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    第22章 日本国内の海洋博物館や海の歴史文化施設を訪ね歩く
    第2節 東京・関東地方の海洋関連施設を巡覧する


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     第22章・目次
      第1節: 日本国内のウォーターフロント、海洋博物館や海の関連施設 を探訪して(総覧)
      [参考]国内の旅のリスト(博物館巡覧を含む)
      第2節: 東京・関東地方の海洋関連施設を巡覧する
      第3節: 大阪・神戸・関西地方の海洋関連施設を巡り歩く
      第4節: 地方の海と港、海洋関連施設を訪ね歩く
      第5節: ウォーターフロントや海洋関連施設巡りの「旅と辞典づくり」は続く


  国際協力事業団(JICA)からの完全離職の結果「自由の翼」を得た。仕事から解放されて正真正銘の自由人となり、いよいよウェブ 海洋辞典づくりに全エネルギーを注ぎ込めるようになった。先ず、辞典のコンテンツのトータルレビューに着手した。 多くのファイルには言い訳がましく「作成中」という注釈が付けられていたので、それらを一通り完成してそんなレッテルを取り払った。 また、コンテンツの「選択と集中」の観点からコンテンツの整理を押し進めた。辞典のビジュアル化をどう進めるかも重要なテーマで あった。過去に切り撮った数テラバイトにものぼるデジタル画像を加工処理し、「一枚の特選フォト海と船」と題するギャラリー にアップすることも精力的に推し進めたかった。

  自由人となって思い通りに時間を割くことができるようになったもう一つのことがあった。海外への旅だけでなく、国内 各地のウォーターフロントや海洋関連施設巡りであった。思い描いてもかつてはなかなかできなかった国内外の海洋関連施設巡り の旅も恒例行事のようにで実現できるようになった。海辺の自然と触れ合うことが多くなる一方、多岐にわたる海洋関連施設への探訪も楽しめるようになった。 そして、辞典のビジュアル化も格段と押し進めることができた。特にJICAからの離職以降、旧友の東さんに声を掛け、月例会のようにして、1か月に 一度くらいのペースで二人して都内や地方のウォーターフロントや海洋関連施設その他史跡の探訪に足を運んだ。時には足をさらに伸ばし、 中国、台湾、韓国などのウォーターフロントや歴史・文化・科学系博物館や、海にゆかりのある史跡などを巡り歩いた。

  因みに、テーマやジャンル別に海洋博物館やその他の施設を類型化することは後にして、先ず総合的な 「海洋・海事博物館」を例示してみたい。離職して暫くは、館名に「海洋」や「海事」、あるいは単に「海」という文字 が付けられた、比較的規模が大きく総合的な博物館をターゲットにして探訪することが多かった。日本には幾つものそんな名称を 冠した博物館、あるいはそれに準じる海洋博物館がある。

  例えば、大阪の総合的海洋博物館と位置づけられるに相応しい「なにわの海の時空館」、神戸では「神戸海洋博物館」、名古屋 では「名古屋海洋博物館」などである。さらに、岡山県玉野市渋川にある「玉野海洋博物館」では、水族館の他に、貝類標本、魚類 剥製、船舶・灯台模型、海洋機器実物などが展示される。愛媛県高松に近い琴平には、金刀比羅宮(ことひらぐう)への登り口近く にある「琴平海洋博物館」(海の科学館)があり、船のブリッジ操作体験施設をはじめ、海の歴史、船の資料・模型、深海の世界、 江戸時代の船着き場などを展示している。茨城県大洗町には「大洗海洋博物館」(大洗磯前神社付属の博物館)があり、海洋生物標本、 漁具漁法の模型、船舶模型などが展示される。

    また、静岡県には東海大学の「海洋科学博物館」、神戸市には神戸大学海洋科学部(旧神戸商船大学)の「海事博物館」などがある。 北海道道南の広尾町には「海洋博物館・郷土文化保存伝習館「海の館」」や、道東の厚岸町には「海事記念館」、三重県鳥羽市には 海と人間のかかわりや木造船と航海などをテーマに、海民の伝統・文化・歴史に関わる実物資料、漁撈具、志摩の海女漁、 実物の八丁櫓船などを展示する「海の博物館」がある。また、鳥取県境港市には各種漁具漁法、魚介類の剥製などを展示する 「海とくらしの史料館」がある。千葉県館山市内の「千葉県立安房博物館」では、その昔、「房総の海と生活」をテーマに、地域 漁民の生活・文化・歴史を紹介し、漁具、漁撈船、丸木舟、万祝などを展示していたが、現在(2022年)は、「館山市立博物館分館 渚の博物館」となっている。「千葉県立中央博物館分館」としてJR外房線・鵜原駅から徒歩15分ほどにある「海の博物館」では、 名称的には総合的な海洋博物館を連想するが、実質的には「房総の海の自然」をテーマとした自然系の博物館である。 近くに勝浦海中展望塔がある。

  首都圏において海・船・港などを総合的に展示する海洋博物館で忘れてはならないのが、お台場の近接地区にある「船の科学館」 である。海洋の名称を冠していないが、れっきとして日本を代表する総合的海洋博物館である。 その「船の科学館」には、千石船の大型模型の他、いろいろな船舶模型、船の内部構造模型、船模型実験用の水槽、 各種航海計器、ガントリークレーンやコンテナ積み下ろしの仕組みを学べる港湾ジオラマ、捕鯨砲と銛先、以西底引き網漁業、 母船式サケマス漁業などの漁法紹介パネル展示、古代エジプトの船から1940年代の豪華客船「浅間丸」までの世界と日本の各時代を 代表する船模型と共に、船の発展史を紹介するパネルなどが展示されていた。また、青函連絡船として活躍した実物の 「羊蹄丸」が係留・公開されていた。船内には昭和30年代の青森駅構内や駅周辺、連絡船への乗船風景などを実物大で再現した 「青函ワールド」という展示があった。また、南極観測船 「宗谷」が係留展示されている。屋外には調査用潜水球「たんかい」、 対馬海域で引き揚げられたロシア帝政時代の巡洋艦「ナヒーモフ」の主砲、海底居住実験室などが展示される。

