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    [作成/Under Construction]
    第23章 パンデミックの終息後の海外渡航を夢見る万年青年
    第1節 新型コロナウイルスによるパンデックの終息を待ち焦がれて


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     第23章・目次
      第1節: 新型コロナウイルスによるパンデックの終息を待ち焦がれて
      第2節: 「ニカラグア運河」を追いかけて再訪を夢見る
      第3節: カナダ東部海岸諸州の海・運河・船の風景を探し求めて
      第4節: 中国の京杭大運河(揚州など)を再び訪ね歩く
      第5節: アフリカ大陸最南端の喜望峰と「ガーデンルート」の海を訪ねて
      第6節: インドネシアのモルッカ諸島(香料諸島)、スパイスと古要塞を訪ねて


全章の目次

    第1章 青少年時代、船乗りに憧れるも夢破れる
    第2章 大学時代、山や里を歩き回り、人生の新目標を閃く
    第3章 国連奉職をめざし大学院で学ぶ
    第4章 ワシントン大学での勉学と海への回帰
    第5章 個人事務所で海洋法制などの調査研究に従事する
    第6章 JICAへの奉職とODAの世界へ
    第7章 水産プロジェクト運営を通じて国際協力
    第8章 マル・デル・プラタで海の語彙拾いを閃く
    第9章 三つの部署(農業・契約・職員課)で経験値を高める
    第10章 国際協力システム(JICS)とインターネット
    第11章 改めて知る無償資金協力のダイナミズムと奥深さ
    第12章 パラグアイへの赴任、13年ぶりに国際協力最前線に立つ
    第13-1章 超異文化の「砂漠と石油」の王国サウジアラビアへの赴任(その1)
    第13-2章 超異文化の「砂漠と石油」の王国サウジアラビアへの赴任(その2)
    第14章 中米の国ニカラグアへ赴任する
    第15章 ニカラグア運河候補ルートの踏査と奇跡の生還
    第16章 「自由の翼」を得て、海洋辞典の「中締めの〝未完の完〟」をめざす
    第17章 辞典づくりの後継編さん者探しを家族に依願し、未来へ繫ぎたい
    第18章 辞典づくりとその継承のための「実務マニュアル(要約・基礎編)」 → [関連資料]「実務マニュアル(詳細編)」(作成中)
    第20章 完全離職後、海外の海洋博物館や海の歴史文化施設などを探訪する(その1)
    第21章 完全離職後、海外の海洋博物館や海の歴史文化施設などを探訪する(その2)
    第22章 日本国内の海洋博物館や海の歴史文化施設を訪ね歩く
    第23章 パンデミックの収束後の海外渡航を夢見る万年青年
    最終章 人生は素晴らしい/「すべてに」ありがとう
    後書き
    * 関連資料: 第19章 辞典づくりの未来を託すための準備を整える「実務マニュアル・詳細編」)


  未だ見たことのない海と船のあるウォーターフロントを散策したり、海洋・漁業・船舶などの博物館をはじめとする海洋歴史 文化科学施設をじっくり観て回ることは、この上ない楽しみであり、また喜びとしてきた。また、そこでしか見られない 展示物を観て目を保養し感動をおぼえるというだけでなく、時には世に大きな歴史的変革を刻んできた場所に身を置く のも心を揺り動かすものである。JICAから完全離職して「自由の翼」を得てからは、健康と財政に相談しながら、海外にも 何度か出掛けてきた。そして、そこで切り撮った画像を「一枚の特選フォト」としてアップしたりもしてきた。海洋辞典のビジュアル化 による「進歩」に大いに役立ってきた。

  ところが、2020年初め以来、新型コロナウイルスが世界的に蔓延し始め、いわゆる「パンデミック」状態となり、国民は経験したこと のない行動制限や自粛を余儀なくされた。人によってはテレワークや「巣籠」状態が続いた。そして、個人的には、今までの3年間 一度も海外の「空気と水」を味わえずに来た。何時になれば、 パンデミック以前のように、感染の懸念なく安全安心にして、また何の行動規制や自粛なく自由に気軽に海外へ旅する ことができるようになるのか、数多の人が待ち焦がれてきた。終息すれば、初めて海外へ旅に出掛けるようなウキ ウキした感覚になるに違いない。

