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    第21章 完全離職後、海外の海洋博物館や海の歴史文化施設などを探訪する(その2)
    第2節 香港とマカオの海洋博物館などを駆け巡る


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     第21章・目次
      第1節 カナダ・バンクーバー経由で、キューバの海と要塞を訪ねて
      第2節 香港とマカオの海洋博物館などを駆け巡る
      第3節 台湾の基隆・淡江・高雄の海と港を巡り、海洋博物館を探訪する/2016.6パック、2017.2淡江
      第4節 中国の上海航海博物館と京杭大運河(杭州・南京・蘇州)を訪ねる/2017.4
      第5節 ポルトガルからスペインを経て、ギリシア・エーゲ海に憩う/2018.9

      序章~第11章 | 第20章  第22章 | 第23章~最終章


  実は、2007年6月にサウジアラビアから帰任し、その後暫く経ってJICAを役職定年となった。そして、JICAとの契約ベースで、 2か月後の同年9月には中米ニカラグアへ赴任することになっていた。その赴任のほんの少し前の7月のこと、家族が香港へ 格安団体ツアーに参加するということになった。香港は一度だけトランジットのため空港に降り立ったことがあるだけで、一度は 本格的なお上りさんになって、その超国際都市をぶらつくのも悪くはないという思いでジョインすることになった。香港には 海にまつわる歴史文化施設は何もないものと先入観に捕らわれていたためか、ほとんど興味をもって来なかった。だが、 久々の家族旅行も楽しいものに違いないと、家族に背中を押されて便乗することにした。さて、ニカラグア赴任から2009年10月に帰国し、 JICA本部で引き続きお世話になったが、2011年3末にはJICAから完全に離職し、ようやく「自由の翼」を得た。そして、その後も 香港と縁があって、最初の旅から8年振りに二度目の香港旅、その数年後に三度目の旅に恵まれることになった。香港とマカオには 本格的な総合的海洋博物館があり、思いがけず充実した博物館探訪の旅となった。先ずは、初回のパック旅行のことから触れたい。

  早速ネットで香港・マカオの海洋歴史文化施設などを調べた。香港の地理には全く不案内であった。香港島の中心街からはかなり 離れた町・赤柱というところに「海洋博物館」があるようであった。マカオについては本格的な「海洋博物館」の在り処は調べが ついていた。また、香港島の南岸に「オーシャン・パーク」という海をメインテーマにしたアミューズメント施設があることが分かった。 他に訪ねるとすれば、「香港歴史博物館」の巡覧も面白そうであった。パックツアーでの自由時間をフルに利用して、それらの施設を 見て回りたいと、わくわくした期待感がもたげてきた。家族旅行では大抵の場合、私は、見たいものを30分でも見るために、 家族と離れて単独行をすることが多かった。今回も、団体ツアー料金に含まれる市内見学などを除いて、現地での日中における 家族の行動は相変わらずバラバラであった。しかし、夜には落ち合って夕食を囲むことがほとんどのパターンとしていた。 団体ツアーの中でも現地自由行動の多いものを選んでいたのが功を奏した。

  2年に及ぶ「第1次アヘン戦争」を終結させるために1842年に英国と清との間で締結された「南京条約」でもって、香港島が英国に 割譲された。1860年には、九竜半島の一部が「北京条約」の下で英国に奪われた。1898年には、同半島の大部分が99年間の英国租借地 となった。そして、ついに1997年7月1日、香港の主権の英国から中国への返還が実現した。香港に足を踏み入れた2007年7月は、 この返還から10年目に当たっていた。このため、返還祝賀行事に合わせて、胡錦濤主席が香港訪問を行い、市街のあちこちには 返還10周年を記念する祝賀ムードに溢れていた。祝賀の横断幕や幟がやたらと目についた。

  到着した翌日、観光用マイクロバスにて市内観光として、繁華街や名所史跡などをお上りさん丸出しにしてあちこち案内された。 香港で最も主要な市街地は、九竜半島側のビクトリア・ハーバーに近い「尖沙咀」エリアと、香港島の同ハーバーに臨む近代的な繁華街の 「中環」エリアである。尖沙咀といえばまさにおもちゃ箱をひっくり返したようなカオス的雑然さをもつ香港らしい地区である。 その中心軸は「ネイザンロード」という目抜き通りである。バスは次々と市街を回った。 香港返還式典会場にもなったという香港島のビクトリア・ハーバーに面する「コンベンション・エキスポジションセンター」、 九竜半島の少し内陸部にある道教寺院の「シクシク園黄大仙廟」、「女人街(通菜街)」など、どこをどう回ったか、後で思い出そうと しても巡回ルートを全く辿れなかった。その中ではっきりと経路や居場所を認識できたのは、中心街からかなり離れた2ヶ所だけであった。

