実は、2007年6月にサウジアラビアから帰任した後暫く経ってからJICAを役職定年となった。その後については、JICAとの嘱託雇用
契約でもって、同年9月に中米ニカラグアへ赴任することが予定されていた。さて、赴任するほんの少し前の7月のこと、家族が香港へ
の格安団体ツアーに参加することになった。1979年にJICAの最初の公務出張時に一度だけトランジットのため香港国際空港に
降り立ったことがあるだけで、一度は本格的にお上りさんになって香港をぶらついてみたいという思いがあった。
とは言え、香港には海にまつわる歴史文化施設は何もないという先入観に囚われていたことも事実であった。いずれにせよ、
久々の海外への家族旅行で楽しく過ごせるに違いないと、家族に背中を押されて便乗することにした。
さて、2009年10月にニカラグア赴任から帰国した後JICA本部で引き続きお世話になったが、2011年3末にはJICAから完全に離職し、
ようやく「自由の翼」を得た。そして、その後も香港と縁が続き、最初の旅から8年振りに二度目の香港への旅、その数年後に3度目の旅
に恵まれることになった。香港とマカオには本格的で総合的な海洋博物館があり、思い描いていた以上に充実した博物館探訪を楽しむことが
できた。先ずは、初回のパック旅行のことから触れたい。
早速ネットで香港・マカオの海洋歴史文化施設などを調べた。香港の地理には全く不案内であったが、「香港島」の中心街からかなり
離れた海辺の町「赤柱」というところに海洋博物館があることを掴んだ。また、同島の南岸に「オーシャン・パーク」という海をメイン
テーマにしたアミューズメント施設があることも分かった。他に訪ねるとすれば、「香港歴史博物館」の巡覧も面白そうであった。
団体ツアーでの自由時間をフルに活用して、それらの施設を見て回りたいとワクワクした期待感がもたげてきた。マカオについては
本格的な「マカオ海洋博物館」の所在は調べがついていた。
家族旅行では大抵の場合、私は、見たいものを30分でも見るために、家族と離れて単独行をすることが多かった。今回も、団体
ツアー料金に含まれる市内見学などを除いて、現地での日中における家族の行動は相変わらずバラバラであった。しかし、夜には
指定場所で落ち合って夕食を囲むことがほとんどのパターンとなっていた。団体ツアーの中でも特に現地自由行動の多いものを選んで
いたが、実際的にもそれが最適のパターンであった。
2年に及ぶ「第1次アヘン戦争」を終結させるために1842年に英国と清との間で締結された「南京条約」でもって、香港島が英国に
割譲された。1860年には、九竜半島の一部が「北京条約」の下で英国に奪われた。1898年には、同半島の大部分が99年間の英国租借地
となった。
その後100年近い時を経て、ついに1997年7月1日のこと、英国から中国への香港の主権返還が実現した。香港に足を踏み入れた
2007年7月は、この返還から10年目に当たっていた。このため、返還祝賀行事に合わせて中国・胡錦濤主席が香港を訪問していた。市街の
あちこちには返還10周年を記念する祝賀の横断幕や幟がやたらと目につき祝賀ムードに溢れていた。
到着した翌日、観光用マイクロバスによる市内観光として繁華街や名所史跡などをお上りさん丸出しにして巡りに巡った。
香港で最も主要な市街地は、「九竜半島」南端の「ビクトリア・ハーバー」に近い「尖沙咀(せんさしょ、ツィムサーツイ Tsim Sha Tsui)」
という商業エリアと、「香港島」の同ハーバーに臨む近代的ビジネス街のある「中環」エリアである。「尖沙咀」といえばまさにおも
ちゃ箱をひっくり返したようなカオス的雑然さをもつ香港らしい地区といえよう。その中心軸は「ネイザンロード」という目抜き通りである。
バスは次々と市街の主要地区を回った。香港返還式典会場にもなったという香港島のビクトリア・ハーバーに面する「コンベン
