さて、JICAの対パラグアイ協力最前線では技術協力プロジェクトが数多く進行していた。7~8件のプロジェクトの中間時や
終了時の評価会、日パ合同の年次活動報告会などが次々と開催された。大統領府企画庁(STP)国際協力局もその都度オブザーバー
として出席を求められ、マリオ・ルイス・ディアス局長や日本担当課長と一緒に参加した。プロジェクトの進捗現況、成果、課題
などを把握し、適宜フィードバックに繋げるための試みの第一歩であった。
局長らは、計画執行の適正を顧みながら、いかなる成果があったのか、それを取り纏めて企画庁大臣らに報告する必要があった。
因みに、プロジェクトとして、大豆品種改良や栽培法の研究を行なう「大豆生産技術研究計画」の他、野菜栽培研究、造林技術普及、
度量衡制度、看護教育や保健衛生、職業訓練などに関する技術協力プロジェクトが同時並行的に進行していた。
「開発計画」専門家としては、あれこれと何でも首を突っ込み、お役に立てることを探し求めた。
だが、そのうち、自身の活動エネルギーを分散させ過ぎており、総花的に消費し過ぎていると悟った。そして、焦点を絞り込んで
重点的に取り組む対象を見定めるという「選択と集中」に傾注することにした。当初は眼前に降って湧いて来るようないろいろな
業務に関心とエネルギーを注ぎ込もうとしたが、かくして「選択と集中」へと舵を切ることにした。
その一つは自然環境資源の有効活用による経済社会開発の模索であった。パラグアイ北西部のチャコ地方は国土の半分ほどを占めていた。
同地方最東端を流れ下るパラグアイ川沿いは特に野生の自然美に溢れていた。ブラジル・ボリビア・パラグアイの三国にまたがる、
「パンタナル」と称される世界的大湿原地域の一部でもあった。そこでのエコツーリズムのモデルコースの設定やホームページ開設
などを模索した。世界の愛好者にまだ知られていないパラグアイの豊かな自然、特に野生鳥類などの魅力の海外への発信を提案し、
それを押し進めようとした。そのことは既に述べたところである。
その他の業務の柱に据えたのは、単位収量の多い大豆品種や耐病性のある品種の開発、その栽培方法を研究するプロジェクト
「大豆生産技術研究計画」に対する評価手法の模索であった。特に同プロジェクトの成果の定量的(数量的)評価の在り方の
模索に傾注した。米国、中国、ブラジルなどによる大豆生産に比べれば、パラグアイの生産量は一桁少ないものの、パラグアイに
とっては最大の輸出産品であった。
在「パ」日系人営農家もその生産に大いに貢献してきた長い歴史がある。世界でもトップ・ファイブに入る大豆生産国である「パ」国
にとって、その生産性の向上はつねに死活的に重要であった。もう一つの柱になったのは、赴任する少し前から始まっていた
「パラグアイ経済開発調査」の進捗のフォローと、ポスト調査を見据えてのJICA協力プロジェクトの模索、提案であった。
大豆は味噌、豆腐、オイルなどの製品の原料であり、日本人の食生活に欠かせないものである。パラグアイ国内で徐々に生産が
拡大し、今では大輸出農産品となっている。国内では南半球の夏期に栽培され、冬期には小麦が栽培される二毛作である。
赴任当時にあっては、日系農家当たり最低200~300ヘクタールの栽培規模でないと経済的採算に合わないとされた。JICAは日系移住地
のイグアスに「パラグアイ農業総合試験場(CETAPAR)」を設立し、長年大豆品種や栽培方法に関する研究や技術指導に取り組んで来た。因みに、
播種の事前準備として圃場を耕起しておくのがかつての当然の方法であったが、それをしないで畑に直接に種を播くという「不耕起
栽培法」が開発され広く普及してきた。耕起を繰り返すことによる土壌流出が回避できるものと認識された。この手法の確立に、
日系農家も大きく貢献してきたといわれる。
休題閑話。当時のこととして、「大豆生産技術研究計画」プロジェクトが、第一フェーズの5年間からその名称を変え第二フェーズの
5年間の最終年をそろそろ迎えようとしていた。そして、再延長して何年間かの第三フェーズを日本側に要請するかどうかが喫緊
のテーマに上っていた。赴任した2000年の頃は、日本では経済的バブルが1990年代初めに崩壊し「失われた10年」の真っただ中にあって、
