アラビア半島の時計回りの旅は続く。サウジアラビア赴任は2年目に入り、一旦時計回りの旅を中断した。そして、長期休暇取得
制度を利用して、家族と共に北欧へと足を伸ばすことにした。その後は計画通り時計回りで、シリア、イラク、クウェート、イラン
方面へと、たとえ2、3日の度であっても続けたかった。だが、いずれの国もJICA内規に触れて私的旅行は御法度であった。そこで半島と
北欧との延長線上のほぼ中間地域にある南欧のコートダジュールとリビエラ海岸にその針路を見定めた。
南欧の地中海沿いの海風景に憧れ、またモナコの「海洋博物館」を赴任中に是非とも訪ねたかった私にとっては、本音で言えば願ったり
叶ったりの「針路変更」であった。
2006年12月26日から翌年1月4日までの年末年始休暇と有給休暇を活用した。前者の休暇をメインに、
わずか数日の有給休暇をプラスしてのことであった。同僚所員の休暇取得時期と十分調整を図ったことは言うまでもない。
かくして、憧れの的であったコートダジュールを含む南欧地中海沿いの諸都市をようやく訪れることになった。
後で知ったことだが、コートダジュールとはフランスのトゥーロンを西端にしてイタリア国境までの地中海沿岸のことを言うらしい。
そこからジェノバ辺りまでがリビエラ海岸となるという。
こうしてリヤドを起点にした時計回りの旅は、少し西寄りに「針路」を戻しつつも、半径距離としては中東から大幅に
伸び、南欧沿岸まで遠出することになった。マルセイユを起点に、先ずニース、カンヌ、モナコなどの諸都市、さらには
ジェノバやベネチアのかつての中世海洋都市国家に足をのばした。短期であってもまだ見ぬ南欧の地中海沿岸を散策できること
は至福であった。イタリアの幾つかの目ぼしい海洋博物館も巡りながら、海と船の風景の中で戯れることができた。特に世界的に
有名な「モナコ海洋博物館」は憧れの的であり、訪問目標の筆頭であった。12月26日、リヤドからフランクフルト経由でマルセイユに向かった。
マルセイユは美しい港町であった。マルセイユの空港に下り立ち、路線バスで市内に向かった。終着のバスターミナルで下車、
その足で旧港(Vieux Port)のある方向を見定めながら坂道を下る途上で目途とするホテルに辿り着いた。街に出掛ける準備を手際よく整え、
旧港方向に歩を進めた。旧港を起点としながらマルセイユでの土地勘を養うためであった。先ずは旧港のウォーターフロントの地中海的港景
を眺めたかった。旧港はマリーナと沿岸漁港として利用されていて、船溜まりには大小各種の数多のヨット、クルーザー、小型漁船
などが係留され、燦々と降り注ぐ陽射しの下、南欧の明るく華やいだ雰囲気を醸し出していた。 マリーナの岸壁沿いにぶらぶらと
港口辺りまで散策した。「砂漠の国」から来た「異邦人」にとっては、最高の目の保養と酸素補給であった。潮風を頬に受けつつ、海の
香りに満ちた空気をしっかりと吸い込みながら、南欧の「文明と文化」に包まれて暫しの至福の時を過ごした。
翌日朝方に、もう一度旧港のウォータフロントに出掛けた。漁から戻って来た何艘かのボートが岸壁に横付けとなり、獲って
来たばかりの魚介類を水揚げしていた。岸壁傍の広場では、その新鮮な魚介類を売る朝市が開かれていた。売り子たちはタラ・カレイ・
エビなどを1メートル四方のプラスティック製トロ箱に氷水を入れて浸し、それを簡易の屋台に並べ威勢よく売りさばいていた。その傍ではマルセイユの例の有名な
ブイヤベースを客に勧めていた。太っちょ漁師が漁労ボートの甲板上で刺し網などの漁具の手入れに余念がなかった。
クリスマスも近いこともあってか、どの漁師の顔にもスマイルが溢れていた。
