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    第20章 中米の国ニカラグアへ赴任する
    第4節 米国西海岸(カリフォルニア州)沿いに海洋博物館を巡る


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       第20章・目次
      第1節: ニカラグアでの「国づくり人づくり」とプライベートライフ
      第2節: 青少年時代に憧れたパナマ運河の閘門とクレブラカットを通航する
      第3節: 旧スペイン植民地パナマの金銀財宝積出港ポルトベロへ旅する
      第4節: 米国西海岸(カリフォルニア州)沿いに海洋博物館を巡る



  ニカラグアに赴任中の2008年の夏頃、米国西海岸への旅を敢行した。米国西海岸の都市巡りと言ってもカリフォルニア州に限っての ことであるが、州内の主な海洋博物館・水族館巡りをしたいと旅に出たものであった。 旅立ちは2008年7月下旬で、期間は2週間ほどであった。今回は、60歳の還暦に近づきつつあったので、無理をしない でのんびりと、路線バスや電車をうまく乗り継ぎながら、先を急がない旅をすることにした。とはいえ、米国はモータリゼーションの 先進国であり、また意外にも辺ぴな田舎町にも海洋博物館などの文化施設があるので、探訪するにはレンタカーを活用するのが 最適な場合もあろうと、カーレンタルとドライブの心の準備だけはしていた。ワシントン州シアトル、オレゴン州ポートランドへの 探訪もしたかったが、日程上到底無理なのでカリフォルニア州内のみをほっつき歩くことにした。

  先ず、単身赴任していたニカラグアから一人サンフランシスコへ向かった。空港からは20人ほどの相乗りワゴン・タクシーで ダウンタウンにあるモーテル式ホテルまで送り届けてもらった。午後遅くの時間帯であったので、その日は、「フォート・メイソン地区」 の西側に隣接するマリーナをめがけてぶらぶらと散策に出た。マリーナからは「ゴールデン・ゲート・ブリッジ(金門橋)」をよく 眺めることができた。ほどなくして日没となり、茜色に染まった空をカンバスにして、ブリッジの美しいシルエットが浮かび上がってきた。 それを遠景にしながら、マリーナ港口の小型灯台や林立するヨットのマストを近景にして、素晴らしいウォータフロント風景を切り撮った。

  いつも旅して思うのだが、今日の朝方まで貧しさがどことなく漂う発展途上国の世界に居た自分が、午後には全く別の先進的異空間 に身を置き、目の視線が定まらないままに時間を過ごしていることに、心の整理ができないことが多かった。 実に妙な時空感覚に囚われる経験を幾度となく体験してきた。そして、2、3日もすれば先進国のそんな異空間にすっかり慣れてしまって いる自分に気付く訳である。さて、ウォータフロントで潮風に吹かれ海景を眺めながら、明日から始まる10日間ほどの旅のプラン について思い巡らしながら、未だ見たことのない土地を探訪することを楽しみにして、宿泊先のモーテルに向けて足取り軽く帰路に就いた。

  サンフランシスコの地に最初に足を踏み入れたのは、1977年の新婚旅行の時であった。30年振りのシスコであった。ダウンタウン に「ランバート通り」という、ヘビのようにくねくねと曲がりくねり、両側に美しい花壇が施され、しかも傾斜が30度ほどはある急坂 の通りがあった。最も印象に残っている風景である。当時、借りたレンタカーでわざわざその急坂を下って思い出づくりをした。 市内では、それ以外に見物らしい見物をほとんどすることなく、グランドキャニオンがある「ヨセミテ国立公園」方面へと向かった。

  フリーウェイを1時間ほど走行したところで、急にエンジンの調子がおかしくなり、そのままエンストしてしまった。 夕闇も迫り来るなか途方に暮れていた時、通りがかりの地元の年配者の方が、親切にも車を脇に寄せて声をかけてくれた。 彼にも車の修理は手におえなかった。万事休す状態の中、彼から、普通ならありえないような親切なオファーがなされた。 何と、彼が所有するアパートの一室に一晩泊めてくれるという。これほど有り難いことはなかった。

