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    第9章 水産プロジェクト運営を通じて国際協力(その2)
    第3節 アルゼンチンの国立漁業学校プロジェクトに向き合う(その三)/最終合意に乾杯する


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       第9章・目次
      第1節: アルゼンチンの国立漁業学校プロジェクトに向き合う(その一)
      第2節: アルゼンチンの国立漁業学校プロジェクトに向き合う(その二)/技術協力と無償協力との合わせ技
      第3節: アルゼンチンの国立漁業学校プロジェクトに向き合う(その三)/最終合意に乾杯する
      第4節: アルゼンチンへ赴任する
          [参考資料]無償資金協力部での海外渡航歴(JICA・JICSなど)<作成中>



  「アルゼンチン国立漁業学校」の建設に対する無償資金協力の基本設計調査から数か月後、三度目のアルゼンチン渡航の機会が 巡って来た。漁業学校の施設や実習機材の基本設計が一通り終わったので、スペイン語版の「基本設計報告書(案)」をもって「ア」側 関係者に説明を行なうことになった。無償資金協力調査部から「業務調整」の任務を仰せつかった。そして、そのタイミングに合わせて、 技術協力プロジェクトの合意文書案である「討議録(案)」(Record of Discussions; 通称「R/D」と呼ばれていた) を提示して 協議に臨むこと、そして最終的な合意と署名を目指すことになった。同案は外務省、水産庁、文部省の担当者らとが協議して作成に 至ったものである。

  私は、オルティス校長とまだ満足の行く合意には達していなかった例の協力期間については、日本側関係省庁の事前了解の下で、「3年間 とする」との案をしたためていた。日本側としては大幅な譲歩案であったが、それでも最終合意に至るかどうか、交渉しなければ分から ないことであった。さらに、私は、協力期間に関し一つの副案を関係省庁との協議テーブル上に提示し、それについても事前了解を取り 付けていた。

  かくして、無償資金協力の「基本設計ドラフト説明調査団」と技術協力の「R/D協議調査団」の都合二つのミッションの団員を兼ねて、1983年 10~11月のほぼ一か月間の長丁場の予定で、3回目となる南半球への出張に出立した。これで1983年の1年間に地球を3周することになった。 何故ならば、ブエノス・アイレスと東京とはほぼ地球の裏側にあったからである。

  基本設計調査の対象である学校施設の内容や規模・仕様、訓練船を含む実習機材の内容や規模・仕様・数量などにつき、調査団は ボニーノ海軍教育総局長や同局顧問、オルティス校長などの主要関係者に説明した。そして、同報告書ドラフトについて大きな修正箇所もなく、「ア」側はその基本設計内容に対し基本的に了承した。そして、両者はその了承の旨を書面で取り交わした。かくして、ドラフト説明の 任務は最初の1週間ほどで完遂された。団員はOCS設計・日本水産(株)の共同企業体からの数名と私であった。

  他方、当該ミッションが終了する頃、技術協力の「R/D協議調査団」がブエノス・アイレスに到着した。既に「ア」入りしていた私は、同 同技協調査団とブエノスでの常宿にしていた「クリジョン・ホテル」で合流した。調査団の構成は、元水産庁次長の 恩田団長(初回調査団の団長でもあった)、水産大学校の前田弘教授(初回時の調査団員)、水産庁国際協力室長補佐の小圷氏、そして私の 4人であった。思い起こせば最初の調査団との交渉の折には、オルティス校長は、技協プロジェクトそのものをそもそも受け入れるつもり はないとのスタンスであり、協力期間は「ゼロ回答」であった。それが調査団の帰国直前になって「2~3か月間」の協力でもよいと、 ほんのわずかながら譲歩を見せただけであった。

  二回目の調査団(基本設計調査)の折には、校長と私は膝詰談判で、JICAブエノス事務所での担当者であった河合君を入れて、非公式 にいろいろ説得を重ねたが、やはり「5年とする」ことに強く難色を示していた。しかし、同調査団の帰国直前になって、校長が海軍上層部 に諮った結果として、「ア」側は2~3年の協力期間でもよいと大幅な歩み寄りの姿勢を示していた。

  今回の公式「討議録(案)」に関する本格的な交渉でどういう結果に落ち着くことになるか、前途多難な交渉が予想され気をもんでいた。 今次の三回目の「ア」国訪問時において早々に手渡した案には「協力期間を5年とする」案が記入されていた。再度の大幅譲歩をもって限りなく 5年に歩み寄ってくれるのか否か、一方で武者震いしながら、他方では胃が痛くなるような心境であった。

