2000年4月にパラグアイへ赴任して間もない頃、首都アスンシオンの職場で思いがけず2つの「船舶博物館」の存在を知った。
博物館の展示規模はいずれも小さいものであった。一つは戦歴を感じさせる通報艦のようであり、他は骨組だけが遺された残骸のような
船体とその関連遺物であり、それらの歴史的遺産らしきところに心を揺り動かされた。「海なし国」(いわゆる内陸国)にもかかわらず、
歴史的船舶や関連遺物を展示する博物館が存在すること自体に大変驚かされた。
早速時間をやりくりして訪問し、沢山の画像を切り撮った。パラグアイに赴任した2000年当時は、まさにデジタルカメラ
の普及期であった。35ミリフィルム購入費や現像コストを気にすることもなく気に入るままに切り撮ることができた。そして、
あることを閃いた。2つの船舶博物館は大変貴重なものと自分なりに評価し、当時開設して1年ほどしか経っていなかった「ウェブ
海洋辞典」のページにアップして、世界に広く発信することを着想した。さて、「一枚の特選フォト・海と船」というウェブページを創り、
史実と画像を貼り付けることにした。
ウェブ辞典での画像貼り付けは海洋辞典を少しでも「ビジュアル化」することに繋がった。そもそも一枚の画像は1,000文字からなる
キャプションよりも時に有用かつ雄弁であるといえた。海洋博物館などでの陳列品や水族館での魚貝類案内画像などを、出典を明記した
上で見出し語に貼り付けて、辞典を図鑑化やビジュアル化するというアイデアが脳裏に浮上したことを喜んだ。もちろん図鑑化された
図書は世に数多出回っている訳であるが、図鑑化を自身のウェブ辞典に取り入れるというアイデアは、デジタル辞典づくりの初心者
である私にとっては画期的なことであった。
一般的に辞典・辞書の類いは、殆どの場合、見出し語とその対訳・語釈・文例など、文字を主体にした表現物である。また、
辞典・辞書は簡潔にして無駄のない濃密なコンテンツが常に追求されるはずのものである。そして、一般論的にいえば、辞書類は
手に取ってページをめくりめくりながら、目途とする見出し語を探し出し理解するためだけの、「無味乾燥的な」代物と見なされる
ことが多いと思料される。もっと平たく言えば、見て読んで「潤い、明るさ、楽しさ」が感じられるものでないことの方が多い
ように思われる。画像・イラストなどを貼り付けることによって、理解度を飛躍的に高める一方で、多少なりとも図鑑・図解
仕様となり「潤い、明るさ、楽しさ」を向上させられるものと自分なりに理解した。
閃いたのはそれだけではなかった。画像・イラストなどの貼り付けの延長線上の先にもう一つのアイデアを思い付いた。パラグアイ
赴任中であることの立ち位置を生かして、隣国のアルゼンチン、ブラジル、チリ、ウルグアイなどの「海あり国」を探訪し、
ウォーターフロントの散策だけでなく、海洋博物館・漁業博物館・自然史博物館などの歴史文化自然科学関連施設への探訪、それも海に
まつわる展示物などを適宜切り撮るという目的意識をもって、より計画的に探訪して回ることを思い付いた。
さらに、赴任中の職員や専門家に特別に認められている2年に一度の長期休暇制度(1か月ほど)をフルに活用して、米国東海岸
沿いに車で数千km縦断し、数多くの海洋関連博物館・水族館などを探訪することを敢行した。また、ウォーターフロントの海と船風景
の中に身を置いて、見たことのない美しい海辺風景を切り撮りたいと張り切った。勿論、博物館などの陳列品の画像などを何万枚も
切り撮ることにもチャレンジした。折りしも当時はデジタル・カメラの本格的な普及時代にあったことが功を奏して、コストを全く