  先ずはパンデミックの状況について少し振り返ってみたい。2019年末期に中国の武漢で新型コロナウイルスの発症例が多数出現して以来、2020年初めから瞬く間に世界中にウイルス感染が 広まって行って、国際社会に大きな不安と衝撃をもたらした。それ以来、日本での感染としては、2022年中下旬には第7波を迎えた。 2022年(令和4年)9月2日の読売新聞朝刊では、日本国内での感染状況について、次のようなことが報じられた。
・ 2022年9月1日時点では、日本全国感染者累計1,912万人余、死者累計は4万人を超えた。
・ 国内の最初の死者が2020年2月に初めて確認されたが、2021年4月に1万人を、2022年2月には2万人を越え、2022年5月には3万 人を突破した。
・ 第7波期中では、2022年8月23日に1日当たりの死者は343人で、過去最多となった。同年8月の一か月当たりの 死者は、過去最多の7,328人を上回った。
・ 年代別死者(2022年7月6日~8月23日)は、80歳代40.5%、90歳以上33.2%で、それらは全体の74%を占めた。 かつては肺炎による死亡が多かったが、第7波でのオミクロン株では、心臓、腎臓、呼吸器などに持病を抱える人がウイルス感染のために それを悪化させて亡くなる事例が目立ったという。
・ 2022年9月1日における、1日当たりの新たな感染者として全国で15万人確認され、かつ重症者として555人が確認された。 その前週の8月25日における1日当たりのそれは22万人余に上った。
・ 2022年8月の医療機関外におけるウイルスによる死者は、8月は過去最多の869人とされる。

  2020年初め以来、何度も感染の波が周期的に世界や日本を襲ってきた。そして、ウイルスは次から次に変異を繰り返し、 その特性を変えてきた。日本でも波が来るたびに、ウイルスの特性や感染力などが変化し、感染者数は大幅に増加してきた。 世界各国は、感染拡大阻止のために、懸命に水際対策をはじめワクチン接種などのありとあらゆる措置を講じ、 ウイズコロナ政策の下に自国経済とのバランスを図ろうとしてきた。日本でも半ば手探りで懸命にウイルス蔓延と闘ってきた。

  2020年の夏期に日本で開催予定であった「東京オリンピック・パラリンピック2020」も丸1年延期された。しかも、開催が翌年に ずれこんだ大会は無観客での敢行であった。因みに、中国習近平政権は当初からゼロコロナ政策を実施し、北京・上海などの幾つもの 大都会で感染者が見つかると、徹底した大規模な外出禁止措置、即ち都市の広域にわたる大規模封鎖(ロックダウン)を強権的に 実施し、経済社会活動に大きなインパクトを与えてきた。

     この3年間各国によって独自に執られてきた感染拡大抑制策にはかなりの濃淡があり、感染状況もかなり異なる。日本でも 「国境」(空港・港湾)での水際対策や国内感染拡大抑止策として、感染状況を勘案しつつ時の経過と共に適宜良かれとする具体的 措置が講じられてきた。例えば、国内外での感染状況や変異株の特性の把握、国内医療機関での治療や入院病床体制の構築、 感染者の一定期間の隔離措置、国内移動の自粛要請、酒類も提供する飲食店などの営業時間制限と補償措置、5人以上の外食自粛、 コンサート・スポーツ観戦などでの無観客化や人数制限、ワクチン接種、出入国に関する制限などあらゆる措置を講じながら、 経済へのダメージの最少限化に取り組んで来た。

  世界各国の水際対策、入国制限措置にはかなりの温度差が見られてきた。日本では、最初の頃は事実上日本への入国禁止の措置が 執られもしたが、時の経過とともに徐々に緩和されてきた。2022年10月中旬以降には、3回のワクチン接種証明書の提示、入国前72時間 以内のPCR検査での陰性証明書の提出の制約は受けるが(いずれもない者は原則入国できない)、1日当たりの入国者数制限緩和(1万→5万人)から更に撤廃へ、外国人観光客の 団体ガイド付きツアーからビザなし個人ツアー客の受け入れの解禁などへ緩和された。なお、2022年9月現在、第7波が全国的に ピークオフになりつつある。