  翌日レンタカー屋のレッカー車がやってきて、我々二人もそれに同乗してダウンタウンへ引き返したように記憶する。レンタカー 屋に事情を説明し交渉した結果、全額払い戻ししてもらった。ハネムーンでのドライブプランはこのハプニングですっかり狂って しまったが、交通事故を起こし警察沙汰になった訳でなく、気を取り直して次の目的地のシアトルに向かった。後でよくよく考えて見ると、 日程上キャニオンなどへ遠出するのはもともと凄く無理があり、エンストで引き返す結果となって逆に幸いであったと思った。

  休題閑話。翌日真っ先に、「メイソン地区」にある有名な「サンフランシスコ海洋歴史国立公園」に向かった。「サンフランシスコ 海洋博物館」はその公園の中核をなす施設である。「改修工事のため休館中」であるというのは、ネット情報で事前に知っていた。だが、 本当にそうなのか、仮の展示室が設営され展示品の一部でも陳列されていないだろうかとか博物館を訪ねた。だがしかし、残念ながら 長期の大規模修復工事のため完全に閉館されていた。いつしか当地に舞い戻って拝観できることを楽しみにして、出直すしかないと 諦めた。あれから15年以上経つが、再訪の機会はないままである。

  海洋歴史公園のその他の施設をじっくりと探索しようと気を取戻し、先ず同公園ビジターセンターに立ち寄り有益な情報を得た。 博物館以外では海洋公園の中心地区とも言える「ハイド・ストリート・ピア」を探訪した。そこでは、数多くの歴史的な船舶が係留 され一般公開されている。ピア周辺一帯は海と船にまつわる歴史と文化の香りで満ち溢れ、海や船ファンならずとも家族で楽しめる 一大海洋性レクリエーションエリアとなっている。一船一船じっくりと見学した。

  同ピアの桟橋に船舶博物館として係留される主な歴史的船舶を拾い上げると、例えば、蒸気機関で機走するタグボートの「ヘラク レス号」がある。同号は、燃料の補給なく30日間あるいは約13,000kmも蒸気で航行することができた。因みに、1908~1924年において、 帆船・航行不能となった蒸気汽船・丸太の筏・バージなどを、大西洋側のジャクソンビルやフロリダなどに曳航した。1924~1962年には、 「ウェスターン・パシフィック鉄道会社」のために就役し、サンフランシスコ湾内のオークランドとフィッシャーマンズ・ワーフ間 において鉄道車両バージの輸送に従事した。

  同桟橋には、その他、両舷に外輪車を備えるフェリー「ジュリカ号」、3本マスト帆船の「バルクルーサ号」、3本マスト全縦帆式 帆船「C.A.サイヤー号」などが公開される。また、桟橋入り口には、サンフランシスコとペタルーマ (サンフランシスコ湾の最奥部から 北へ10kmほど川を遡った内陸部にある町) との間の58kmほどの距離を1万回以上往復し、旅客と貨物を輸送した船尾外輪式の川船 「ペタルーマ号」の船尾外輪が屋外展示されている。外輪の直径は5.5メートルほどもある。同号は1950年に引退し、1956年に焼けて沈没してしまったと記される。

  その後「フィッシャーマンズ・ウォーフ地区」へと足を伸ばし、数隻の船が博物館として公開される「ピア45」へと足を向けた。 岸壁には第二次世界大戦で活躍した長距離潜水艦「USSパンパニート(SS383)」が 係留され、早速艦内を見学した。魚雷の発射装置、 司令塔直下の司令室内の装備などを興味深く見学した。岸壁のその先には、「リバティー・シップ」と呼ばれる貨物船「SSオブライエン 号」が係留される。第二次世界大戦中においては、デザインの異なる貨物船を時間をかけて建造している余裕がなく、とにかく一日でも 早く効率よく輸送船を建造することが要求され、標準船型のそれが大量に建造された。船首・船尾それぞれに、効率的な貨物の積み 降ろしのための門型の船上起重機を備えているのが特徴的である。ピア45の先端にはカリフォルニア・アシカのルッカリー(生息繁殖地) があり、数多くのアシカが寝そべり、人々に束の間の愛嬌を振りまいている。