気にすることなくカメラワークを楽しんだ。もっとも、当時のメモリーカードのデータ記憶容量は今と比べて極めて少なく、それ
故にその日に撮影した画像データをノートパソコンに全て取り込んで、カードを「白紙化」しておくために、毎晩何時間も夜なべ
仕事をすることになり、仕事以上の体力勝負となってしまった。
2003年にパラグアイから帰国して1年ほど経った頃、中東の大産油国サウジアラビアへと赴任した。そして、サウジから2007年に帰国
した直後には役職定年となる一方で、JICAとの契約にてすぐさま中米ニカラグアへと赴任した。結果、2000年のパラグアイ赴任
から数えて、ニカラグアから本帰国するまでのほぼ8年近く国際協力の海外最前線に身を置くことになった。
そんな海外生活の機会を生かして、サウジアラビアやニカラグアの周辺国諸国だけでなく、長期休暇制度をフルに生かして未だ見ぬ
遠方の異国へと、ウォーターフロント散策と「撮り博」のための旅を続けた。目途は勿論ウェブ海洋辞典の「ビジュアル化」と「潤い」
の向上に繋げるためであった。異国へのそれらの私的な旅行譚については、既に第20~21章の諸節において書き綴ったとおりである。
かくして、パラグアイ赴任から数えて8年ほどは日本を離れていたので、日本国内をそんな目的意識をもって旅できる
ようになったのは、2009年にニカラグアから本帰国してからのことであった。だが、ニカラグアで引き起こしてしまった心臓循環器系
疾患の後遺症をまだ引きづっていたので、国内と言えども遠出の旅をするには不安がつきまとい、また旅する気力も体力も湧き出て
こなかった。カメラをぶら下げて、ウォーターフロント散策や海洋関連施設巡りの旅に腰を上げることができたのは、本帰国後1年
ほど経った頃であった。それもわずか3日間の近場への旅(気仙沼・石巻・牡鹿半島方面)が最初であった。
さてその後、体調万端にして国内・国外のウォーターフロント散策や海洋関連施設探訪に本格的に出掛けられるようになったのは、2011年
4月にJICAから完全離職し、「自由の翼」を得てからのことである。その頃には特に海外へ旅する願望がむくむくと湧き上っていた。
そして、完全離職から現在に至るまで倹約的な旅を続けながら、ウェブ辞典のビジュアル化に正面から向き合い、かつ深くのめり込んできた。
もっとも、2020年から丸々3年間は、新型コロナウイルス(COVID-19)のパンデミックのため、事実上「失われた3年」の時を過ごさざるを
得なかった。
例えば、2011年4月以降における国内外への1週間前後の主要な旅を上げてみると、
国内での旅
・ 紀伊半島への旅(白浜、太地・鯨博物館、三重県鳥羽水族館など)、2003年10月(パラグアイからの帰国とサウジアラビアへの赴任
との谷間の時期)
・ 青森・函館への旅(十和田丸・摩周丸・函館山・五稜郭・北洋博物館など)、2006年7月(サウジアラビアからの帰国とニカラグア
への赴任との谷間の時期)
・ 東北方面(宮城県気仙沼漁港・シャーク博物館・石巻のサン・ファン・バウティスタ号博物館など)、2010年(ニカラグアから
帰国して初めての国内の旅)
海外への旅
・ オーストラリア/シドニー、ニューキャッスルなど、2011年4月
・ タイ・シンガポール・マレーシア/バンコク・シンガポールのセントーサ島・マラッカ・バタン島・シンガポール海峡横断など、
2011年6月
・ 韓国/釜山、蔚山、木浦など、2011年
・ スペイン・英国/マヨルカ島・ポーツマス・ワイト島・ササンプトン・プリモスなど、2013年5月
