乾期の終わり頃に当たる5月(2009年)になって運河候補ルート上にある河川の踏査に出掛けた。その踏査エリアとは、「エスコン
ディード川」の流路周辺と、それが注ぎ出る「ブルーフィールズ湾」(大西洋側。湾は事実上ラグーンまたは潟湖と言える)、そして
最有望候補ルートとされる「ルートNo.3」の大西洋側での起点となる「ククラ川」の
河口とその下流域である。エスコンディード川は、エル・ラマという地方都市において、その河川本流の名称が「シキア川」へと変わり、
内陸山系奥深くへとそのまま真っ直ぐ遡上して行く。そして、シキア川の少し上流で「ミコ川」という支流が合流している。さらに、
エル・ラマの町で、「エル・ラマ川」という支流がエスコンディード川に直角・T字型に合流している。
さて、エスコンディード川は、ブルーフィールズ湾の北端部へと注ぎ込み、狭隘の湾口を経て大西洋へと通じている。その河口に
あるのが「南大西洋自治地域」の行政府が所在するブルーフィールズという港湾・漁業の町である。ククラ川は同湾の南端部へ注ぎ込み、
同じく狭隘なもう一つの湾口を経て大西洋へ至る。ブルーフィールズ湾の沖合には「ベナード島」という南北約20㎞長の細長い島
が同湾を塞いでいる。島の南北端にあるそれら2つの狭隘な水道をもって外洋水と混交している。
エスコンディード川は運河候補ルートNo.1~3のうちの2のルートに直接的に関わっている。一つはエスコンディード川を遡上し、
エル・ラマからシキア川へと名前を変える河川本流を少し遡り、その支流であるミコ川をなぞりながら遡上した後、エル・ラマ川の
中流域へ取り付くというもので、それが「ルートNo.1」である。
他は、ブルーフィールズ湾からエスコンディード川を少し遡上したところにある、「マホガニー・クリーク」という支流へと
進んだ後、それから大きく外れて平坦低地の亜熱帯ジャングルを横切り、エル・ラマ川の中流域へ取り付くというのが、
「ルートNo.2」である。これら2つのルートは共に、エル・ラマ川の中流域に取り付いた後にその源流へと向かう。そして、ニカラ
グア湖に注ぎ込む「オヤテ川」の源流との間に横たわっている標高150~200m、長さ20kmほどにわたる分水嶺を経た後、
同河川をなぞるようにしてニカラグア湖へ至る。
既述の運河計画概要書で最有望ルートとして推奨されるのが「ルートNo.3」である。ブルーフィールズ湾の南端付近に河口を擁する
ククラ川を遡り、流路から大きく外れて平坦低地を横切り、エル・ラマ川の中流域に取り付く。そして、「ルートNo.1・2」の場合と同様に、
オヤテ川との分水嶺を経てニカラグア湖に至るのが「ルートNo.3」である。
「ルートNo.1、2、3」がエル・ラマ川とオヤテ川の分水嶺を全く共通して越えるのは、当該分水嶺が他のいずれよりも距離的に短く
越え易いことの証左であると言える。
ブルーフィールズは大西洋岸諸都市の中でも最大の都市であるが、エスコンディード川の80kmほど上流にあるエル・ラマはそれに次ぐ
重要商業港(内陸河川港)のある町である。ブルーフィールズは、その内陸都市エル・ラマのみならず、人口密度の高い太平洋側の
諸都市へ通じるまともな舗装道路は一本も擁しないという、大きな弱点をもつ。ところが、エスコンディード川の川幅は100~150mほど
あり、しかも積載重量数千トン級のフェリーや貨物船が遡航可能である。この河川航路こそが、ブルーフィールズとエル・ラマ間にあっては
未舗装の酷い悪路しかないという陸路事情を補っている。他方、エル・ラマからは首都マナグアをはじめ太平洋側諸都市へは完全に舗装
された道路が通じている。エル・ラマはブルーフィールズからの河川輸送の終着港である。そして、同河川輸送は陸海をブリッジ
する重要なモーダルシフト輸送を担っている。