  更にウォーフ地区を進むと「ピア39」という桟橋がある。桟橋のゲートウェイには「アクアリアム・オブ・ザ・ベイ」という 水族館がある。立地条件が良いこともあって活況を呈していたところ、絶好の機会なので覗いてみた。総ガラス張りの水中トン ネル内では、カタクチイワシの統制のとれた大群が右へ急発進移動、次には左へ、さらに上へ下へと、すばしっこく動き回り、 とどまることを知らぬ集団的行動に目を奪われた。見学者は物珍しそうに見上げて、移動の度に大歓声をあげていた。 イワシ魚群は そんな行動を24時間繰り返すのであろうか。だとすれば、疲れて死んでしまうのではと余計な心配をする。 水族館でイワシの群れが 静止して寝ている姿を見た記憶がない。夜間消灯になれば、じっとして寝るのであろうか。

  さて、「フィッシャーマンズ・ウォーフへ」のゲートウェー辺りに一軒のベーカリーがある。旅先では時に「えっ」と、 目が釘付けになるような風景に出くわすことがある。「Boudin Sourdough Bakery & Cafe」という名のパン屋の店先で一瞬驚いた。 パン棚に並べられたカニの形を模したバカデカいパンに目が奪われ立ち止まった。その大きさが半端でなかった。何十人ものゲスト に供することができそうな巨大さであった。巨大カニパンをパーティにでも供したら、さぞかし驚かれ、会も盛り上がるに違いない。 「でっかいカニパンを食べて、アメリカン・ドリームを大きく育もう!」と言いたげな、店主の心意気が伝わって来そうであった。

  海洋歴史地区をこうして丸一日気の済むまで歩き回った。還暦直前の歳にして初めてサンフランシスコの海洋歴史文化の香りの中に身を 置くことができハッピーであったが、シスコに来たもう一つの重要な目標地があった。それはモントレーであった。モンテレーはサンフラン シスコの南200kmほどに位置する、太平洋岸沿いの名高い開放感溢れる海洋性リゾート地である。そこには「モンテレー海洋歴史 博物館 (Monterey Maritime and History Museum)」や「モントレー湾水族館 (Monterey Bay Aquarium)」などの文化施設がある。 クジラ・ウオッチングのメッカでもある。いつしか機会を捉えて一度は訪れてみたいと何十年も想い描き心待ちにしていた。

  レンタカーを前日夕方に借り上げ、ホテル近くのパーキングロットに駐車させておいた。早起きして午前4時頃、まだ暗いうちに モンテレーを目指した。サンフランシスコのダウンタウンはまだ静まり返っていた。途中から海岸線に沿ってドライブすることになり、 海を垣間見ながらルンルン気分で快走した。途中見晴らしの良い高台にぽつんと建ち、営業ランプを灯すカフェテリアを見つけ車を止めた。 そして、海を眺望しながら朝のカフェにあり付き暫しリフレッシュした。その後、時に見渡す限りのイチゴ畑が広がる田園を走り 抜けながら、南へと快適なドライブを続けた。海岸沿いのドライブであり、天気にも恵まれ、目指す地は風光明媚な海洋性リゾート 地と思うと、自然と心が弾んだ。

  モントレーに着くと、「モントレー湾」に突き出した埠頭があって、その入り口で小さな木造平屋の古めかしいレストランを 見つけた。そこで窓越しに海を眺めながらブランチをいただくことにした。パンケーキと、芳ばしい香りが漂うハーシュ・ブラウンに、 目玉焼き、ソーセージを食し、コーヒーをいただきながら、ゆったりとした時間を過ごした。青い海と透き通った青空をバックに、 弓なり状に伸びる美しい湾景がそこにあった。その後早速、童心に帰って「モントレー水族館」を見学することにした。同水族館は、見上げるばかりの「ジャイアント・ケルプ・フォーレスト」の水槽で有名である。 実物の巨大ケルプの森を再現した、世界でもユニークな展示があり、水族館のシンボル的存在となっている。