  だが、「船の科学館」は何時の頃からか長期休館となっており、2012年頃には事実上閉館されてしまった。「海洋国家」の一市民 として残念至極で寂しい限りである。来館者数が減少し、経営的に厳しい状態が長く続いたのが最大の要因と推察される。現在は本館における一般公開は 全て取り止めになっている。ただし、ミニ展示館がその別館としてこじんまりとオープンしてきた。 再開のスケジュールがないまま、同館が休館することを知った2011年当時、急いで3,4回足を運んでじっくり隅々まで見学し、 多くの画像を切り撮った。今もって(2022年12月現在)再開の目途が立っていない。 その後、2000年に開館した大阪の総合的な海洋博物館である「なにわの海の時空館」も、それを追い駆けるように完全に閉館されて しまった(2013年3月閉館)。時空館についても見納めするために数回大阪に足を運んだ。海洋国家の日本を代表する二つの海洋博物館 が閉館に追い込まれてしまったことは残念極まりないと、繰り返し声を上げたい。

  翻って、日本とは真逆の風景を、中国・台湾・韓国・シンガポールなどにおいてお目にかかった。総合的で近代的な大型海洋 博物館がそれらの国々で続々とオープンしていた。例えば、中国・上海の「航海博物館」や韓国・釜山の「海洋博物館」、台湾・ 基隆の「海洋博物館」、シンガポールのセントーサ島レジャーランドの「海洋博物館」などが相次いで完成しオープンしていた。 2011年からのJICA離職後に順次訪問して、それらの博物館展示に感動を覚えた。他方、それら諸国が放つ上昇的気運や国威発揚の 息吹を目の当たりにした時は、深いため息をつきショックを隠し切れなかった。やはり、東京と大阪の二大都市における斜陽的な 傾向の余りの寂しさも相当影響した。

  横浜にも、かつては「横浜マリタイムミュージアム」と呼ばれる博物館があった。漢字に置き換えれば「横浜海洋博物館」である。 旧運輸省所属の航海訓練船「日本丸」と共に、総合的な海洋博物館であると理解していた。だが、「日本丸」には何らの変更もないが、 本館は現在は「帆船日本丸・横浜みなと博物館 」へと名称変更され、かつ展示内容も総合的なものから横浜開港や港湾関連のそれ へとシフトしたような印象を受ける。現在はその名の通り、港湾や開港に展示の重点が置かれた博物館といえよう。

  さて、都内や関東地域には、総合的海洋博物館の他に、船舶、港湾、灯台、漁業・養殖、運河、内陸舟運などに特化した博物館や 資料館、あるいはそれらに関連する展示室やコーナーを館内に擁するユニークな施設がある。 例えば、これまで都内や関東圏にある数多くの船舶博物館を訪ねた。それを大きく分ければ、退役した実物の船舶あるいは実物大の 復元船(レプリカ)を展示する博物館がある一方で、船模型をメインに展示する博物館がある。もちろん、船模型を展示するのは、 「海洋」「海事」「海」という名称を冠する博物館だけでなく、海にまつわる何らかの展示室やコーナーをもつほとんどの施設で見られる。 また、海洋関連施設とは思われない歴史・文化・科学系の博物館や資料館・郷土館でも、多少の船模型を見ることができる。

  深い印象と驚きを隠せなかったのは、鉄道をメインテーマにする「交通博物館」にも数多くの船模型が陳列されていたこと である。同博物館はかつて都内のJR秋葉原駅近くに所在していた。2003年に一度訪れた(現在は埼玉県さいたま市大宮区の「鉄道博物館」 に引き継がれている)。鉄道に特化した博物館であったが、多数の船の模型、例えば、丸木舟、竹筏や皮袋の筏、木の枝で骨組みを編み 動物の皮を張って作られたアイルランドの獣皮舟(コラクル)、日本の千石船、縮尺50分の1の「咸臨丸」(かんりんまる)など。 咸臨丸はオランダから購入された汽帆船(きはんせん)で、練習船として使われ、日米和親条約の批准書を携えた遣米外交使節を 乗せて日本船として初めて太平洋を渡海した。   その他、「明治丸」、義勇艦「さくら丸」、大型木造汽船「小菅丸」、関西汽船の「くれない丸」、「山陽丸」、戦艦「武蔵」、 旧運輸省の航海訓練帆船「日本丸」、海外との貿易に熱心であった豊臣秀吉が鳥羽の領主に命じて造らせた軍船「日本丸」 (当時としては特別の大型船で、100丁の櫓と1枚の帆 を備えていた)、近代船「剛邦丸」、「しらはま丸」、その他ロバート・ フルトンが1807年に建造・実用化した最初の蒸気船「クラーモント号」。米国のロバート・フルトン(Robert Fulton)の「クラーモント号」 (ハドソン河のニューヨーク~アルバニー間を定期航行した客船)などが展示されていた。

  その他、横浜の「日本郵船歴史資料館」が船模型主体の展示館であったとの印象をもつ。展示模型は主に日本郵船が実際に 所有していた船舶の精巧な模型が多い。同館ではまた、日本郵船自身の発展をたどる資料とともに、近代日本海運の変遷史を学べる多くの 資料を一般公開している。

