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    第21章 完全離職後、海外の海洋博物館や海の歴史文化施設などを探訪する(その2)
    第3節 台湾の海と港(基隆・淡水・高雄)を巡り、海洋博物館を探訪する


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     第21章・目次
      第1節 カナダ・バンクーバー経由で、キューバの海と要塞を訪ねて
      第2節 香港とマカオの海洋博物館などを駆け巡る
      第3節 台湾の海と港(基隆・淡水・高雄)を巡り、海洋博物館を探訪する
      第4節 中国の「上海航海博物館」と「京杭大運河」(杭州・南京・蘇州)を訪ねる
      第5節 ポルトガルからスペインを経て、ギリシア・エーゲ海に憩う/2018.9

      序章~第11章 | 第20章  第22章 | 第23章~最終章


  初めての台湾旅行に出立した。2016年6月のことである。沖縄本島の目と鼻の先にありながら、台湾へ旅したことが無く、一度は足を 伸ばしてみたいと、漫然とではあるが、ささやかな期待を抱いていた。そんな折、ある日突然友人から台湾への旅の誘いを受けた。 背中を一気に押されて、即その場で「OK」の返事をした。それは5日間の台湾一周格安団体ツアー(2016.6.24-28)であった。 島内を一周するお決まりの弾丸ツアーであった。だから、ツアーコースからわずかでも外れて、海洋関連の歴史文化施設などに 立ち寄れるような自由時間を望むべくもなかった。とはいえ、これをチャンスにネットで台湾のことを調べると、幾つもの海洋 関連の博物館や歴史文化科学施設があることを知った。だがツアーでの自由行動は皆無であったので、最初から諦めはついていた。 だとしても、周遊の地として港湾都市の基隆や高雄にも足を踏み入れるので、それらの港景くらいは垣間見れるものを 期待した。兎に角、友人と純粋に旅を楽しむことに主眼を置くことにした。

  台北国際空港に夕刻到着後、すぐに貸切バスで台中に移動し、そこで泊した。翌日、台湾の背骨とも言うべき「中央山脈」の 中央西端部の山中に位置する「日月潭湖」という高山湖と、その湖畔の高台にある荘厳な「文武廟」を訪ねた。廟から眺める湖 は、その周囲を緑豊かな山々に抱かれ、神秘的で穏やかな湖水を湛える、まさに景勝の地であった。 その後、観光バスは嘉義という町近くで、北回帰線記念塔が建つ公園に立ち寄った。そこで回帰線をまたいだことにして、台南へと向かった。 台南では、1660年代に創建されたという台湾で最古の「孔子廟」などを見学した。その後、国際港湾商業都市・高雄へと移動した。 郊外にある風光明媚な湖「蓮池潭」の畔に立つ「龍虎塔」に立ち寄った。龍の馬鹿でかい口から入り、七重の塔の天辺まで巡った後、虎の でかい口から外へ出れば、身が浄化されるという。これで福を授かることができれば誠にありがたいことであり、お布施も高くは ないと言うものである。

  その後、高雄市街地に移動し、鉄道駅「高雄」から4㎞ほど西方の山中にある「壽山公園」へと向かった。公園の展望台からは 市街地だけでなく港全体を鳥瞰することができた。これこそが今回のツアーで最も期待していた風景であった。当初は、昔の神戸港 のように何本もの外貿埠頭が台湾海峡に向けて突き出しているものと想像していた。だが全くそうではなかった。細長い砂州のような 平野部が海峡に沿って伸びており、その内側に内港(インナーハーバー)が細長く伸びていた。港湾施設はほぼ100%その内港に 立地している様相であった。そして、市街地がその内港の陸地側に大きく広がっていた。市街地には高雄のランドマークとなっている、 一本の超高層ビル「高雄85大樓」が天に突き刺すようにそそり立つ。天候も良く、市街地の向こうに広がる「台湾海峡」の180度 パノラミックビューを暫し眺め続けた。高雄港とはどんな地形に抱かれる港なのかずっと関心があったので、それを 眺望できたことは、私的にはこれだけでもツアーに参加した価値があったと、内心秘かに悦にいった。