  水族館は開放感に溢れていた。ガラス張りの館内からも、また海沿いの板張りデッキからも、カリフォルニアの陽光に満ち溢れた 素晴らしいオーシャン・ビューを堪能することができた。水族館もまた緩やかな弓なり状の「モンテレー湾」に面していた。そして、デッキの真下には自然のタイド・プールが広がり、館外の自然の海と館内の人工の海が融合した情景を楽しむことができる。そして、デッキ のすぐ地先の海には、天然のジャイアント・ケルプが繁茂する「樹海」が広がる。海面が深緑に染まったところでは、海底から長く生い茂った ジャイアント・ケルプが波に揺られ漂っている。そんなケルプ・フォーレストの「樹海」というか「藻海」で、パドルを漕いで カヌーイングを楽しむ人たちがいた。暫しカヌーイストたちに視線をやり、その開放的で陽光溢れる海景に見惚れていた。

  「モントレー海洋歴史博物館」は水族館からさほど離れてはいなかった。展示品を一つ一つ記す余裕はないが、印象深かったのは、 捕鯨に関する展示が充実していたことである。各種の銛打ち道具、銛先、鯨油製造用大鍋、スクリムショー(鯨の歯などに彫刻するという、 船乗りの慰み・芸術品)、鯨捕りの銛打ちボート模型など。米国帆船軍艦「コンスティテューション号」などの船模型など数多く展示 される。その他日本の海女の潜水漁を模したジオラマ。ある陳列ケース内には、中国・日本などで用いられた昔のコンパス。 ジャンク船や千石船などで使われたのであろう。磁針を納める円形ガラスケースの周りには、十二支にプラスして24方位を刻む 和式コンパスや、何百と言う方位などを書き込んだ中国式円盤型コンパスなど。日本では ほとんどお目にかかったことがなかったので、感動しつつ物珍しく閲覧した。さて、早朝から深夜までの日帰りドライブとなり少々 疲れはしたが、満足度の非常に高い楽しい一日となった。

  次いで、サンフランシスコを後にして、30数年ぶりとなるサンディエゴへと向かった。宿はダウンタウンにあるYMCAのドミトリーで、 若者で埋め尽くされた簡素な宿であった。トイレ・シャワーは共同でその分格安であったが、屋根裏部屋のような狭い部屋であった のには少々がっかりした。すぐさま荷物を投げ出して、玄関前の目抜き通りの「ブロードウェー大通り」を真っ直ぐ小走りして、 ウォーターフロントにある「サンディエゴ海洋博物館」へと急いだ。

  ワシントン大学留学時代の1975年にシアトルからこの地に旅したことがあった。お金に余裕のない生活だったので、留学中に 遠出したうちのほぼ唯一の旅であった。岸壁に出て見ると帆船の「スター・オブ・インディア号」が係留されていた。当時のままであり、 約30年ぶりに再会できて嬉しかった。とは言え、当時海洋博物館なるものが実在し、同号はその一部であったのか、あるいはそれ他 の船舶も岸壁に係留展示されていたのか定かでない。今ではフェリーの「バークレー号」、ソ連の潜水艦「B-39」などの歴史的艦船が、 船舶博物館として岸壁に横付けされおり、時間の許す限り艦内を見学した。博物館といっても、展示は係留される実物の船舶だけであり、 海洋博物館の陸上展示メインホールのようなものはなさそうであった。

  今回は「インディア号」の他に5隻ほど係留されていた全ての船をじっくり見学する時間があった。船内に最も長居したのは、 1890年代後期にサンフランシスコ湾で旅客フェリーとして長く就航した「バークレー号」である。船内展示として、有名な「ヘレフォード ・マッパ・ムンディ/Hereford Mappa Mundi(復刻版)」の他、地理的発見時代の歴史説明パネル、地図、航海用具などの他、 英国軍艦「チャレンジャー号」による科学探検調査などについても陳列される。その他の船としては、 冷戦時代のソ連の攻撃潜水艦「B-39」、帆船「HMSサプライズ号」、1904年建造のレジャー用 豪華ヨット(小型船艇)の「メデア号」、パイロットボートなどである。その後、近傍の大埠頭に横付けされ一般公開される「ミッド ウェー空母博物館」へ足を向けた。