政府開発援助(ODA)の予算額は下降線をたどり始めた頃であった。外務省もJICAも、ODAの予算的伸びを望める状況になく、
「選択と集中」によるODA予算の節減と同時に、ODA予算執行の質的向上が強く求められていた。その中で、10年になろうとする当該
プロジェクトに予算を再投入し続けるか否か。大蔵省から延長承認をどう引き出せるかが大きな課題であった。最終年に日パ
合同評価会が開かれ事が決せられるとしても、現場のプロジェクト関係者に求められていたのは、「大豆研究をさらに続ける必要が
どこにあるのか」、簡潔にして説得力のあるロジックと資料を作成し、十分に説明責任を果たすことであった。
プロジェクトの過去の研究活動から生み出された価値と、その継続によって将来もたらされる価値を定量的に説明するための、
そんな「一枚紙」を頭に描いていた。文章で長々と定性的に論じるのではなく、定量的に経済的価値を算出するための手法を模索しようとした。資料2~3枚にデータ的
裏付けをもってそれを説明できないかと言うことである。過去の経済的価値の算出と、その将来的なプロジェクションには、
合目的な過去の生産データの蓄積が何よりも大事であった。説明のためのロジックがデータによって十分に裏付けられるかが
大きな課題ではあった。
プロジェクトでの長年の研究を通して品種改良が重ねられ、新品種が生まれてきたという。また耐病性のある品種が生まれつつあった。
耕起による土壌の飛散・流出を抑えることになる不耕起法による作付・栽培の効果をはじめ、施肥や農薬の構成要素・量・投入時期、
植栽間隔などの栽培法もいろいろ実証されつつあった。定性的にこれらの成果を説明するだけでなく、定量的に数値をもってプロジェクト
の成果を示すことができないか、いろいろ知恵を巡らせ、プロジェクト専門家らとも意見交換しながら探った。
例えば、過去10年近くの間に開発された新品種が在来品種に取って替わり、全国レベルで100万ヘクタールで栽培されるとして、
またその新品種の単位収量は、異常気象でなければ、平均的に5%増の収量が実証されてきたというようなデータは蓄積されて
きたのであろうか。新規の耐病性のある品種が産出されつつあるという。特定の在来品種がある病害のため大きな被害を被り、
単位面積当たりの収量が20%減少したとかの事例があるのか。仮にその耐病性品種が全国的に50万ヘクタールにおいて取って替わって
栽培されたとすれば、収量はその分大幅に回復する可能性がある。実際に病害を克服して生産されたという実データがないとすれば、
その数量的差異を比較することはできない。仮定上の算定にはなるが、耐病性品種が病害を被った品種に取って替わり、50万ヘク
タールがその病害から救われる可能性があるのであれば、その経済的価値を算出することはできよう。プロジェクト当初から
成果の定量的評価を行なうことを前提に、ベースラインとなるような基礎データを集積する取り組みが不可欠である。
栽培方法としては不耕起による作付が広く普及してきたが、プロジェクトでの研究を通じてさらに栽培法が実際的にどう改良されて
きたのか。施肥・薬剤散布の節量化、営農に投下される燃料の節減化、機械投入コストの軽減化などで、生産コストが何10%か削減
されたといいうるのか。それらの削減の経済的価値はどうか。品種の改良改善などと合わせて、プロジェクト研究で過去に生み出された
総合的経済価値を算出したいと、その手法をいろいろ思案した。
そして、その算出法を面的に拡大した場合、また時間軸を10年伸ばしてプロジェクションした場合、プロジェクトの生み出しうる
価値はどうなるか。新品種や改良品種ごとに見込まれる平均単位収量、1ヘクタールごとの施肥や農薬散布の総量、燃料などの機械関連
総コストなど、新しい品種と栽培法の改善をベースにした収量差やコスト差など、定量的に比較考量できるかどうか。
適切なデータ蓄積があれば、プロジェクトの研究成果を定量的にはじくことは不可能なことではない。だが、それらを算出するという
のであれば、プロジェクトのスタート段階からそのような視点で必要なデータを継続的にモニタリングし蓄積しておくことが
不可欠のように思われる。
