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    第12章 三つの部署(農業・契約・職員課)で経験値を高める
    第5節 英語版「海洋白書/年報」と「海洋語彙集」づくりに前のめる


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       第12章・目次
      第1節: 農業投融資と向き合う(その一)/中国での大豆栽培試験
      第2節: 農業投融資と向き合う(その二)/5ヶ国での栽培試験
      第3節: 契約課でパナマ運河代替案調査に関わる
      第4節: 職員課のどの仕事も喜ばれる
      第5節: 英語版「海洋白書/年報」と「海洋語彙集」づくりに前のめる



  JICA本部の水産室に4年近く、アルゼンチン「国立漁業学校プロジェクト」に3年、思いがけず合計7年間も海洋水産分野に身を置き続けることができた。 だが、「ア」国から帰国後はわずかでも海洋や水産に関わる部署に就くことは最早望むべくもなかった。海洋・水産法制や 政策に少しでも関わり、国連海洋法務官への志願・応募上半歩でもキャリアアップに繋がるがるような部署は、 水産室の他には神奈川県三崎にある「国際水産研修センター」くらいなものであった。だが、自身のキャリアや年齢からして同センター にはしっくりおさまりそうな人事上のポストはなかった。 故に、帰国後の職務においては自ずと海から疎遠になるというのは覚悟していたし、また仕方のないことと認識していた。

  自身の専門領域とは対極にある農業投融資事業や契約課(コンサルタント選定業務)、さらには職員課という官房部門に在職 することになったのは、全く驚くことでは なかった。海などとは関わりのない三つの職域に釘付けとなり、海から遠ざかる一方であった。今後も海とはますます疎遠となるのは ほぼ間違いなかった。だがしかし、海と関係のない部署に配属されようとも、何も気の滅入ることではなかった。また、何の焦りも なかった。三つの部署について言えば、心機一転して新鮮味溢れる未経験の仕事に携わることになり、時の経過とともにそれらの 職務にますます興味を引かれ、前のめりになって行った。そして、仕事の内容はそれぞれ異なったが、それだけ幅広く職務経験を積むことができ、 職員としてそれなりに成長できたのではないかと思えるようになった。

  かくして、自助努力をもって意識的かつ自主的に海と繋がる他に道はなかった。海についての自主研究という形で、海との繋がり や接点を見い出す努力を続ける他遣り様はなかった。幸いにして、「海が大好き」という私的な特性は時空を越えて色あせること はなかった。好きに勝るものはなかった。また、海と関わることの楽しさに勝るものはなかった。日本の海洋法制・政策や海洋開発などの 最近の動向についていつもあれこれと好奇心を全開に保ち、自主的な「海洋研究」という位置づけで時間をみつけては 独学を続けた。そのことは、海への情熱をもち続け、自身の専門性を少しでも深化させて行くための必要なエネルギーを自身に 補給し続けることを意味した。

  さて、アルゼンチンから帰国後継続してやるべき重要な私的なこととしては海の語彙拾いと語彙集づくりであった。帰国以来、投げ出すこと なく海の語彙を拾い続け、その語彙集の原型づくりに汗を流し続けた。帰国後暫くして、その作業用にIBMのデスクトップ型パソコンを購入し、 心新たに語彙集づくりに取り組んだ。「ア」漁業学校プロジェクトでのパソコンはOKI製であったが、互換性を何も意識することなく IBMのそれを買い込んだ。何年も後になってのことになるが、プロジェクトで使い慣れていたOKIの機種でなくIBM製に乗り換えていた ことが後悔の大きな種となるところであった。だが、運よく難を逃れ胸をなで下ろした。 そのことは後に触れることとして、「ア」で取り組んでいたのは主にスペイン語・日本語の海洋語彙集づくりであった。 「ア」国から持ち帰った20枚ほどのパソコン用記憶媒体のフロッピーディスクはそのまま引き出しに入れたままにして、英語・日本語 の語彙集づくりに集中的に取り組み始めた。なお、情報技術の発展は日進月歩であり、この頃にはディスクは一回り小型化していた。

