JICAの「無償資金協力業務部(無業部)」では、直接的にも間接的にも海に関連するプロジェクトに向き合えることは殆どない
ものと思い込んでいた。だが、時が経るにつれ、漁業、船舶、港湾などにまつわる無償資金協力プロジェクトと繋がりをもてることが
分かって来た。海との関わりをもてそうで希望が湧き嬉しくなった。もちろん、プロジェクトは
担当する地域である東アジア・南西アジア、中南米・カリブ海地域に限定されてはいたが、頓着する話ではなかった。プロジェクト
事例を上げるとすれば、漁業訓練船や調査船・海上保安取締船・浚渫船などの建造、漁港やその関連施設(漁獲物冷凍冷蔵施設や荷捌き
用施設など)の建設、水産研究・漁業訓練施設の建設、海峡などの航行援助施設の整備などであった。特に漁港整備プロジェクト
の「実施促進」業務を担うことができ、自らの経験値を大いにアップできた。
具体的に言えば、カリブ海に浮かぶ国の一つ「ドミニカ連邦」(同じくカリブ海の「ドミニカ共和国」とは別の国である)の首都ロゾー
にて実施された漁港施設整備にまつわるトラブルは、数ある中で最もショッキングなものであり、また最も深く関与したプロジェクトでも
あった。ドミニカ連邦は、世界地図帳で探しても米粒のような小さな島嶼国として描かれているのが多い。カリブ海地域で最大の陸地
面積をもちキューバ社会主義政権が統治するキューバ島、次いで大きい島はその真東に浮かぶエスパニョーラ島で、西にハイチ国、
東にドミニカ共和国が立地する。次いで米国自治領となっているプエルトリコ島へと続く。それらは「大アンティル諸島」の国々である。
その南東方向に点々と連なって伸びるのが「小アンティル諸島」である。南米大陸の北の一角を占めるベネズエラのすぐ沖合に
浮かぶトリニダード・トバゴ国まで7、8の小さな島嶼国が連なるが、そのうちの一国がドミニカ連邦である。
ある日のこと、ドミニカ連邦水産局から、「日本の無償資金協力で整備された漁港泊地内が波で大荒れになり、漁船が停泊できない
状態にある。漁船は外海に面する岸壁に係留することを余儀なくされている」というメッセージを受け取った。
そこにはVHS方式のビデオテープ一本が添えられていた。早速、課員と鑑賞した。ショッキングな映像が映し出されており仰天し鳥肌が立った。
日本の無償援助で完成して間もないロゾー漁港の泊地が映し出されていた。援助対象であった漁港施設は、漁船泊地と荷捌き場など
の漁獲物流通・保冷施設などから成っていた。泊地は長方形で縦横30メートル×20メートルほどで、2本の突堤と2辺の陸地面とで
囲まれていた。外海に通じる泊地出入り口(港口)の幅は6~7メートルほどで、突堤2本の間にはさまれていた。泊地内では船内
機関をもつ数トンから10トンほどの小型沿岸漁船が岸壁に横付けされ、漁獲物が荷捌き場に陸揚げされたりする。
ビデオテープに話しを戻すと、最初の1分ほどは、泊地は穏やかで何の変わった様子も映し出されてはいなかった。だが、そのうち、
泊地内の海水が少しずつゆっくりと揺れ動き出した。やがて海水全体が四方に大きく揺れ動き始めた。その後泊地内の三方の角では
髙波が起こり岸壁に激しく打ち付け、飛沫をまき散らしながら今にも越波しそうであった。とても船を泊地内に係留させておける
状態ではなかった。テープは最後に外海を映し出した。何と全く静穏で鏡の様な穏やかさであった。泊地の外海側の岸壁には一隻の漁船が
停泊していたが、何の動揺もなさそうに静かに錨を下ろしていた。泊地内外の信じられないような対照的違いが映し
出されていた。外海は全く静穏にして、泊地内は丸で湯船を激しく揺さぶったかのような大荒れ状態で手が付けられない様子であった。
まさに「海洋立国・漁業大国日本」の面目を丸つぶれにする映像であった。
素人の目からしても、それなりの理由が推察された。外洋から狭い港口を通って入り込む極わずかなうねりが、泊地内の縦横四辺
の垂直型岸壁に反射し、跳ね返しを繰り返すうちに波長が重なり合い「共振作用」を引き起こす。
共振した波は一層増幅を繰り返し、泊地内の海水はついに「暴風波」の状態へと変容するように思われた。
カリブ海地域には何故か捕鯨賛成派の国々が多く、国際場裏において日本の捕鯨政策を支持して来たことは日本の水産業界で
よく知られている。特に国際捕鯨委員会(IWC)において、日本がさまざまな捕鯨政策や諸提案を展開するに当たって重要なサポーターとなっていた。故に、日本にとってはそれらの捕鯨
