ブータン不正事件に関する最初のマスコミ報道から半年ほどが過ぎた。世間からは遠い過去のこととしてすっかり忘れ去られていた
1998年11月のある日のこと、外務省は、事件当初にマスコミに公約していた通り、事件の調査結果とコンサルタント(NTC)・機材納入業者(三井
物産)への行政処分について公表した。JICAにとっても、事件は同公表をもって一区切り付けられたことを意味した。もっとも、
会計検査院は本事案をどう取り扱うつもりなのか、その予測はつかないままであった。また、ブータンへのODA再開の見通しに
ついても全く立たないままであった。
さて、「無償資金協力業務部」(無業部)で「実施促進」業務に携わっていた頃、JICA内部では、50年に一度あるかないかの
ような組織・業務体制の大改革のうねりが押し寄せていた。「無償資金協力調査部」(無調部)と「無償資金協力業務部」とが
合体・統合化され、新たに「無償資金協力部」が設置される方向であった。しかも、それさえも暫定的な措置であった。そう遠くない
将来には、その新設の協力部さえも姿を消すことになるという、大胆な青写真が描かれていた。
それまでのJICAの組織・業務体制のマトリックスと言えば、縦軸に事業形態別(スキーム別)および分野別に雑多な事業部が配され
混在化していた。例えば、無償資金協力の基本設計調査や実施促進を担う二つの事業部、専門家派遣
を担う事業部、研修員の受入れを担う事業部、ボランティア派遣を行なう「海外青年協力隊(JOCV)」の他に、農林水産、社会開発(職業訓練、教育、道路・鉄道・港湾などの社会インフラ整備
など)、鉱工業、医療・保健などの各分野ごとに、開発調査もしくはプロジェクト方式技術協力(専門家派遣・研修員受け入れ・機材供与をワンセットに
した協力事業)を担う事業部などが配されていた。それ以外は、人事・企画・経理・調達などの官房部門が協同して事業部を支えていた。
横軸を構成していたのは、各事業部内に配置されていた国別やサブ地域別の担当者らであった。
因みに、無償資金協力事業では、援助実施に関する「交換公文(E/N)」の締結以前になされる事案の「基本
設計調査」と、それ以降になされる「実施促進」業務を担う2つの事業部門によって分担されていた。前者は分野に応じて基本設計1、2課に分けられ、
その下で国別・地域別担当者が調査を担った。後者は業務第1~3課と単純に国別・地域別に分けられていた。私が属していたのは
東アジア・南西アジア・中南米カリブ海地域を担当する業務第2課であった。
組織・業務体制の大改革の基層にあったのは、「政府開発援助(ODA)」に大きなメスを入れ、その質的改善を図るという強い社会的
要請であった。ODA予算は、1997年に米国を追い抜き世界のトップドナーの地位にあった。だが、既に1990年代初めには高度経済成長の
バブルがはじけ、日本全体が経済的デフレや景気低迷状態に陥っていた。日本社会全体がダウン・サイジング(規模縮小化、縮み現象)の方向にあった。そして、
国家財政は厳しさを増していた。ODA予算は、1997年をピークにして削減される傾向が顕著になりつつあった。ODA予算が縮減される一方で、
その使い方において一層の効率化や質的向上、並びに「目に見える成果」が求められていた。被援助国の重点課題をより絞り込んで、
援助の効率化と質的改善の徹底を図ることが至上命題となっていた。
他方で一般論として、途上国が求める援助ニーズは益々多様化していた。当時のODAを巡るキャッチフレーズとして、「援助の量より質」そして
「援助事案の選択と集中」が何かにつけて叫ばれていた。かくして、
JICAにおいては、役職員一丸となって、技術協力のあり方、組織や業務体制の見直しに真剣に向き合っていた。
組織・業務体制の大変革はJICAだけの議題ではなく、ODAの実施・監督官庁である外務省にあってさえその執行の全面的見直しとも
密接に連環していた。
時代の要請に応えるために、従前からのODA実施体制の抜本的改革プランとして、「国別・課題別アプローチ」を徹底的に強化
することが模索された。国・地域ごとに解決すべき課題に対して重点的に国家予算と人的資源を投入すること、そして課題
解決を図るためのベストな事業形態別ミックス(選抜と配列)や横断的アプローチが求められた。そして、国別・地域別
にそれらの事業ミックスとアプローチの総合的調整を担う「地域部」を徹底して強化するという改革プランでもあった。