例えば、営農家「A」さんは一般に普及する在来品種「A1」を200ヘクタール作付し、その作付から収穫するまで肥料・農薬・燃料・
機械の減価償却費・農業作業員の人件費など、栽培にかかる全コスト「A2」を費やしたとする。他方、営農家「B」さんはプロジェクトが
開発した新品種「B2」を200ヘクタール作付し、プロジェクトの推奨する栽培法を取り入れて、全コスト「B2」を費やした。
B氏の全収穫量はA氏よりも5%収量アップ、コストは10%減であったとする。翌年A氏の品種「A1」は病害のため対前年比収量30%減、
コストはほぼ同じ「A2」。他方、B氏は病害を予想して耐病性のある新品種「C1」を作付、収穫量は
昨年より5%アップ、コストは昨年とほぼ同じであったとする。これらのシミュレーションを500農家10万ヘクタールに拡大して
プロジェクションできる場合には、JICAプロジェクト研究がもたらす経済的価値が見えてくると、素人ながら思案した。
A・B両氏の年間総収入額はその大豆品種の市場取引価格に大きく左右される。また総収量は土壌条件に加え、施肥内容・量の他、
日照時間・平均気温、降雨量などの気象条件などによって大きく左右される。だが、同じ年におけるA氏とB氏の総収量は、
一定の地理的範囲内であれば、品種によっても差異が生まれる。コストは栽培法によって
差異が生まれる。かくして、パラメーターが多くなれば、経済価値の算出も複雑化する。プロジェクト研究のもつ価値を定量的に
積み上げ、それを将来に向けてどの程度プロジェクションすることができるか。説明のためのロジックをシンプルに保ちながらも、
有義性のある組み立てが求められる。
それにチャレンジするも迷路に陥った。10年間でパラグアイの緯度・気候・土壌など自然環境に適合する新品種がどれだけ開発されたか。
その新品種の試験栽培における単位面積当たりの平均収量、品種ごとの農家による実栽培とその収穫量・単位当たり収量、
投入された栽培コスト(肥料・農薬・人件費・燃料などの平均的投入コスト)に関するデータの有無はどうか。耐病性のある新品種は
まだ実栽培されていなくとも、病害の蔓延時には代替させることができるので、相当の成果を期待できる。在来品種の単位面積当たり
の平均収量、新品種と在来品種の単位収量の差異、両品種間の総コストの差異などの比較からプロジェクトが生み出す価値を推し測れよう。
新品種での増量分 × 農家総数 × 栽培総面積、コストの削減総量なども算出し比較する。
地域によって異なる日照量・降雨量などによって生まれ得る地理・気象条件的差異についても、データ比較を調整する。
研究プロジェクトが生み出した成果がどの程度、生産性・収益性のアップにつながったのかを、定量的に
証明するためには、どんな基礎データを日頃からきちんと収集し、分析・評価に備えておくことが必須であろうか。それがなければ、
文章で成果を定性的に論述するだけで、信じるか信じないかの世界に迷い込んでしまう。成果や経済的価値をいかに数値化し可視化
することができるかである。
過去の基礎データが不足すれば、定量的にそれらを説明することが極めて困難となる。プロジェクトの
開始時点から、その定量的解析のための基礎的ベースラインとなりうるデータを収集しておくことが不可決である。
今となってはデータ収集は事実上不可能に近いように見えた。将来生み出す価値をプロジェクションするためには、ベースラインデータ
とパラメーターごとの定量的変位量を把握できるよう工夫しておく必要がある。結論的には、プロジェクトが将来10年後に生み出すで
あろう価値を数量的にプロジェクションできず、迷路に入り込んだ。
今でもプロジェクトの価値算定手法の一つであると考える。この評価手法は研究開発プロジェクトだけでなく、他のプロジェクト
でも当てはまろうが、「言うは易し行なうは難し」である。プロジェクトの活動項目そのものの実施の有無やその実施程度について
定量的に割り出すのは比較的容易である。だがしかし、実施されたことの成果として直接・間接に生み出された経済的価値を算出する
試みは、「総論賛成、各論反対」という結末に至り、関係者は尻込みすることになる。何故か。それらを算定するための専門家は