賛成派国からの支持を取り続ける観点からも、今回のスプラッシュ問題について何の善後策も執らないという選択肢はなかった。
ドミニカ連邦だけでなく、周辺のカリブ海諸国が対日支持に後ろ向きになることを少しでも押し留めたいとするのは当然のことであった。この泊地問題を放置すれば
域内で好ましくないうわさが流布することになりかねず、外交上得策ではないはずであった。それに、漁港建設などの沿岸土木分野
で高い技術力をもつ日本のプライドにかけても迅速に善処する必要があった。
何故にこのようなお粗末な設計になったのか、また日本の技術力が疑われるような事態に至ったのかと思いたくなるのは
誰しも同じであった。だがしかし、そんな個人的な疑念は100%封印して、日本の外務省、水産庁、JICA、さらに本プロジェクトの
基本設計調査を実施したコンサルタントの責任とプライドに懸けて、芳しくない評判がカリブ海地域や捕鯨業界に広がるのを避ける
ためにも早期に取り組む必要があった。
泊地のスプラッシュ問題の報に接して以来、JICAでは何度か、かつての基本設計調査団関係者、水産庁漁港部技官やコンサルタント、JICA関係部署
職員などと協議を重ねた。そして、現地にコンサルタントと共に赴き、現況の把握などを行ない、日本がこの問題に無関心ではないことを示し、
誠意をもって具体的な解決法を希求するスタンスにあることを伝える必要があった。無業部でのトラブル・シューティングのため
これまで出張してきた地域は全て南西アジア方面であったが、初めて太平洋を越えることになった。今回ドミニカ連邦でこのトラブルがなければ、
無業部第二課として対応に乗り出すべくカリブ海の国へ出張することもなかった。
1999年(平成11年)4月中旬、コンサルタントと二人で出立した。マイアミで乗り換えてドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴや
プエルトリコを経由して、島嶼をホッピングしながらドミニカ連邦のロゾーへ辿り着いた。
外務大臣を表敬訪問し、その後水産局長と直に向き合いつつ意見交換を行なう場をもった。局長は日本側へ善処を強く訴えたいとの
心境にあったが、かなりセーブ気味であることが見て取れた。それでも、周辺諸国がこのスプラッシュに高い関心を払って推移を見守っていること、暗にカリブ海地域の捕鯨賛
成派諸国へ好ましくないメッセージを送ることにならないか懸念を抱いていることを示そうとしていた。それは日本側に迅速な善処
を要望するとの意思の表れであった。
その後局長室を出て、施設を見て回ることにした。その間にも、局長は日本側の善処についての何らかの前向きの発言やコミット
メントを慎重に見守っているようであった。ところで、
局長は生粋のドミニカ人ではないように見えた。どうも近隣国の出身者のようで、農漁業大臣に日本の前向きのスタンスを早く
報告したいとの思いがあったようだ。だがそれとは関係なく、私的には日本側にとっても誠意をもって今後の対処について
示唆しておくことが重要との思いがあった。
数日後には、水産局長は言い過ぎたと思ったのか、徐々に口調がソフト化し落ち着いた普通の様相に戻っていた。別れ際には何と、
「知り合いのダイビングショップに話しを付けておくから、ロゾーの地先の静穏海域に広がる美しいサンゴ礁の入り江でダイビング
でも楽しんで行ってはどうか」と、局長は半ば強引に勧め、私を慰めようとしてくれた。気を取り直して、カリブの海で心の重しを解き放ち
気を軽くして帰途に就くことにした。局長の特別の計らいの下、お勧めのショップに出向いてみると、フィン、マスク、シュノーケルなどを無料で借りることができた。
そして、局長のお叱りと懸念を暫し忘れて、安全とおぼしき静穏な入り江の片隅にそっと身を投じ、束の間のスキンダイビングを
楽しんだ。そこには与論島の海中世界に勝れるとも劣らない美しいサンゴ礁で覆われた「竜宮城」の世界が広がっていた。
JICA人生で初めてカリブ海のど真ん中で多彩色の美しい熱帯魚と小一時間ほど戯れる貴重な体験をした。
コンサルタントは引き続きロゾーに暫くの間居残り、泊地の岸壁の垂直式構造を改修するための設計案を練ることになった。
私はドミニカ連邦を所轄する在トリニダード・トバゴ国の日本大使館に立ち寄り報告するためロゾーを後にした。カリブ海地域の多くの島嶼国を兼轄
する日本大使館の立ち位置や周辺諸国の動きなどについていろいろ学び得るところが多かった。かくして、無業部業務第二課