  一つは香港島南岸沿いのドライブで、「箋水湾(Repulse Bay レパルス・ベイ)」に面した風光明媚な白砂青松の海水浴場に 連れて行かれた。映画俳優・監督で有名なジャッキーチェンがその近くに居を構えるという。そして、そのすぐ先にある「赤柱」 という海辺の町を通りがかった。この時、所在地が今一つ掴めなかった海洋博物館の在り処を偶然にも知ることになった。 赤柱のウォーターフロントのどこかにあるはずであった。後日必ずこの町に戻って来ようと、見学への期待が一挙に膨らんだ。 しかもそこは「オーシャン・パーク」にも近いことが分かった。

  もう一つは、赤柱からの帰途に、香港島の「中環」エリアの背後にある連山の中の「ビクトリア・ピーク」へと案内された。 そのピークから、狭い海岸部にへばりつくように超高層ビルが林立する香港ビジネス街と、その先に広がるビクトリア・ハーバーを 見下ろした。初めて眺める香港の摩天楼風景であった。写真やテレビ番組などで見る2次元的風景とはまるで違う異次元の風景 であった。昼間に観る摩天楼とハーバーの鳥瞰的な風景もそれはそれで壮観という他なかったが、夜に眺めたとすれば、その 「百万ドルの夜景」は想像を絶するような美しさであろう。最高の夜景にお目にかかったのは、後日のことで遊覧船上からであった。

  ツアーには何回かの市内観光が含まれ、お上りさんになって大いに楽しんだが、御多分に漏れずツアー会社の都合で貴金属、 シルク、ブランド品のアウトレットショップなどへ立ち寄る買い物ツアーにやたらと付き合わされた。それはそれで冷やかし 半分と物見遊山で付き合わざるをえなかった。ツアーはその分格安なので致し方がなかった。

  その後自由時間がメインとなり、「香港歴史博物館(HK Museum of History)」を一人で訪ねた。家族と中環で別れた後、 スターフェリーのターミナルからビクトリア・ハーバーを横切り、九龍半島側にあるその博物館へと向かった。海や船にまつわるものは多くはなかったが、 香港の漁村や漁業の変遷、伝統的な漁具の紹介、製塩事業、香港と西欧を行き来した船舶の模型、香港の造船業の発展史をはじめ、 香港がジャンク船の溜り場としてのアジア的イメージから東洋の近代的大都市へと変貌して行った歴史が紹介され、なかなか興味 深いものがあった。英国によってもたらされたアヘン禍とアヘン戦争の歴史も展示されていた。

  夜は夜で、ダブルデッカーのオープンデッキ式観光バスでツアー客全員が参加しての市内見物ツアーに出掛けた。それもツアーに含まれていた。 香港随一の繁華街・尖沙咀を南北に貫通するネーザンロードをはじめ、眩しいほどのネオンでキラキラ輝く市街地をあちこち ドライブした。その後、遊覧船に乗ってビクトリアハーバーをナイトクルージングした。特に香港島・中環の ビジネス街にそびえる超高層ビル群の夜景を楽しんだ。観光客のために、主だった高層ビルの窓明かりを音楽に合わせて点滅させ たり、色とりどりのサーチライトを放射させて、イルミネーション・ショーが披露された。現地では「シンフォニー・オブ・ ライツ」と称されていた。ニューヨークのハドソン川沿いの超高層ビル群の摩天楼でもライト・ショーは可能であろうが、 東京港沿いの摩天楼ではかなり隙間だらけで、様にならないかもしれない。

  余談だが、香港の街風景を初めて垣間見たのは、JICAで初めての海外出張でエジプト、トルコに出向き、さらにはその足でフィリピン で調査を続けるために、香港で乗り換えた時のことであった。山並みが間近に迫り、高層ビルが搭乗機の窓と同じほどの高さになりつつあり、 既に車輪が出されて、もうすぐ着陸すると身構えていた時にのことであった。突然機は90度ほど急旋回すると同時に、あった言う間に 車輪が着地した。急旋回した時には、車輪を高層ビルに引っ掛けるのではないかと本気に心配した。 機窓からは香港島のビクトリア・ピークのある連山の壁が迫り、アイガー北壁のごとく立ちはだかっていた。空港事情について 後で知ったのだが、それを知らなかった私は、着陸直前の急旋回に一瞬何事かとびっくり仰天して、座席の肘掛を両手で強く握り しめてしまった。一瞬胆を冷やしたスリリングな体験であった。同僚らに話しをすると、同じような体験をしていることだった。 当時飛行場は本土・九龍半島側の市街地に近い海岸沿いにあったが、現在では香港島西方のランタオ島北部の別地に移っている。