  さて、日本全国を見渡すと、退役した実物の船舶、あるいは復元された実物大の船舶が展示される博物館が各所にみられる。 例えば、見学の機会はまだないが、北海道・江差の海辺に錨を下ろす復元船の「開陽丸」がある。また、函館のウォーターフロント に実物の青函連絡船「羊蹄丸」、青森には同連絡船「八甲田丸」が停泊する。青森港からほど近いウォーターフロント にある「みちのく北方漁船博物館」では、「みちのく銀行」(本店: 青森市)によって地域文化の保存に役立てるために収集された 木造小型漁船100隻以上が展示されている。1960年代まで津軽海峡沿岸で使用され、海岸で朽ちかけていた木造漁船(例えば、津軽海峡 周辺で使用されていた「ムダマハギ」と称される木造の小舟)が展示される。展示物には諸外国の小型漁労舟(実物)が多少混在している。 また、バイキング船や千石船などの実物大の復元船も屋外に展示される。

  東北地方では、宮城県石巻の「宮城県慶長使節船ミュージアム」(愛称「サン・ファン館」)に復元船をみることができる。 即ち、同館に隣接する入り江には大型復元ガレオン船「サン・ファン・バウティスタ号」が展示される。仙台藩主・伊達政宗の命で スペイン、イタリアへ派遣された支倉常長一行の慶長遣欧使節団が乗り込んだ洋式木造帆船である。大型ハイビジョン映像とシュミ レーターで当時の航海を模擬体験できる。だが、2011年3月の「東日本大震災」による大津波で同館は大きな損壊を受けたが、 2013年にサン・ファン館は再オープンされた。ただし、ガレオン船については2020年以降の解体が決定されている。また、 牡鹿半島尖端の鮎川にある「おしかホエールランド」には、実際に使われていた捕鯨用キャッチャーボートが係留展示される。

  新潟県佐渡島の小木町にある「佐渡国小木民俗博物館」には、実物大の復元船で千石船の「白山丸」が展示される。同館には船大工道具・和船 資料・漁撈用具など国指定重要民俗資料2,000点以上が収蔵される。「白山丸」は地域振興の一環として、幕末から明治にかけて 北陸と大阪との間の物資輸送に従事した木造和船の北前船を復元したものである。町内に残されていた図面を基に、 当時実在していた木造船を忠実に復元したものである。北陸地方の射水市には、横浜の「日本丸」と同じく旧運輸省の初代航海練習 帆船であった「海王丸」が、「海王丸パーク」内の岸壁に停泊公開される。隣接する「日本海交流センター」内には、船模型展示 コーナーが併設される。名古屋港の「名古屋海洋博物館」の傍の岸壁には、南極観測船「ふじ」が繋船展示される。

  和歌山県東牟婁郡(ひがしむろ)太地(たいじ)町の「太地町立くじらの博物館」にも実物のキャッチャーボートが展示される。 「くじらの博物館」には、鯨の生態に関する史料、約700年の歴史を誇る太地の古代捕鯨から南氷洋での近代捕鯨までの、 捕鯨発祥の地として栄えた太地の捕鯨史や関連資料を展示する。セミクジラと勢子船の実物大模型、鯨の骨格なども展示される。 また、奈良市の「奈良・平城京歴史館」には、西暦630年から894年までの間日本から中国・唐に派遣された公式の使節(朝貢使)である 遣唐使船が復原展示される。619年に隋が滅び唐が建国されたので、それまで派遣していた「遣隋使」に替えてその名称となった。 東海大学の「海洋科学館」には、海洋調査船「望星丸」が陸上に展示される。

  ところで、首都圏・関東地域での海洋関連施設をジャンル別に振り返ると次のように概観される。先ず、 実物の船舶が岸壁やドックに横付けされ係留・展示されたり、陸に引き揚げられ陸泊展示される「船舶博物館」といえるものがある。 例えば、「船の科学館」には南極観測船「宗谷」が、また明治天皇の北海道行幸に際して帰途乗船された「明治丸」が東京海洋大学 (旧東京商船大学)越中島キャンパス内に展示される。

  また、「横浜みなと博物館」に併設展示される旧運輸省の初代航海練習帆船「日本丸」が、また横須賀にはロシアのバルチック 艦隊との間で日本海海戦を交えてきた軍艦「みかさ」が陸泊展示されている。同艦は旧日本連合艦隊・東郷平八郎提督が乗艦した 旗艦でもある。開戦に当たり「Z旗」を掲げたことでも知られる。艦内には両国艦艇による海戦の展開を模した大型のジオラマ、 東郷司令長官の遺品、両国艦艇の記念品などが陳列される。

  その他、都内で実船が展示される博物館としては、「都立第五福竜丸展示館」(江東区・夢の島)がある。1954年ビキニ環礁での米国による 水爆実験で「死の灰」を浴び被爆した遠洋マグロ漁船の「第五福竜丸」が展示される。 被曝後、日本政府によって買い上げられ改造されて、当時の東京水産大学の練習船「はやぶさ丸」となった。その後廃船となり、 ある業者に売船された。船からエンジンだけが取り外され他者に売却された。そして、船体自体は「夢の島」(当時は東京都のゴミ処分場 であった)へ捨てられた。「第五福竜丸」のエンジンを据え付けた船が、1996年三重県熊野灘の海底で発見され引き揚げられ、 1998年3月に同展示館へ寄贈された。現在では同館に実物の船体とエンジンが共に保存されている。

  無線長・久保山愛吉氏が使用した無線機や、同氏が打鍵した電文の受信記録、当時の当直日誌、シンチレーション計数管や ガイガー計数管、「死の灰」の標本、福竜丸の廃棄から展示に至るまでの十年史を写真で辿るパネル、福竜丸の出航から被曝・帰港 までの航海図などをじっくり巡覧すれば、その史実の重みを知ることができる。