・ アルゼンチン・ウルグアイ/ブエノスアイレス、ウシュアイア・ビーグル海峡、マゼラン海峡、リオ・ガジェゴス、
サン・フリアン、コモドロ・リバダビア、プエルト・マドリン、バイア・ブランカ、マル・デル・プラタ、モンテビデオなど、2014年3月
・ カナダ・キューバ/バンクーバー、ハバナ、コヒマル・トリニダード・サンタクララなど、2015年2月
・ 香港・マカオ/海洋博物館、2015年11月)
・ 台湾団体ツアー/台北、台中、台南、高雄、台東、花蓮、九分、基隆など、2016年
・ 韓国/釜山の海洋博物館・釜山商船大学付属海洋博物館、海洋自然史博物館、統営・閑山島、麗水の亀甲船、2016年
・ 韓国/ソウル、水原、潮力発電所など、2017年
・ 台湾/台北・基隆・淡江・高雄・台南など、2017年
・ 中国/京杭大運河の旅、上海・杭州・南京・蘇州など、2017年
・ フィリピン/セブ島・ネグロス島・マニラなど、2018年)
・ ポルトガル・スペイン・スイス・ギリシャ・カタール/ローマ・リスボン・ロカ岬・ラゴス・ファロ・パロス・セビージャ・バルセロナ・
ミラノ・サンモリッツ・ツエルトマット・アテネ・ミコノス島・サントリーニ島・ナクソス島・ドーハなど、2018年
・ 山陰地方(米子・境港・美保関・松江・出雲・大社・日御碕など)、2019年
・ 瀬戸内海・しまなみ海道(鞆の浦・因島・大島・来島海峡など)、2019年
・ 北海道道東(苫小牧・襟裳岬・広尾・釧路・厚岸・根室・花咲港・ノサップ岬・野付半島・中標津・知床・斜里・網走・能取岬・
屈斜路湖・摩周湖・帯広・中札内・静内など)、2019年
、
・ 静岡方面(清水・焼津・三保半島・久能山・御前崎など)、2020年
・ 新潟・佐渡方面(新潟・佐渡金山・小木・宿野木・寺泊・出雲崎・村上など)、2020年
・ 山形・秋田方面(仙台・酒田・鶴岡・本荘・秋田・男鹿半島・能代・深浦など)、2022年
・ 北海道道央方面(札幌・岩見沢・美唄・砂川・滝川・旭川・美瑛・富良野・小樽・余市・積丹岬・岩内など)、2022年
・ 千葉・茨城方面(九十九里・銚子・香取神宮・鹿島神宮など)、2023年
・ 長崎方面(熊本・島原半島・長崎・佐世保・平戸・生島・鷹島・伊万里・大牟田など)、2023年
・ 瀬戸内方面(呉・福山・鞆の浦・尾道・しまなみハイウェイ・因島・大島・今治・松山・西条・観音寺・多度津・丸亀・坂出・高松など)、
2023年
・ 島根・山口方面(広島・石見銀山・温泉津・浜田・益田・外浦・萩・仙崎・青海島・角島・下関・徳山・光市など)、2024年
・ 兵庫・福井・若狭湾方面(室津・相生・赤穂・近江八幡・長浜・大浦・疋田・敦賀・福井・一乗谷・三国・小浜・高浜・舞鶴・宮津・伊根・高島など)、2024年
本書でこれらの個々の旅のエピソードや旅行譚につき一つ一つ詳しく綴ることは能力の及ばざるところであるが、先ずは幾つかの
旅について簡略的ではあるが綴っておきたい。残余の旅については機会をみて追記方式で綴ることにしたい。
本章においては、国内のウォーターフロント散策や海洋関連施設探訪を大きく3つの地理的エリアと1つのジャンルに
大別して4節を綴りたい。
・ 「関東エリア」での探訪: 日帰り方式で、東京都内の博物館・郷土博物館・各種資料館だけでなく、関東エリアの諸県の
数多くの歴史文化科学関連施設を訪れた。それらの探訪を俯瞰したい。
特に利根川流域での舟運の発展、「通運丸」による蒸気船航路の発展に関心を持って郷土博物館などを訪ね歩いた。
・ 「関西エリア」での探訪: たまたま郷里が大阪・茨木であるので、田植えや稲刈りなどの農事繁忙期に合わせてしばしば帰省した。