  さて、旅のもう一つの楽しみとしたのは、マカオにある「海洋博物館」の見学であった。ツアーに組み込まれた丸一日間の自由 時間を最大限利用して、家族全員でマカオに弾丸ツアーをした。マカオ行フェリーターミナルから「Turbo Jet」社の高速 フェリーに乗船し、一時間後に人生で初めてマカオの土を踏んだ。香港での乗船時でも、マカオでの上陸時でも、外国人は パスポートコントロールが課せられた。高速フェリーで珠江口を1時間ほどで横断してマカオへ。 下船後、家族とマカオの旧市街地の公共広場の「セナド広場」や「聖ドミニコ教会」辺りをうろつき回り、ポルトガル統治時代の 街並み風景の中に浸った。その後、家族はマカオのシンボルである、廃墟同然の世界文化遺産の「聖ポール天主堂跡」へと向かったが、 私は急ぎ「マカオ海事博物館」へと足を向けた。

  マカオはポルトガルの支配を長く受けたので、博物館の展示内容としては、大航海時代のポルトガルの航海探検家らの歴史的 人物に関連する展示、その当時のポルトガルの代表的な船種であるナオ船の模型をはじめ、いろいろな帆船模型など、近世ポルトガル との関係を色濃く反映するものであった。その他、日本では見たことのない中国の古代軍船の大型模型をはじめ、 各種ジャンク船などの帆船模型、マカオでの漁業や漁具の紹介、ドラゴンボートでの海祭り、媽祖にまつわる海洋文化など、 日本や欧米諸国での海洋博物館では見られない見応えのある展示品が数多く陳列されていた。「海のシルクロード」の長い航程のうち 東洋のはずれにありながら、ポルトガル統治の直接的影響を受けたマカオらしい海洋歴史文化に関わる遺物、史料、船舶模型など をしっかり見ることができた。かくして、本格的な海洋博物館を巡覧することができ、大いに心を充足させられたが、巡覧時間が 余りに少なかったために消化不良を起こしてしまい、後ろ髪を引かれながら館を後にした。

  それに、もう一つ心残りのことがあった。マカオのフェリーターミナルに着くと眼前に 緑に覆われた小高い山が立つ。その山頂には砦があり、その敷地内に1865年に建造され、今も現役である古い灯台が建つ。 「ギアの灯台」と称される。その歴史的建造物を訪ね、頂上からマカオの旧市街全体を眺めてみたいと思っていたが、山登りする 時間はとてもなかった。かくして、今回の探訪は消化不良で終止符を打ってしまった。それにユネスコ世界遺産かつマカオのシンボル である例の有名な「聖ポール天主堂跡」をはじめ、近世のポルトガル植民統治の面影を色濃く残す旧市街もほとんど散策しない ままであった。

  さて、翌日も一日フリーだったので喜々として足を運んだのは、香港島南部の赤柱にある「香港海事博物館」(マレーハウス Murray House)であった。中環で路線バスの停留所を探したが、結局見つけられずタクシーを利用した。 初めての中国(香港)での海洋博物館の見学であったので、大変興味深かった。多種のジャンク船の模型、航海関連機器などが展示 されていた。だが、写真撮影は禁止されていたのが残念であった。その後、路線バスで「香港仔(アバディーン)」という地区に 辿り着いた。そこは数多くの近海漁船の溜り場であった。そこにも、香港返還10周年を祝う旗・幟があちこちに翻っていた。 船溜まりや地先の沿海・狭水道などをもっと散策したいと、80香港ドルで小舟をタイムチャーターして遊覧した。対面の小島との間に ある狭水道沿いの海域には、メザシの串刺しのようになって、数え切れないほどの中型漁船が停泊していた。その漁船団溜りの合間を 縫うようにして遊覧した。途中、「ジャンボ」という名の超巨大な"不夜城的"水上フローティング・レストランがアバ ディーンの深灣の岸辺に係留されていた。中国人的発想に先ず驚き、その余りの巨大さに唖然とさせられた。余談だが、2022年には 同レストラン船は身売りされ、タグボートに曳かれて香港を離れ移動して行った。