での勤務において、トラブル・シューティングは南西アジア諸国ばかりに集中していたが、ようやく大洋を越えカリブの地に赴いた。
だが、同部同課での2年数ヶ月間の勤務でそれが最初の太平洋越えとなったが、また最後のそれともなった。
ドミニカ連邦のケースの場合、やはり海という自然相手のインフラ整備事業がいかに難しいかを如実に示していた。漁港などの沿岸土木
構造物の設計を行なう場合、その周辺海域の海流・潮流の流向や速さ、風向・風力・降雨・ハリケーンなどの気象条件、
波浪や潮位、海底の地形や地質、周辺の陸上地形や河川の海への流入状況やその土砂含有量、周辺海域での漂砂の質量や動きなど、
しっかりと把握した上で、漁港の規模・構造、船着き場・突堤・港口などの配置・規模・構造などを設計する必要がある。
設計上特に重要なものは、堆砂や共振現象による影響を最小限に抑制するとの観点から、通年における潮流・波浪、風向・風力などの
海象観測データである。適確かつ長期間にわたる実観測データがあればそれに越したことはないが、
途上国では、信頼のおける長期観測データはすこぶる少ないか、あるいはほとんどないことが多い。
ロゾーの漁港敷地の西側に接して小さな河川が海に注いでいる。その背後にはかなり髙い山々が迫っており、降雨は短時間に流れ下ってくる。その河口
では流水を少しだけ角度を変えて海に注ぎ出るよう導流するために、潜堤が設けられていた。その潜堤によって
流水が港の突堤の側面に直接強く当たらないようになっていた。つまり、その突堤から少しそれながら流出するようになっていた。
泊地の港口はその突堤先端部にあった。幸いにも、河川の漂砂がその突堤を回り込んで港口を閉塞させるという堆砂現象については、
当時局長との協議時にクレームを受けることはなかった。内心大いに安堵した。
一般論として港湾の構造設計に先立ち、海況などの十分な実観測がなされるのが絶対的に必要となる。だが、援助の実施期間は、
日本の国家予算のいわゆる「単年度主義」に強く縛りつけられているが故に、それらの観測期間として、5年や10年の長期スパンを確保する
余裕などはもてないのが実情である。
自ずと観測は短期間(半年~1年間ほど)にならざるを得ないことが多い。構造物の設計をするに際してそれらのデータが少ない場合、潮流・波浪や
含有土砂などの漂砂やその他の自然条件が沿岸構造物にいかなる正負の影響をどの程度たらすのか、科学的見地から適確に解析する
ことが難しくなる。そして、少ないデータでは、その科学的方法に資する重要なツールであるシミュレーション・モデルの有効性が低下
してしまう。
自然パラメーターのデータ観測が長期間となり、そのデータが多くなればなるほど、漂砂や堆砂の解析を含む海洋学的自然現象を
コンピューター上で精緻に再現できるシミュレーション・モデルを構築することができよう。その数値モデルの精度を高めるにはできる限り長期の
生の観測データが不可欠である。その髙精度モデルを用いることで、突堤や防波堤の長さ、向き、規模などを変えつつ、
堆砂現象などがどの程度引き起こされるリスクがあるかを解析することができる。
突堤などの構造物の規模・長さ・向き、泊地の大きさ・向き・構造、泊地への出入り口の幅や向きなどいろいろに設定を試しながら、
泊地内の静穏度や堆砂現象に関する影響度などについて、より実際に近いシミュレーションを試すことが可能になる。
そして、突堤や泊地などの建設コストとの兼ね合いを睨みながら、最適な構造設計を探ることが可能となる。
短期間の自然条件調査を基にシミュレーション・モデルを構築し、海況の実際を十分再現しえない精度の低い数値モデルによる
水理模型実験を試みることになれば、とんでもない設計上の瑕疵に繋がるリスクがあろう。より細かいメッシュを
作成し、そこにより長期で多くの海象観測データをインプットできればベストである。だが、調査期間が短期間だと実海域での観測装置
の設置は最少限のものとなり、観測用メッシュは粗くなりモデルの精度も低くなることになる。
海外での漁港設計上の限界を感じざるをえないところである。観測が長期となり、豊富なデータとなれば、その数値モデルは実際
の海況をより高い精度で再現できる。数値モデル構築には実データが最大の生命線であるといえよう。
さて一般論はこれくらいにして、帰国後何度か構造の再設計のための検討が重ねられ、最終的な改修設計案が練られた。垂直型の岸壁を取り壊し根本から改造することになった。
