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    第17章 海洋辞典の承継編者探しを家族に依願し、辞典を未来に繫ぎたい
    第3節 辞典づくりの若干の「系譜」と「思い」について


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     第17章・目次
      第1節: 家族への手紙(その1)/最初に読んで!
      第2節: 家族への手紙(その2)/ドメインとサーバーの契約延長と支払い
      第3節: 辞典づくりの若干の「系譜」と「思い」について
      第4節: インターネットでの後継編さん者の「公募案内」と「応募要領」
      第5節: 後継編さん候補者の応募要件について補足説明する
      第6節: 後継編さん者への幾つかの重要な「お願い」
      [資料作成中]辞典の作成と継承のための「実務マニュアル(要約・基礎編)」「実務マニュアル(詳細編)」



過去数十年にわたり辞典づくりに取り組んできた「系譜」や「思い」について、ざっくりと綴っておきたい。家族が後継編さん者を公募するに 当たっても、また候補者が応募について思い巡らせるに当たっても、辞典づくりのことを理解するのに役立つものと慮ってのことである。 公募に関心をお持ちの方は、本章第3節から第6節まで是非ご覧下さい。第5節には「公募案」と「募集要領案」を掲載している。


  海や船が大好きで、青少年時代には何としても船乗りになりたいと夢を見ていたが、視力などの資格要件を満たせず、商船大学受験を諦め、 夢は叶わなかった。その反動からか、大学生になってからは海から遠ざかり、ワンダーフォーゲル部員として四季を通じて山登りに明け暮れた。 ある冬山の雪上テントで就寝中、下山後の就活のことを思い巡らせるうちに閃きを得て、国連法務官に奉職することを志した。大学院で国際法を修学した後、 奇跡のような知遇をえて、米国シアトルのロースクール大学院の「海洋総合プログラム」に留学できた。海への回帰の大きなきっかけとなった。

  帰国後一年ほど身の定まらない不安定な東京暮らしであった。偶然にも職員の社会人中途採用を募集する新聞広告が目に止まり、国際協力事業団 (JICA)を受験し運よく合格、就職することができた。しかも、同じ職場で後の伴侶となる女性と出会った。暫くして結婚し、以後ずっと連れ添ってきた。 娘2人にも恵まれ、妻は一生懸命に私と娘2人を支えてくれた。子供たちはすくすく成長し、自慢の娘となった。平凡だが家族をかすがいに して人生を歩めることは幸せなことであった。幸せの源は妻であり、二人の娘であった。 父親らしいことは余りできなかったが、家族が路頭に迷うことなく人生を送ってこれたことで良しとしてほしい。妻になってくれてありがとう。 只々感謝あるのみ。

  職場での「独り言」が引き金となって、アルゼンチンの「国立漁業学校プロジェクト」の担当を先輩職員から譲ってもらった。その後の奮闘の 甲斐あってプロジェクトが成立し、その業務調整員として、他の技術専門家と共に長期赴任することになった。3年近く家族と充実したスペイン語圏での 異国生活を共にした。第二の青春時代とも言い得た。プロジェクトも二年目を迎えた頃には業務もすっかり軌道に乗り、あらゆる面で余裕が生まれた。 日本人専門家と学校側の教授や関係者との間で、日常的にスペイン語、英語、日本語の三ヵ国語でもって、航海、漁業、水産加工などの専門 用語を交えての濃密な協業が展開された。

  ある日のこと、プロジェクトにおけるような業務環境には二度と巡り会えないことに気付いた。専門用語のメモ取りもしないで聞き流している だけでは余りにもったいない。海にまつわる専門的な語彙を拾い上げ、和・英・西語の用語集を作成することを思い立った。即日即時に大学 ノートに書き留め始めた。

  ノートの冊数が増えるにつれ、書き留める語彙の重複が目立ち始めた。当時全く使い慣れなていなかったパソコンに 向き合い、ワープロ機能を活用してその解決策を探り始めた。語彙の並べ替えも自由自在となり、また語彙の重複を避けながら、効率よく新規入力したり 修正することができた。残余任期期間の2年間に相当量の語彙や用例などがアルファベット順に蓄積された。だがしかし、当然のこととして、2年間では 到底納得のいく用語集づくりには至らず、プロジェクト関係者に実際的なお役に立つこともなく、帰国の時期を迎えた。