  とにかく、毎日15分でもそれ以下でも、語彙拾いとパソコン入力を続けた。止めていたとすれば、過去数年のチャレンジは そこで終止符が打たれていたはずである。毎日のルーティンワークとして、帰宅すれば何はともあれわずかな時間でも語彙を 入力したり、語彙の意味を調べたりして、海との関わりを喜々として持ち続けた。余暇時間において このような作法で海のこととわずかに繋がるだけでも、私的にはその日の雑念やストレスを大いに払拭できた。精神的な一服の清涼剤になり 心はすこぶる落ち着いた。だが、語彙集づくりを続けるその先がどうなるのか、そのアイデアは何一つ 持ち合わせていなかった。先々に何があるのか、心で透視できるものは何もなかった。とは言え、海にまつわる自主研究と並行して、 語彙拾いや語彙集づくりにも真剣に向き合った。その思いは、「途中で止めれば、そこで全てが終わる」ということであった。

  過去2回の語彙集づくりでの苦い経験は何としても避けたかった。米国留学中での最初の取り組みは「アイデア倒れ」に終わった。留学から帰国 後の「英語版ニュースレター」づくりでの二度目の取り組みは「ほとんど腰折れ」に終わった。そんなこともあって、「ア」国で 第一歩を踏み出した三度目の語彙集づくりへのチャレンジを放り出したくなかった。 何もなかったかのように元の木阿弥に戻したくはなかった。途中で放棄すればデータは事実上自身のパソコン内で「死蔵」させるだけであった。

  思い起こせば、マル・デル・プラタで人生3度目のチャンスに巡り会い、ようやく海洋語彙集づくりを本格的に始めることができた。 そのことを思い起こして、帰国後も自身を鼓舞し続けた。少なくとも、アルゼンチンが起点となった語彙集づくりを続けて行くことに 大きな意義と自負を感じていた。漁業学校におけるようなベストな環境は帰国によって一挙に失われてし まったが、帰国したからといって諦めるという選択肢は全くなかった。最初に足を一歩前に踏み出した限りにおいて、その努力が 何の結実も遂げずに終わることは忍びなかった。さて、何処を最終ゴールにして取り組むのか。語彙集づくりの最終到達点 について何も見通せなかった。だが、継続だけは固く決意していた。

  帰国後向き合わねばならないもう一つの重要な課題があった。「ア」国赴任前に浅野先生と創始した非営利・任意の研究団体 「海洋法研究所」の再開という二足のわらじをどう履き続けるかであった。 「ア」赴任前は英語・日本語での海洋法制・政策や海洋開発動向などにまつわる「ニュースレター」づくりとその発信を研究所の 主な事業としていた。帰国後その発刊をどうするかが悩みであった。その発刊は少なくとも赴任中の3年間は休眠状態になっていた。 主宰者の浅野先生ともいろいろ相談した。「ア」赴任中においては、海洋関連情報の収集や論稿の執筆などの活動は頓挫を 余儀なくされていた。他方、3年間のラテンアメリカ社会生活で錆びついた色々なものを自身の体から削り落としながら、 JICAの職務に復帰し自身の業務態勢を取り戻すべく新部署で悪戦苦闘をしていた。

  矢張り「ア」国での長年のブランクは大きかった。3年間ブランクを空けたままにもかかわらず、突如再開の段になって従前からの会員 に対していきなり同研究所の会費納入をお願いすることなど、とても言い出せない話であった。いずれにせよ、有益で新鮮味のある 情報の再提供や再発信をなしうる出版物もなく、会員再登録や会費再納入のお願いなど到底できそうになく、大きな悩みどころであった。 たかだか「英語版ニュースレター」かもしれないが、それを再刊するには相当のエネルギーを要する 事であった。当該「ニュースレター」については赴任前の段階では第8号まで発刊していたものの、その発刊は当初から何かと 滞りがちであった。再刊の可否について大いに悩んだ末、最終的には事実上の廃刊を決断し、他のことにエネルギーを 注ぐことにした。