  横浜港にも幾つかの船舶博物館がある。先ず、山下公園の桟橋に係留されている日本郵船の「氷川丸」。昭和5年~35年まで 北米航路の定期船として活躍した客船である。船内では当時をしのばせる豪華な特等船室の他、ブリッジやその航海運用の計器類、 エンジンルームなどを巡覧できる。また、「赤レンガ倉庫」近くの海上保安庁「海上保安資料館」には、日本の巡視船と激しい実弾銃撃戦 を繰り広げた末に鹿児島沖で自爆・沈没した北朝鮮の工作船が、後に日本側で引き揚げられ、その船体と搭載武器などが生々しい 姿で一般公開されている。

  また、さすがに漁業王国だけあって、漁業や養殖に特化した博物館・資料館が多い。例えば、東京海洋大学品川キャンパス (旧東京水産大学)には、「水産資料館」(現・東京海洋大学「マリンサイエンスミュージアム」)や「鯨ギャラリー」がある。同館には 海洋生物の驚くほど数多くの剥製標本や漁具漁法に関する模型などが展示される。例えば、捕鯨用器具(手投げ銛など)、 捕鯨用ボンブランス式手投げ銛、ノルウェー式捕鯨砲、一艘旋きのイワシ旋網(巾着網)漁業の模型、 マグロ延縄漁具の構成(ボンデン、枝縄(えだなわ)、せきやま、ち元ワイヤー、針など)の展示など。さらには、 マグロ延縄用ロープ、流し網・浮刺網・流刺網(流網)・桝網(ますあみ)・二重落し網・張網・網魞・大敷網・四艘張網・ 八ツ手網・かけひ網・四ツ手網・巻き網・底刺網・浮刺網・流刺網などの模型が所狭しと展示される。さらに、木錨、結索の見本、 ダウ船模型などもある。また、学内にはセミクジラやコイワシクジラの全身骨格標本を陳列する特別館「鯨ギャラリー」も 併設されている。

  東京・太田区にはのり(海苔)養殖に特化した資料展示館「大森海苔のふるさと館」がある。かつては大田区の地先海域では海苔の養殖が盛んであった。 品川区・江東区などの地先でも江戸前ののり養殖が盛んであったが、都内で主にのり養殖に特化して展示するのは同館だけである。 大森のり養殖場でののり養殖生産をメーンテーマに据えて、実物のべか船(のり養殖などのために用いられた一人乗りの小型平底舟)や 養殖生産工程のパネル展示、のり養殖に関する多種多様な生産道具などが展示される。

  千葉県館山市にはかつて「千葉県立安房博物館」があった。「房総の海と生活」をテーマに、地域漁民の生活・文化・ 歴史を紹介するものであった。漁具・漁撈船、丸木舟、万祝などの文化財を展示した。例えば、房総半島におけるさまざまな漁業(潜水漁・ 捕鯨漁・突きん棒漁・網漁など)の紹介の他、それらの漁具、船模型などが展示されていた。また、漁民生活、鰹節・海苔・干鰯の 生産過程、船霊・絵馬、万祝の紹介の他、江戸時代後期の漁師の民家が復元展示されていた。さらに、 地曳網漁、打瀬網漁、見突き漁などのために房総沿岸にて使用された和船や、九十九里浜の地曳網漁で使用された七丁櫓船 などを展示していた。生態観察室(水族館)では南房総の海に生息する魚類などが飼育・展示されていた。 だが、2021年時点では、「館山市立博物館分館 渚の博物館」へと組織替えされたうえで引き続きオープンしている。2020年~2022年 の新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、その展示館の一部につき非公開措置が執られている(2021年10月時点)。 その他、千葉県南房総市(旧和田町和田浦)には、「鯨資料館(勇魚文庫)」があり、鯨や捕鯨業の歴史、捕鯨文化・技術などについて 学ぶことができる。同館の前には超巨大なシロナガスクジラの全身骨格標本(レプリカ)が屋外展示されその威容を誇っている。

  その他、漁業・養殖関連博物館として、香取市佐原の「千葉県立中央博物館 大利根分館」では、主に内水面での漁業関連資料が 多数紹介されている。また、数多くの魚貝類標本も陳列される。「かすみがうら市郷土資料館」では、霞ヶ浦での帆引き船発展の 歴史、その操業メカニズムや帆引き漁業などについての資料展示がある。近傍の「かすみがうら市・歩崎公園」内には、帆引き船発祥の地 記念碑がある。また同公園ビジターセンター駐車場敷地内には、実物の幾艘かの帆曳き船が展示されている。 未だ訪問は実現していないが、茨城県には「北茨城市漁業歴史資料館「よう・そろー」」があり、5年に一度の御船祭の大祭で町内を 回る船なども展示されているという。

  港に関する博物館としては、「横浜みなと博物館」が筆頭であるが、関東圏でも港湾に特化する博物館は意外と少ない。 「横浜のみなと博物館と日本丸」では、開港の歴史や港湾をメインテーマにし、また総合的な準海洋博物館としての 要素を併せてもつ。また、都内江東区青海(東京・お台場近傍)には港関連の展示館「東京みなと館ミナトリエ」があり、 東京港の成り立ちと発展史をテーマに陳列し、また東京港の現況などを紹介する。その他、横浜・関内のみなとみらい地区で 「日本丸」が係留される石造りの「三菱ドック」はかつての造船所跡の一部である。また、一般公開はされていないが、浦賀湾沿い に立地する民間造船所敷地内にも石造りの旧ドックが遺されている。