  青年ならいざ知らず、70歳の高齢者にして3年間海外渡航が困難となれば、余命少なくなっている者にとっては、失われた3年の 空白は大きい。時に海外のウォーターフロント散策や海洋博物館巡りを楽しみ、辞典づくりをビジュアル化する上で大きな刺激と画像 自体を得てきた。だが、パンデミックによる各国の諸々の渡航制限では海外へ出掛けるどころではなくなった。時間は待ってくれず、 過ぎ去った時間は高齢者には重みのある損失のように思えてこよう。私的には、年1~2回の海外への旅の楽しみは 3年間以上先送りとなり、その空白は大きい。気力はあっても体力は少しずつ衰えるがちとなる。それをリカバリーすべくさらなる 運動が欠かせない。

  ところで、ウイルスに感染しないようにずっと注意していた。大勢の人々が集まり換気が悪い居酒屋などに長居することは 余りにもリスキーと思っていた。そんな場所には行かないようにしてきた。混雑するレストランや カフェも極力避け、例え出掛けるにしても少なくとも他客とは距離を離し、マスクを手放さないなどいろいろ最善の注意を払ってきた。 だが、2022年8月12日、ついにウイルスに罹患してしまった。まさか自分が罹るとは思ってもいなかった。とは言え、第7波では ウイルスが自身にも極身近な存在であることはひしひしと感じていた。無症状の感染者が沢山いると報じられていたからである。 友人と会い二か所のカフェを梯子したが、恐らくは二つ目のカフェで友人も同時に感染してしまったと、今から振り返れば推察される。 かくして、二人は第7波の「餌食」になってしまった。

  当時高齢者は通例3回は接種しているはずのところ、友人も私もワクチン接種してこなかった。同日夕方になって喉にはっきりとした 痛みを覚えた。翌日から3日間、38.0度から38.9度の高熱を発症し、咳の症状も多少あった。漢方薬や喉飴で喉の痛み を和らげようとした。お陰で喉の痛みは1-2日でかなり治まった。 4日目からは、35.8-36.6度の平熱が続くようになった。だが、平熱化してもそのまま2週間ほどベッドに横たわり、飲まず食わず の自宅療養となった。当時は第7波のピーク期で、8月のある日における感染者数は全国で150万人だかに上っていて、ほとんどが 自宅療養中で「医療難民予備軍」となっていた頃である。

  肺炎などへの悪化はなく、なんとか自宅隔離・療養だけで済んだ。最も懸念したのは、重症化した場合のことであった。 肺炎に罹ってそれが重症化したり、心臓や他臓器に悪影響を受けたりして、入院が必要になる場合であった。高齢で基礎疾患があり ワクチン未接種である私が重症化した場合には、救急車を呼ぶ他なかった。だが、救急車にお世話になっても、コロナ患者で 指定病院がかなりひっ迫していた時期であり、病院がすぐに見つかる保証はどこにもなかった。入院しても適格な治療が受けられるか も心配であった。第7波ピークでは全国で1日当たり22万人以上が罹患し、150万人の自宅療養の状況下では、万一重症化した 場合どう言う結果が待ち受けるか、全く心もとない状況であった。コロナ患者受入基幹病院はどこも病床が埋まり、入院も治療も 期待できないという恐れは十分に予想された。

  高熱を発症した時にはそんな懸念を抱えながら、バッファリンの解熱剤をベッドわきに置きじっと寝込んでいた。 脱水に留意しながらずっとお粥と梅干などでしのいだ。だが、平熱化しても倦怠感が続き、何する気も起らず寝てばかりであった。 8下旬になって市販の抗原検査キットを薬局で購入し検査してみた。結果、8月31日に陰性となった。その結果を得て、 気分的に楽になり、その後は毎日少しずつ本気に机とパソコンに向かって仕事しようと努力した。また、寝てばかりいたので 身体が弱る一方であった。それを少しでも抑制し、また倦怠感を克服しようと毎日ウォーキングに出た。とにかく一日1時間でも 机に向かうことで集中力と気力の回復に励むようにした。