その機会を生かして、茨木を拠点に大阪府内をはじめ、兵庫県(神戸・西宮・淡路島・たつの市など)、京都府(京都市内、京都伏見など)、
滋賀県などへ日帰りで足を運び、数多くの歴史文化自然科学系施設を探訪した。
・ 「地方エリア」での探訪: 関東・関西エリアを除く地方エリアにおいては全国のあちらこちらに及ぶ。特に2019年以降の殆どの
ケースにあっては友人の東さんと旅を共にした。
・ テーマ・ジャンル別での探訪: 類型化してみると、北前船・舟運、鯨・捕鯨、人物(探検家・海難者など)、魚貝類・海洋哺乳
動物などの剥製標本などを展示する自然史・自然科学系の博物館などに焦点を合わせて探訪した。本章でこれらのテーマ毎に綴りたい。
例えば、
・ 船(弁財船、北前船、高瀬舟などの伝統的和船、船模型など)、その他実船(明治丸、海鷹丸、宗谷、十和田丸、海王丸、開陽丸、その他
千石船の実物大の復元船・白山丸など)
・ 漁業(漁具漁法、魚貝類標本、鯨・捕鯨、海苔養殖、海の生物・水族館など)、自然科学・自然史など、
・、南極などの極地調査・探検(白瀬矗、伊能忠敬、高田屋嘉兵衛、大黒屋光太夫など)、
・ 海運・舟運(江戸時代の海運・河村瑞賢のルート整備、北前船船主集落、利根川・淀川水系舟運など)、北前船の寄港地(酒田、深浦、
佐渡の小木・宿根木、三国、外浦、室津、鞆の浦、坂越など)
・ 運河・水路(琵琶湖疏水、インクライン、京都伏見の内陸港など)、
国内の旅において海洋関連施設探訪の推進力と励みになったのは、海・船・港・水産・自然科学などにまつわる国内の博物館・
資料館をはじめ水族館などのデータを集積した「博物館・水族館リスト」づくりが大いに役立った。日本全国に散在する海などに
まつわる数多くの歴史文化科学施設は、好奇心と探訪願望を掻き立てられた。そして、海洋博物館だけでなく、漁業、船舶、港、
運河など多岐に渡る施設を巡る旅を具体的に計画する上で大いに役立った。
ところで、国内の旅を上記4節をもって綴る前に幾つかの関連事項に触れておきたい。その一つは国内外の旅を共にしてきた友人・東さんの
ことである。最初の出会いは、JICAによる中国・黒竜江省への大豆試験栽培調査(1987年)であった。それを皮切りに、4~5回
同様の海外農業試験基礎調査に同行することになった。ヨルダンの砂漠での小麦栽培調査、フィリピンでのアバカ栽培調査、コスタリカで
のカカオ栽培調査などであった。
JICAは日本法人による海外農業開発事業への投融資に当たり、その対象作物の栽培試験・事業の可能性を探ることを目的に
事前基礎調査を実施していた。彼は青年時代、青年海外協力隊員としてインドへ数年間農村での農業開発に従事した経験をもつ。
その後経営コンサルタントとして身を立て、JICAの海外調査だけでなく民間会社の求めに応じて幾多の海外調査において
「事業・経営計画」を策定する業務を請け負い、世界中の発展途上国を渡り歩いてきた。海外農業開発事業の起業化に関する経営
センスとノウハウに長け、その道のエクスパートであった。
その後東さんとは何年も疎遠になっていたが、偶然にも再会することになった。海外農業試験調査の団長を何度か務めてもらって
いたJICAの大先輩である仁科さんの葬儀に参列した折りに、彼に久々に再会したことをきっかけにして、縁が戻り、いつしか個人的な
付き合いが始まり、親交を深めるようになった。二人の価値観が妙に合うことが少しずつ互いを近づけ、親密さを増して行ったようだ。
要するに二人の波長が合って何の違和感も感じることがなかったことが親交を繫ぎ留めた要因であったようだ。