今回の踏査では、数名の協力隊員と共に、事前に借り上げておいた平底の全長7~8メートルの細長い舟(ランチャと呼ばれる)で、
エスコンディード川を下りブルーフィールズへ向かった。予備的調査と位置づけた今回の踏査の第一の目的は、同河川の様相観察を
含め、運河候補ルートとしてどのようなものかを自身の目でよく観ることであった。
時速2~30kmほどで快走し、3時間ほどでブルーフィールズに到着した。川幅は少しずつ広がりを見せ、最下流域では幅200メートル以上は
ありそうである。両岸には途切れることなく亜熱帯樹林が鬱蒼と茂る。地図によれば、最下流域ではジャングルの中にラグーン(潟湖)や湿原、
大小広狭の水路が複雑に入り組んでいる。ブルーフィールズに到着後、休憩を兼ねて上陸し、町をそぞろ歩きした。初めての上陸・散策であるが故に、
特に治安に留意しながら中心街の目抜き通りに足を踏み入れた。そして、好奇心旺盛な目を隠すことなくあちこち歩き回った。
途中、「ツーリズム・ポリース」という女性観光警察官に遭遇し、挨拶を交わし雑多な参考情報を得た。
その後、ランチャにてブルーフィールズ湾をストレートに南航し、20kmほど南方にある「ラマ・キー」と呼ばれる小島(キーとは英語の「cay」で、平たい島という意味)
へ向かった。同湾は普通の湾ではなく、汽水性ラグーンのような様相を呈している。湾から海への開口部は、湾の南北2か所にあり、
狭水道(北側)の一つはにはエスコンディード川が、もう一つ(南側)にはククラ川が注ぎ出る。同湾は南北約20㎞長の「ベナード島」
によって湾口が塞がれた、いわば半閉鎖海であり、ラグーンともいえるもので、湾内は極めて静穏であった。
南航途上に、海軍の沿岸警備艇が猛スピードでランチャに接近してきて停船させられた。警備艇に接舷させられ、機関銃をもつ警備兵
から身分証明書の提示を求められた。身元照会がなされたのか、暫く時間を要した。ニカラグアや
ホンジュラスの大西洋沿岸域はコロンビアなどからの麻薬密輸ルートに当たっているとのことで、警備艇などが常時厳しく取り締まって
いる由である。
ラマ・キーには、先住民族のミスキート族が居住している。同島に上陸し、島民の生活環境(人口、飲料水、住宅、公共施設など)や、
教育事情・社会習慣などについて村長をはじめ村民から説明を受けることができた。小学校の分校のさらにその附属校のような小さな
校舎があり、教育省から先生が派遣されているという。島民が亡くなると、島の土地が狭いため、島の対面にあるククラ川河口辺りの墓地に埋葬するという。
さてその後、今回の最大の目的地であるククラ川河口へと向かった。
地図で見ると、河口域一帯には湿地や原生林が広がる。河口の川幅は100メートルほどはある。だが、4kmほど遡航すると川幅はわずか
10メートル足らずにまで狭まって行った。
川の両岸には鬱蒼とした密林が迫っており、川面からでは両岸の背後にある地形、植生状況、農牧事情などを全く見通すことは
できなかった。岸から数km離れたところに標高100~200mの山があっても、目の前の密林に遮られて全く視界に入ってこない。
ククラ川を4~5kmほど遡上し、川幅もかなり狭くなり小川程度になった頃、急に密林が開け、丘陵地のようなところに達した。
丘陵の高みには数軒の民家があり、上陸し見学した。周囲は放牧地のようであった。
住民に遭遇することはなかった。庭先には無造作にカヌーが置かれ、日頃からカヌーを外出の足にしているようであった。勿論道らしき
ものは全く存在しなかった。驚いたことに、こんな辺境地にも外国の援助の手が伸びていた。援助プロジェクト名を記した大きな立て
看板がそれを示唆していた。
最有望候補ルートと推奨される「ルートNo.3」は、ククラ川の数10km上流辺りで川筋から大きくはずれて、平坦低部を通ってエル