  2カ月に一回、心臓循環器系専門病院に通い、血液検査や心電図検査の他主治医の診察を受け、いつもの薬の処方箋を受領し、 血液の抗凝固剤、降圧剤などを服薬してきた。若者や基礎疾患のない人ならともかく、高齢で基礎疾患がありワクチン未接種の私には、 感染はかなりリスキーであった。重症化して生死を彷徨いそのまま自然淘汰されるかは運・不運の問題であると言えばその通りであった。 今回重症化せず、病院・医者のお世話になることなく、自力で回復できた。主治医曰く、この程度で済んだのは「強運」と言う ほかない。かくして、得た教訓が二つあった。

  一つは、日頃から体力、抵抗力や免疫力をつけておくことの決定的な重要性である。 罹患当時はいつでも入院し治療にあやかる状況にはなかった。つまり、容体が突然悪化して落命すると言うリスクがないわけではなかった。 日頃の健康管理をはじめ、免疫力や抵抗力の維持増進がいかに大切であるかを、この時ほど身に沁みたことはなかった。 それなりに病気に打ち勝つ免疫力や抵抗力があったがゆえに、高熱だけの軽症で済んだとも言えよう。 日頃からの数キロメートルのウォーキングの積み重ねと食べ物の取り方によって病気に打ち勝てる体質を作ることの重要性を深く 心に刻んだ。

  もう一つの教訓は「海洋辞典づくり」と関係するものであった。「中締めの未完の完」を目指して取り組んできたが、 これまでの「取り組み姿勢」で良いのか疑念を抱き、自省するきっかけを得た。何年か後に辞典づくりの「中締め」をしようと 取り組んできたが、今日という日に「辞典づくりの筆を置いてもよい」と言う覚悟の下に、その日の取り組みを終えることが 大切であると悟った。即ち、今日のその日をいつも「未完の完」で終えるという覚悟と真剣さが求められると思い直した。 そして、翌日の朝を再び迎えた暁には、その幸運に感謝し再びその日一日を頑張り、その夜には「中締めを未完の完」として 辞典づくりの筆を置くということである。

  2009年にニカラグアで心筋梗塞を患い奇跡の生還を果たすという体験から、辞典づくりという「離職後どうしても遣り終えたいこと」に 取り組んできた。そして、「中締めの未完の完」を目指すことを学んだ。だがしかし、何年か後にその「中締め」を遣り遂げる と言うような悠長な話ではなく、いつも、今日その日を終える時には「中締めの未完の完」の状態にしておくことに意を固くした。 ニカラグアでの大病がそうであったように、コロナウイルス罹患は辞典づくりに対する取り組み姿勢を再び変えることになった。 私的には、重要な教訓を得ることができた。

  ところで、2023年からは新型コロナが普通の風邪か、少なくともインフルエンザの類いに取り扱われること、そして パンデミック以前のように自由に海外渡航が認められるようになることを期待している。その時に備えて、いつでも旅立てるように 幾つかの荒削りの旅プランを練っておきたいと考えた。海外への旅が自由となってからではなく、今の「巣籠」的時間を有効に 生かしたい。ワクチン接種3回以上や、入国後の隔離期間や陰性証明の提示などの渡航規制がなくなれば、旅プランを具現化したい と言う意気込みである。旅の荷物の準備は1日でもあれば事足る、だが、プラン作りはそういう訳にはいかない。

  さて、ほぼ完全に行動規制が解除され自由な渡航が可能となる日が間もなくやって来ることを見越してプラニング途上にある 旅先は一体どこか。旅先の候補地は沢山あるが、最も旅してみたい候補地として以下の通り5つほど挙げたい。
(1) アトランティック・カナダ方面:「赤毛のアン」の物語の舞台となったカナダ東部のプリンス・エドワード島、ハリファックス の海洋博物館、ファンディ湾の海嘯(かいしょう)、リドー運河など。
(2) インドネシア: 香辛料の丁子、ナツメグ、胡椒などを産するモルッカ諸島のテルナテ島やティドレ島やその古い要塞跡など、 ジャカルタではコタ地区の海洋博物館やウォーターフロントなどの散策。
(3) 中国: 京杭大運河と長江の交点にある揚州や京口、開封と「隋唐大運河博物館」など。出来うれば、泉州の「海上交通博物館」など。
(4) 南アフリカ: ケープタウンの喜望峰とそのウォーターフロント、そこからダーバンまでの「ガーデンルート」と呼ばれる インド洋海岸沿いの諸都市にある海洋関連施設など。
(5) ニカラグア: 「ニカラグア運河の夢」はどうなっているのか。中国企業とオルテガ大統領は運河建設につき「コンセッション契約」 を締結し、その後工事開始宣言がマスコミに発表されたが、今の現況はどうか。何故工事は頓挫しているのか。センチメンタル・ ジャーニーと言いえばそうだと言えるが、運河建設の進捗状況を現地でのインタビューや踏査を通じて知りたい。また、運河ルートの 一つのオヤテ川の源流に向けての踏査中での心臓発作のため赴任半ばで帰国し、諸々置き去りにしてきたので、心の精算をしておきたい。