  灯台やそれに併設される資料館の幾つかを見学した。灯台の歴史・仕組みなどを紹介する、現役灯台付属の資料・ 展示館としては、例えば、銚子の犬吠埼灯台には「灯台資料展示館」が併設されている。また、房総半島先端にある野島埼 灯台にも「灯台資料展示室・ぎらりん館」がある。いずれも日本全国の灯台全般のことについても学べる。野島埼灯台は、 1866年(慶応2年)に江戸幕府と米国など4か国との間で結ばれた「江戸条約」によって建設することが約され、1869年(明治2年) 12月18日に竣工し初点灯となった。日本での洋式灯台としては、東京湾口の神奈川県側に建つ 観音埼灯台に次いで2番目のものである。 1869年の建設当時における野島埼灯台はフランス人技師ヴェルニー氏の設計によるレンガ造りであった。

  余談だが、野島埼灯台のすぐ傍には「白浜海洋美術館」がある。 イワシの大漁をはじめとする祝時に船主や 船頭・水主(かこ)などの漁撈関係者たちが羽織る半纏(はんてん)など、海や漁にまつわる 伝統的な民俗工芸品などを展示する、 日本でも珍しいユニークな美術館である。

  さて、都内には多くの区立の博物館・郷土館・資料館があり、それらは海洋土木、海防、舟運、運河・水路 の開削、のり養殖、海の関所(番所)などに関する展示室や展示コーナーをもつものがある。海や船に特化したものでないが、それらの ジャンルにまつわる歴史・文化的展示物に出会い、思いがけない発見につながることも多い。旧友の東氏とそれらの区立歴史・文化 施設をアトランダムではあるが、探訪することを恒例化してきた。事例を挙げてみたい。

・ 「中川船番所資料館」: 小名木川の東端に建つ江東区立の博物館で、中川船番所の復元の他、江戸時代における船番所の仕組みや出入りする船荷 の検査・取り締まりの詳細な史実、利根・江戸川水系における川蒸気船「通運丸」による舟運の発展史、その他関東周辺における 舟運の発展史などを学べる。なお、小名木川西端では、パナマ運河閘門システムと理論上は同じ施設、即ち具体的には2つの高低差 のある水域間の航行を可能にする閘室(チャンバー)を擁する運河閘門を見ることができる。
・ 「足立区立郷土博物館」: 下肥運搬船(「葛西船」、「汚わい船」と呼ばれた)を展示する。
・ 「江戸川区郷土資料室」: 江戸川区と海や川との関わりを示す展示もある。例えば、「通運丸」模型、荷足船の模型、漁具、 のり養殖・加工用具などを展示する。
・ 「葛飾区郷土と天文の博物館」: 葛西舟(「オワイ(汚穢)舟」ともいう)の模型がある。
・ 「江東区深川江戸資料館」: 常設展示室では江戸時代末(天保年間)における深川佐賀町の町並みを実物大で復元している。また 深川船宿と猪牙舟(ちょきぶね)の展示もある。
・ 「港区立郷土歴史館」: 港区白金台の「ゆかしの杜」敷地内にある港区の郷土歴史を展示する。
・ 「品川区立品川歴史館」: 隅田川河口における海防のための砲塁建設、モース博士(米国)による貝塚発掘への貢献など。 「モース博士と大森貝塚」は展示の大きなテーマの一つとなっている。
・ 「すみだ郷土文化資料館」: 向島船庫復元模型の展示など。
・ 「浦安市郷土博物館」: 都内ではないが、江戸川をはさんで千葉県浦安市猫実にある郷土館には、べか舟などの平底舟作りの実演を 見ることができる工房や、各種の船大工道具の陳列コーナーがある。
その他の諸県においても、同じような郷土資料館がある。例えば、既述の茨城県かすみがうら市の「かすみがうら市郷土資料館」 では、霞ヶ浦での帆引き船やその漁業の発展史・メカニズムなどを紹介する。

  海や船などとは直接的な関わりがない小規模な資料館・郷土館であっても、訪れると何がしかの予期しなかった発見がある。時に、 思いがけない展示に出合いびっくり仰天、「目からうろこ」の感動もある。地域漁業や内陸舟運などについての豊富な展示など、 学ぶことが一杯詰まっている展示に出会うことがある。海洋専門の博物館でなくとも、また地域限定の歴史・文化的展示が主体 であっても、海、舟、海の生物や環境・文化などに何がしかの関係のある陳列品がある。例えば、丸木舟、鯨・イルカなどの骨格標本 (全身あるいは部分的)、川崎舟・伝馬船・べか舟などの模型や実船、川蒸気の「通運丸」の模型、ローカルな漁具、 港湾施設や船の古写真、魚肥などを作る道具や工程解説パネルなどの展示もある。博物館が許せば、展示品やそれらの説明書きを全て切り撮る。 一通り巡覧するのに3~4時間かかることはざらにある。時に昼食をはさんで撮り続ける。後日パソコンに画像データを取り込み、それを拡大のうえ じっくり読み解き、どんな展示コンテンツであったのかを納得のいくまで精読したりする。

  歴史・文化・自然科学系の総合的な博物館も幾つかある。社会人文科学系の総合的な博物館の筆頭は、 上野の「国立博物館」であろう。その他、千葉県・佐倉の「国立歴史民俗博物館」であるが、そこには近世・江戸時代における北前船の西回り航路の 開拓や海運の発展史にまつわる展示もなされる。「千葉県立博物館」では、内陸舟運の手段としてかつて活躍した川蒸気船「通運丸」 の模型も展示される。

  「東京江戸博物館」では、江戸時代の千石船による海運発展史の一端を学ぶことができる。「天下の台所の大坂と大消費都市・江戸と の間で定期就航した菱垣廻船の大型模型が展示される。それは文化期(1804~17年)に描かれた1500石積みの菱垣廻船図を基に 復元されたものである。上方(かみがた)から木綿(もめん)、油、紙などの大量の生活物資を江戸へ運んだ。菱垣廻船は酒などを運んだ 樽廻船(たるかいせん)と並ぶ重要な輸送手段であり、その廻船名の由来は船の側面に菱組の格子が取り付けてあったことによる。 神奈川大学では、江戸時代の千石船の海運発展史、その造船技術や船大工用工具などを紹介するユニークな展示館を見学したことがある。