     退役空母「ミッドウェー」では、ジェット戦闘機やヘリなどをの搬出入用の巨大な舷門を通って、同空母の巨大な艦内へと 吸い込まれた。迷子になりそうな館内で、多くの見学時間を割き心行くまで見学した。艦内にはジャンボジェット機がすっぽり納まる ような大空間であった。上から下へと迷いながらも内部をじっくり観て回った。艦の巨大さと内部装備の重厚さに圧倒された。 飛行甲板にはトムキャットなどの数多くの新・旧型の戦闘機やヘリが、甲板からこぼれ落ちそうなほど所狭しと並べられていた。 飛行甲板に立てば360度の視界が広がる。強風でも吹けば、素人見学者は飛行甲板から吹き飛ば されそうで、怖くて立っていれそうもない。全速で航行する「ミッドウェー」の甲板上でパラセールを広げながら疾走すれば、軽く 大空に舞い上がれそうである。私史としては、その昔、ニューヨークのウェストサイドのピアに、同様に船舶博物館として係留・一般 展示される退役空母「イントラピッド」に次いで、米国空母の艦内見学となった。

  空母「ミッドウェー」の反対舷にはもう一つの大埠頭に臨んでいた。そこには公園やフィッシュマーケットなどが造営されている。 その公園から巨艦正横を見上げると、遮るものがないこともあって、空母の凄い威圧感が伝わってくる。岸壁際には、空母のジャンボ サイズに合わせて、馬鹿でかい男女の人形が据えられている。長期航海を終えて母港サンディエゴに帰還した空母の若い水兵と、 彼を迎えに来た恋人の巨大な二人立像である。それとも、これから航海に出る水兵を見送りに来た恋人なのか。二人は他人にはばかる ことなく固く抱きしめ合い、ディープ・キスを交わしている。「ビクトリー・キス」と称されている。これぞ若いアメリカン・ セーラーと恋人との再会、あるいは別れのシーンを描く、感動ものの巨大像である。 ウォーターフロントを南へ辿ると、シーサイド・コマーシャル・ヴィレッジが整備され、レストランやショップが軒を連ね、市民や 観光客の憩いの場となっている。そこでカフェしながら明日からの旅のプランを想い描いた後、帰途に就いた。

  今回も市街地はずれにある有名な「バルボア公園」へと路線バスで足を伸ばし散策した。広大で緑豊かな公園にはスペインのコロニアル 風建物がたくさん配され、イベロ文化やラ米ムードに満ち溢れた、素晴らしいの一言に尽きる公園である。 留学当時何気なくこの公園を訪れ散策したが、人生で初めてラテン風、スペイン・コロニアル風の文化的情趣に感じ入り、そのエキゾ チックな香りに大感激をしたことを思い出した。メキシコ側にある国境の町ティファナに向けて国境を越える日の前日のことであった。 散歩した当時の印象が脳裏に深く焼き付き、今でもその時の感激が蘇るくらいである。数多の熱帯・亜熱帯植物を展示する総ガラス 張りで、十文字プラス蒲鉾形をした大グリーンハウスも健在であった。前回は叶わなかったが、今回は公園内の「サンディエゴ自然史 博物館」を訪れ、鯨などの海生哺乳動物、魚貝類の各種標本や化石類などを巡覧することができた。

  サンディエゴ訪問のもう一つの目的は、カリフォルニア大学サンディエゴ校の「スクリップス海洋学研究所」のキャンパスを散策 することであった。初めての訪問時もそうであったが、今回も路線電車やバスを乗り継ぎ、ラ・ホヤまで足を伸ばした。 留学当時にサンディエゴに旅した時も、同研究所訪問が目的であった。1975年当時、海洋博物館を見学するためにサンディエゴを訪れた 訳ではなく、その南数10kmにあるラ・ホヤの同海洋学研究所を訪ねるのが目的であった。