ション・エキスポジションセンター」、九竜半島の少し内陸部にある道教寺院の「シクシク園黄大仙廟」、「女人街 (通菜街)」など、
どこをどう回ったか、後で思い出そうとしても巡回ルートを全く辿れなかった。その中ではっきりと経路や居場所を認識できたのは、
中心街からかなり離れた次の2ヶ所だけであった。
一つは香港島南岸沿いの遊覧において、「箋水湾 (浅水湾、Repulse Bay)」に面した白砂青松の風光明媚な海水浴ビーチに
連れて行かれた。映画俳優・監督で有名なジャッキー・チェンがその近くに居を構えるという。そして、そのすぐ先にある「赤柱」
という海辺の町を通りがかった。この時、所在地を今一つ掴めていなかった「香港海洋博物館」の在り処を偶然にも知ることになった。
赤柱のウォーターフロントのどこかにあるはずであった。後日必ずこの町に戻って来ようと、同館見学への期待が一挙に膨らんだ。
しかもそこは「オーシャン・パーク」にも近いことが分かった。
もう一つは、赤柱からの帰途に、香港島の「中環」エリアの背後にある峰々の中の「ビクトリア・ピーク」へと案内された。
そのピークから、狭い海岸部にへばりつくように超高層ビルが林立する香港ビジネス高層ビル街と、その先に広がる「ビクトリア・ハー
バー」を見下ろした。初めて眺める香港の摩天楼風景であった。写真やテレビ番組などでよく見てきた2次元的風景とはまるで違う
異次元の風景であった。人口一千万人都市の東京にもない摩天楼風景がそこにあった。昼間に観る摩天楼とハーバーの鳥瞰的な
風景はそれはそれで壮観という他なかったが、夜に眺めるとすればその夜景は想像をはるかに超える美しさであろう。最高の夜景に
お目にかかったのは後日のことで、ハーバー遊覧船上からであった。
団体ツアーには幾つかの市内観光が含まれ、お上りさんになって大いに楽しんだ。だが、御多分に漏れずツアー会社の都合で貴金属、
シルク、ブランド品のアウトレットショップなどへ立ち寄る買い物ツアーにやたらと付き合わされた。それはそれで冷やかし
半分と物見遊山で付き合わざるをえなかった。ツアーはその分大いに格安なので正面切って文句を垂れるものではなかった。
その後自由時間がメインとなり、「香港歴史博物館(HK Museum of History)」を一人で訪ねた。家族と「中環」で別れた後、
「スターフェリー」のターミナルから「ビクトリア・ハーバー」を横切り、「九龍半島」側にあるその博物館へと向かった。海や船に
まつわるものは多くはなかったが、香港の漁村事情や漁業の変遷、伝統的な漁具や製塩事業の紹介、香港と西欧を行き来した船舶の模型、
香港造船業の発展史をはじめ、香港がジャンク船の溜り場としてのアジア的イメージから東洋の近代的大都市へと変貌して行った
歴史も紹介され、なかなか興味深かった。英国によってもたらされたアヘン禍とアヘン戦争の歴史も紹介されていた。
夜は夜で、ダブルデッカーのオープンデッキ式観光バスによる市内見物に出掛けた。ツアー客全員が参加した。その市内見物もツアー
代金に含まれていた。香港随一の繁華街「尖沙咀」を南北に貫通する「ネーザンロード」をはじめ、眩しいほどのネオンでキラキラ
輝く市街地をあちこち連れ回してくれた。
その後、遊覧船に乗って「ビクトリア・ハーバー」をナイトクルージングした。特に香港島の中環のビジネス街にそびえる超高層
ビル群の夜景を楽しんだ。観光客のために、主だった高層ビルの窓明かりを音楽に合わせて点滅させ
たり、色とりどりのサーチライトを照射させて、イルミネーション・ショーが披露された。現地では「シンフォニー・オブ・
ライツ」と称されていた。ニューヨークのハドソン川沿いの超高層ビル群の摩天楼でもライト・ショーは可能であろうが、
東京港沿いの摩天楼ではかなり隙間だらけであり、様にならないかもしれない。
余談だが、香港の街風景を初めて垣間見たのは、JICAで初めての海外出張としてエジプト、トルコに出向き、その後さらにフィリピン