  自然科学系では「国立科学博物館」が名実ともに筆頭の総合的科学館である。海洋生物標本コーナーでは、魚・貝・甲殻類・軟体動物・ サンゴなどの標本展示が充実している。特別展「深海」では、当時注目を浴びていたスケーリー貝という体表が鉄で覆われている 希有な海洋生物を見て目がしびれた。葦舟や丸木舟による台湾~沖縄間の海洋横断実験プロジェクトを関係スタッフ総出で紹介していた。 また、同館では「海のハンター ホオジロザメ展」「深海生物の謎」などの企画展もなされ見学する機会を得た。

  社会科学と自然科学の両系博物館と銘打つユニークな横須賀市の「自然人文博物館」には、社会文化系の展示に加え、 海の生物(魚類・海岸生物・貝など)の標本、各種の漁具漁法の模型やパネル展示、捕鯨関連資料、その他の海洋関連資料が 展示される。また、小田原市の「神奈川県立生命の星・地球博物館」は地球誕生から現代にいたるまでの地球の歴史と生命の歩み、 生物進化を辿ることができる。

  開港関連の展示を主体にする博物館も幾つかある。横須賀市久里浜のペリー公園内にある「ペリー来航記念館」にはいろ いろな来航関連資料の他、「ポーハタン号」などの黒船4隻の浦賀への来航を示すジオラマなどが展示され、公園内にはペリー上陸記念碑が建つ。 横浜では開港にまつわる史料を展示する博物館が多い。「神奈川県立歴史博物館」では開港と近代化などに関する資料が多く展示される。 「横浜開港資料館」は、日米和親条約が締結された場所であり、その建物は旧英国総領事館が利用されていて、開国・開港史の資料 などが展示される。また、横浜市中区山手町の外国人墓地入り口にある「横浜外国人墓地資料館」を訪ねて初めて知ったことであるが、 米国ペリー艦隊の水兵ロバート・ウイリアムを葬ったのが同墓地の始まりであるという。彼の墓地が遺されている。

  運河・水路や内陸舟運に関連する博物館・資料館・史跡がある。隅田川は都内北区の志茂辺りで荒川から分流して東京湾へと流れ下るが、 その流頭に通称「赤門」と呼ばれる大型水門がある。その近傍に「荒川知水資料館 ・アモア 」がある。荒川放水路の建設では 青山士技師が責任者となって深く関わったが、彼は中米パナマにおけるパナマ運河建設の現場で測量・設計などに従事した唯一の日本人 である。また、埼玉県さいたま市東内野には閘門式の水路が復元されている。即ち、芝川がその低地を南北に流れ、それと並行するように 芝川よりも少し高台を用水路が流れる。それが「見沼代用水路(東線)」である。江戸時代に遡るが、芝川と用水路東線との間における 舟の行き来を可能にするために、木製の閘門で堰き止められる閘室が建設された。その閘門式水路が「見沼通船堀」として現在 復元されていて、年に1回程度実物の平底船による通航の実演が行われてきた。通船堀への最寄駅はJR武蔵野線「東浦和」駅である。

  その他、現在は利用されていないが、利根川と江戸川との間を結ぶ「利根運河」がある。かつて鉄道が未発達であった関東 平野南域において、「通運丸」などの蒸気船が東京湾と霞ヶ浦や銚子の間を定期就航していた。同運河は両河川間での行き来をかなりショート カットさせることができた。隅田川、江戸川などの河川に面する行政区にある区立資料館や郷土館には、江戸・明治・大正時代 におけるそれら両河川水系での運河・水路の整備、舟運の歴史、河岸の整備などを紹介する展示コーナーをもつ ものが幾つかある。運河・水路の開削による整備と舟運による産業流通の栄枯盛衰、陸路における交通機関やそのネットワークの 台頭と発展の変遷、河岸の発展(荷揚げ場と倉庫・問屋街の発展、商業活動の変遷)、漁業・のり養殖の発展と衰退などを 知ることができる。

  例えば、「千葉県立中央博物館」には「通運丸」(両舷に外輪車をもつ川蒸気船)の模型、その導入によって飛躍的に発展 した舟運などに関する展示がある。同館の「大利根分館」では、漁具の展示の他、内陸舟運関連の展示もある。また、千葉県立「関宿城博物館」では、 利根川などの付け替え工事 (利根川の東遷事業など) の歴史の他、浚渫・治水事業、 運河開削、水閘門建設、利根川とその支流を舞台にした高瀬船や 蒸気船「通運丸」による内陸舟運の発展などについて 多面的に学ぶことができる。また、館内には高瀬船の大型模型が展示される。また、千葉県「松戸市立博物館」には、松戸の河岸の ジオラマ風復元模型や新河岸川の河岸風景の旧写真なども展示される。松戸は江戸時代、江戸と水戸を結ぶ水戸街道の宿場町であった。 江戸川沿いに金町関所が、その上流には松戸河岸があり、松戸は江戸と舟運で結ばれていた。

  その他、歴史的人物にまつわる文化施設や史跡をあちこち訪ね歩いた。例えば、都内墨田区の回向院は、江戸時代の17世紀 中期以降、無縁仏を葬り供養してきた由緒ある寺院である。その境内には海難の遭難者を供養するための幾つかの供養塔も建立されている。 帆掛け船型をした極めて珍しい供養塔(舟形墓碑)がある。 塔石の裏側には「俗名 光大夫」という名も刻まれている。 即ち、漂流してロシアに渡った大黒屋光太夫の名である。 また、東京・豊島区南池袋の「都立雑司ヶ谷霊園」には、 江戸幕末期から明治文明開化期の、日本の黎明期を駆け抜けた漂流少年・中濱萬次郎(別称、ジョン萬次郎)が眠っている。