  JICA事務所で、河合君を間においてオルティス校長と私とで差し向かいで真剣に本音ベースの協議を重ねた。団全員で協議するよりも、 オルティス校長としてはやりやすく、また軟化もしやすいと慮ってのことであった。 先に提示しておいた公式「討議録(案)」には、当然のこととして多くのプロトタイプの条項が含まれていた。専門家の所得税免除、 住居に関する便宜供与、医療に関するサービスの提供など「ア」側に課される多くの義務が盛り込まれていた。

  校長は「ア」側が履行できそうにない幾つかの条項については同文書案から削除してほしいと主張した。しかし、当方は、それらの 条項は世界中で展開される技協プロジェクト全てに共通しているプロトタイプなものであること、また基本的に全ての対象国に納得 してもらっている条項であるゆえ、削除することは事実上困難であるとの立場を貫いた。押し問答が続き、「海軍教育総局や法務部局の 幹部らはそのような諸条項に納得しないで あろう」と、校長はいかにも困惑した様子であった。

  他のプロジェクトでの実態を踏まえ、例えば専門家の住宅借り上げ費も医療費も実際は日本側において負担するつもりであるから、 何ら心配することはない。故に、条項をそのままにしてほしいと説得した。だが、校長は切り返して、それならばなおさらのこととして、条項を 最初から削除してほしいとした。条項を残す理由がないという主張である。実際「ア」側に何の負担をも求めないというのであれば、 「条項は不必要であり、削除することこそが妥当である」とのスタンスである。将来JICA側の関係者が人事異動となり、事の次第によっては 突然に条項の適用が求められて来ないかと強い懸念を抱いたのであろう。

  校長の論理は何ら間違っておらず全くその通りであった。私としては、100%理解しえても、条文を削除することはできなかった。削除する なら事務所を通じて本部へ連絡し、状況を説明のうえ可否を伺わねばならなかった。

  オルティス校長は一事が万事このような調子であった。翻れば、校長は「ア」国が履行を確約できる義務条項についてはしっかり 履行するつもりであるとの基本姿勢であった。真面目に対応しようという校長の誠実さが現われていた。私的には彼の道理をよく 理解できた。「ア」側の最後の極めつけは、「プロトタイプのこれらの条項をそのままにするというのであれば、海軍本部法務部などの 了解は到底得られない」とも断言した。

  デッドロックに乗り上げるなか、お互いの道理と本音を全面的に押し出しながら更に前のめりの、それも一歩も二歩も踏み込んで 談判することを覚悟した。JICA本部でこのプロジェクトを今後も担当し運営管理するのは私自身である。「今ここで懸念されている 諸条項を巡って将来トラブルの種にならないようにすることを約束する。万が一トラブルが発生した場合は、担当者として責任をもって対処 する。故に何の心配もすることなくこれら全ての諸条項をあるがままに受け入れてほしい」と説得を試みた。校長は一時は歩み寄る姿勢を見せたが、彼の決心はつきそうになく、協議を一旦中断し休憩を取ることになった。

  可なりの時間をおいて交渉を再開した。さらに踏み込んだ説明をもって説得を試みた。プロジェクトを開始することになれば、「コー ディネーターとして私自身が赴任したいと思っている。帰国後は、JICA本部にプロジェクトへの赴任を願い出たいと考えている」。 実際に赴任することになれば、「トラブルの種になると懸念される条文のことも、現場で協議しながら我々自身の手で直接的に 未然に防止したり解決したりすることができる」。また、「言質に齟齬が生じないように現場で最善の努力をするので、安心してほしい」と 説得した。もっとも、この時点での赴任への思いはまだまだ希望的観測に過ぎなかった。

  実際に赴任できる保証などどこにもなかったが、ここまで踏み込まなければ交渉のデッドロックを打開できないと考えてのことで あった。ここまで言い放つことができたのは、二人に信頼関係が醸成されつつあると信じていたが故のことであった。二人の信頼関係の 構築の橋渡しをこの一年手助けしてくれたのが、入団同期の河合君であった。彼がいつも真摯に寄り添ってくれることなく、単に通り一遍 の本プロジェクト担当者ということだけであれば、交渉はどうなっていたことであろうか。恐らく交渉は空中分解していたか、あるいは もっと深刻なデッドロックに乗り上げていたかも知れない。河合君の真剣な骨折りに感謝してもしきれなかった。

  日アの密接な協力の下での訓練船による漁労実習訓練だけでなく、カウンターパートと協働して航海シミュレーション装置向けに 複雑で多種多様なパラメーターを設定しながら、操船訓練を学生に教授する操船プログラミングを行なうにも 相当の年数が必要であること、漁具模型の回流式実験装置を用いての漁労訓練を充実させ漁業教育レベルの向上を図るにも数年は 必要なことなどを説明し説得に当たった。