  太平洋に向けて全長数百メートルの一本の長い桟橋が昔と変わらず突き出ていた。海洋研究船が横付けされる大桟橋である。 桟橋から急な斜面に沿ってキャンパス広がり、講義・管理棟、研究施設や図書館、カフェテリアなどが配置され、ほとんど変わっていない 風であった。かつて、海洋生物学ラボで研究調査船が持ち帰った海底軟泥の柱状サンプルを見せてもらったりした。最後に立ち寄ったのは、 すっかりリニューアルされ近代的な施設に生まれ変わっていた同研究所付属の「バーチ水族館」である。

  水族館正面前庭には深海潜水艇の「スターIII」が鎮座していた。水族館のテラスからは斜面に沿って眼下に広がるキャンパス全景を、 その先に伸びる桟橋や180度にわたって広がる太平洋を一望できた。まさに海についての学究に勤しむ意欲を湧き立てる海景そのもの であり、また環境にあると言えよう。館内を一通り見学後 玄関ホールから出ようとした時、側壁にフレミング博士の研究を讃える銘板に気付いた。

  ワシントン大学でフレミング博士の「海洋学」の講座を履修した。同教授がこの研究所を退職しワシントン大学に迎え入れられた ことは知っていた。文系の世界に生き、社会科学分野のなかの法学系諸学しか学んで こなかった私には、人生で初めて自然科学系講座、即ち海洋学という自然科学系の正真正銘のサイエンスを、大学院レベルに進んで 初めて履修した。私の学究史に革新的な一ページを開くことになった。海洋学の面白さに感銘を受け講義が楽しかったことを思い出す。 それを機に自然科学系の海洋系諸学に抵抗感なく入り込めた。まさに、海洋関連の自然系諸学にのめり込むきっかけとなった。

  フレミング教授は確か初回の講義から自ら灰皿をもち込んで、喫煙しながら海洋学の講義を始めた。それにはさすがに椅子から 仰向けにひっくり返えりそうな衝撃を受けた。今では到底考えられない授業風景であろう。おおらかな時代であったのだろうか。 それとも他者に口外してはならない、受講生だけの秘密であったのだろうか。何と自由で大まかで大味の国なのかと思いながらも、 何と理解すればいいのか、分からずじまいであった。誰も問題にする者はいなかった。私も灰皿をもち込んで 喫煙しても許されるのではと、錯覚を起こしそうであった。喫煙すれば、他の同僚から非難の集中砲火を浴びそうだし、不謹慎のそしりを 免れまいと、自己抑制心をもってぐっと我慢をした。今でも、温和で親しみやすく、いつもスマイルを絶やさなかった、巨体にして 白髪姿のフレミング教授のことを思い出す。

  ところで、何故「スクリップス海洋学研究所」に二度も足を伸ばし散策したのか、自分でも不思議に思うことがある。青少年の頃海 が大好きで船乗りに憧れていた。神戸商船大学の受験を諦めざるを得なかったことはすでに綴った。船乗りになることを固執せずとも、 何故に海や船に関われる他の道を模索しなかったのか。今に思えば、日本にも海洋学部、水産学部や海洋研究所などを擁する大学への 進学の道もあったはずである。米国にもロードアイランド大学やマイアミ大学などの海洋学部、スクリップスやウッズホールの 海洋研究所など学ぶ場所は山ほどある。何故に、海や船と生涯関われる海洋学者、海洋生物学者、海洋工学や船舶設計者などを目指す ことがなかったのか、それが自身でもずっと不思議でならなかった。

  その答えを見つけたいという潜在意識がどこかにあったのかもしれない。青年の頃、柔軟性がなく思い込みが激しかったのであろうか。 船の運航ではなく、海を舞台にした研究あるいは海を対象とした海洋学や水産学の研究を志せば、海と生涯関われたかもしれない。だがしかし、船乗りとして、世界の諸国、諸港、異文化に触れることにこだわっていた結果なのであろうか。海の世界に回帰できたのは、船乗りを諦め てから6年後のことであり、それも意図せず偶然のことであった。運命の不思議ないたずらというか、ある見えない糸によって導かれたことに 驚くばかりである。「バルボア公園」を再訪したのは、JICAに奉職して30数年も経た2008年であった。遠い回り道をしたかもしれないが、 海に回帰していることを自己確認するため、サンディエゴとバルボアに戻って来たという思いであった。