いずれのプロジェクトにも配置されていない。即ち、プロジェクトのスタートから基礎データを集積し解析するという制度設計が
なされていないという言い訳的な見解に基づく。
1980年代初めに「チュニジアの漁業訓練センタープロジェクト」を担当した。仮にそのプロジェクトにこのロジックを当てはめていた
とすれば、恐らくプロジェクトがもつ経済的価値を定量的に算出することは事実上不可能であり、またプロジェクト終了後10年以上
その成果を追い続けないとできなかったかもしれない。10年もすれば、現地での漁業を取り巻く社会環境や技術的進歩など、さまざまな
パラメーターが実際に変化し複雑に絡み合い、同センターでの人材育成が末端で就労する漁民の生産性や収益性アップに定量的に
どの程度寄与したのか、成果をもたらしたのか、極めて曖昧模糊になるのは必定であったといえよう。
漁業訓練の成果は、訓練の受け手であった漁業普及員や指導員のノウハウの向上を経て、その傘下の一般
漁民の漁労技術やノウハウのレベルがアップしたからであるのか、それ以外の要因によるものなのか。あるいは、収益性や生産性アップ
は機械導入や他の漁具漁法の導入によるものなのか、分析・評価は極めて難しいであろう。ゆえに、人づくり・人材育成、技術ノウハウ
の移転がもたらす定量的な真の評価は難しい。技術移転のためになされた専門家とカウンターパートによる直接的な技術移転のための
活動項目が計画通りに実施されたか否か、それを軸にして評価され、それから先には定性的推量に入り込んでしまいがちとなる。
プロジェクトのもつ経済的価値や、その将来的プロジェクションにチャレンジしするという、その先への突っ込んだ評価は至難の
業となろう。
実は、ある経済コンサルタント会社のパラグアイ人の主任研究員(後にパラグアイ政府の財務大臣になる)と協業しながら
取り組んだ本件調査であった。だが、プロジェクト終了近くに定量的評価をまとめようにも、肝心の数量的裏付けデータがほとんど
得られず、纏めきれなかった。結局は迷路に足を踏み入れ、迷路から喘ぎながら脱出するのに精いっぱいであった。忸怩たる思いが
蘇る。現在はプロジェクト評価手法はどう進歩しているのか気にかかるところである。
研究や技術指導に資金投入された場合の成果の見込みは出来る限り理解されやすいように客観的に定量的に算出されなければならない。
投資だけして後の成果は不問とするのは理解されない。JICAの3号案件、即ち農業分野での投融資案件ではその点明瞭であった。
技術協力プロジェクトと投融資対象プロジェクトとの違いをまざまざと学んだ。投融資プロジェクトの成果の評価基準は明確であった。
端的に言えば、20年後の収支バランス、採算性、損益の分岐点、JICAローンの返済の見込みなどの定量的分析結果が全てであった。
だが、技術協力プロジェクトでは、人的・機材のインプットとアウトプット(成果)はどう見積もられるか。専門家がカウンターパート
への技術移転やノウハウ向上を目指すものの、生み出す経済的価値を定量的に評価しつつ、そのプロジェクトの
成否を判断することは皆無に等しい。
だが、研究プロジェクトであっても、新品種や耐病性のある品種の改良などによって、過去10年間でいくらの経済価値を生んだかを
算出し、さらに10年継続後の価値をプロジェクションすることは可能であると、今でも信じる。その価値を合理的に
算出するためには、パラメーターを明確にし、ベースラインデータを根気よく収集し、価値の積み上げを続けることが前提となる。
技術協力の場合、一般的にはそのような定量的価値評価は人件コストが掛かかるとして、そこまで踏み込んだ評価がなされることは
ほとんどないのが実状かもしれない。しかし、それでストップしていては進歩はない。半歩でも一歩でもプロジェクトの分かりやすい
定量的評価の進歩を期待したい。
さて、「選択と集中」にて取り組んだもう一つの職務は「パラグアイ経済開発調査」であった。当時、パラグアイ経済開発のための
基本戦略を策定し、重点開発分野ごとのマスタープランづくりをすると同時に、可能な限り具体的なフィージビリティ調査対象の
プロジェクトを提言するJICAの大型調査案件が進行中であった。大統領府企画庁経済局がそのカウンターパートの一つであった。