  帰国を機に用語集づくりを止めてしまえば、今までの努力は無に帰すことになるので語彙拾いをずっと続けた。また、海にせっかく回帰できた当時に あっては、用語集づくりを接点にして海との関わり合いをもち続けることを放棄したくはなかった。帰国後パソコンを買い込み、余暇時間を見い出しては、 語彙拾いと入力をボランティアワークとして続けた。それが後に、ライフワークになるとは思いもしなかった。 大学時代の第二言語であったフランス語の語彙拾いにも挑戦した。 データは蓄積され続けたが、その用語集の一区切りの付け方、締めくくり方については何のアイデアもないままであった。だが、帰国後8年ほど経た時の こと、取り巻く社会環境が一変した。

  パソコン基本ソフト「ウインドウズ95」が1995年に発売され、気が付けば世はインターネット時代の真っ只中にあった。ネットを通じて海の オンライン用語集を世界中へ公開・発信できるという夢のような状況が生まれていた。ホームページ辞典づくりは感動と衝撃をもたらした。当時の 情報通信技術の革命的な進歩は、計らずも、数十枚のフロッピーディスク内に人知れず集積されていた用語集に一条の光を当ててくれた。

  ネット環境を整え、ネットサーフィンに慣れ親しむことから始めた。そして、ホームページの作成法につき、幾冊かの入門書を買い込み 独学を続けた。1年ほどかけてオンライン「和英西仏語 海洋総合辞典」の原形の、そのまた原形を創り、ネットにアップした。 プロバイダーのポータルサイトを経由してのネット上へのアップであったが、自作のホームページ「海洋辞典」を閲覧できた時は正に感涙であった。 1990年代末期に近い頃であった。

  何故辞典づくりにこだわったのか。日本の海洋政策や開発動向などの情報を英語・スペイン語などで世界に発信したり、逆に諸外国のそれらを 理解する上で、ワンストップで海の用語・語彙に何時でも何処でもアクセスできるのであれば、海洋分野での発展にわずかでも役立つものと 考えてのことであった。任意団体ではあるが「海洋法研究所」を共同創始し、その事業の中核として、そんな日本の情報を英語版ニュースレターや 「海洋白書」に類するものを自社発刊し世界に送り出した。辞典は曲がりなりにも役立つものとなった。

  応募して早10年も経っていたが、国連海洋法担当の法務官への奉職の夢は、空きポストがずっとなかったことなどもあって、一向に叶わなかった。だが、 海洋辞典がネット上で形あるものとなってからは、辞典づくりが人生のもう一つの新たな目標となり、またライフワークに昇華することになった。 「世界オンリーワン、ナンバーワンのデジタル海洋辞典」を目指すという志を秘めて精励した。ネットでの発信は「誇りと名誉」でもあった。 国際協力というJICAでの天職に加えて、辞典づくりが私のもう一つの遣り甲斐・存在理由となり、さらに人生の楽しみともなった。 また、JICAに奉職しながら、海に回帰し海との関わりを持ち続けることにもつながった。

  1980代中頃から90年代末頃にかけての10数年ほどは、辞典の黎明期であった。JICAではずっと国内勤務に釘づけとなり、幾つもの部署を経験しながら、 その余暇時間をもってウェブ辞典づくりを続けた。だが、大きな転機が訪れた。2000年から8年間ほど、パラグアイ、サウジアラビア、ニカラグアへと立て続けに海外勤務となった。 しかし、幸いにもパソコンと情報通信技術の進歩のお陰で、世界の何処にいても、また何時でも、辞典のコンテンツをアップデートすること ができた。

  ところで、我武者羅に語彙をアト・ランダム的に拾い上げ集積してきた結果、辞典づくりにはいろいろな課題を抱え込んでいた。辞典づくりを体系的に進めて きたとは言えず、また余りにもコンテンツを広げ過ぎていた。そのため、「現在作成中」という注釈付きのページが数多くなり、忸怩たる 思いを抱きながらの取り組みであった。辞典づくりのあらゆる面において包括的にじっくり見直した。改善すべき事柄が山積する状況があった。

  辞典づくりで大きなターニングポイントになったのは、2007年からのニカラグア赴任中に九死に一生を得た体験であった。日本に帰還できた ことは奇跡であった。心筋梗塞で一度死んだのも同然であった。当時ニカラグア運河の有望候補ルートとされていたオヤテ川上流の分水嶺に向けて 踏査中、突然胸痛に襲われた。馬にしがみつき2時間かけて下山、その後車で首都まで5時間かけて運ばれた。