  その後、列車に乗せられて太平洋に面する町・台東へと移動した。そこで、貸切バスに乗り換え、岩石海岸沿いに50kmほど北上し、 三仙洞という風光明媚な名勝地に立ち寄った。岸から地先の小島まで8の太鼓橋が伸びている。龍が海に向かって泳ぎ出て、海中の 竜宮城から美しい姫を迎えるかのような海景に見えた。その後、台湾東海岸沿いの最大の都市・花蓮へ向かった。その夜は「阿美文化村」にて先住民族のアミ族の 伝統的民族舞踊と音楽のショーを観覧した。翌日、再びバスで北上を続けた。台湾の東部地域では「中央山脈」が馬の背のように 南北250kmほどに貫く。そして、嶮しい山岳が東部海岸へと一気に迫り、海へと没している。差し詰め富山県・黒部渓谷のような急峻 な峡谷に沿って道路が縫うように走る。「太魯閣峡谷」のことである。ツアーでは、そんな嶮しい峡谷に少しだけ足を踏み入れ、 台湾の多様性のある自然造形美を拝観した。その後、宜蘭というところで電車に乗り換え北上を続けた。

  台湾北端の港町・基隆の少し手前で下車し、再びバスで九份という山腹に広がる村に案内された。九份はかつて金鉱の街として栄えた。 急階段に沿って、また狭く入り組んだ路地に沿って、昔ながらの赤提灯をぶら下げた古民家のショップやカフェなどが軒を連ねる。 また1934年からの旧映画館が路地奥に遺されていたりで、ノスタルジーを誘う。急階段も路地もすれ違うのもやっとである。九份では まさにされらがメイン・ストリートとなっており、そこに観光客らで溢れる。私は全く心得が無かったが、旅の相棒によれば宮崎駿監督の アニメ「千と千尋の神隠し」の街のモデルとなったという。基隆の街を遠くにかすかに臨めるカフェで、相棒と暫し休息し旅のよも やまの話に花を咲かせながら、ゆるやかに流れる時間を楽しんだ。

  さて、私的にはもう一つ期待を寄せる港町があった。バスは日本とも歴史的繋がりの深い基隆へと向かった。期待は裏切られなかった。 市街地中心部と港全体を見下ろせる、馬鹿でかい観音像が建つ「中正公園」の山頂からのパノラミックビューに巡りあえた。 「これが基隆の港なのだ」と一人内心で感激の叫びを上げ、感涙するばかりであった。船乗りを夢見ていた頃からどんな所か一度は見た かった。その景色にありつけたことに感謝するばかりであった。21世紀となった今では、基隆の港は既に手詰まりであろうが、 港は奥行きの深い良湾に立地し、その最奥部に定期客船の発着場が発展してきたことを見て取った。複雑に入り組んだ入り江、 港湾全体、湾奥の波止場や埠頭、そして湾奥周辺のわずかの平地に発展してきた市街地など、 山頂から絶景を鳥瞰できただけでも、ツアーにジョインした甲斐があった。人知れず心は子供のように興奮状態であった。

  さて、翌日には台北市内の「故宮博物館」など幾つかの史跡を周遊し、お決まりの土産物店でのショッピングに付き 合わされた。旅道中ずっとこのパターンであった。相棒と私は、店内のカフェでのんびりと談笑しながら暇つぶしをした。高雄・基隆の港を 山頂から垣間見れたのは、近い将来台湾に舞い戻ってくる上で大いに参考になるものであった。旅を少し顧みて、毎日午前5時起床、 深夜近くに就寝と言う、いわば難行苦行型のツアー・パターンではなかったことに安堵した。 だが、予想通り朝の8時頃から12時間ほど毎日引き回されたものの、まだしも余裕のあるツアーであった。 5日間で台湾周遊、東西南北の主要都市や名所史跡を一気に駆け抜けた。海との関わりでいえば、高雄と基隆で、山頂から港全体を鳥瞰的 に眺望することができただけでも満足とする他なかった。それに台湾の東海岸沿いに300㎞余駆け巡り、時に風光明媚な海岸線風景を楽しむこと ができた。今回の旅では海洋関連の歴史・文化・科学的な施設を巡覧することは皆無であった。その点の成果は全くなかったが、 久々に友人と楽しい旅ができた。それに海洋関連施設の数々についての予備知識を蓄えることができた。