・ラマ川中流域へ取り付くことになる。地図で見る限り、「ルートNo.3」がその中流域に取り付く辺りまでずっと平坦低地が続いている。
そこには標高4~50メートルの孤立した丘のような盛り上がりが散在する程度で、標高数百メートルの山らしい山は存在していない。
ククラ川を遡航する途上で、周囲360度、5~6㎞ほど先まで見渡せるような丘や山を見つけ、地形などを目視したかった。だが、何の
ランドマーク的な地形も視認できないまま、川幅はますます狭くなり、両岸から樹木の枝が覆い被さる状態となり、またランチャの
Uターンすらも難しくなってきたので、当該上陸地点から暫く遡ったところで引き返した。
再びブルーフィールズ湾を縦断・北航し、ブルーフィールズに再び立ち寄り、ランチャのオーナーに接触した。そして、雨期の時期
を待ってエル・ラマ川の遡航にチャレンジするために必要となるランチャの借り上げについて予備交渉をした。その後、エスコン
ディード川を40kmほど遡上したところで、「マホガニー・クリーク」と呼ばれる河川の入り口を探し求めた。川岸風景はどこも同じで、
樹林が鬱蒼と生い茂り見落とすところであった。
クリークを数kmほど遡上すると、川幅は入り口付近の4~50メートルから狭まり、ついに7~8メートル以下となった。樹林の枝など
がランチャの行く手を酷く阻害するので、止む無く引き返すことにした。
運河候補「ルートNo.2」は、マホガニー・クリークの河口から湿地・樹林帯を大きく横切り、エル・ラマ川中流域に取り付いた後、
オヤテ川との分水嶺を経てニカラグア湖へと至る。地図では湿原地帯を抜けても平坦低地ばかりで、標高5~60メートルの丘のような高まりが散在する
程度である。ククラ川にせよ、クリークにせよ、遡上したのはわずかな距離であったが、運河ルートとなりうる土地の様相に
直接触れ、土地勘とイメージを養うことができた。それは、今後運河ルートをいろいろと推察しプロッティングする上で大きな助けとなると
思われた。
さて、「ルートNo.1~No.3」の踏査のうちで最大の目途としていたエル・ラマ川の遡航について、出来る限り上流へ遡りたかったが、
現在の5月の乾期にあっては水量が減り、そのため浅瀬を遡航することが困難となるので、やはり川が増水する雨期を待たねばなら
なかった。「ルートNo.1、2、3」は共に、エル・ラマ川の中流域に取り付くことになり、その後は3ルートともにエル・ラマ川の
川筋を共通してなぞりながら源流へと向かう。そして、共通の分水嶺を経て、その反対側にあるオヤテ川源流に取り付き、そのまま
ニカラグア湖へと至る。
雨期の踏査を念頭に、今回ブルーフィールズに立ち寄った機会を利用して、ランチャのオーナーに事前に次の遡航の意図を
直接よく説明し理解を得ておきたかったことがある。エル・ラマ川を出来る限り奥地へ遡航するためには、上流域の河川事情に明るい船頭の手当てが
不可欠であった。踏査時期は後日確定するとして、くれぐれも地理などに明るく操船技術の確かなスキッパー(船頭)を見つけて
くれるよう依頼した。後は携帯電話で連絡を取り合うことにした。
数か月後の8月(2009年)になって、肌感覚的にもいよいよ雨期真っ盛りとなり遡航の時期がやって来た。2回目も4名の隊員が
同行してくれた。遡航に先だって、陸路を辿ってエル・ラマ川最上流部付近の踏査に向かった。実は、エル・ラマ川の源流域の地形や
様相を身近に観察できるところを地図上で見つけていた。エル・ラマ川最上流部近くを「国道71号線」が通っていて、そこに40メートル
長の橋が架かっていた。そこを目指した。そこはエル・ラマ川の源流まで15kmほどの地点であった。
国道は「コルディジェーラ・チョンタレーニャ」という山地南端にある稜線などを縫うようにして走っている。それ故に、稜線沿いに