旧港の岸壁に沿って港の入り口(港口)方向へと足を運ぶにつれて、「サン・ニコラ要塞(Fort Saint Nicolas)」を間近に見上げるように
なった。その昔、港を海賊や敵船から防御していたのであろう。その要塞の対岸にある高台には「サン・ジャン要塞(Fort St-Jean)」
が建ち、両要塞が港口の両サイドから睨みを効かせていた。港口の先には地中海が大きく広がる。そして、港口から数海里の沖合には
デュマの小説「岩窟王」で有名な「イフ島(Ile d'If)」が浮かんでいる。その「イフ島」を最も間近に視認できる岬までもう少し
足を伸ばし、その岬の絶壁上に立ってイフ島を遠望した。「イフ島」には主人公のモンテ・クリスト伯が入っていた牢獄がある。
マリーナ界隈を歩き回り疲れてはいたが、住宅街の家々に施されたクリスマス飾りに誘われて、坂道をはうようにして登り続けた。
その見上げる先の小高い丘の上には「ノートルダム・ド・ラ・ギャルド寺院」が建つ。
大寺院は丘上にそそり立つので、市街のどこからでもその荘厳な姿を目にすることができた。そしてまた、大寺院からはマルセ
イユの街全体、360度のパノラミックビューを楽しむことができた。オレンジ色とレンガ色の二つの彩色で統一された家々が
ぎっしりと詰め込まれ、まるで超巨大なジオラマを観るようであった。その美しい街並み風景は生涯忘れることはないものの
一つとなった。
眼下にはマルセイユのプロサッカーチームの練習用ピッチと思しき施設もピンポイントではっきりと捉えることができた。遠くには
起伏の緩やかな山並みが連なり、オリーブが生える緑の絨毯が波打っているかのようであった。しかし、グリーンよりも茶色系の
山肌が多く露出しているところもあり、いわば穴だらけの絨毯と言えた。北の山並みの背後にはブルースカイが、その逆の南の方角には地中海の
紺碧の海が広がる。大寺院からのそれらのパノラマ的景色の美しさに魅了され、小一時間も戯れていた。眼下には旧港全景だけでなく、
大型客船などが停泊する新港や、その界隈に建つ大聖堂なども眺望できた。
先ず、旧港から徒歩15分ほどの距離の内陸部にある「マルセイユ海洋・経済博物館」を訪ねた。フランスの本格的な海洋博物館の
見学は事実上初めてであった。いつの旅のことか全く思い出せないが、パリのセーヌ川を見下ろす「シャイヨー宮」にある「海洋博物館」
に立ち寄ったことがあった。数多くの戦列艦の大型模型の展示に圧倒されたという記憶だけが残る。だが、何故だかそのことくらい
しか記憶がない。夢の中で見たのではないかと思えるほどである。館内での写真撮影が禁止されていたのか、当時の写真が一枚も残って
いないからであろうか。
さて、マルセイユの海洋博物館の広い館内をじっくり時間をかけて巡覧した。20砲門を備える19世紀のコルベット艦や、19~20世紀の
遠洋航路定期船・油槽船・貨客船・外輪船などの各種汽船の模型、木造帆船の船体構造模型やハーフモデル、マルセイユ港の昔の波止場
を描写する風景画、19世紀の機帆船の絵画、六分儀・望遠鏡などの古航海用具、年代ものの潜水用具や船首像などが展示されていた。
最も印象に残った展示品は、16~18世紀にかけて、マルセイユの都市が港を中心に整備されてきた歴史を知ることができる
古い絵図の数々。1935~42年頃にル・アーブルとニューヨーク間の大西洋横断定期航路に就航していた、当時最も豪華な客船と
称えられた「ノルマンディ号」の大型模型。また、1785~93年頃に活躍した、片舷60砲門を装備した荘厳で優美な大型武装商船
の模型など、大いに魅了させられた。フランスならではの独自の陳列品も数多く巡覧することができた。屋外では「コメックス」
という実験用潜水砲塔らしきものが展示されていた。