  私的には博物館に次いで興味を掻き立てられたのは、中国本土側の九龍半島と、その対面にある香港島との間に横たわるビクトリア・ ハーバーをひっきりなしに行き来するフェリーボートであった。フェリーはアメーバのような身軽さで両岸をシャトルしていた。 それは香港になくてはならない市民や観光客らの足そのものである。また、香港の海の風物詩そのものでもある。昔の古い写真やフェリー 模型をみても、船首・船尾が同形であり、しかもラグビーボールのような長円形の独特な船型となっているのも、昔からほとんど 変わって来なかったようだ。舳(へさき)も艫(とも)も無いといえば無いし、有ると言えば有る。着岸前の舳先は次の出港時には艫になる。 そんなフェリーに乗船して、何度も両岸を行き来した。フェリーの着岸・離岸のたびに乗組員が手際よくこなす作業に見惚れてしまった。 そしてまた乗船して折り返した。乗船者は何用でフェリーで対岸に渡るのか、彼らを観察し想像を逞しくしながら「生活と人物の占い」 を楽しんだ。

  さて、その昔時間切れで消化不良になっていたこともあり、海洋博物館のことが気掛かりになっていた。特にマカオの博物館はいつかは 出直したいと思っていた。初回の旅はニカラグア赴任前の2007年であったが、8年後の2015年11月に再訪できる機会が巡って来た。 その時は既に完全に離職していた。いずれも家族3人での数日間の短い滞在であった。先ず、中環エリアで用足しを済ませた後、 私はすぐにその足で「香港海洋博物館」へ向かった。パックツアーではなかったので、全ての時間を自分らでコントロールできた。 実は、「海洋博物館」が赤柱から香港島の市街地に移転したということは事前に知ってはいたが、まさか中環のフェリー発着場の 埠頭の一つに移転していたとは驚きであった。まさに香港島のビジネス街の真っ只中にあって、通勤客・観光客の最も多い中環地区に 移設されていた。それも九龍半島と香港島とを結ぶスターフェリーターミナルの第一埠頭のターミナルビルが博物館に転用されていた。 立地は抜群であった。

  しかも、装いを新たにした本格的な「海洋博物館」がオープンしていた。展示内容もリニューアルされ、随分と拡充されていた。 赤柱でのそれは狭いスペースに船舶模型や航海用具などが押しこめられていた印象が強かったが、移転後の博物館では広々とした空間が 備わっていた。海洋博物館があたかも新規にオープンしたのと同じであった。中国の伝統的な各種の船舶模型、媽祖の船首像、 指南針などの古航海機器、香港の造船業・港湾荷役の変遷の歴史、海底考古学的な展示、潜水機具、海上保安・安全に関する展示など、 海洋の歴史文化技術に関する見応えのある総合的な展示へと衣替えされていた。旧館からの移設もあったが、7~8割の展示内容 が刷新されているような印象であった。今回何よりも喜んだのは、旧館の場合と違って写真撮影が全くフリーであったことである。 心置きなくほぼ全ての陳列品を切り撮ることができた。そして、帰国後説明書きをじっくり読み込んで展示内容を理解できることに繋がった。

  さて、翌日には改めてマカオへと急いだ。そして、前回の訪問で積み残しとなっていたことをやり遂げようとした。即ち、 マカオのフェリーターミナルからほど近い小高い山の頂上に建つ「ギアの灯台」にまず登り、歴史を刻んできた灯台とその展示室を訪れた。 たまたま当日には、公道を利用したF1オートレースが開催されていた。このため、山裾に辿り付くのに半周分以上遠回りさせられて しまった。途中歩き疲れてタクシーを捕まえ、山の反対側へ回り込んだ。そこで、極短い距離のケーブルカーに乗り時間的節約を したつもりであったが、その終着駅からかなり歩く破目となったが、ついに灯台へ辿り着いた。かくして、 積み残しの登頂を果たし、マカオのウォーターフロント方面を見下ろすパノラミックビューを満喫できた。

  市街地中心部はポルトガル植民地時代の情趣を色濃く残す。その中でも、正面外壁だけ原形を遺す例の「聖ポール天主堂跡」 がマカオ最大のランドマークであるが、前回の旅では十分な拝観時間を取れず、目に焼き付ける機会を逸した。今回はお上りさんになって、 聖堂跡を見学した。ポルトガルが、インド・ゴア、マラッカに次いで、カトリック教徒たちの祈りために、また布教の一大拠点として この地にカテドラルを建てた歴史の証拠を垣間見れた。その後、ポルトガルの伝統工芸であるアズレージョが旧市街の一角の壁面に 埋め込まれているという史跡を探し求めて市街へと足を進めた。アズレージョの壁面には帆船が描かれている。その後、 海洋博物館へと急いだ。