垂直岸壁の下部を刳り貫き空洞化する。その空洞に適度な斜路型コンクリート面を造作し、そこに消波用のテトラポッドを敷設するという
設計がなされた。うねりや波が入ってきてもそれらによって消波され、波の跳ね返りは大幅に抑えられ、共振作用が発生しないような
構造に設計し直したものである。かくして、工事は「第二期漁港整備計画」として無償援助の手当てがなされることになった。
その後、実際に修復工事がなされ、泊地スプラッシュ問題は完全に解決されたはずである。私は、構造設計の最終素案の検討段階までフォローした。その後は
人事異動のため、改修が無事完工したことはずっと後で知った。
ところで、業務第二課では、状況によっては急きょ対応のため現地に赴くことになるかも知れないトラブル案件を束ねた幾つかの
ファイルを引き出しにしまっていた。トラブルは多様であった。例えば、堆砂が深刻化し港内泊地が将来さらに埋まることになれば
どう対処するか。そんな「爆弾」を抱えるプロジェクトのファイルを引き出しに入れていた。当時からマスコミにも知られていた
ことであった。再び深刻化すれば小手指では対応しきれないものであった。因みに、それはスリランカの首都コロンボから数百kmほど南東にある「キリンダ漁港」での
泊地の堆砂問題であった。
日本の資金援助で「キリンダ漁港」を整備されたが、徐々に堆砂で港口が堆砂によって閉塞化し、漁船が入港・接岸できなくなった。
その後、堆砂浚渫船が別トラックで無償贈与され、堆砂が一通り除去され機能回復に漕ぎ着けたと聞かされていた。
他方で、防波堤を改修・新設するなどして漁港再整備の追加の協力がなされたという。だが、再び堆砂現象に悩まされているという
現地情報に接していた。再整備は根本的な解決策にはならなかったということらしい。もっとも、一般論として、浚渫などのメンテ
ナンスを行なわず港の泊地機能を半永久的に維持するのは普通は難しいことと言える。
スリランカでも漁業は地域開発の要であり、漁港はその中核を担うものであった。故に国レベルの議員にとっても、その
再整備は重大関心事であった。キリンダ港については、将来いつの日か堆砂問題が深刻化や顕在化し、何らかの大規模な再整備事業が必要となるの
ではという懸念が両国関係者の間で共有されていた。再び抜本的な再整備の要請がなされるのではないかと懸念しつつ様子見をしていたところ、
業務第二課から人事異動することになった。その後、どういう加減でそうなったのか不詳であるが、堆砂はすっかり港内から消失した
というサイド情報に接した。これも自然現象の摩訶不思議さである。港内の堆砂が港外へ吐き出され、機能が回復し漁船は
停泊できるようになったというのである。途上国で自然の海を相手にしながら沿岸土木構造物を建造するという漁港整備の難しさと
海の自然現象の不思議さを再認識させられるばかりである。
ところで、無業部在職中のエピソードではないが、ずっと後にまたもや漁港をめぐるトラブルに遭遇した。無償業務部に在籍して
いれば対応を余儀なくされていたに違いなかった。私は現地で対応することになったが、同部での過去の知見や経験を大いに活かす
ことができた。話は同部を「卒業」してから10年ほど後に中米ニカラグア
へ赴任した時(2007~2009年)のことである。首都マナグア南東のコスタリカとの国境近くにサン・ファン・デル・スールという漁港があった。太平洋側では最大の漁港であり、夏には海水浴客らで賑
わう同国随一の避暑地でもあった。ここに無償援助で漁港岸壁と荷捌き施設が建設されて5年ほど経っていた。それが余り使われていない
という確かな情報が寄せられていた。近い将来日本の会計検査の対象に取り上げられるかもしれないと言う懸念も風の便り
によってもたらされていた。
日本大使館も強い関心を払い、オルテガ大統領や水産庁長官らに善処を強く申し入れていた。JICA事務所も大使館の指揮と連携の下
真剣に対処することになった。ニカラグアの水産庁関係者らに原因究明を申し入れる一方で、現況と真因を探るための方策について真剣に
模索し続けた。原因究明策として、我が方でも現地コンサルタントに調査を委託すべく、調査内容や条件(タームズ・オブ・レファレンス; terms
of reference; T/R)をしっかり練り上げた上で実施に及んだ。その結果真相が見えてきた。