その他事前に見学リストに列挙しておいた博物館を訪問しようと、寸暇を惜しんで駆けずり回った。まず、旧港のすぐ近くに
あるローマ時代の遺物を展示する「ローマドック博物館」を訪ねた。遺物は古代ローマ時代の船着き場の跡地から発掘された。
アフリカ北岸を含む地中海の他地域から運ばれてきた魚類、穀物類、果実類などの商品がアンフォラなどに詰め込まれた。
各地へ海上輸送され、また各地から運び込まれたことを示している。
それらの商品を貯蔵・保管する何百体もの大型貯蔵用の壺(アンフォラ)が船着き場の隣接地から発掘された。その発掘現場のジオラマ
をはじめ、桟橋に係留されていたローマ商船を復元するジオラマが陳列される。
ローマ時代にはいろいろな形や大きさのアンフォラが
用途に合わせて使われた。アンフォラはワインや塩漬けにした魚類などの運搬・貯蔵にも使われた。マルセイユ近隣のそんな船着き場
や沿岸海底から発掘されたというアンフォラが用途別に大きく3つに類型化され展示される。
また、引き揚げられた釘類、食器類、古代の錨などが展示される。現代では考古学的知見が進歩していて、古代アンフォラが陸地や
海底で発掘されると、その特徴などから生産年代や生産地が同定されるといわれる。
更に、「マルセイユ歴史博物館」へも足を運んだ。ローマ時代の木造帆船が部分的に復元され、その船舶構造を学ぶことができる。
アンフォラで埋め尽くされた船艙のジオラマ、海底から発掘された船底キールの部分的展示などを通して、ローマ時代の船舶構造
や海運事情の一端を学ぶことができる。博物館は「ブルスセンター(Centre Bourse)」というショッピングセンターの地下1階にあって、
非常に見つけにくかった。
中核の展示はBC3~2世紀の古代ギリシャ時代のマルセイユを再現する大型ジオラマである。現在の旧港の周囲、特に西側のウォーター
フロントとその後背地区に発展していたことを示しているようだ。つまり、かつての入り江(現在の旧港)奥の西側にガレー船の屋根
付き造船・修理工廠があった。そして、入り江内には数多くのガレー船や商船が浮かんでいた。また、入り口西側突端には城塞が造営されていた。
なお、旧港地区から数kmほど離れた山手に所在する「自然史博物館」にも立ち寄ったことだけ記しておきたい。
かくして、マルセイユを後にしてニースを目指した。マルセイユから数10km先の地中海沿いの港町トゥーロンにある「海洋博物館」
に立ち寄りたかったが、旅程の都合で止むえず素通りしニースへ直行した。ところが現地で、
ニースの「海洋博物館(Galerie de la Marine)」は閉館していることを知りがっかりした。しかし、カンヌに新しく海洋
博物館が創建されているとの情報に接した。カンヌへは翌日引き返すことにした。
その日はお上りさんになって、テレビ番組でよく映し出されるニースのコルニッシュ(海岸通り)沿いにそぞろ歩きをした。ニース
のコートダジュールは、意外なことに、砂浜ではなく小石ばかりでできた海岸であることに正直驚いた。
海辺で思い思いに戯れる大勢の観光客に混じって、地中海の潮の香りを満喫しながら贅沢な時間を暫く過ごした。
海岸通りの先にある岬を回ってみると、背後から山が迫る奥行きの深い峡湾となっていて、そこに美しいマリーナがあった。数多の豪華なヨット
やクルーザーが繋がれ、まさに華やかなコートダジュールのマリーナ風景がそこにあった。その後「ニース自然史博物館」の近くを経て、
ニース駅前の投宿中のホテルに戻って、明日からの旅のプランを練った。
翌日ニースから列車でカンヌへ戻った。カンヌ市街中心部を通り抜け、旧港の「ロービュフ埠頭(Quay Leaubeuf)」へ向かった。
