。 再整備は根本的な解決策にはならなかったということらしい。もっとも、ほとんどの港に当てはまるが、浚渫などのメンテナンスをせず泊地機能を 永久的に維持することは難しいことと言える。

  スリランカでも漁業は地域開発の要でもあり、漁港はその中核を担うものであった。故に国レベルの議員にとっても、その 再整備は重大関心事であった。キリンダ港については、将来いつの日か堆砂問題が顕在化し、何らかの大きな再整備が必要となるの ではという懸念が援助関係者の間で擁されていた。再び抜本的な対処要請がなされることになるのか不詳のまま様子見をしていた頃に、 業務第二課から離れ人事異動することになった。その後、どういう加減でそうなったのか不明だか、堆砂はすっかり港内から消えてなく なったというサイド情報に接した。 これも自然現象の摩訶不思議である。港内の堆砂が港外へ吐き出され、機能が回復し漁船は 停泊できるようになったというのである。漁港整備の難しさと海の自然現象の不思議さを知る思いであった。途上国で海の自然条件を 相手にしながらの沿岸構造物の建設事業は真に難しいと再認識させられた。

  ところで、無業部在職中のエピソードではないが、ずっと後にまたもや漁港をめぐるトラブルに出会った。10年ほど後にニカラグア へ赴任した時(2007~2009年)のことである。首都マナグア南東のコスタリカとの国境近くにサン・ファン・デル・スールという漁港があった。太平洋側では最大の漁港であり、夏には海水浴客らで賑 わう同国随一の避暑地でもあった。ここに無償援助で漁港岸壁と荷捌き施設が建設されて5年ほど経っていた。それが余り使われていない という確かな情報が寄せられていた。近い将来日本の会計検査の対象に取り上げられるかもしれないと言う懸念も風の頼りにもたらされていた。 日本大使館も強い関心を払い、オルテガ大統領や水産庁長官らに善処を強く申し入れていた。JICAも大使館と連携して真剣に対処することに なった。ニカラグアの水産庁関係者らに原因究明を申し入れる一方で、現況と真の原因を探るための方策についての協議を続けた。 原因究明の策として、我が方でも現地コンサルタントに調査を依頼すべく、調査内容や条件(タームズ・オブ・レファレンス; terms of reference; T/R)をしっかり練り上げた上で実施に及んだ。その結果真相が見えてきた。

  何故漁民は漁港の荷捌き場に漁獲物を陸揚げしないのか。そこにどんな課題が潜んでいるのかを究明することが先決であった。 漁港施設整備の資金援助がなされても、漁船や漁民による陸揚げが余りなされず、施設での水揚げ量が基本設計でプロジェクションされたよう に伸びない場合、結果的にそれらを過大に目標設定したことになり、過大な施設整備に繋がったのではないかと、問題視されることに なりかねない。

  調査結果の骨子はこうであった。漁港の近海における漁獲高が近年振るわず、漁船団の多くが全く別海域、例えばカリブ海側の 水域へ移動したために、漁獲量が減少してきたと言うのである。データからはその傾向を多少は読み取れた。それまでの近海漁場での漁獲量が 乱獲か自然現象のため減少し、操業の持続可能性を保持しがたくなれば、漁港施設の利活用も自然と下降線をたどり、当初の計画通りには推移 しない懸念も示された。それも要因であろうが、より直接的な他の要因も考えられた。

  ニカラグア国では浜をベースに日帰り操業をするのはたいていが貧しい零細漁民である。船外機は7,000~8,000米国ドルもする。 ボート・船外機を自己所有する漁民はほんのわずかである。一人当りの国民年間所得が1,000米国ドル(2009年当時)そこそこの貧しい ニカラグアでは、それらを自己所有することは夢物語であろう。

  一般的には、仲買仁がボート・船外機・漁網などを所有していることが多い。漁民は仲買人からそれらを借り受け、しかも燃料費、 餌代すらも仲買人から融通してもらって出漁する。当然ながら、漁獲物は負債の相手先である仲買人に引き渡される。仲買人が漁民を 財政的に支配するという構造になっている。 それでも零細漁民にとっては何はともあれ家族を養い生計を維持することが死活的に大事なことである。零細漁民がそんな社会経済的 構造から脱して、その貧しさから抜け出すのは容易なことではない。

  さて、漁港の荷捌き場のことに話しを戻すと、零細漁民が用いるボートや資材は、大抵の場合地元の仲買人からの借金・資金融資を受けて 購入したりしたものである。また、漁船の燃料などの操業費も同様であり、その返済のために漁獲物を業者の指示通りにに陸揚げし引き渡す という基本構造になっている。一方で、仲買人は漁港の施設使用料を節約するため、その荷捌き施設を使いたくないとか、また施設内の事務所 も借り上げることを避けようとする。他方、漁民は仲買人の意向や指示で、従前通り浜辺に陸揚げし、相対取引を行なうことが未だに 多いというのである。

  その他いろいろな抑制的条件が浮かび上がり、それらを踏まえつつニカラグアへ申し入れる対応策をいろいろ模索した。日本大使館を通じ 大統領や水産庁長官などに、水揚げや取引に関する指導・監督の強化、施設利用上のインセンティブの増進策の検討、零細漁民への金融支援など、 様々な有効な対応策が取られるよう申し入れた。そして、現地の両国関係機関がその後も協議を通じてフォローする努力を続けた。 原因を探りそれを理解すればするほど悩みも深くなることも多々ありがちであるが、有効な方策を見い出し解決に向けて進むにはこれが最も 近道である。このニカラグアのトラブルも、ドミニカやスリランカのそれらも、日本の会計検査院の調査対象案件となり、国会への検査報告 の一項目となり既に公にされている。

  さて、無業部で数百件のプロジェクトの実施促進に向き合い、また時にはトラブル・シューティングに取り組んで来た が、その醍醐味に悦を感じているどころではない前代未聞の不正事件に遭遇した。ブータン国の国内通信網整備プロジェクトをめぐる大事件 であった。その不正事件が朝日新聞社によって特ダネとしてスクープされた。他の日刊全国紙が間髪入れず追いかけ、さらに紙面を飾ることになり、 JICA設立以来2回目の大スキャンダルとなった。JICSから復帰して一年余を経た1998年6月のことであった。以来、日本のブータンへの 新規の二国間無償贈与は無期限で見合わせとなった。次節でその事件の顛末について概略することにしたい。私自身が最も直接的に巻き 込まれ、自身の人生感に大きなインパクトをもたらすことになった。


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