マクロ経済、クラスター戦略、社会・交通インフラ、農業・牧畜開発、農産加工、、貿易振興、動植物検疫体制強化、観光振興などの
エキスパートから成る調査である。2年ほどかけて、開発戦略とマスタープランや重点分野ごとの具体的プロジェクトを
提言するというものであった。調査費は総額1億円を下回らないほど大規模であった。パラグアイ側のカウンターパートは大統領府企画庁の
経済局の実務担当者が中心となり、農牧省、商工省、運輸省、財務省の他、協同組合、食品衛生、防疫、中小企業振興、貿易振興、観光振興
などの政府関係機関などの実務者などであった。パラグアイ政府では、その提言を受けて、企画庁をはじめとする関係省庁が、その報告書
に盛り込まれる戦略、マスタープラン、分野別プロジェクトを推し進めることになる。将来的には具体的な優良プロジェクトを各省庁
に策定させ、取り纏め、援助国と調整することになるはずであった。
国家戦略を構想するうえでの中核思想となったのは、いわゆる「クラスター戦略」であった。骨子をざっくり言えば、各地域における
農牧林産物の第一次生産をさらに増進させ、それらの産物を活かした第二次産業を地域ごとに振興・集積させ、互いに補完し合いつつ
国際競争力を高め合い、付加価値のある加工品を生み出し、それらの輸出振興を図るというものである。
パラグアイは農牧国である。特に大豆の生産量は、米国・中国・ブラジルなどには一桁及ばないものの、パラグアイにとっては最大の
生産・輸出産品である。またトウモロコシ、小麦などの国際商品の他、牧牛の生産もそれなりに多い。これらの農牧産品の生産が集中する主に国土の
南東地域にあっては、例えば国際競争力のある配合飼料を生産し輸出する一方で、それをもって畜産・養鶏・養豚業などの振興を図る。そして、
付加価値を付けたパーツ類・冷凍ハンバーガー・ハム・ソーセージなど、国際競争力のある加工品を製造し、輸出するというものである。
このように第一次産業としての農牧業の拡充、配合飼料やハムなどの加工品を製造する第二次産業を一定の地理的範囲に
集積させ、資本・労働・原材料の利用効率を高める一方で、輸送費などのコストの低減化を図り、輸出競争力を
高めることことを目指そうというものである。
ある地域はオレンジやレモンなどの柑橘類の生産に適し、それが盛んな地域がある。そこでは、オレンジやレモンの生での輸出だけでなく、
濃縮ジュースなどの生産に乗り出している。また、それらの搾液後の皮を利用して化粧・香水用のエキスを抽出し、エッセンシャル・オイルなど
を生産する取り組みをしている。トマトなどの野菜栽培の適地では、ケッチャップや缶詰などの加工品の製造・輸出が期待できる。
成長が速く植林に適するユーカリなどの樹木を造林し、製紙用のチップを生産・輸出する企業も動き出している。
農牧林産物を生産するのは民間営農家や企業であり、また日系やドイツ系などの農協団体であり、さらに委託栽培の形態でそれら団体傘下
にある農協組合員などが協力する。
クラスター戦略のパイオニア的取り組みと思しき事業はドイツ系農協組合傘下の現場に見られた。オレンジ栽培農園をはじめ、
濃縮ジュースやエセンシャル・オイル製造プラントや配合飼料の製造工場、新規の養豚場や豚解体処理工場の建設現場などを
幾つも視察したりして、将来政府が取り組むべき課題や公共政策の模索に役立てた。
また、企画庁や関係省庁の実務担当者からなる、ブラジルにおけるクラスター形成過程・実態調査チームが組織され、ブラジルへ調査に
赴くことになった。JICAに調査計画書を申請し、その実施経費全額を財政支援した。これは、将来クラスター戦略のコアとなるさまざま
な先行事例を把握し、政府として行政・政策的にクラスター戦略をどのように促進すべきかを模索するうえで大いに役立った。
政府と民間セクターが、常設の協議会や公益法人などを設立し、常に連携しつつ、指向すべきベクトルを重ね合わせてクラスター
戦略を推進することが肝要である。特に、個々の営農家や企業、農協や公益法人・団体などの民間セクターは、クラスター戦略に沿った具体的な
プロジェクトを興すこと、リスクを背負いながらも投資を促進すること、協業的して産業育成に励むことが、国家経済発展へ通じる道である。