そこからフェリーですぐ沖合に浮かぶ「ルラン諸島(Iles de Lérins)」の一つ「セント・マーガレット島」
へ渡った。上陸後「フォート・ロイヤル」へと足を向けた。そのロイヤル要塞の一部が「海洋博物館」として新館のような装いへと
改造されていた。主には紀元前1世紀から後10世紀に沈没した船から引き揚げられた考古学的人工遺物が展示されている。じっくり館内を見学すること
ができ、ニースとカンヌでの博物館巡りに少しは満足感をえることができた。さて、再びニースに戻ったが、未だ日没まで時間が
あったので、マルセイユに次いで充実した「自然史博物館」を見学することにした。魚類・貝類・軟体動物などの剥製標本、海洋哺乳類の骨格標本、魚貝類の
化石などの展示を巡覧し、数多くの画像を切り撮ることができた。
その後12月30日、ニースからモナコへ向かった。モナコのモンテカルロ駅は、山陽新幹線の新神戸駅のようにトンネル内にあった。
たまたま駅ホーム後方の改札口から出て、「フォンヴィエイユ(Fontvieille)」地区へと歩を進めた。それが幸いした。急な
勾配の斜面には何層かのテラスが造作されていて、どのテラスからも眼下に地中海を見下ろすことができた。各層のテラスには
瀟洒なレストランやカフェが建ち並んでいた。そして、偶然にもあるテラスで「船の博物館(Musée Naval)/所在: Les Terrasses
de Fontvieille)」を見つけた。
訪問予定のリストには網羅されていなかった博物館であった。折角なので館内へ足を踏み入れてみたところ、びっくり仰天であった。
歴史上著名な船の洗練された模型ばかりで、どれをとっても精巧に製作され、「モナコ海洋博物館」やフランスの国立博物館で展示
されていてもおかしくない。選び抜かれた見事な模型ばかりであった。目を見張るような展示に驚嘆を禁じ得なかった。
古代フェニキアのガレー船や商船の模型、古代エジプト・ハトシェプトの船模型、紀元前14世紀の古代ヘブライの商船模型、古代
ギリシアやローマ時代のガレー船や商船模型、片舷25櫂装備のペンテコンター(一種のガレー船)模型、カラック船・ポルトワイン
運搬船の模型をはじめ、日本の北前船・戦艦「大和」・古代韓国の亀船・中国のジャンク船模型などの東アジア諸国の軍艦船模型、その他1776年のブッシュネル
の潜水艇模型、1798年のフルトンの「ノーチラス号」模型、米国軍艦「モニトール号」の模型、「タートル」という卵型をした人力式
潜水機、ローター船、ヘイエルダールの「ラー号」などの模型、バイキング船・大西洋横断豪華定期客船「フランス号」・「タイタニック号」などの
模型、デンマークやチリの航海訓練帆船模型などが、館内に所狭しと溢れんばかりに陳列されていた。
模型を一点一点丁寧に切り撮れば丸1日を要するほどであった。予定外の博物館見学で時間を大幅に費やしていては、肝心
要の「モナコ海洋博物館」の見学時間が無くなってしまうと、後ろ髪を引かれながら1時間ほどで船舶博物館を切り上げた。そして、
世界的に有名な「モナコ海洋博物館と水族館(Musée Océanographique de Monaco et Aquarium)」へと急いだ。「アルム・パレス(Place
d'Armes)」から狭い石畳の坂道を数百メートル上ると「モナコ大公宮殿」に出た。「ヘラクレスの門」から絵葉書に写し出される
に相応しい華麗なマリーナを見下ろした。その背後にはモナコ公国の山々が連なり、その急斜面の山腹には瀟洒なリゾート風邸宅などが建ち並ぶ、モナコの
代表的風景がそこにあった。そのマリーナの対面のモンテカルロ地区には「グラン・カジノ」の他、一般車道を利用して開催される
F1カーレース用コースが家々の隙間から垣間見ることができた。