での調査を続けるために、香港で搭乗機を乗り換えた時のことであった。搭乗機は低空まで高度を下げ山並みが間近に迫ってきた。
そして、高層ビルが搭乗機の窓と同じくらいの高さになりつつあった。既に車輪が出されて、もうすぐ着陸すると身構えていた時にの
ことであった。突然機は90度ほど急旋回すると同時に、あった言う間に車輪を着地させてしまった。
急旋回した時には、車輪を高層ビルに引っ掛けるのではないかと本気で心配した。
機窓からは香港島の「ビクトリア・ピーク」の連山が壁となって迫り、アイガー北壁のごとく立ちはだかっていた。空港事情について
後で知ったのだが、それを知らなかった私は、着陸直前の急旋回に一瞬何事かとびっくり仰天して、座席の肘掛を両手で強く握り
しめてしまった。一瞬心臓が凍りつくようなスリリングな体験であった。帰国後同僚にこの話をすると、同じような体験をしていること
を知った。当時飛行場は本土・九龍半島側の市街地に近い海岸沿いにあったが、現在では香港島西方に浮かぶ「ランタオ島」北部の
別地に移っている。
さて、旅のもう一つの楽しみとしたのは、マカオにある「海洋博物館」の見学であった。ツアーに組み込まれた丸一日の自由
時間を最大限活用して、家族全員でマカオに弾丸ツアーを敢行した。マカオ行きフェリーターミナルから「Turbo Jet」社の高速
フェリーに乗船し、一時間後には人生で初めてマカオの土を踏んだ。香港での乗船時でも、マカオでの上陸時でも、外国人は
パスポートコントロールが課せられた。
高速フェリーで珠江口を1時間ほどで横断した後マカオに到着した。下船後、家族とマカオの旧市街にある公共広場の「セナド広場」
や「聖ドミニコ教会」辺りをうろつき回り、ポルトガル統治時代の街並み風景の中に身を置きたむろした。その後、家族はマカオの
シンボルである、廃墟同然の世界文化遺産の「聖ポール天主堂跡」へと向かったが、
私は急ぎ「マカオ海事博物館」へと足を向けた。
マカオはポルトガルの支配を長く受けたので、博物館の展示内容としては、大航海時代のポルトガルの航海探検家らの歴史的
人物に関連する陳列品、その当時のポルトガルの代表的な船種であるナオ船の模型をはじめとする、いろいろな帆船模型やその他の
展示文物は、近世ポルトガルとの関係を色濃く映すものであった。
その他、日本では見たことのない中国の古代軍船の大型模型をはじめ、
各種ジャンク船などの帆船模型、マカオでの漁業や漁具の紹介、ドラゴンボートでの海祭り、海上安全の神として崇められる媽祖(まそ)に
まつわる海洋文化など、日本や欧米諸国での海洋博物館では殆ど見られない見応えのある展示文物が数多く陳列されていた。
「海のシルクロード」の長い航程のうちの東洋のはずれにありながら、ポルトガルの直接的統治を受けたマカオらしい海洋歴史
文化に関わる遺物・史料、船舶模型などをしっかり観ることができた。かくして、同博物館の巡覧によって大いに心を充足させられたが、巡覧時間が
余りに少なかったために消化不良を起こしてしまい、後ろ髪を引かれながら同館を後にせざるをえなかった。
それに、もう一つ心残りのことがあった。マカオのフェリーターミナルに着いて見上げると眼前に樹林にこんもりと覆われた小高い
山が立つ。その山頂には砦があり、その敷地内に1865年に造作され、今も現役である古い灯台が建つ。
「ギアの灯台」と称される。その歴史的建造物を訪ね、頂上からマカオの旧市街全体を眺めてみたいと思っていたが、山登りをする
時間はとても残されていなかった。
かくして、今回のマカオ探訪を総括すれば、消化不良で終わってしまったと自己評価せざるを得なかった。
それにユネスコ世界文化遺産であり、マカオのシンボルでもある彼の有名な「聖ポール天主堂跡」をはじめ、近世のポルトガル植民統治の
面影を色濃く残す旧市街もほとんど散策しないままとなってしまった。
