一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
「ニカラグア運河の夢」、サン・ファン川ルートで出会った風景
~ エル・カスティージョの要塞を見上げる ~
[前ページから続く] サン・ファン川の岸の高台に立つエル・カスティージョの要塞 (1675年スペインが完成
した) にニカラグア国旗が翻る。
近年スぺイン政府の支援でこの要塞自身の修復と博物館の整備が行われた。博物館では、15世紀の大航海時代以降の歴史、
エル・カスティージョの要塞をはじめ川沿いに築造されたいくつかの要塞、海賊ヘンリー・モーガンやイギリス海軍ネルソン提督などと
サン・ファン川との関わり合い (若かりしネルソンもかつてサン・ファン川に大きな足跡を残して行った)、米国カリフォルニアでの
ゴールド・ラッシュ時代における米国鉄道王ヴァンダービルトによるニカラグア地峡横断旅客輸送、ニカラグア人の「ニカラグア運河
の建設の夢」の歴史 (中米地峡横断運河建設ではニカラグア・ルートが最有力候補であった。
それがサン・ファン川~ニカラグア湖~リーバス地峡ルートであった)など、その博物館では、興味がそそられる多くの史実の
パネル展示がなされている。 [博物館の展示紹介] サン・ファン川、ニカラグア湖、グラナダをキーワードとする歴史にあっては、世界的に有名な海賊ヘンリー・モーガン (Captain Sir Henry Morgan) が登場する。英国のウェールズで生まれた モーガンは、1650年に15歳にして西インド諸島バルバドス島に年季奉公のため渡海した。5年間の年季奉公が1655年に満了すると、 ジャマイカ島に渡り、そのまま海賊の世界に足を踏み入れた。 それ以後海賊行為の限りを尽す人生を送った。海賊でありながら1674年にナイトの爵位に叙せられた。最後には英国植民地ジャマイカ に国家の重要役職付きで戻った (1680年には代理総督までなった)。約20年間の海賊業から引退するまで、ニカラグアのグラナダ (ニカラグア湖北西端の町)、キューバ、パナマのポルト・ベロ、マラカイボ、パナマ市など多くのスペイン植民地を襲撃し財宝を収奪した。 1655年の20歳過ぎの頃にはメキシコのカンペチェ湾、ホンジュラス、ニカラグアなどの沿岸で海賊行為を働いていたが、 原住民インディオからニカラグアのグラナダの繁栄ぶりを聞き及んでいた。モーガンは1665年全長190kmのサン・ファン川を 一週間かけて遡上し、ニカラグア湖を5日間かけて北上し、グラナダを3日間にわたり略奪した。その戦利品・分捕り品として 50万ポンド貨 (libras esterlinas) を収奪した。カヌーで遡上したので嵩張る財宝は余り持ち帰れなかったが、ジャマイカに戻った モーガンは一躍有名になった。 モーガンは書に書き残した-「グラナダは英国ポーツマスのように大きく見事な町である。7つの教会と一つの大聖堂があり、数多くの 学校、修道院がある」。エル・カスティージョの堅牢なサン・ファン要塞が完成したのはその約10年後の1675年のことであった。 [次ページへ続く] [2009.02.20-22.ニカラグア、エル・カスティージョにて][拡大画像: x23973.jpg][拡大画像: x21237.jpg]
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