ドライブする道すがらにおいても、また同橋上からでも、エル・ラマ川が大西洋方向へ山間部や平坦部を流れ下って行く様相を
粗方眺望できることを期待した。眺望するには期待通りであった。全て樹林で覆われた、標高100メートルほどの丘陵のような山並みを
眼下一面に見下ろすことができた。山並みは遥か遠方へと続き、そのため霞んでいて余り見通しがよくなかったが、山並みは原生林の
平坦低部に向けてずっと続いていた。標高5~600メートルほどの山々が所々に孤立して点在していた。だが、エル・ラマ川の谷筋や
川筋は、山並みの中の底部に完全に埋もれてしまい殆ど見通すことはできなかった。
橋下での川幅は4~50メートルであった。橋のすぐ下流側の地形を観ると、岩のごつごつした段差の激しい谷筋が急流となって
落水していた。ランチャでエル・ラマ川を遡航しても到底この橋下付近まで昇っては来れないものと覚悟したが、
せめて「ルートNo.1~3」が共通して取り付くことになるエル・ラマ川中流域辺りまでは遡上できることを期待した。
さて、その後同橋の少し先からエル・ラマ川に沿って源流方向へと踏査の足を進めた。途中「コロニア・リオ・ラマ」という集落がある。そこから更に
同河川をなぞって奥地へと、道が導くままに進んだ。すると同河川の本流川筋からはずれることになるが、その分流を辿りながら分水嶺
の方角を目指してさらに奥地へと行けるところまで分け入った。分流がどんどん枝分かれし、小川のようになるまで遡った。
遠目には髙い山が立ち塞がり、足下では草木が生い茂ってどこが道なのか、道があるのか否かも分からなくなって行った。エル・ラマ
川とオヤテ川の分水嶺をしっかりと見極めることはできないまま、引き返さざるを得なくなった。
だが、標高150~200メートルほどの分水嶺付近まで辿り着いたことだけは間違いなく、その地形・植生などの自然状況などを部分的
にしろ目視することができた。
近い将来機会を捉えて、同分水嶺の向こう側にあるはずのオヤテ川の源流を目指して、ニカラグア湖側から遡上してみたいと考えた。
何故ならば、最有望候補「ルートNo.3」を開削する場合には、運河ルート上最も標高の髙い150~200メートルほどの山地、それも20数km
長の山地を切り開くことになり、難所中の難所である。全く別の運河閘門システムを採用するならばともかくとして、標高150メートル
以上で数10km長の分水嶺を開削し、かつエル・ラマ川の中流域かどこかに閘門を建設し、もってニカラグア湖水をその閘門まで
通水させることができなければ、船舶は同湖とカリブ海との間にある高低差32メートルを昇降し通航することなど到底できない。
さてその後、ランチャの待つエル・ラマの町に向かった。エスコンディード川の延長線上にある本流のシキア川の支流である
ミコ川が、国道7号線と40kmほどにわたり並行して流れている。そして、国道上のある地点から少し遠目ながら、谷筋に沿うミコ川の
流れをよく見下ろすことができ、じっくりと観察した。両岸には標高数100mの山地が連なる。ミコ川をなぞる「ルートNo.1」は、エル・ラマを
経て40㎞ほど上流にある「ムエジェ・デ・ロス・ブエジェス(Muelle de los Bueyes)」(「牧牛の桟橋」というくらいの
意味) という町から南方内陸域へと外れてエル・ラマ川中流域へと向かうことになる。
エル・ラマで投宿し、翌朝船頭と船着き場で落ち合った。同船着き場の前には東西に大河が流れる。下流側にはエスコンディード川が、
上流側にあってはその名をシキア川へと変える大河が悠然と流れる。乗場正面ではエル・ラマ川がT字形にエスコンディード川に注ぎ
込んでいる。さて、全員ライフジャケットを装着のうえ出港した。両岸にはどこまでも亜熱帯樹林が鬱蒼と茂る。ランチャからは、20㎞ほど