  海洋博物館での展示内容はほとんど変わっていなかった。だが、前回訪問時は時間に追われて駆け込み的な巡覧になってしまい、 じっくりカメラワークができなかった。今回は、初めての見学との思いを胸に、新しい目線で館内をじっくり巡覧した。 じっくりと見学すると新しい発見も多く、理解も深まった。ほとんどの陳列品をカメラの焦点をしっかりと合わせな がら丹念に切り撮ることができた。だが、丹念に巡覧し撮影して回った結果、またもや閉館時間を迎えてしまい、十分納得行くまで 切り撮るところまでは行かなかった。少しは心残りができてしまった。今回「ギアの灯台」と「聖ポール天主堂跡」を訪ねることが できよかったが、その道草でまた消化不良を招いてしまったようだ。フェリーターミナルに戻り、フェリーに駆け込んだ。

  今回は、高速フェリーで香港島南岸の地先に浮かぶ「南Y島」にある漁村文化村を訪れた。大きな浮体構造物の上に築かれた、観光客 向けの漁業と漁村生活をメインテーマするパークである。実物の小型漁船、各種の漁船模型、漁具などが展示されている。 あるグループツアー客25~26名が実物のドラゴンボート(龍船)への試乗体験を楽しんでいた。真剣に櫂の漕ぎ方を地上で学んだ後、 実際にボートに乗り込み海上で漕ぎ方実習をしていた。そのうち全員の櫂が噛み合い調整されるようになったところで、 2艘でのレースにチャレンジしていた。

  さて、数年後に3度目の香港・マカオへの旅が実現した。渡航する特別の事情が発生しなかったならば、その再渡航はありえなかった。 ともかく、それをチャンスにして、用足しを数時間で済ませた後一目散に、「香港海洋博物館」を再訪し、隅から隅までじっくりと 巡覧し、新しい発見をしながら再び沢山の画像を切り撮った。そして、翌日には、マカオに早朝から一人出向いた。今回は寄り道もせずストレート に博物館へ出向いた。今度は開館には早過ぎるほどであった。時間調整のため、博物館のすぐ近傍にある媽祖を祀る由緒ある天后宮 (媽閣楼廟 Templo de A-Ma。15世紀建造の寺院)に旅の無事を感謝しお詣りした。媽祖の小さな人形を飾り立てた船模型を記念に 切り撮った。日本でも、船主や船頭らが航海の無事を祈り、また感謝して金刀比羅神社や最寄りの所縁の神社に、自身の船の 絵馬や模型などを奉納するという伝統文化がある。それと思いは全く同じで、彼らも天后宮に奉納したのであろう。

  その後、開館一番に入館し、午后5時に閉館するまで、昼食の小一時間を挟んでじっくりと巡覧した。これ以上見学する 展示品や英語版展示パネルもないというほど画像を切り撮ることができた。これで帰国後じっくりパネルを熟読することができる はずであった。かくしてようやく3度目にして、後ろ髪を引かれることなく、巡覧の充足感を心に一杯詰め込んで博物館に別れを 告げることができた。

  さて、翌日思い切って香港の西方に浮かぶ「ランタオ島」へ路線バスで出かけた。同島には香港国際空港があり、空港駅の一歩手前の 駅で下車し、路線バスで島西部の「大澳」を目指した。大澳はさしずめ「香港のベニス」とも呼ばれ、一昔前の古き香港の原風景 を観ることができるという。干満差の激しい狭水路や入り江を辿り行くと、迷路のように入り組んでいて、両岸にはたくさんの 長い木杭を打ち込んで、その上に家屋やテラスが築かれている。そんな家々が狭水路や入り江にせり出し向かい合っている。 いわば、狭水路沿いに高床式の家々が居並んでいるかのようである。昨今では日本でそんな風景を見ることはめったにない。 観光客はその水路をボートで、せり出した家々やテラスを見上げながら遊覧する。どこかノスタルジックな中国の原風景である。 集落内には小規模だが、漁村で使われてきた伝統的な漁具漁法を紹介する文化展示室もあった。かつては漁業で生計を立ててきた集落であり、 その狭い路地道には魚介類の乾物などを売るたくさんの店が軒を連ねる。大澳は日本の古き良き「昭和時代」の漁村の風趣を感じさせる 水郷集落の一であった。


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