  さて、浅野先生と相談しながら、「海洋法研究所」の事業の方向性を探った。結果、研究所の休眠状態からの覚醒を図る方策として、 元々はその中核的事業と位置づけたかった「英語版・海洋白書/年報」の類いの発刊に真剣真摯に取り組むことになった。そのチャレンジは 同研究所の活動の再開を目指す意欲、情熱、エネルギーを取り戻すことに大いに繋がった。要するに、 同研究所を「再起動」させるための基幹事業として「英語版・海洋白書/年報」づくりを位置づけることにした。その発刊並びに 世界への情報発信こそが同研究所の存在理由であり、またアイデンティティとなることを確信した。発刊の意欲は大いに掻き立てられた。

  研究所の発足当初から中核的事業と位置づけたかったものの、事実上ほとんど実現できなかった「英語版・海洋白書/年報」 のような研究書あるいはブックレットづくりに早速本気で着手することにした。その発刊は研究所による従前からの事業とはほとんど しがらみはなかった。「この数年音沙汰のなかった研究所は海洋白書/年報なるものの編纂に新たに取り組み出したのか」と、 過去3年休眠状態であったことを少しは理解してもらえるものと期待した。何はともあれ、そのような研究書の編纂・発行にチャレンジ する決意を新たにした。全く新鮮な目で取り組むことができそうであった。 勿論、「海洋白書/年報」においては、日本の海洋法制・政策や最近の海洋開発動向などについての調査・分析の結果を取りまとめ、 定期的にアップデート(あるいは増補・追補)を続けられるようにしたいと考えていた。かくして、 研究所創建当初からの念願であった「英語版・海洋白書/年報」の類いの創始に向けて、自身を鼓舞しつつ新たな第一歩を踏み出した。

  最初の第一版(初版)は数10ページほどのブックレット形式での発刊を目指し、過大な計画に溺れてしまわないようにした。 JICAという本来の仕事に差し障りのないよう控えめな船出であった。少しずつアップデート(増補・追補)を重ねつつ内容の充実を 図る(To be updated, revised, and enlarged)ことを目指した。途中で腰折れしてしまうのを避けたかったからである。

  かくして、新たな挑戦が始まり、私的にはもう一度気を取り直して「海洋法研究所」を「再稼働」させ、二足のわらじを履くことに なった。そしてついに、海の語彙拾いや語彙集づくりと、今後新たに情熱を傾ける「英語版・海洋白書/年報」づくりとが、 車の両輪のように連接することになった。 さて、ブックレット方式のトライアル版として初版から第5版まで少しずつ執筆分量を増やしながら作成した。 そのタイトルは「日本のオーシャン・アフェアーズ: 海洋制度、政策、開発/Japan's Ocean Affairs: Ocean Regime, Policy, and Development」であった。因みに、ブックレットの初版は1988年6月の発行で、B5版のわずか59ページであった。「ア」から1987年4月に 帰国したので、その発刊は帰国して一年余り後のこととなった。なお、論述は次の通りの項目建ての下になされた。

    ・ 日本と1982年国連海洋法条約
    ・ 深海コバルト・リッチのマンガンクラスト開発動向
    ・ 沖ノ鳥島の保全に関する緊急措置
    ・ 公海自由の原則のフェーディング
    ・ 日本の領海の限界や200海里漁業水域の現況
    ・ 日本周辺の海峡水域における特別通航制度
    ・ 海水揚水発電
    ・ 北朝鮮の海洋制度