遡航しても何一つ丘陵や山は目視できなかったが、「ラス・イグアナス」という集落が出現し、休息を兼ねてランチャはその船着き場
に寄港した。集落に上陸し村内を社会見学することにした。
そこで得たある情報に驚いた。ごく最近のことであるが、大雨が続いてエル・ラマ川が増水したが、それが半端でなかったという。
同集落の河岸では、7~8メートルも水嵩が上昇したという。探訪時は河川水位は普通の状態に戻っていたが、河岸から法面を見上げて
みると、そこには当時の増水の水位を示す爪痕がはっきりと遺されていた。
見上げる高さに仰天であった。水嵩がもう数メートル増していたならば集落は浸水したほどであったことを見て取れた。運河がエル・ラマ
川をなぞって開通しても、中米亜熱帯気候特有のこのような急激な大雨やスコールで増水にどう対処しうるのか、真に自然のリスクを
感ぜずにおられなかった。さて、地図上での集落などの位置を同定しながら、さらにどんどん遡った。川幅はまだ3~40メートルは
ありそうであった。
遡航して気付くことがもう一つあった。川岸の斜面を観察すると、増水時の流れなどによって削り取られたり、降雨で自然に地
すべりしたのであろうか、法面の被覆土があちこちで崩れ落ちていた。亜熱帯密林での被覆土や堆積土は崩れやすく、また増水すると
大量の土砂が河川に流れ込み溶け込む。ニカラグアでの雨期での河川増水は時に半端ではない。原生林が幅200メートルに渡り
開削されたり、また船舶通航コース自体を滑らかにするため河岸が削り取られたりする。しかも水深20~25メートルも浚渫され
人工水路が造られ、かつ大型船舶が頻繁に航行するとなると、脆弱性の髙い川岸はさらに大きなダメージを受けたり、あるいは河川の
流れが緩慢になって水底への土砂の堆積が加速する可能性も十分ありうる。
5月~10月の雨期には一般的に降雨やスコールの日々が続くが、樹木は緑豊かに生い茂る。11月~4月の乾期には少雨で乾燥した
気候のため草木が落葉したりする。他方雨期ともなれば、このエル・ラマ川などの水嵩はどう激しく変化するのか、両岸法面の
土壌状態や浸食の具合はどうか、河川両岸を削り取った場合の河岸法面の土壌の崩落具合はどうか、25万積載重量トン級の船舶通航
による人工的な河岸浸食への影響はどうか、乾期における渇水は閘門オペレーションにどんなマイナスの影響をもたらすのか、
乾期での降水量の大幅減と雨期での水嵩の大幅増時における人工水路での水嵩・水位の調整の在り方など、いろいろ自問
しながら、ランチャの舷越しに移り行く自然風景を脳裏に焼き付けておきたいと観察し続けた。
遡上を続け、ようやく「ルートNo.2~3」がエル・ラマ川に取り付くと推測されるエリアへと近づいた。エル・ラマでは川幅が100
メートルほどあったが、奥地に進むと3~40メートルへと徐々に狭くなり、また両岸にはところどころに小高い山が点在したり、あるいは
また丘陵のように少し盛り上がった山の連なりが見られるようになった。更に12㎞ほど遡ったところで、川幅が急に広くなり、さざ波が全面に
立っているところに行き着いた。底が浅くなっているためで、早瀬になっている箇所であった。地図上にも早瀬地点が数kmおき
くらいに明確に図示されている。
船頭はランチャをホバーリングさせながら、少しでも深みのある川筋を見極めた後、エンジンを全開にして早瀬を上り切った。
幾つかの急流箇所については難なくやり過ごしたが、さらに遡上すると早瀬の規模が大きくなり出した。川面が白波を立てて
激しく小刻みに上下している。無理して遡航し潜岩などに乗り上げて転覆したり、船底が岩で損壊して浸水したり、スクリューに
ダメージを受けて航行不能になったりすると、こんな辺境地では救助も求められない。安全を最優先に、早目に決断を行なった。