  茨城県の利根川堤にほど近い所に立地する「間宮林蔵記念館」(間宮が暮らしていた住まいも移築されている)では、カラフト探検で 間宮海峡を実地視認した彼の業績、探検ルートなどを詳しく解説する。また、香取市佐原にある「伊能忠敬記念館」では、伊能が家業から 引退した後江戸に出て天文学・測量学などを学び、その後日本の各地を実測し、正確な日本全図を製作したが、その彼の測量技術や 業績などを学ぶことができる。その近傍には彼が実際に商いを行ない、生計を営んでいた屋敷が一般公開されている。

  横須賀の「ヴェルニー展示館」では、「横須賀製鉄所」(後に横須賀造船所、海軍工廠などと改称される)の建設に責任者 として従事したフランス人フランソワ・レオン・ヴェルニー技師による製鉄所建設の詳しい歴史や彼の歩みの他、江戸幕府の幕臣として その創建を取り仕切り建設に多大な貢献を果たした小栗上野介忠順 (おぐりこうずけのすけ ただまさ)の功績なども学ぶことができる。 製鉄所の建設は慶応元年に開始された。なお、同館に展示される絵図には、いずれも石造りの3つのドライドック、即ち旧製鉄所1号ドライドック (1871年・明治4年竣工)、2号ドライドック (1884年・明治17年竣工)、 3号ドライドック (1874年・明治7年竣工; 旧2号ドック) を見て取れる。そのうちの一基のドックが現在でも昔の姿を留める一方、今でも現役として利用されているという。

  また、JR横須賀駅の裏手の山中にある公園内には、徳川家康に重用された三浦按針(ウィリアム・アダムス)の宝筐印塔 が建つ(埋葬墓ではなく供養塔と見なされている)。按針は日本に来航した初めての英国人である。1600年(慶長5年)に、オランダ船 「リーフデ号」の航海長であったアダムスは、九州豊後(現・大分県)に漂着した。徳川家康の命により外交顧問として仕え、 俸禄は220石が与えられ、三浦郡逸見村に居住した。また江戸日本橋にも屋敷を有していた。慶長年間、英国とオランダは日本との 通商が許され、商館が平戸に設置されたが、按針は1613年(慶長18年)から平戸にも住み始め、平戸の英国商館長コックスの下で活躍した。 1620年(元和6年)に平戸で病死した。

  さて、いずれ近い将来において、東京都内をはじめ千葉、神奈川、茨城、埼玉県内の海洋博物館や海洋関連施設での展示 について、もう少し広範囲かつ具体的に紹介するとともに、関連する史実などにも触れてみたい。因み、本節では、 千葉県南房総市(旧和田町和田浦)の「鯨資料館(勇魚文庫)」、御宿町の「歴史民俗資料館」、館山市立博物館の分館である 「渚の博物館」などについて触れておきたい。


    千葉県南房総市(旧和田町和田浦)の「鯨資料館(勇魚文庫)」は、細田徹氏の厚意により借り受けた勇魚(いさな/ 鯨のこと)に関する同氏の個人コレクションを基にした資料館である。
屋外には、地球上最大の動物であるシロナガスクジラの全身骨格(レプリカ)の他、捕鯨砲2基が展示される。館内での主な展示品 は次の通りである。

・ コビレゴンドウ、ツチクジラ、マダライルカの頭部骨格、マッコウクジラ、ツチクジラの耳骨、 歯鯨の歯。各種髭鯨の髭。クジラの生殖器。
・ クジラの骨などから作られた杖、三味線のバチ、印鑑、ネックレス、置き物、鬚花、製薬匙、製茶匙など。 鯨製品いろいろ: 鯨油製機械油、鯨油石鹸、脳油製ローソク、鯨油製皮革用クリーム。
・ 捕鯨船員のなぐさみ・スクリムショー。
・ 鯨解体用の各種道具:大包丁、小包丁、両手切包丁。アメリカ式捕鯨道具のミニチュア模型。
・ 捕鯨銛(平頭銛や尖頭銛)のいろいろ: 標識銛、管銛、万銛(よろずもり)、早銛、グリーナー砲、前田式五連・三連装捕鯨銃の銛、 古式捕鯨用具、捕鯨砲用薬莢。
・ クジラや捕鯨船、捕鯨の様相をあしらった絵皿のいろいろ。
・ 世界の鯨グッズ(いろいろな形、大きさ、材質の鯨の置き物・フィギュアな)、日本の鯨郷土玩具、捕鯨船の置き物いろいろ (持双船/捕った鯨を基地に運ぶ船)。
・ バーグ型木造捕鯨帆船「チャールズ・W・モーガン号」の模型。グリーンランドのカヤックの模型(イッカク猟などに使用)、 捕鯨ボート「セント・ヴィンセント号」模型。
・ 鯨に関する記述のある昔の教科書のいろいろ(尋常小学読本、国語読本など)。
・ 「鯨大和煮」缶詰、くじら料理紹介本など。
・ 捕鯨図、捕鯨の切手。
・ 千葉県の鯨塚(くじらづか)の説明パネル。
・ 南房総の捕鯨の略史パネル。
・ 捕鯨母船の「第二図南丸」(TONAN MARU NO2 TOKIO)、「日新丸」、「ばいかる丸」とキャッチャーボート「第16利丸」 (現在宮城県牡鹿町鮎川に陸揚げされ展示される)などの写真。
・ 南房総市和田町、白浜町などの房総半島沿岸各地での鯨類解体の様子を切り撮った写真。
・ オニフジツボの化石、ハイザラフジツボなど。