社会・経済・政治・歴史などの課題やいろいろな時勢の話題に互いに深い関心をもち、何でも本音で言い合えた。今まで広範囲にわたる
テーマに意見を述べ合った人は身近にはいなかった。そして、月例的に都内や首都圏の博物館・資料館巡りに誘いあうようになった。
日帰りの月例会のたびに意気投合を重ね、いつしか1週間ほどの国内地方への旅行や、さらには海外への旅をも楽しむようになっていた。
東さんは別に海や船に興味がある訳でなく、むしろ縄文土器、古墳時代、古代文化全般に興味をもつが、関心のベクトルは異なっても
いろいろな博物館・資料館巡りをはじめ、地方や海外の未だ見ぬ異国異郷の地の探訪に向き合い、互いの背中を押し合ってきた。
例えば、北海道道東の苫小牧で1日2200円のレンタカーを借り、襟裳岬・釧路湿原・根室・知床半島・網走・帯広などを10日間程巡った。
また、仙台で同じく安レンタカーを借り、宮城・山形県を縦断し北前船の寄港地・酒田へ、そこから北上して本荘由利、秋田・男鹿半島、能代、
さらに青森県の深浦へ、南下して田沢湖原産のクニマスの飼育水槽を見学して、仙台へと戻った。
ある時はJR高速バスで大宮から新潟へ、フェリーで佐渡島へ渡り、佐渡金山や北前船寄港地・船主集落の小木・宿根木へ、さらに
鶴岡や寺泊、江戸時代自然河川でのサケ増殖で知られる村上など、新潟の日本海沿いのウォーターフロントを散策した。また、
福井県の三国・敦賀や若狭湾沿いの舞鶴・小浜・舞鶴・宮津や伊根方面への旅、米子・境港・美保関・松江・出雲・大社・日御碕
などへの旅、また石見銀山・浜田・仙崎・角島・萩・下関などの山陰地方の日本海沿いウォーターフロント散策の旅、
熊本・島原半島・長崎・佐世保・平戸や、元寇の沈没船からの海底遺物発掘で有名となった鷹島などへの旅。また海外への旅も
共にしてきた。中国2回、台湾、韓国、フィリピン(セブ島・ネグロス島)の博物館・史跡などを巡る旅を共にしてきた。
今後の旅として、中国・三峡、インドネシアのテルナテ島などのモルッカ諸島(香料諸島)への探訪を計画中である。
二人の旅では大いに倹約してきたと自負している。特に国内では平均して一人一日1万円以内の出費に抑えるというけちけち旅行に
チャレンジしてきた。例えばイメージとしては、国内の場合、鉄道・長距離ハイウェイ路線バスなどの交通費、レンタカー代、ガソリン代、
宿泊費、食事代、博物館入館料、カフェ代など全てを含んで、一人1日1万円程度の遣り繰りを目標にしてきた。
もう少し具体的いえば、東京から仙台までJR高速バスで行き、そこでガッツレンタカーで軽自動車を1週間1万数千円で借り上げ2人で
シェア+ガソリン代1日2000円程度、宿泊費は朝食付きツインベッド1泊約12,000~14,000円程度をシェア、昼食・夕食は2,000円を予算とする。二人は倹約精神をも妙にシェアする。コンビニで弁当、パンやカップラーメンなどでランチや夕食を済ませる日も多くある。アルコールは
飲まない。東さんも旅中その出費目標を掲げ協力を惜しまなかった。時に反動的に、それなりのプチ・リッチな食事を楽しむこともあった。
さて、2020年初めから2022年末頃まで、新型コロナウイルスの世界的蔓延「パンデミック」が始まり、日帰りの博物館巡りは勿論、
国内外の長旅に大きな制約が生じた。計画は大いに狂った。75歳の後期高齢者の私たちには丸々3年間のブランクは大きかった。
それでも、パンデミックのピーク時を避け社会的制限が大幅に少なくなった頃を見計らって旅に出た。
とはいえ、2021年についに二人とも同時期にコロナに罹患した。二人ともワクチン接種していなかったので、重症化することを恐れた。