さて、生きている間に一度は訪れてみたかった「モナコ海洋博物館」の重厚な館の前に立ち、のけぞるように見上げた。
地中海を180度眺望できる断崖上に建っていた。石造りの重厚な博物館の建物を海洋図鑑などを通じて何度か拝見していた。入場券を買い求め一歩館内
に足を踏み入れた瞬間、積年の夢が叶ったことの喜びに感激し、全身に鳥肌が立った。
館内に入るとすぐにコロンブスの旗艦「サンタ・マリア号」の縮尺10分の1ほどの精巧な大型
帆船模型がどっしりと鎮座していた。その隣には、アメリカのデーヴィッド・ブッシュネル(David Bushnell)が1774年に創造した、
「トータス号(Tortoise)」の実物大の樽型潜水機模型があった。樽型の潜水機では、一人の乗組員が足と手でペダルを漕ぎ回すように
してプロペラを回転させ進む仕掛けになっている。書物でしか見たことがなかったが、その復元機を前にして思わず感嘆の深いため息をついた。最も感銘を
受けた展示品の一つであった。
「モナコ大公アルベール I 世」らは、1800年代後期から1900年代初期にかけて、研究調査船「Princesse Alice I号」や同「II号」、
「Hirondelle I号」や同「II号」などで海洋調査に従事した。館内には数多くの当時の海洋調査機器が展示される。例えば、
転倒式水温測定器、採水器、各種プランクトン・ネット、海流測定器、海中透明度を測るための円盤形セッキ―板、
スペクトル写真機、フォーレル海水比色計、調査用漂流瓶、雨量計、1892年のリチャードのアネロイド式気圧計、いろいろ
な海洋科学観測装置や器具、各種の測深具、プランクトン観察顕微鏡、ヘルメット式潜水服、各種の航海用具(セクスタント、
古式コンパス、クロノメーターなど)や1869年の測地用経緯儀(テオドライト)、その他リチャード気圧計を含む海洋学調査
器具などである。
その他、「Princesse Alice I号」、「Hirondelle I号」や同「II号」、「カリプソ号(Calypso)」その他の海洋調査船の大小模型、
船舶絵画、魚類・軟体動物・甲殻類・海洋哺乳動物などの多数の標本や魚類化石が陳列される。
海洋化学分析・生物解剖などのための「Hirondelle II号」の船内ラボを精巧に再現したジオラマ、
その他、「大公アルベール I 世」をはじめとする科学者による海洋調査研究の数々の成果を取りまとめた報告書・研究図書など
が陳列される。
展示ホールは2階まで吹き抜けになっていて、2階の周縁部には回廊があり、マッコウ鯨や超巨大プランクトンネット、
水中捕獲用の筏、鯨捕獲用の各種投げ銛、「Prince Albert I世」が使用した鯨類捕獲用の数多くの銛類などが、吹き抜け空間に吊り
下げられている。また、イッカク、オルカ、long-finned pilot whale、ハナゴンドウ(Risso' dolphin)、アカボウクジラ(Cuvier's
beaked whale)、マッコウクジラ(cachalot)などのクジラ類の各種骨格標本、各種サメの剥製標本も吊り下げられている。
その他のクジラ関連展示として、鯨鬚、クジラの歯や顎骨の彫刻品(スクリムショー:船乗りが楽しみや慰みのために刻んだもの)、
捕鯨砲、捕鯨ボートの他、マッコウクジラ(sperm whale)の全身骨格標本、魚類や軟体動物・甲殻類などの数え切れないほど
の標本が整理整頓され陳列されている。午前中に入館して閉館になるまで巡覧し画像を夢中で切り撮った。
結局、水族館をじっくり見学する時間がなくなり、片足を踏み入れただけに終わってしまった。
このページのトップに戻る
/Back to the Pagetop.