他方、政府は、税制・金融面での優遇政策の促進、国内輸送道路などの社会インフラ整備、安全安定的な河川航行のためのインフラ
整備を図り、輸送コストを低減させ、国際競争力を高める必要がある。河川・水上輸送(港湾・航路など)の
整備、ブラジル・チリなどと連携し太平洋・大西洋両岸をつなぐ国際輸送回廊の整備、また輸出のための品質認証、
貿易保険、食品衛生、動植物検疫、家畜衛生、度量衡システムなどの制度的向上・強化、輸出振興など
において、国からの賢明な行政施策を計画的に実施し、国際信用を高め続けることが不可欠である。
企画庁にはクラスター戦略を推進するうえで大きな期待がかかっている。その果たすべき責任は重大である。因みに、技術協力局は、
競争力向上などのために国家がなすべきそれらの施策について、日本・欧米諸国や国際機関から必要な技術的支援を得ることが
期待されている。戦略推進にあたり、国際援助を求めたいプロジェクトについて、関係省庁と連携しつつその形成と調整を図るという重責を負う。
当時においてはすでに、貿易振興、貿易保険制度や通関システムの改革、動物検疫、度量衡システム、輸送における農産品の品質
保持など、経済開発調査の実施以前から技術協力プロジェクトが実施されていた。これからは、「経済開発調査」のクラスター戦略
の提言を踏まえて、民間セクターの努力を側面支援するために、国家が促進させるべきプロジェクトが順次形成され実施に移される
ことが期待される。特に各地域の農牧産品を活かしてのクラスターの形成、民間セクターにおける連携と協業、政府によるさまざまな
領域での環境整備・政策的後押し(輸出のための検疫、貿易保険、貿易振興、インフラ(道路・港湾・航路)整備、職業訓練・人材育成
などのセクター別取り組み)が求められる。特に、クラスター戦略を強力に押し進めるための官民合同の推進機関の設置・運用と
その実効性が求められる。
在職中いろいろな課題に取り組み、構想をまとめ局長へ数々の提言をした。経済開発調査に関心をもち、
将来のプロジェクトの発掘形成にも関心を寄せた。だが、赴任中播いた種の芽が出て、花が開いた訳ではなかった。そのことは技術協力
の宿命ともいえ、内心忸怩たる思いがあるが、悲観に暮れるということではなかった。提言は全て記録に残して企画庁、JICA事務所へ
日本語・スペイン語で遺した。「国づくり人づくり」では切れ目のない継続性が求められ、次代へとバトンタッチすることが大事である。
即座に実現されなくとも、公的セクターの政治家・行政官、民間セクターの実業家・投資家らがその進むベクトルを合わせ、さらなる
具体的なプロジェクトを組み立て取り組むことになれば、5年、10年先に努力の方が現われ、次の発展へとつながると信じる。
数十年後に成果が発現することにもつながる。開発調査後は10年単位での見守りが必要であろう。1
経済開発調査の戦略やプロジェクトの提言がどんなプロジェクトに結びつき育成されつつあるか、フォローしてみたい。
赴任時から10年後のプロジェクトの発掘形成状況をフォローし、その結果経済開発はどう進展してきた振り返ることは有意義である。
経済開発戦略を促進するためにどんなプロジェクトが押し進められているか。プロジェクトの「種」が実になって将来見違
えるほどの発展がブレークすることを期待したい。
2000年前後において実施されていたJICA技術協力プロジェクトはさまざまであった。例えば、
農牧関連では「酪農による中小規模砲架の経営改善」、「大豆生産技術研究」、「小農野菜生産技術改善」、「造林普及計画」、
「ピラール南部地域農村開発計画」などであった。産業部門の強化では、「中小企業活性化のための指導教育育成」、「流通改善
に資するアスンシオン市中央卸売市場運営改善」、社会インフラ強化と行政能力の向上につながる「質量分野検定検査技術向上」、
その他人材育成では「職業能力促進センター」、保健領域では「看護助産教育強化」などのプロジェクトが平均して5年間の執行を
目途に続けられていた。それと並走して、経済開発調査が進められていた。
同調査が終了して2年後の2004年から3~5年間に実施された技術プロジェクトは、その規模はさまざまであるが、経済開発調査に直接・間接に関連したものが