  再び休題閑話。その後ロサンジェルスへと向かった。ロスには何度か訪れ街を散策したことがあるが、海や船にまつわる海洋関連 施設への訪問をメインテーマにしたのは今回が初めてであった。再訪したのはロング・ビーチにある「クイーン・メリー号」だけで あった。かくして、今回のロス訪問では、その近郊にある幾つかの海洋博物館や水族館を探索したかった。

  先ずダウンタウンの投宿ホテルから向かった先は、路線電車でロング・ビーチの入り江にある「レインボー・ハーバー」へ。 ハーバーのウォーターフロントにはマリーナの他にスポーツ・フィッシングや湾内遊覧のレジャーボートが 発着する桟橋が並ぶ。ハーバー北側にはアクアティック・パーク、南には洒落たレストランやカフェテリアが並ぶ「ショアライン・ビリッジ」 がある。先ずはハーバー界隈の海辺をのんびりとたむろした。

  その後、ロス市営の無料巡回バスで「クイーン・メリー号」へ向かった。メリー号はニューヨークと英国ササンプ トンなどを結ぶ大西洋横断定期航路の黄金時代を代表する豪華客船であった。ニューヨークに櫛の歯のように突き出た数多くのピアに何十隻 もの豪華客船が停泊する当時の風景写真がメリー号の船内に掲示されている。今では当時の大型豪華ライナーは全て姿を消し、模 型になって博物館に陳列されているが、同号もかつては旅客の憧れの的であった。メリー号はその良き黄金時代の優美な姿を残して おり、そんな船内のプロムナード・デッキや航海船橋などを散策して回った。

  1977年の新婚旅行でメリー号の船内で一泊した思い出がある。以来、ほぼ40数年の歳月が流れていた。同号は今でもホテル兼 展示館でもある。旅行時に船内でスーツケースを開けてみると、サンディエゴでもらった祝いのレッドワインが割れていて、 衣類などがワインレッドに染め抜かれ凄惨な状態となっていた。それが二人の最初の口論の原因となり、新婚旅行中気まずい思いを引きずってしまった。今回、客室通路を歩きながらそんな苦い経験をしたことを思い出しもっと上手にコミュニケーションすべきであったとひどく 後悔した。「成田離婚」に至らずケガは小さく済んでよかったと今更ながら思う。

  翌日再びロングビーチへ戻り、路線バスで西方の「サン・ペドロ地区」にある「ロサンジェルス海洋博物館」に出かけた。館内には 昔の帆船から近代船まで数多くの艦船模型(クイーン・メリー号の大型模型を含む)、船大工用具、潜水用具など展示する。 博物館からすぐ南のウォータフロントにある魚市場・レストラン街で、ロス港内のメイン・チャネルを行き来する船風景を眺めながら 、奮発してそこそこまともなシーフードランチを堪能した。その後、ロング・ビーチに戻り、大型で近代的な「ベイ・オブ・ザ・パシフィック 水族館」を見学した。

  その翌日、もう一つの大きな探訪目標地であるサンタ・バーバラへ向かった。ロスの北西150㎞の太平洋岸にある、有名な海洋 リゾートシティである。借り上げておいたレンタカーで暗いうちから出掛け、途中ヴェントゥーラ郡にある「チャネル・アイランド・ ハーバー」に立ちより一休みした。その美しいマリーナの一角にある「ヴェントゥーラ郡海洋博物館」に立ち寄ったが、早朝過ぎて まだ開館せず、やむなく帰途に見学することにして先を急いだ。

  サンタ・バーバラは、想像にたがわず美しい白砂ビーチが広がりスペイン風ハウスが建ち並ぶ異国情緒な海洋性リゾートであった。 まさに街並みはスペイン地中海地方の情趣に溢れていた。「サンタ・バーバラ海洋博物館」内のレストランで、絵に書いたように美しいマリーナ風景を最高の「前菜」にして、軽めの質素なバーガーランチをもって腹ごしらえした。その後、やおら館内を見学した。