マニラ・ガレオン船遭難救助の史実を展示する「御宿町歴史民俗資料館」
  江戸時代初期のこと、当時スペイン領であったフィイリピンの前総督代理ドン・ロドリゴ・デ・ビベロ・イ・ベラスコが任期を 終えて、ガレオン船「サンフランシスコ号」にてマニラ港から出帆し、メキシコのアカプルコに向けて帰還の途にあった。 その途上のこと、同船は、西暦1609年(慶長14年)9月30日夜半、暴風雨のために外房南東の岩和田の田尻沖で遭難した。 村民は時を移さず総出で駆け付け、救助活動に当たったという。また、海女たちは素肌で異国の人々を温め蘇生させたという。 海女をはじめとする村民らが必死に救助する情景を描いた松本勝哉氏作の絵画「サンフランシスコ号乗員遭難救助」が同館に展示される。

  乗組員373名のうち、溺死者56名、生還者317名と伝えられる。領主本田忠朝の理解ある措置や、将軍・徳川秀忠、殊に家康の 取り計らいによって、新船「サンフランシスコ号」が建造され、ドン・ロドリゴ・ベビロ前総督に授与された。そして、翌1610年、 前総督一行は相模の浦賀からメキシコへと旅立った。この出来事は後に日・西・墨3か国の交通発祥の基にもなったことから、 同海岸の岩和田の高台にある「メキシコ記念公園」に「日西墨三国交通発祥記念碑」が1928年(昭和3年)に建立された。 外房・御宿町にある「歴史民俗資料館」では、「サンフランシスコ号」の遭難救助などに関する史実を紹介する展示コーナーがある。


海洋関連の地域民俗をテーマにした「渚の博物館」(Nagisa Museum)(館山市立博物館分館)
  「渚の博物館」はかつては千葉県立中央博物館の分館であったが、現在では(2022年11月)館山市立博物館の分館となっている。 同館は館山市の「渚の駅・たてやま」に併設される。2021年10月に見学した際の主な陳列品について紹介したい。
・ 船関連の展示: 約2,000年前の弥生時代のものと推定される、クスノキの巨木を刳り抜いた丸木舟。これはJR大網駅が 昭和47年(1972年)に現在の場所に移転した際に出土したものである。展示案内によれば、弥生時代(約2000年前)のものと推定される。 また猪牙舟(きょきぶね)と称する船の模型も展示される。猪牙舟は、九十九里沿岸で主に釣り漁に使用された、櫓による手漕ぎ舟で、 軽快にして船脚(ふなあし)が速いのが特徴である。「キャシャギデンマ」という東京湾内での見突き漁に用いられた船の展示などもある。

・ いろいろな漁法の模型: 落とし網(大型定置網の一種)、手繰網(てぐりあみ/曳き網の一種)、改良揚繰り網(イワシ漁 に用いられた旋網・まきあみ)など。揚繰り網は巾着網ともいわれる。大分類的には巻き網に区分される。鯛かつら網=敷網(かつら網) と特殊な曳縄(かつら縄)を組み合わせて、曳縄で魚を脅かして捕る漁法。大地曳網漁(江戸時代から昭和時代にかけて、九十九里 地方を中心に行われた)。

・ いろいろな漁具: マカジキ釣りの擬餌(ツノ)の材料、あばり(網を編む時に用いられたが、機械編みが普及すると網の 修繕に使用されるようになった)、あばり入れ、ヘラ(網目の大きさを決めるための用具)、イナダ・ワラサ・ヒラマサの曳釣り 用の擬餌針など。
ドビンカゴ(揚繰網漁で獲れたイワシを入れて生かしておくための籠)、箱メガネ(見突き漁で海底を見るために用いられた)。見突き漁 フンドンビシ(箱メガネで海底を覗きながら船上から落下させてヒラメなどを突き獲る)。
タコツボのいろいろ、バイガイを獲るベエカゴ。陥穽漁(かんせいりょう)(魚介類の習性を利用して捕獲具に誘い込んで捕る漁法;  タコツボなど)。

・ イワシの〆粕を加工する道具: 例えば、シメキリン(イワシを煮た後に油分を搾り、〆粕(しめかす)を加工する)、ホシカマス (イワシの量を量る枡)、サライ(砂浜に干したイワシを広げたり返したりする道具)。

・ 歴史・文化的な展示: 南房総市白浜町白浜にあった実際の漁師の住まいが移築され展示される。
その他、万祝(まいわい)(鶴亀、イワシ大漁)とその製作工程の紹介(万祝はイワシの豊漁を契機に江戸時代後期に房総半島で発生したと 言われる)。
・ 大漁絵馬: 地曳網の網主たちがイワシの大量のたびに、氏神様や日頃から信仰している神社に奉納した絵馬の展示。
・ 屋外には焼玉エンジンが展示される。その他、東京海洋大学の名物先生「さかなクン」によって描かれた数々のイラスト作品を 展示する「さかなクンギャラリー」と称する特別企画展が開催されていた。 [To be continued]

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    第22章 日本国内の海洋博物館や海の歴史文化施設を訪ね歩く
    第2節 東京・関東地方の海洋関連施設を巡覧する


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     第22章・目次
      第1節: 日本国内のウォーターフロント、海洋博物館や海の関連施設を 探訪して(総覧)
      [参考]国内の旅のリスト(博物館巡覧を含む)
      第2節: 東京・関東地方の海洋関連施設を巡覧する
      第3節: 大阪・神戸・関西地方の海洋関連施設を巡り歩く
      第4節: 地方の海と港、海洋関連施設を訪ね歩く
      第5節: ウォーターフロントや海洋関連施設巡りの「旅と辞典づくり」は続く