改革の中核として、国別・地域別の部課をJICAの援助事業のいわば「総合調整役・司令塔」に据えることを意味していた。
ざっくりと言えば、横軸には途上国での課題解決に取り組む「課題別事業部」を配し、縦軸には国別・地域別の司令塔を配すると
いう基本構図が描かれた。
そして、分野別の課題解決を担う各事業部では、将来的には、あらゆる事業形態・スキームのベストミックスの下、その運用を
フルウイングをもって展開し援助に当たる。そして、ベストミックスによる相乗効果を確保し、最大限の援助成果を発現させる
というものである。
従前来の細分化された事業形態別・スキーム別の援助実施体制を大きく改変することになる。事業部門のうちの一部については
従前のまま残されるが(因みに、無償資金協力事業、JOCVなど)、横軸には課題解決別アプローチにチャレンジする事業部
(農村開発、自然環境保全、中小企業開発、人間の安全保障、社会インフラ整備、鉱工業開発、教育開発、医療保健など)が配され、
縦軸には国別・地域別の「総合調整・司令塔の機能」を果たす四地域部(アフリカ・中近東、アジア(東南アジア・南西アジアなど)、
中南米)が配されることになる。
途上国の多様化したニーズに応えるため、また課題に真正面から取り組むために、JICAが培ってきた事業形態・スキームのベストな
組み合わせをもって援助を執行することが期待される。しかも、課題解決のためのベストなスキームの組み合わせ、即ち無償資金協力、
開発調査、プロジェクト方式技術協力、投融資、専門家派遣、研修員の受け入れ、機材の供与、JOCV隊員の派遣などをもって支援し、
その相乗効果を引き出しながら成果の最大化を目指すというものである。プロジェクトの成果を上げるには、協力スキームのベスト
ミックスだけでなく、それらの執行の時系列的な配慮も重要となる。
一人の専門家の派遣だけでも一つのプロジェクトと位置づけられる。研修員一人の個別研修あるいは集団研修コースへの組み
入れであっても一つのプロジェクト、特別コースの設定による複数人の研修員受入れでも一つのプロジェクトと位置づけられる。また、無償資金協力やプロジェクト方式技術協力でも一つの
プロジェクトと位置づけられる。そして、ここに新たな援助概念が導入される。即ち、ある大きな課題解決のための取り組みを一つの
「プログラム」と位置づけ、その下に複数の多様な「プロジェクト」が投入されると言うものである。一つの課題解決
プログラムの中に有用な複数のプロジェクトが包摂される。スキームの異なるプロジェクトの集合体全体が一プログラムと位置づけられる。
今後は、一つのプログラムが解決されるべき一つの社会的課題とイコールとなり、
その下に複数のプロジェクトのベストミックスが配され執行されることになる。
援助事業の司令塔をなすのは、四つの地域部であり、その傘下に配される国別あるいはサブ地域別の担当者である。
特に地域部の重要な役割は、課題別事業部と密接に協働して、国別の援助重点分野に沿いつつ最良最適のプログラム及び
プロジェクトの採択と、それへの予算配分をなすことである。課題別事業部はベストな事業形態・スキームを有機的に組み合わせながら、
援助の相乗効果の発現を目指すことになる。当然のことながら、JICA在外事務所は、現地日本大使館の指導と協働の下、当該国の
重点分野や解決課題に沿いつつ、最適のプログラムやプロジェクトの発掘・形成に汗を流すことが従前以上に求められることになる。
さて、無償資金協力の2事業部(無調部と無業部)も改革対象の例外ではなかった。新設される「無償資金協力部」すらも
行くいくは廃止されると言う。同部の廃部後は、無償資金協力事業、そのスキームは各課題解決事業部に移管される。そして、
そこで課題別プログラムの中の一つの事業形態(スキーム)別プロジェクトと位置づけられ実施されると言う。
当座の改革としては、無調部が実施してきた「基本設計調査」と、「交換公文(E/N)」を取り交わした後に無業部が実施してきた「
実促業務」とを統合し、調査と実促を一気通貫で行なうという構想の下に、「無償資金協力部」が創設されるという計画である
(実は、JICAにはかつてそういう時期もあった)。
そして、行くいくは同部自体をも解体して、当該無償事業を課題解決ツールの一つとして組み入れると言うアイデアである。
かくして、無調部と無業部は統合されたが、過渡的措置として、現行の無償協力プロジェクトはその進捗のフェーズに応じて二つ