  同初版から数か月後の1988年9月には、若干の追補を施した第4版を発刊した。そして、翌年の1989年1月に第5版として 216ページからなる増補版を作成し、研究所個人会員をはじめ多くの海外の海洋法制・政策研究機関にも配布した。 第5版に追補された項目は、

  • 日本と漁業: 日ソ漁業関係、200海里水域における相互の操業条件、日本の沿岸水域での開発と管理、日本の国家海洋行政
  • 日本の深海底マンガン団塊の開発動向: 日本の「パイオニア・エリア」、団塊開発の最近の動向
  • 日本の海中考古学的事情: ロシア軍艦の探査
  • その他、幾つかの日本の海洋関連自然条件などについてであった。

  そして、1989年9月について「Japan Ocean Affairs: Ocean Regime, Policy and Development」と題する新たなタイトル名の下に、通算 第6版目として166ページのブックレットを発刊し、国内外の海洋法・政策の研究や・学者個人、海洋行政・研究機関などに送付した。 なお、1989年後半には第7版として188ページのそれを完成した。

  さて、1989年12月31日になって、264ページの第8版を編纂・発行した。巻末には付属資料として「日英語・海洋関連用語辞典 Japanese-English Ocean Affairs Dictionary, 2nd Edition, December 1989」(41ページ)をトライアルで合体した。第8版は、「大陸棚開発と管理: 日本の大陸棚の境界、 オーシャン・アフェアーズでの最近のファクトと動向」についての論考を先の第5版に付加したものであった。その巻頭には、小田滋・国際司法裁判所(ICJ)判事、 米国ワシントン大学ロースクール・ウイリアム・T・バーク国際海洋法教授、 同大学海洋研究所長エドワード・マイルズ教授、南カリフォルニア大学アーノルド・パルドー教授、ミハイロフ・ソ連極東大学教授の 特別名誉会員他、少人数だが当時の16名の会員名簿が添付された。

  英和・和英の海の彙拾いや語彙集づくりと、「英語版・海洋白書/年報」の類いの研究書・ブックレット づくりとは互いに重なり合い、補完し合い、相乗的効果をもたらしてくれた。「海洋白書/年報」づくりは、その副産物として多くの海の 語彙を拾い上げることに繋がり、語彙集は一歩も二歩も前進することになった。片や、語彙集づくりの前進は白書づくりの背中を 押すことに繋がり互いに相乗効果を生むことになった。そして、「ア」から帰国後の8年余りにわたる語彙拾いとパソコン入力の継続は 現在のデジタル版「海洋総合辞典」の原型へと繋がることとなった。

  当初にあっては時に語彙集はこのようなアナログ形式のブックレット巻末に添付されたこともあったが、その後の情報発信の方法については 何の展望も見えていなかった。他方、パソコンや情報通信技術は驚きの進歩をなしつつあった。私的には、超大容量で超高速処理のコンピューターを基点にして、いろいろな外部の情報、 例えば過去の新聞雑誌記事、国立国会図書館の図書目録データなどに自宅のパソコンからアクセスできるようになるのではないか、 という淡い期待感が頭の片隅にあった。故に、いつしか大型コンピューターを介してデジタル語彙集を世に送り出すことができ、世の役に 立つことになる時が来るのではないか、とおぼろげながら夢想していたこともあった。そうこうしているうちに、インターネットの時代が超 高速でやって来ていた。当時そんな時代がすぐそこまで到来していたとは全く知る由もなかった。ずっと後年の1996年頃になるが、友人が ノートパソコンのインターネット画面を目の前にしてネットサーフィンの実演を見せてくれた時の衝撃たるや、体中に強烈な電流が駆け巡った ことを憶えている。

  インターネットを初めて知った時、「これこそが、私が待ち望んでいたもの」と直感した。自宅のパソコンからデジタル 海洋辞典を情報発信できるようになるとは、ロケットで宇宙に飛び出したかのような夢心地であった。

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    第5節 英語版「海洋白書」と「海洋語彙集」づくりに前のめる


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