  また、台湾の社会事情全般の理解を深め、主要都市での土地勘を養うことができた。そのお陰で、中国語ができなくとも一 週間でも単独行できる自信のようなものが生まれて来た。次の本格的な海と港を巡る旅のいわば下見ができた。 次の旅は恐らく単独行に違いなかろうが、その計画が立てやすくなり、旅の予行演習にもなった。基隆の「国立海洋科技博物館」や 「海洋文化展示館」の見学、高雄港界隈の一人街歩き、世界的海運会社の「エバーグリーン社」が経営する台北市内の「海事博物館」 などを巡る旅を何時頃から始めようかと、このツアーが大詰めを迎えた頃にはわくわくした気分になっていた。

  帰国後、台湾には、「国立海洋科技博物館」の他どんな歴史・文化・科学関連の博物館が在るのか、それらをどう周遊するかの 具体的プランを本腰入れて練り出した。そのプラニングのために過ごす時間は楽しいものであった。やがて、台湾に博物館と 港巡りの旅に出掛ける機会が意外と早く巡って来た。最初の訪問から8か月後のことであった。今回の一週間の旅計画では、基隆、 高雄に加え、台北とその郊外の淡水への4大都市に絞って散策する計画を練り上げた。その敢行は2017年2月であった。 前回の旅で距離感などを学習できたこともあり、それほど悩むことなく旅程を立てることができた。

  初日は、台北空港から電車で台北へ向かい、そこで乗り換えて基隆へと直行した。地図を片手に街行く人に尋ねながら、 夜9時頃にはネット予約のホテルになんとか辿り着けた。仕事の出張者が常宿にしそうな、少し年季の入った2つ星の安ビジネス ホテルのような様相であった。翌日、路線バスで、「台湾海洋大学」のすぐ傍を通って、近年創建されたばかりの本格的な 「国立海洋科技博物館」へと、子供が遠足にでも行くように喜び勇んで出掛けた。

  余裕のある広大な海沿いの敷地に建てられた博物館の近代的建物の前に立った時は、全身に鳥肌が立ちぞくぞくしてきた。先ずは 館内をざっと巡覧した。海運、造船、港湾、船舶航海、漁業、魚貝類の食品加工、海洋鉱物資源開発、海や船の歴史、海洋科学技術など、海のさまざまなテーマに沿いながら 広範囲に渡り展示する近代的な総合的博物館であった。子どもたちのために、生きた海の生物を水槽に展示するミニ水族館コーナー だけでなく、電子・機械仕掛けで泳ぐ人工魚に慣れ親しめるように、自律型魚ロボットが遊泳するミニプールも用意されていた。 特に印象的であったのは、小中高校生が知的好奇心を高められるように、展示上のさまざまな工夫が凝らされていたことである。 海中での水圧、音の伝播の仕方、海水溶存元素量、海水と人間の血液の構成要素の類似性などを理解しやすいように、最大限に 可視化や模型化するための創意工夫がなされていた。館内でのランチをはさみ、一日中じっくりと何度も巡覧しながら、 画像をたくさん撮り溜めた。

  翌日、戦前日本企業によって建てられ使われてきたビルが今も遺される、基隆港の中でも最も中心地区を訪ねた。そんなビルの一つが 利用される「海洋文化展示館」を訪れた。「陽明」という民間海運会社が創建し運営する博物館である。基隆の港はざっくりと言えば、 奥行きの深い漏斗のような形状の入り江にある。その中でもかつて中国本土や日本などと行き来する近海定期航路客船の発着に使われた 桟橋・埠頭があったのは、その文化展示館が建つ辺りの波止場であったものと見て取った。その波止場界隈には戦前に建てられた幾つもかの 建物が遺され、どことなく戦前の日本の雰囲気を醸し出している。戦前日本・台湾間の定期客船はその最奥部にあるこの埠頭を発着場にしていたのは間違いない。 文化展示館には、背後の山(恐らく「中正公園」辺り)から港全体を撮影した数枚の戦前の絵葉書が展示される。それを じっくりと観察すると、基隆港のその当時の街の広がりや街並み、発展の系譜などがいろいろと想像される。街はその最奥の波止場 を中心に発展したようだ。陽明の展示館はいわばそんな旧港の波止場界隈に建っている。