のグループに仕分けされた。
既に援助の「交換公文」が両国政府間で締結済みであるものの施設建設施工業者や機材調達業者が未だ選定されていないプロジェクト
については、過渡期対応として、「無償資金協力部」内に設けられる「無償資金協力部準備室・業務特別グループ」という「フォロー
アップ特別チーム」が全てを引き取ることになった。そして、同案件の施工・調達業者を選定するための入札が完了し、かつ被援助国政府と
業者契約が締結され、同契約に対するJICAの事前認証審査が終了するのを見届けるまでは、同特別チームが引き取り認証完了までの
実務をこなすことになった。そして、審査が完了した暁には、「無償資金協力部」が当該案件を引き取り「実促業務」を担っていく
手はずである。
他方、「基本設計調査」を実施中であるものの、未だ「交換公文」の締結が完了していないプロジェクトについては、そのまま
「無償資金協力部」に引き取られていく。他方、今後要請されてくる新規案件については、
課題解決に当たる担当事業部が国別・地域別事業部とタグを組んで、案件採択の可否検討段階からマネジメントしていくことになる。
さて、無業部のしんがりを務めた「業務特別グループ」のフォローアップ特別チームは、1999年6月からの4か月間において
その特別任務を終え全てのプロジェクトを「無償資金協力部」へ引き渡した。そして、同チームはその引き渡しと同時に廃止され、
さらに「地域部準備室・フォローアップグループ」へと改組された。その後すぐさま、我々のフォローアップグループは、同年9月
から技術協力関連のフォローアップ事業を担い、かつアジア部に属していた「フォローアップ室」と統合された。なお、同フォロー
アップ室は全地域部を横断的に束ねる管理課をその傘下に有していた「アジア部」に配置された。ここに、技術協力と無償資金協力の2つの
フォローアップ事業が名実ともに統合化された。
フォローアップグループの何名かは、私を含め、そのフォローアップ室へと人事異動した。
私は、1999年6月(平成11年)から、無償資金協力部準備室の「フォローアップ業務特別グループ長」という、暫定的なポストを
与えられることになった。そして、同年12月からは、地域部準備室の「フォローアップグループ長」へと所属部換えとなった。
正式にリスト化すると以下の通りである。
・ 1999年6月-1999年8月 平成11年6月-平成11年8月 無償資金協力業務部 フォローアップ業務課長 兼 無償資金協力部
準備室・業務特別グループ長。
・ 1999年9月-1999月12月 平成11年9月-平成11年12月 無償資金協力業務部 フォローアップ業務課長 兼 地域部準備室・
フォローアップグループ長。
かくして、JICAとしては初めて、「全ての被援助国」を対象とし、また「ほとんど全ての事業部」や「事業形態・スキーム」を対象とし、
更に「あらゆる分野や課題」を対象とするフォローアップ事業が統合され一本化されることになった。我々職員はそんなフォローアップ
関連業務に矜持と遣り甲斐をもって向き合った。無償資金協力だけでなく、技術協力の過去10年ほどの全ての案件を対象にしてフォロ
ーアップ事業を履行することになった。フォローアップ室の特に若手職員にとっては、全事業部の職員と仕事上の接点をもつことになる。
業務を通じて他部職員との出会いや人間関係の構築・人脈づくりにつながることが期待された。基本的には国内外の全職員と
接点をもつ潜在的可能性を擁していた。それは人的資産形成上またとない好機に恵まれるものであった。
フォローアップ業務には過去の事業形態に応じていろいろなの事案が対象となったが、最も典型的なのが無償資金協力案件
(施設・構造物の建設、機材贈与)やプロジェクト方式技術協力案件、単独の機材供与案件などに関するものであった。
フォローアップとは何をどうするのか。無償資金協力や技術協力において供与され何年も使われてきた機材は、経年劣化により機能が低下したり、
いろいろな不具合が発生したりする。自然災害で供与施設が損傷を受けることもある。
被援助国は、基本的には自身の所有財産として自前で修理し、機能回復や再活用に務める。だが、国家財政の逼迫による修理費不足
のため、その維持管理が困難になったりもする。また、機材の故障診断やパーツの特定そのものが困難であったりする。
また、日本製がほとんどなので、修理技術者やパーツは当該国内ではアクセスが容易でないことが多い。それ故に、JICAは技術者を派遣し、