また、重症者の入院治療可能な病床に殆ど空きはなかったので、「入院難民」となることを何よりも恐れた。幸いにも重症化しなかったが、
後遺症は長引いたものとなった。とはいえその後は、既に罹患の洗礼を受けたこともあり、再感染しても重症化するような懸念はかなり
払拭されたものと、勝手な想像をした。
海洋辞典づくりとの関係で旅の意義をもう少し思い巡らせてみたい。博物館・資料館巡りによって、新しい見出し語やキーワードを発見したりする。辞典の見出し語の増大化は、辞典を通じて「言葉の大海」への入り口が拡張することを意味する。
世にある数多の図書・学術誌・専門的資料をはじめ、インターネット、新聞、映像など全てが見出し語や専門用語などを拾い上げるための
媒体といえる。博物館などもその一つの重要な媒体の一つである。
博物館巡りでは展示品や説明書きなどをできる限り画像に切り撮るか。勿論許可されない場合はメモする他ない。館内を巡覧しながら
展示品のキャプションや解説パネルなどをその場で丁寧に読んでいると、一日の巡覧では終わらない。最も関心のある展示だけであっても、
半日はかかりそうである。そこで、特に海洋、漁業・養殖、船、港など辞典づくりに直接的に関係のあるものをしっかり切り撮って、
自宅のパソコンでズームアップして落ち着いて読み、理解するようにしている。パネル展示は時に文字が小さかったりで、老眼・近眼
ではすこぶる読みづらい。それに立ちっぱなしでパネル説明を読み続けることには辛いものがある。適度なズームアップで接写して
おけば、パソコン上でゆっくり読み学ぶことができ、理解を深められる。
ウォーターフロントの散策や博物館巡りの幾つかの重要な意義、モチベーションがある。ウェブ海洋辞典のビジュアル化や潤いだけでない。
博物館巡りを楽しむことで、辞典づくりそのものを楽しいものにさせ、鼓舞してもくれる。刺激をもたらし、推進力を与えてくれる
ことにつながる。探訪にでかけることと辞典づくりは、不可分なものとなってきた。
旅の前段階、最中、後段階の3つの楽しみが待ち受けている。旅の計画を練るプロセスを楽しめる。旅の最中では思いがけない
発見や視座・視点の新しい着想へと誘ってくれたりする。必ずと言っていいほどびっくりするような驚きの展示品や覚醒を引き起こす
ような説明書きや情報に遭遇したりする喜びがある。そして、帰宅後は、切り撮った数多くの画像を整理し、ウェブ辞典の関連ページ
や見出し語への貼り付けなど、手間はかかるが辞典づくりのプロセスを楽しむことができる。何と3度も楽しむことができる。
それらのことは、辞典づくりを楽しくさせてくれ、究極的には人生を豊かにしてくれるものと思える。
さて、ようやく2023年になって世はパンデミックから解放された。そして、リベンジのつもりで国内外の旅と向き合えるようになった。
まさに後期高齢者となった今、足腰が満足に動き、レンタカーを自在に運転でき、長時間のフライトに耐えられるのも、残すところ
後5,6年かもしれない。だが、日本国内・世界への放浪の旅はまだまだ続けたい。その夢を見続けたい。旅の面白さと楽しさは
無限大に広がることを実感し続けたい。国内外のウォーターフロント散策や海洋関連施設の探訪や、画像の切り撮りを辞典づくりに
生かすことは、人生と日常生活を豊かなものにさせてくれる「魔法の絨毯」を得たかのような手応えを感じる。
我が家の「大蔵大臣」とよく相談し、財力と体力を両睨みしながら、「自由の翼」を羽ばたかせて探訪の旅を続けたい。
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