  展示館の建物もいかにも戦前からある日本の建物の様相を呈し、戦前から海運会社や関連団体によって利用されていたと思われる。 館内には、多くの船舶模型の他、船橋シミュレーター、陽明海運会社の発展を示す史料などが展示される。陽明海運は現在では 大手コンテナ輸送の船会社である。英名は「Yang Ming Marine Transport Corp.」という。その前身は、1873年に清が上海に設立 させた蒸気船海運会社の「輪船招商業局」(China Merchants Steam Navigation Company)にまで遡る。麻薬撲滅に尽力を重ねた李鴻章が 命じて創建させた、いわば近代中国による最初の海運会社である。当時は沿海や河川輸送から手掛けた。それ以来、同局の海運業は発展を重ね、 現在の陽明海運会社に引き継がれてきた。

  さてその後、電車で台北に戻り、別線に乗り換えて、台北の北西20kmほどにある「淡水」という町へ向かった。台湾の大河の一つで ある「淡水河」の下流にあって、河川港市として発展してきた。台北の近郊週末リゾート地のようでもあった。陽のあるうちは、 街の川沿いの目抜き通りを暫く散策し土地勘を養った。そして、日本を出る前にグーグル・マップを見て克明に手書きしておいた、 予約済み民宿の位置図を頼りに捜した。だが、1時間ほっつき歩き回り、警察署やその他5、6か所で尋ねてみたものの、結局見つけられず、 疲れ果ててついに諦めた。

  駅前周辺でホテルのネオンサインを探し求めたが、それも徒労に終わり、結局「地球の歩き方」に掲載される 駅近くのホテルをあちこちで尋ねながらようやく探し当てた。そのホテルは、迷路のようなややこしい路地裏にあって、これでは辿り 着くのも至難の業と納得した。ホテルは薄暗く快適とは到底言えない、星1つか2つの場末の安ホテルであった。エレベーターが あるにはあるが、全くの旧式であった。部屋の中は廊下と同じくらい薄暗く、ベッドがあるだけ未だましと少しは前向きに捉え 、ベッドにその身を投げた。チェックイン時に少し解せないと思ったことがあった。ホテルの入り口では、まるで屋台のような 粗末なレセプションに一人のオジサンが座っていた。そして、彼に言われるままのホテル代を現金払いした。だが、領収書も くれず何の記帳も要求されず、おかしいなと思いつつも、そのまま部屋に転がり込んだ次第であった。

  さて、疲れて早々と就寝していると、夜中近くになって、突然ドアを激しくノックする音で目が覚めた。叫び声の「ポリース」 だけは理解できたので、仕方なくドアを開いたら、警官二人とオジサンが立っていた。警官にパスポートの提示を要求された。 警官はそれを検査した上で、問題なしと思ったのかすぐに立ち去って行った。何故部屋に彼らがやってきたか推測した。 巡回中の警官二人が部屋の鍵と宿泊客数とを照合した結果、記帳しない宿泊客が一人いることが判明し、警官は身元確認のために やって来たのであろう。テロリストか犯罪逃走者が潜伏でも していると推察したに違いない。オヤジさんは、無記帳のままにして、雇い主のホテル側に宿泊代金を引き渡さずネコババでもする つもりであったのであろう。だが、警官が見回りに来て、彼の小遣い稼ぎの計略が図らずもばれてしまったというのが事の顛末だろうと、 ベッドに潜り込んだ。それとも、ホテル側が警官にアルバイトをさせて、オジサンがねこばばしないように、時に監視させている のかもしれないと、想像を逞しくしているうちにまた寝入ってしまった。

  ところで、当時スマホを携帯しグーグルマップ画面を見ながら辿っていれば、容易にその予約していた民宿を探し出せたのかもしれない。 旅立つ前に自宅のパソコンで、プロッティングされた位置をグーグル・マップから写して手書きの地図を持ち歩いていた。だが、 民宿の実際の位置はその地図上の位置からかなりずれていたが故に、見つけられなかったものと推察した。苦い経験であった。学習をした。 実は半年後、中国に一人旅をした折には、スマホが必需品であることを決定的に、かつ嫌と言うほど認識させられた。 上海・杭州での2泊において立て続けに、全く同じトラブルを繰り返す結果となり、少なくとも2泊分二重払いを余儀なくされたと 言う経験をした。中国から帰国して2か月後には、「SIMカード・フリー」の格安スマホを入手した。少なくともホテルなどで 「Wi-Fi」でも利用できそうであった。その後、一度だけ海外(フィリピン)にスマホを携帯し、多少の便利さを享受できた。