何故漁民は漁港の岸壁に漁船を寄せて、荷捌き場に漁獲物を陸揚げしないのか。そこにどんな課題が潜んでいるのかを究明することが先決であった。
漁港施設整備の資金援助がなされても、漁船や漁民による陸揚げが余りなされず、同港施設での水揚げ量が基本設計でプロジェクションされたよう
に伸びない場合、結果的ではあるが水揚げ見込み量を過大に目標設定したことになり、過大な施設を整備したのではないかと、
問題視されることになりかねない。
調査結果の骨子はこうであった。漁港の沿岸・近海における漁獲高が近年振るわず、漁船団の多くが全く別海域、例えばカリブ海側の
水域へ移動したために漁獲量が減少するに至ったと言うのである。データからはその傾向を多少は読み取れた。それまでの沿岸・近海漁場
での漁獲量が乱獲か自然現象のため減少し、操業の持続可能性を保持し難くなれば、漁港施設での水揚げも自然と下降線を辿り、
当初の計画通りには推移しない懸念も示された。それも要因であろうが、より直接的な他の要因も考えられた。
ニカラグア国では海浜をベースに日帰り操業をするのはたいていが貧しい零細漁民である。船外機は7,000~8,000米国ドルもする。
ボート・船外機を自己所有する漁民はほんのわずかである。一人当りの国民年間所得が1,000米国ドル(2009年当時)そこそこの貧しい
ニカラグアでは、それらを自己所有することは夢物語に近いであろう。
一般的には、仲買人がボート・船外機・漁網などを所有していることが多い。漁民は仲買人からそれらを借り受け、しかも燃料費、
餌代すらも仲買人から融通してもらって出漁する。当然ながら、漁獲物はそれらの資本財を所有し、それらの貸し手である
仲買人に引き渡される。仲買人が漁民を金融財政面に支配するという構造になっている。
それでも零細漁民にとっては、何はともあれ家族を養い生計を維持することが死活的に大事なことである。零細漁民がそのような社会経済的
構造や図式から脱却して、その貧しさから抜け出すことは容易なことではない。
さて、漁港の荷捌き場のことに話を戻すと、零細漁民が用いるボートや資材は、大抵の場合地元の仲買人から借り受けたり、
資金の融資を受けて購入したりしたものである。また、漁船の燃料などの操業費も同様に、その返済のために漁獲物を仲買い業者
らの指示通りに陸揚げし引き渡すという社会状況になっていることが多い。一方で、仲買人は漁港の施設使用料を節約するため、その荷捌き
施設を使いたくないとか、また施設内の貸し部屋を事務所として借り上げることを避けようとする。他方、漁民は仲買人らの意向や
指示の下で従前通り時に炎天下にて浜辺に陸揚げし、相対取引を行なうことが未だに多いというのである。
更にいろいろな抑制的条件が浮かび上がり、それらを踏まえつつニカラグアの当局へ申し入れるべき提案をいろいろ模索した。日本大使館を通じ
大統領や水産庁長官などに、水揚げや取引に関する指導・監督の強化、施設利用上のインセンティブを惹起するための増進策の検討、
零細漁民への何らかの支援など、様々な有効な施策が取られるよう提案もした。そして、現地の関係機関や当事者がその後も協議を
通じて善処してもらえるよう努力を続けた。
原因を探りそれを理解すればするほど悩みも深くなることも多々ありがちであるが、有効な方策を見い出し解決に向けて共に進むこと
が最も近道である。このニカラグアのトラブルも、ドミニカ連邦やスリランカのそれらも、日本の会計検査院の調査対象案件となり、国会への検査報告
の一項目となり既に公にされている。
さて、無業部で数百件のプロジェクトの「実施促進」に向き合い、また時にはトラブル・シューティングに取り組んで来た
が、その醍醐味に悦を感じているどころではない前代未聞の不正事件に直に巻き込まれた。ブータン東部地域の「国内通信網整備
プロジェクト」を巡る大事件であった。その不正事件が朝日新聞社によって特ダネとしてスクープされた。他の日刊全国紙が間髪入れず追いかけ、
さらに紙面を飾り立てることになり、JICA設立以来2回目となる一大スキャンダルとなった。JICSから復帰して一年余を経た1998年6月
のことであった。以来、ブータンへの新規の二国間無償援助は無期限で見合わせとなった。次節でその事件の顛末について概略
することにしたい。私自身の人生観に少なからずインパクトをもたらすものとなった。
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