  また、5年間の協力期間であれば、総計10名ほどのカウンターパートの日本研修を実現することができること(毎年2名程度の研修 員受け入れ枠が想定されること)、また視聴覚機器をフルに使いこなして多種多様な教材を制作し、もって漁業教育レベルの向上を図るには 相当の長い期間が必要と見込まれること、また今後技術協力を進める過程で、新規または追加的に必要とされる各種実習用機材も 毎年検討され供与されることになることなど、あれこれと並べ立てて説得を重ねた。

  かくして、オルティス校長は協力期間について海軍本部に再びお伺いを立ててくれた。見解の相違が埋まらないまま帰国日も視野 に入り、交渉の時間切れが近づくなか、「5年間でなくとも、少なくとも3年間とすることができないか、上層部と相談してもらいたい」と、 説得をした結果である。校長は海軍本部へ向かった。結果、何と校長は海軍上層部から歩み寄りを取り付け、協力期間3年間とするという正式の 答えをもち帰って来た。ここにきてようやく期間について基本合意ができ胸を撫で下ろした。

  だが、日本側の目標年数はあくまで5年間であったので、協議はそれで収斂するに至った訳ではなかった。日本側にとっては、協力 期間3年は譲歩できない最低ラインであった。だが、プロトタイプの「5年間の協力期間」にできるだけ近づけるために、 事前に関係省庁と練っておいた例の最後の交渉カードをいよいよぶつけることになった。更なる譲歩を引き出すための究極のカードであった。

  その切り札とは、「3年後に日アで中間評価を行ない、その結果を踏まえ双方で協議することで期間をあと2年間延長することを可能と する」という文言を付け加えるという案であった。「ア」側が、プロジェクトを評価した結果として、さらに2年間の実施を望む というのであれば、そうすることもできるというものである。2年間の延長の可能性を最初から排除することはないという我が方からの 提案であった。

  日本側からすれば、事実上、最大5年間の協力期間に合意したとも受け取れる ものであった。「ア」側からすれば、5年間に合意したわけでなく、期間は原則3年間とするものの、双方が合意すれば(実質的には、「ア」側が延長につき肯定的になれば)さらに2年間続けて実施できるという余地を残しておけることになる。

  私的には、無理強いをして頑なまでも5年間に固執するつもりはなかった。では何故そのような案を発案したのか。プライドが髙いアル ゼンチンだとしても、プロジェクトの3年後の終了時点において、「ア」側はほぼ間違いなく2年間の延長を望むことになろうこと、 かつその継続実施に同意するに違いないことを、確信に近い思いで推測していたからである。

  さて、オルティス校長は、海軍本部と相談の結果として、「3年間+中間評価を経て双方合意の上、もう2年間実施することができる」 との案につき、交渉の最終コーナーを回ったところでようやく了承してくれた。長いこう着状態を脱し、実質的に5年間の協力期間への道を拓いた。恐らくJICAでも前例のないことと思える協力期間の設定となった。

  更に、もう一つの前代未聞の条項を「討議録(案)」に書き加えていた。プロジェクトの「最初の1年間はプロジェクトの準備期間とする」 ことが案文として明記されていた。こんな案文はJICAでも恐らくはこのプロジェクトが最初であり、かつ最後であったに違いない。

  交渉初期段階のこととして、オルティス校長にあってはスペイン語での充分なコミュニケーションがとれない日本人専門家には 技術指導を全うすることは難しいとの思いがあったはずである。校長の脳内にあるそのような確信的思いを予め打ち砕いておく ためには、私的には何としてでも最初の一年間を「準備期間」と位置づけておく必要があった。チュニジア・プロジェクト から学んだ最大の教訓を本プロジェクトで実現しようとした。

  例えば水産大学などで漁具漁法について何年か教鞭をとり、しかもスペイン語に長けている教授であれば、本漁業学校にいきなり 派遣されても、直ぐにでも技術指導や協業をなすことも可能かもしれない。だが、そんなことは殆ど期待できそうもないと確信してきた。 スペイン語能力が乏しいか、無いに等しい専門家が赴任する場合に備えて、着任後一年ほどはスペイン語の能力向上に真剣にオン・ザ・ ジョブ・トレーニングとして取り組める時間的余裕が必要であると想定した。そうでなければ、密度の濃い技術指導や協業は到底 おぼつかないはずである。