  旅は体力だけでなく、年金生活者ゆえに財力とも相談しながら実現したい。贅沢な旅とは訳が違う。1日3~5万円を出費する 団体ツアーではない。一日当たり1~1.5万円を基本的な出費枠にする倹約・冒険的である。 その代わり、旅中は自由行動で見たいものを見る、訪ねたいところを探訪する。それはリスクと不便も伴うが、自由な楽しみ方が できる。先ずは旅プランを楽しく練りたい。それは頭のトレーニングとなる。脳内の潤滑油や栄養素となり、ボケ防止につながる。 世界は見る価値のあるものに満ち満ちている。私的にはそれを見れば奮い立ちさらに元気になる。



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全章の目次

    第1章 青少年時代、船乗りに憧れるも夢破れる
    第2章 大学時代、山や里を歩き回り、人生の新目標を閃く
    第3章 国連奉職をめざし大学院で学ぶ
    第4章 ワシントン大学での勉学と海への回帰
    第5章 個人事務所で海洋法制などの調査研究に従事する
    第6章 JICAへの奉職とODAの世界へ
    第7章 水産プロジェクト運営を通じて国際協力
    第8章 マル・デル・プラタで海の語彙拾いを閃く
    第9章 三つの部署(農業・契約・職員課)で経験値を高める
    第10章 国際協力システム(JICS)とインターネット
    第11章 改めて知る無償資金協力のダイナミズムと奥深さ
    第12章 パラグアイへの赴任、13年ぶりに国際協力最前線に立つ
    第13-1章 超異文化の「砂漠と石油」の王国サウジアラビアへの赴任(その1)
    第13-2章 超異文化の「砂漠と石油」の王国サウジアラビアへの赴任(その2)
    第14章 中米の国ニカラグアへ赴任する
    第15章 ニカラグア運河候補ルートの踏査と奇跡の生還
    第16章 「自由の翼」を得て、海洋辞典の「中締めの〝未完の完〟」をめざす
    第17章 辞典づくりの後継編さん者探しを家族に依願し、未来へ繫ぎたい
    第18章 辞典づくりとその継承のための「実務マニュアル(要約・基礎編)」 → [関連資料]「実務マニュアル(詳細編)」(作成中)
    第20章 完全離職後、海外の海洋博物館や海の歴史文化施設などを探訪する(その1)
    第21章 完全離職後、海外の海洋博物館や海の歴史文化施設などを探訪する(その2)
    第22章 日本国内の海洋博物館や海の歴史文化施設を訪ね歩く
    第23章 パンデミックの収束後の海外渡航を夢見る万年青年
    最終章 人生は素晴らしい/「すべてに」ありがとう
    後書き
    * 関連資料: 第19章 辞典づくりの未来を託すための準備を整える「実務マニュアル・詳細編」)


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    第1節 新型コロナウイルスによるパンデックの終息を待ち焦がれて


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     第23章・目次
      第1節: 新型コロナウイルスによるパンデックの終息を待ち焦がれて
      第2節: 「ニカラグア運河」を追いかけて再訪を夢見る
      第3節: カナダ東部海岸諸州の海・運河・船の風景を探し求めて
      第4節: 中国の京杭大運河(揚州など)を再び訪ね歩く
      第5節: アフリカ大陸最南端の喜望峰と「ガーデンルート」の海を訪ねて
      第6節: インドネシアのモルッカ諸島(香料諸島)、スパイスと古要塞を訪ねて