  さて、翌朝早く、淡水市街地のすぐそばを流れる淡水河(台北市内を流れ下ってくる)沿いに散策した。川沿いのプロムナードに 昔の港風景などを紹介する金属製写真パネルが並べられているのを切り撮った。朝食後、目的地である淡江大学付属の「海事博物館」 へ出向いた。多くの船舶模型、中国の古代の船構造や航海用具の展示など、充実した内容であった。神戸大学(海事科学部)や東京 海洋大学付属の「海事博物館」などと似かよっている。

  その後、電車で台北に戻り、目途にしていた市街区の一角でホテルを探し投宿した。翌日、地下鉄MRT「台大医院駅」からほど近いところ にある世界的な海運会社の一である長榮(「エバーグリーン社」)が創設した「海事博物館」へと出かけた。グローバルな海運企業だけあって、世界中から一級品と目される 船舶模型や海洋画などが、近代的ビルの一部を博物館にして展示されていた。1階ロビーには、実物の小型ダウ船、台湾の付属島嶼の 先住民族が今でも使いこなす伝統的な漁撈用アウトリガー、中近東・アフリカ北東岸への航海を含む遠洋航海を何度も行った鄭和の 宝船(いわば旗艦)の巨大模型、ベネチアのゴンドラなどの実物などが並べられ、それら展示の壮観さと迫力に唖然とさせられた。 上階には、比類なきまでの技巧と緻密さをもって組み立てられたな数多の帆船・艦船の模型コレクション、数多くの海洋画・船舶画の他、海運や航海の世界史、 台湾での港湾開発、パナマ運河の拡張計画などに関するパネル展示がある。一階部分を除いて撮影は原則禁止であった。

  翌日、新幹線で、訪れたいもう一つの港町の高雄に向かった。高雄駅前の安宿に飛び込みチェックインできたので、フロントに荷物を預け、地下鉄MRTで、 「西子湾駅」という終着駅を目指した。というのも、同駅が、高雄本土から対岸の「旗津半島(チージーバンダオ)」に渡るフェリー乗り場の最寄駅であった から。「旗津」は日本語読みで「きしん」である。既に述べたが、高雄港の港内水域と港湾施設は、高雄市街地のある本土と対岸の 細長く伸びる「旗津半島」との間に広がる内港(インナー・ハーバー)に位置している(いわば潟湖が内港となっている)。インナー・ハーバー北部の水域をフェリ ーで対岸の「旗津半島」へと渡った。そして、船着き場から南に4,5km離れた内港埠頭沿いにある、「陽明海運会社」が経営する 「海洋文化展示館」へと向かった。 基隆のそれとはいわば姉妹館のような関係であった。数多くの船模型の他、人類の航海の足跡をたどる歴史年表のパネル展示など、基隆とそれとは 異なる興味深い展示に巡り遭うことができた。

  展示館は漁船などが出入りする漁港の外側の突堤上にあった。突堤は高雄港のインナー・ハーバー(港内水域)に面しており、 多数の大型船舶が停泊し、また通航して行く。台湾の漁港の様子を知るため暫し散策した後、路線バスでフェリー船着き場 へ戻ることにした。だが、気が変わり、往きのバスの中から垣間見た公営の「旗津貝殻博物館」に立ち寄ることにした。少々疲れ気味であったが、 思い切って見学した。正直余り期待はしていなかった。台湾海峡に面する大きな旗津公園内にある同館は訪れる人もまばらであった。 ところが、入館してみてびっくり仰天した。何千という貝殻標本がガラス陳列棚に整然と綺麗に展示されていた。1時間ほどで閉館時間となり、 わずか数10%くらいしか画像に切り撮れなかった。自由に撮影できたことも嬉しかった。後ろ髪を引かれながら、博物館を後にした。再訪する期待と 口実ができた。その後公園の海辺に出て一休みした。台湾海峡の水平線に陽が近づきつつあった。やがて海面に一本の長い光の柱が 立ち、強烈な黄金色を放った。海辺では太公望が黄金の柱に向けて糸を垂れていた。