遡航続行を諦め、折り返すことにした。
地図上からすれば、折り返した地点辺りが「候補ルートNo.2~3」がエル・ラマ川に取り付く中流域地点にかなり近いと推察された。
因みに、この辺りにおいて、エル・ラマ川をダムや堰堤で堰き止め、3~4段式閘室の閘門システムを建設することができるかどうかである。
エル・ラマから遡行してみて、基本的には平坦な原野が続いていたものの、ところどころ小高い山が
単発的に、あるいは丘のような盛り上がりの連なりが散在する地形を観てきた。
果たして、エル・ラマ川周辺の等高線などを地図上で読む結果として、果たして堰堤や閘門を建設することが可能なのか。また、
物理的にそれらを建設できたとしても、人工湖や閘門の上流側に水を持続的に貯留しうるのか。要するに、ニカラグア湖と大西洋との
間に有義性のある閘門システムを建設することができるのか、それが最大の関心事であった。
暫定結論としては、この辺りでは困難と推察される。少なくとも折り返した地点よりも下流域では、閘門の建設によって人工湖を造成
することはできないのではないかと、今回踏査してみて推察した。たとえ堰堤や閘門を建設しても、その上流部の湖水はとどめなく
溢れ出て、人工湖にはならないのではないかというのが第一印象である。
同運河計画概略書によれば、「ルートNo.3」として、ククラ川を少し上流になぞった地点で第一の3~4段式閘門を建設し、船舶を
30数メートル昇降させ、さらにもう少し上流地点において同様の第二の閘門をもってプラス30数メートル昇降させ、その内陸側に
人工湖を造成するという図案が示されている。人工湖の水面は何と海抜60メートル近くにもなる。他方、オヤテ川を
なぞりその少し上流地点において第三の3段式閘門を建設するとともに、オヤテ川~エル・ラマ川の両源流間にある標高100~200m、
数10km長の分水嶺を開削した水路を経て、上記の人工湖に繋げるという案である。
確かにニカラグア国土地理院(INETER)が2003年に発行した全国図(縮尺525,000分の1)では、実際の踏査で折り返した地点よりも
20㎞ほど上流のエル・ラマ川中流域には、山地に取り囲まれた窪地地形をみることができる。窪地に入る直前の谷筋においてダム・
堰堤を築けば、長さ40㎞、幅5~10km、湖水面の標高が60メートルほどになる人工湖を造成できる可能性が示されている。だがしかし、
総合的にみて、その可能性と合理性はどうなのだろうか。エル・ラマ川最上流部近くの「国道71号線」やそこに
架かる橋からは、そのような窪地地形をはっきりと視認することはできなかった。
大西洋側の区間(ニカラグア湖と大西洋間)において3つの3段式閘門を建設することになる既述案に合理性がないとすれば、
残される方法は一つしかないことになる。即ち、「リーバス地峡」の場合と同じように、船舶を昇降させるために、
ニカラグア湖から閘門まで直接的に湖水を延々と水路に引き込み、ニカラグア湖自身の水資源を直接的に利用する他ないことになる。
パナマ運河において「ガトゥン湖」などの人工湖が果たす重要性から分かるように、水資源の十分な確保は運河の安定的な
オペレーションの生命線である。
かくして、エスコンディード川、エル・ラマ川、ククラ川について、一般的装備をもつランチャでもって安全に分け入ることができる
最奥の地まで差し詰め踏査することができた。今後は地図をさらに読み解きながら、「ルートNo.3」を中心に深掘りして行きたい。他方、
「ルートNo.4~6」のうちの最も基幹河川の一つであるサン・ファン川の踏査についての体験譚に触れることにしたい。
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