  ニカラグアには心臓外科医は二人だけであった。半年米国で、半年ニカラグアで手術に従事するという、そのうちの一人の外科医がたまたま 母国に戻り、手術に当たっていた。そのことが生死の分かれ目にもなった。その医師からステント留置手術を受け帰還できたのは奇跡そのものであった。 米国への緊急移送では到底救われなかったに違いない。

  今後あと何年生かされることになるか全く当てにできない人生となった。人生をリセットさせてもらったがゆえに、これまで遣りたくても出来なかった ことを遣り終えねばならない、と決意した。余命を知る由もないが、生かされる限りは手遅れにならないうちに、辞典づくりに専心専従し、 一区切りをもって締めくくることが大事と悟った。かくして、早めにJICAから完全離職することにした。62歳の2011年3月のことである。 年金の満額受給になるまで2年ほどあったが、それに拘泥せず、リセットされたおまけの余命を辞典づくりに燃焼させることを決心した。

  離職後「自由の翼」をえて自由人となり、「選択と集中」をもって辞典のコンテンツを徹底して見直し、辞典づくりに専心向き合った。 新たな視点をもって辞典に付け加えたコンテンツもあった。以来10年ほどになるが、その間幾つかのことを気付かされた。辞典づくりの性質上、 辞典には真の「完成の完」はない。あるのは「未完の完」だけである。5ヶ国語を扱う海の語彙は無限的に存在し、「完成の完」など 望むべくもない。そこで、「中締めの〝未完の完″」を目指すことにした。しかし、見出し語数などの定量的基準をもって「中締め」にするのではなく、 シンプルに2020年という年限を一区切りにして締めくくることを目指した。

  時を経て、気掛かりとなることがもう一つ浮上するようになった。いつかは辞典づくりを誰かに受け継いでもらいたいし、 そうしなければ未来における辞典の「進化」は望みえない。辞典づくりの「継活」の準備はいかに、と自問自答するようになった。 辞典がワン・エステージ・アップのものとなるには、受け継がれることが不可欠であった。

  「雄太君」はどうだろうか。「雅ちゃん」はまだ小さいがどうだろうか。今からでも身内の誰かに託すことができるならば、それが一つの 最善策であるかもしれない。だが、無理強いすることはできないことは承知である。私自身が生きている間に、自身の手で誰かに未来を託すこと ができるのがベストであった。だが、後継編さん者を見つけられず、その未来を託すことができないまま、突然他界してしまったようだ。

  長年取り組んできた辞典づくりが受け継がれることなく、ネットから消滅してしまうことを是が非でも避けたいと渇望している。 それを回避するには、家族に口頭で伝えておくことが大事である。だが、口頭での申し送りだけでは余りにも心もとない。 後継編さん者をしっかりと探し出し、バトンを託してもらいたい。だから、全て書面にて申し送りしておくことがベストであり、安心であると 考えた。時間を経るにつれ、人の記憶は曖昧になり忘れがちにもなる。そこで、継承方法を書面にて申し送り、しっかり希望をつないでおきたかった。

  インターネットを通じて広く日本中から公募することが、最善の方法の一つのように思われた。 ネット募集をもってすぐさま後継編さん者に出会えるわけではないが、数年くらいの間には見つかることを期待したい。だが、万が一 それ以上かかったとしても止むえない。見つけられるまでは、少なくともドメインとレンタルサーバーの更新さえしっかり 継続されることになれば、取り敢えずは「海洋辞典」は現下の内容で維持されよう。辞典づくりを是非とも未来につないでほしい。 これが最後のお願いである。

  将来人工知能(AI)の時代がさらに進化しようと、この海洋辞典が一つの「原典」の一つとなれることを目指したい。また、辞典が、 海洋分野における日本の発展に繋がる存在の一つとなれること期待したい。その実現は、辞典づくりが未来の担い手に受け継がれ続けて初めて 可能となることに違いない。

  最後に一言。「凡人が事をなそうとするならば、人一倍努力あるのみ」と自身に言い聞かせながら、辞典づくりに取り組んできた。 だが、苦悩しながら取り組んで来たわけではない。ライフワークとして大いに楽しみながらやって来た。振り返れば、それが長続きの最大の 理由であったと言える。事を続けるのに情熱や使命感も大事であるが、楽しむことこそ、それに秀でるものはない。楽しさが原動力に なってずっと続けることができた。辞典づくりを楽しめる方にその未来を託したい。それが究極の「思い」である。


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