  フェリー船着き場に戻った後どうするか思案した。乗り場は旗津半島の最北端近くにある。乗り場のすぐ北側には標高100mほどの小高い丘があり、 そこに登り、半島と内港全域や市街地を眺望することにした。まだ日が落ちるまで1時間ほどあった。山頂には古くから「高雄燈塔」という 灯台や「旗後砲台」などがある。丘から南を見渡すと、眼下西側には台湾海峡があり、中央には細長い砂州である半島が南北に伸びる。 その東側には高雄港の細く伸びるインナー・ハーバー全域と、市街地全域を眺望できた。海峡に面する西側の海岸に沿って幾つもの 「T字形」の突堤が突き出し、海岸の砂が浸食されのを防ぎ、養浜しているのを見て取れる。山頂からは、台湾海峡の外海から高雄港 に出入りする、幅わずか数百メートルの狭い湾口(狭水道)が見て取れた。かつての台湾団体ツアーでは、本土側の別の山頂(中正公園) からそれら港全体を遠望したが、その時は高雄港への狭水道は山裾に隠れていたためそこが港口であるとは全く気付かなかった。 実は、半島の南端には人工水路が開削され、もう一つの湾口がある。ゆえに自然の地形としてはかつては砂州の半島であったが、 現在では超細長い形状の島となっている。地図で見るとその人工水路はどうも狭くて大型船舶の出入りは不向きなように見える。

  ところで、台湾に「国立海洋生物博物館」という施設がある。高雄から海岸沿いに200㎞ほど南下すると、バーシー海峡を臨む 最南端部(屏東県)にそれが所在することは分かっていたが、残念ながら日程の都合がつかなかった。その他に台中市に「国立自然科学博物館」もある。 幸いなるかな、台湾に再び舞い戻り訪ね歩くための立派な口実になり、また心に灯る希望にもなるものであった。 台湾を再訪するための、それなりの強い動機と希望を持ち続けたい。翌日台北にストレートに戻るにはまだまだ 時間的余裕があったので、海洋生物博物館の代わりにと、途中下車して鄭成功とゆかりの深い地である台南を散策することにした。

 先ず、市街地にある鄭成功ゆかりの「赤嵌樓」に立ち寄った。それは1653年オランダ人が創建した城で、かつては「プロビデンシャ城」 と呼ばれた。1661年に鄭成功がオランダ軍を駆逐した。震災のために現在では城門などごく一部だけがオランダ統治時代のものとして 遺されている。その後、台南駅の西方郊外にある安平という歴史のある港町を散策した。台湾の発展はこの安平を起点にして 広がったといわれる。安平には「安平古堡」が有名である。オランダが侵攻してきて要塞を築き占領・支配していた地でもあるが、 鄭成功がオランダ軍部隊を駆逐したことで有名である。その要塞内には展示室が設営されており、オランダ軍と鄭成功らとの戦い などの歴史関連史料のパネル展示が興味深く、それからいろいろ学ぶことができた。

  安平には「運河」と称される古い水路がある。安平の沿岸域には低湿地帯が広がり、昔から水路網が発達していた。海から その水路を経て街に出入りする船を取り締りまる「税関・関所」が設営されていた。その機能を果たしていた館は現在「運河博物館」 として公開されている。「運河」と名の付く博物館は珍しく思い楽しみにして訪ねた。だが、館内にはほとんど見るべき史料展示は なく、がっかりさせられた。博物館の建物はかつてはそのすぐ前の運河を通行する船を管理する官吏の事務所であった。

  その後、在来線で少し北上した後、新幹線と交わる駅で乗り換え、台北へと戻った。そして、翌日帰国した。1週間ほどの旅 であったが、ほぼ安全かつスムーズに、あたかも日本国内を旅するような感覚で周遊することができた。それに、基隆、淡水、台北、 高雄の主要な海洋博物館などを訪問し大いに知的刺激を受け、また画像撮影においても成果大いであった。だが、まだまだ探訪したい 海洋歴史・文化・科学的施設を積み残してきた。次回の台湾訪問を楽しみにしたい。海外の旅でもスマホを持ち歩くだけでなく、 自由自在に操れるだけのノウハウは、旅の必需であると再認識させられた。


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    第21章 完全離職後、海外の海洋博物館や海の歴史文化施設などを探訪する(その2)
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