多く実施されている。農牧分野では、大豆品種改良・栽培技術向上プロジェクトの後継である「大豆大豆シストセンチュウ及び
大豆さび病抵抗性品種育成」、「養蜂業の多様化プロジェクト」、社会インフラ強化と行政能力向上につながる「容器検査・認定機能強化」、
「食品安全衛生・栄養ラボ強化」、「品質生産性センター強化」などのプロジェクトがある。その他、「輸出振興機構強化」、
「メルコスール観光振興」での協力である。また、自由貿易特別地区での投資促進や産業振興促進を図る「マキーラ促進支援プロ
ジェクト」であった。
また、開発調査の領域では、2005-6年メルコスール域内流通のための「包装技術向上計画に関する調査」、「輸出回廊整備計画のマスタープラン
策定のための調査」が実施された。例えば、2010年には、現地のODAタスクフォース(在パラグアイ日本大使館、JICA事務所、その他)
による2010年度(平成22年度)対パラグアイ経済協力政策にかかる協議がなされた。そのテーマの一つとして、持続的経済開発、産業振興、
経済社会インフラの充実について検討され、それらの協力課題を重点化すること、協力プログラムを戦略化することが申し合わされた。
1999年にわが国の対「パ」無償資金協力が終了したが、2005年から再び対象国となった。だが、その後の6年間をみると、
殆どが小規模な無償資金協力や草の根・文化無償資金協力であり、わずかに医療分野で「アスンシオン大学病院移転計画」が机上に
載せられただけである。しかし、円借款分野では、経済開発調査との関連で目立つのは、2013年度に「東部輸出回廊整備計画(178億円)」の
交通インフラが取り上げられた。また、2016年度に「パラグアイ川航路浚渫整備計画の準備調査(2016-2017年)」がなされた。
なお、2012-16年度に技術協力プロジェクトとして、日系農業協同組合が取り組む農牧分野でのクラスター形成への努力を側面支援
するための「農協クラスター形成支援プロジェクト」が実施された。これは経済開発調査後において、「クラスター」という冠を付して、
その推進に特化した初めての協力プロジェクトであった。クラスター戦略促進に向けたプロジェクトの発掘形成の多寡については
大いに議論はあろうが、同調査実施国の日本としては髙い関心を寄せてフォローしてきたところである。もちろん、クラスター
戦略推進の取り組みは日本・JICAだけではないが、ドイツなどの欧米諸国によるそれは不詳である。
2014年(平成26年)の日本経済新聞に関連記事が掲載されていた。それによると、パラグアイは民間資金も活用しながら、1.6
兆円を社会インフラ整備に投資することを発表した。2014年から5年間にわたる投資として、道路・河川整備計画を実施し、
大豆・牛肉などの主要輸出産品の輸送効率の向上につなげるという。農牧産品輸出のためのパラグアイ川港湾整備なども含まれる。
パラグアイは地理的にみて南米大陸の真ん中に近いという利点を生かし、農牧加工品の製造業発展の拠点化をめざすという。また、
民間資金を活用する官民パートナーシップ(PPP)方式の導入も視野に入れるという。
2000年所期段階ではパラグアイの大豆輸出は世界4位、牛肉輸出は8位であった。パラグアイにとっては輸送インフラ整備に
よって輸送コストを削減し、より国際競争力を高めること、農牧産加工業を筆頭にした製造業の比率を高め経済構造を強固にすること、
輸出振興を促進することは、予見しうるいつの時代であっても追い求める国家施策に違いない。10年、20年の時が経ても、
パラグアイがめざす経済発展戦略のためベクトルは同じである。パラグアイの協力最前線に赴任した専門家として、「種」を播く
ために暗中模索的に土を耕したり、時にほんの一握りの種を播いた。そして、2003年以降の10年ほどを振り返ってみると、両国関係者が
クラスター戦略に直接・間接に絡むいろいろな種を播いてきたことを知り、大変嬉しくて仕方がない。パラグアイの農地開発と農作物
の生産、それらの農産加工品製造業が、子々孫々に至るまで髙い持続可能性をもって営まれことを期待したい。
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