機材の診断やパーツの特定などに側面支援したり、修理そのものを支援したりする。また、損傷を受けた施設や構造物については、
調査団を派遣し、損傷箇所の修復計画を立案し、時改めて修復と機能の再生化を試みる。施設や機材が再び活用され、「国づくり
人づくり」に生かされるよう側面支援するというものである。
フォローアップには他の案件にはない大きな特徴がある。援助要請を受けてからの対応の迅速性である。通例援助の実施に当たっては、両政府間で
何らかの合意文書が取り交わされる。要請から実施の運びとなるまで最低1年以上要することがざらである。ところが、フォローアップの場合は、
改めて合意文書を取り交わす必要性は認められないというのが基本的スタンスである。
過去にプロジェクトを実施するに際して政府間で協力に関する合意が既に何らかの文書をもって取り交わされているので、フォローアップ時に
改めて取り付けることは不要というものである。
要請の審査も事実上フォローアップ室でなされる。施設修復や修理する機材のパーツが総額3千万円以下の場合ならば、外務省に事後の実施状況報告を
提出することで対応していた。金額がそれ以下であれば、本部でパーツなどを調達しすぐに購送できる。あるいは事務所へ資金の示達が可能である。フォローアップ
事業の迅速さからも被援助国や在外事務所にすこぶる感謝され、髙い評価を受けることが多い。
案件は数多あった。フォローアップ室が全ての案件を集約的にマネジメントしているので、迅速性・効率性が高い。だが、フォローアップ
の理念上はそれで由とするのか疑念なしとはしなかった。在外でのプロジェクトの発掘・形成→ 計画立案→ 実施 → 評価・フィードバック → フォローアップ
という「プロジェクト・サイクル」の中にフォローアップをしっかりと位置づけ、かつ
プロジェクトを計画し履行した課題解決事業部自身がフォローアップするのがベストである。それがプロジェクトのサイクルと論理
の観点からして最も適うところである。プロジェクトの計画から実施、評価、フォローアップまで、一つの課題事業部が全責任を
もって一気通貫で運営管理でき、より効率的な事業実施となる。現下では、過渡期としてフォローアップ室で集中・効率的に履行するのも止む得ないが、
フォローアップ室の思いとしては、課題事業部による全プロジェクトサイクルの実践が理想的であると描いていた。
将来、いつの日かその理念が具現化されることを願い、事あるごとに論を説いてきた。当時進行中の大改革も、そのサイクルを
確立することで初めて完結できることになると確信していた。当時はフォローアップ業務の統合化が緒に就いたばかりであったが、
時移り業務体制の改革が組織内で定着化していく過程で、そのサイクルの完結に向けた動静を感じとれなかった訳ではなかった。
だが、プロジェクトサイクルの理念が受け入れられ、フォローアップ事業が各課題解決事業部に引き取られ、サイクルの
一環として包摂されるに至ったのはかなり先の事であった。
ところで、フォローアップ室に在職中のある日、人事課長とトイレですれ違った時のこと、またしても独り言を発した。
「アルゼンチン赴任から帰国して既に13年になり、以来ずっと新宿勤務で塩漬けの身である。そろそろ海外の協力最前線にまた赴任
したい」と呟いた。その一言が聞き入れられたのか、その後暫くして、南太平洋のある国への赴任の打診があったが、中南米赴任に
こだわった。結局南米パラグアイへの赴任につき内々示があった。事務所ではなく同国の大統領府へ派遣される専門家の話であった。
随分先の話になるが、3年後にパラグアイから帰国して配属された部署が何とフォローアップ室であった。
人事部の判断としては、前回でのフォローアップ室在職が余りにショート過ぎるとのことであろう。だが、同室にはそれほど長くは
留まれなかった。というのは、再び海外赴任の命令を受けたからである。今度は、何と「アルコール、映画館、コンサートも〝ゼロ″」
の究極の異形の中東産油国サウジアラビアへの赴任であった。若い時に「アルゼンチン漁業学校プロジェクト」への赴任に当たって
人事部に「貸し」を作ったが、それを完全に返してから退職するようにという人事部の最後の「思いやり人事」であることに後刻
気付かされた。
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