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1912年4月14日深夜、北西大西洋上で発生した「タイタニック号」の氷山衝突・沈没事故。
沈没の直接原因である「氷山との衝突」を未然に防ぐ手立てはなかったのであろうか。
結論的には、氷山との衝突のリスクがあったにもかかわらず、衝突を回避するするためのあらゆる適切かつ十分な行為がとられた
とは言い難いようである。
当時洋上には海霧が立ち込めていた。また、タイタニック号は氷山漂流に関する無電をいくつか受信していた (14日朝から付近航行の
他船から何度も「氷山多し」、「氷原あり」との無電を受けており、その回数は判明したものだけでも7回に及んだとされる。)
見張り員が監視に就いていたが、タイタニック号装備の双眼鏡が見当たらず、そのため
見張り員はそれをもちあわせることなく見張りに就いていた。(当時の技術力にあっては、レーダーが装備されていた訳ではなく、
また全ての氷山の正確な位置などの海況情報は得難いものであった。)
かくして、タイタニック号は、夜間にして、海霧でさらに視界が悪い状況下、双眼鏡をまたないまま見張りに就き、「氷山多し」の警告的
無電に多く接しながら、当時としてはまだレーダーはなく、また航路付近の全ての氷山の正確な位置をプロッティングすることが技術的
に出来ない状況下で、減速航行をせず、ニューヨークに向けてひたすら全速力で航行を続けていた。
氷山との衝突はない、まして衝突して沈没することはありえない、と「思い込み、あるいは、そう見なして」、
あるいは「過信して」航行していた、ということなのであろうか。
氷山発見後、何故にそれとの衝突を回避できなかったのであろうか。発見が氷山の直前であったこと、さらに操舵の人為的ミス
(ヒューマン・エラー) の発生が重なり、衝突を回避できなかった、といわれる。氷山発見時、操舵手が間違った方向に舵を切った。
それに気づいた一等航海士のウイリアム・マードックが左舷方向に舵を取り直したが間に合わなかった、という新たな指摘がある。
犠牲者が1,500名以上にも達してしまったことのいくつかの重要な要因については、すでの多くの専門家等によって指摘がなされてきた
通りである。 [戻る: 「タイタニック号」 (写真 1 )]
[撮影: 2013.06.01/英国リバープール、マージサイド海洋博物館にて][拡大画像: x25340.jpg][拡大画像: x25341.jpg]
辞典内関連サイト
・ 世界の海洋博物館
・ 英国の海洋博物館
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