  館内では数多くの帆装戦列艦、フリゲート艦、クリッパーなどの船舶模型、船体構造模型などを巡覧した。棒と貝で作られた ポリネシアのマーシャル諸島の「スティック・チャート」と呼ばれる海図を初めてお目にかかった。見学の後、一時間でもよいから見学 したいとの想いで、ベントゥーラ郡の例の博物館へと急いだ。狭い館内には、ドイツ・Uボート模型をはじめ、数多くのいろいろな 船模型の他、航海計器、潜水具、難破船関連などの展示品が所狭しと陳列される。閉館時間になって追い出されるまで時間の許す限り見学した。

  次いで、翌日のこと、再びレンタカーでフリーウェイを走り、ロング・ビーチから南東50㎞ほどにある太平洋岸の海洋性リゾート タウンの「ニューポート・ハーバー」へ出向いた。美しい白砂ビーチが続き、「バルボア・ピア」という長大の桟橋が太平洋に突き出 ていて、その先端部にはレストランや雑貨・土産店などがある。ピア近傍のウォーターフロントにはマリーナや海洋性リゾート・ビレッジ が所在し、その一角には小さいながら「ニューポート・ハーバー海事博物館」があった。これが、今回の旅の最後の海洋関連施設 見学となった。館内には昔の捕鯨船の船乗りが暇にあかして鯨の歯や骨に彫り込んだ スクリムショーと称される、船乗りの慰みもの (芸術的作品)、捕鯨船の模型などが数多く展示される。

  旅の最終日の前日はいつも予備日に当てていた。何か事故事件に巻き込まれると、思いの他対応に時間がかかることがある。結局、帰国日を 延ばさざるをえなくなるリスクがある。予めそれを可能な限り回避するために、帰国する前日一日くらいはフルに予備日として余裕をみておく というのが、いつもの流儀である。何かちょっとした事故に巻き込まれた場合でも、被害届の作成や事故調書受領などのための 時間が必要になろう。帰国日を延長しなくとも何とかやりくりし、当初予定の期日に帰国できるようにするための配慮であり、 旅の知恵でもあった。さて、その余った予備日を利用して、地下鉄でハリウッド地区へ出向き、シネマストリート界隈をそぞろ歩いた。そして、最新作のアクション映画を観賞したりして、のんびり暇つぶしをした。

  その後ダウンタウンに戻り、ワインを飲みながらステーキを食しプチ贅沢することにした。今回の旅では、テーブル・クロスを敷いた レストランでの夕食は初めてであった。10日ほどの旅が事故なくほぼ計画通りに終わりを迎えられ、そのことへ感謝しながら、また 幾つかの失敗を反省しながら、一人静かにワイングラスを傾け、ほんの少しだけプチ贅沢な夕食を楽しんだ。不思議とこれでぐっと 身も心も落ち着いた。

  今回の旅での小さな失敗譚一つ。モンテレーの市営駐車場で身体障害者マークが添えられたところに、そのことを知りながら車を 駐車させた。博物館見学を終えて戻ってみると、案の定違反切符がワイパーに挟まれていた。ATMで髙い罰金を支払い、宿泊先のネット を使って違反に関する本人と支払い登録をした。そして、帰国前日に市側の罰金受領を確認しようとしたが、結局電話がつながらず、 それっきりにしたまま帰国した。何か釈然としないままとなった。翌日メキシコ経由でニカラグアへ帰国した。 今回往復路のフライト料金だけはフルの出費であるが、宿泊と食事は質素にしながらのいつもの旅スタイルであった。

  ところで、パナマ、米国西海岸と旅したが、ここまでは予定通りの赴任中における国外への旅であった。さて、 次回国外に週末数日でも旅するとすれば、いずれの国にすべきか思い浮かべてみた。是が非でも探訪したい国は近場のキューバであった。 だが、ビザ取得の手続き面でハードルが高いこともあって、メキシコのカリブ海側にある港町ベラクルスへの旅を思い描いていた。

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