  最初の一年間を準備期間と正式に位置付けられていれば、専門家はノイローゼに悩まされることなく、いわば本格指導に入るまでの 「猶予期間」として余裕のもてる一年となろう。また、語学向上に必死になれる期間ともなるはずである。 私的には、「ア」国の技術力とプライドの高さを鑑みながら、日本側の指導態勢を初年度の一年間をかけて樹立できればと目論んだ。 日本人専門家が「ア」側関係者に疎んじられないようにするための最大の配慮でもあった。一年間を「技術移転のための指導態勢の確立」や 「語学向上の諸準備」にあてがうことができる、いわばプロジェクトのための「助走期間」にできるはずである。

  準備期間は技術指導や語学力アップのためだけではなかった。例えば、(1)学校の教育制度や海技資格制度はもちろん、シラバス・履修 単元・教科書の内容やレベルなどを十分理解すること、(2)カウンターパートへの技術指導や協業のための「詳細計画」を作成し、そのための 様々な諸準備を行なうこと、(3)無償供与の実習用機材につき次年度からの実習における利活用計画を立案すること、また、(4)今後の技術協力 のために必要とされる実習用機材の調達計画とそれらの技術仕様(スペック)の詳細を詰めること、その他あらゆる 諸準備を行なうためである。

  JICA専門家としての業務経験が初めてであり、かつ漁業教育機関などでの指導経験がないか、もしくは不慣れな専門家にとって、 いきなりフルの指導や協業に従事することはとても酷なことである。十分にウォーミングアップする適度な助走期間が必要 不可欠であることを確信していた。これもチュニジア・プロジェクトから学んだもう一つの最重要の教訓であった。

  さらに、住居・生活環境などを整え日常生活そのものを安定化させるには、どんなベテラン専門家でも数ヶ月間は必要であることは 自明の理である。本格的な技術指導や協業などをフルスケールで専念できるのは、やはり1年くらいは努力する必要があり、またアルゼンチン での社会生活に自身を馴致・順応させることができて初めて可能になることであろう。

  さて、「討議録(案)」の作成時に助走期間として1年間を確保しておきたいと提案し、関係省庁から予め認められていたものである。 既述の通りチュニジア・プロジェクトの運営上の経験や教訓を100%生かして、今回の案に盛り込むことができた。外務省をはじめ水産庁、 JICA本部水産室においてそれらのことをよく理解してもらえた。理解を得たことは本当に有り難かった。

  かくして、今回の一ヶ月近くの「ア」国滞在中都合二つの案につき「ア」側の了承がえられた。即ち、一つは「基本設計報告書ドラフト」 において、もう一つは技協プロジェクトを成立させるための「討議録(案)」においてである。後者については恩田団長とボニーノ海軍教育総局長 の間で署名された。ついに、ここに技協プロジェクトが成立した。

  無償資金協力プロジェクトについては、帰国後しばらくして、外務省主導の下で「ア」国への無償援助の実施に関する閣議 決定が行なわれた。そして、在「ア」日本大使館と「ア」国外務省との間で無償協力に関する口上書が交換された(Exchange of Note; E/N)。 早晩建設を請負う日本のゼネコンの入札が執行され(日本タイド方式: 日本の企業に限定するもの)、フジタ工業に決まり、早速に 工事着工の運びとなった。私の次の職務は、合意された協力分野の長期専門家(総勢5名)につきあちこちからの推薦を得て、 派遣のための実務をこなすことであった。

  ところで、署名された討議録のオリジナルを大事に抱えブエノスから帰途に就いた頃、プロジェクトの「リーダー」と「業務調整」の 役目を担う長期専門家をどう人選するか、脳裏に去来していた。「業務調整」の専門家は、少なくともJICA職員からリクルートして派遣するのが ベストに違いないと見込んでいた。

  かくして、思索を練ったところ、自身をその業務調整専門家に推薦するという自身の答えを導き出した。当該プロジェクト形成の 経緯を誰よりも熟知する担当者にして、「ア」側関係者との間で信頼関係を構築し、さらに水産プロジェクト運営の経験を有する「私」をおいて誰がいようかとの思いであった。赴任を現実のものにするために、帰国後余り時間を置かず「自薦」活動を始めた。

  プロジェクト調整員候補として真っ先に名乗りを上げ、上司の水産室長に人事上の根回しを始めた。自身の人事のことで果敢かつ表立って の人事上の積極的行動を取ったのは、JICA30数年のキャリアの中で唯一のものであった。他方、JICAスペイン語研修については 上級コース(6ヶ月)へ進級しトップ成績を爆進中であった。オルティス校長に大見栄を切ったことでもあるので、現地に赴任し プロジェクト運営に携わり、全関係者とベクトルを合わせてプロジェクト目標、即ち漁業学校での漁業教育の向上に貢献したい という情熱を「沸騰」させていた。



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