さて、翌日も一日フリーだったので喜々として足を運んだ先は、香港島南部の赤柱にある「香港海事博物館」(マレーハウス
Murray House)であった。「中環」で路線バスの停留所を探し回したが、結局見つけられずタクシーを利用した。
初めての中国や香港での海洋博物館の見学であったので、大変興味深く巡覧し好奇心は全開となった。多種のジャンク船の模型、航海
関連機器などが展示されていた。だが、写真撮影は禁止されていたのが大変残念であった。
その後、路線バスで「香港仔(アバディーン)」という地区に辿り着いた。そこは数多くの近海漁船の溜り場であった。そして、
香港返還10周年を祝う旗・幟があちこちに翻っていた。船溜まりや地先の海などをもっと散策したいと、80香港ドルで
小舟をタイムチャーターして遊覧した。
対面の小島との間にある狭水道沿いの海域には、目刺しのようになって数え切れないほどの中型漁船が停泊していた。
そんな漁船溜りの合間を縫うようにして遊覧した。途中、「ジャンボ」という名の巨大で不夜城の如く灯りを煌々と放つ水上フロー
ティング・レストランが、アバディーンの深灣の岸辺に係留されていた。中国人的発想に先ず驚かされ、その余りのジャンボさに
唖然とさせられた。余談だが、2022年には同レストラン船は身売りされ、タグボートに曳かれて香港を離れて行ったという。
私的には博物館に次いで興味を掻き立てられたのは、中国本土側の「九龍半島」と、その対面にある「香港島」との間に横たわる
「ビクトリア・ハーバー」をひっきりなしに行き来するフェリーボートであった。フェリーはアメーバのような身軽さで両岸をシャ
トルしていた。香港にはなくてはならない市民や観光客らの日常の足そのものである。また、香港の海の風物詩そのものでもある。
昔の古写真やフェリーの模型をみても、船首・船尾が同形である。しかも、ラグビーボールのような長円形の独特な船型となっている。
船型は昔からほとんど変わって来なかったようだ。舳(へさき)も艫(とも)も無いといえば無いし、有ると言えば有る。着岸前の舳先は次の
出港時には艫になる。そんなフェリーに乗船して、何度も両岸を行き来した。フェリーの着岸・離岸のたびに乗組員が手際よくこなす
作業に大いに感嘆させられた。乗船してはハーバーを横切り対岸で折り返しながら、乗船者は何用で対岸に渡るのか、彼らを観察し想像を逞しくして「生活
と人物占い」を楽しんだ。
さて、かつて時間切れで消化不良になっていたこともあり、香港・マカオの海洋博物館のことが気掛かりになっていた。特にマカオの博物館は
いつかは出直したいと思っていた。初回の旅はニカラグア赴任前の2007年であったが、8年後の2015年11月に再訪できる機会が巡って来た。
その時は既にJICAから完全離職していた。2回目の香港探訪はいずれも家族3人での数日間の短い滞在であった。
先ず、「中環」エリアで用足しを済ませた後、私はすぐにその足で「香港海洋博物館」へ向かった。今回はパックツアーに参加していた訳
ではなかったので、全ての時間を自分らでコントロールできた。
実は、「海洋博物館」が赤柱から香港島の市街地に移転したということは事前に知ってはいたが、まさか中環のフェリー発着場の
埠頭の一つに移転していたとは驚きであった。まさに香港島のビジネス街の真っ只中にあって、通勤客・観光客の最も多い中環地区に
移設されていた。それも九龍半島と香港島とを結ぶスターフェリーターミナルの第一埠頭のターミナルビルが博物館に転用されていた。
立地場所は抜群であった。
しかも、装いを新たにした本格的で総合的な「海洋博物館」のオープンとなっていた。展示内容も全面的にリニューアルされ、
随分と拡充もされていた。赤柱でのそれは狭いスペースに船舶模型や航海用具などが押しこめられていた印象が強かったが、移転後の
モダンな博物館では広々とした空間にゆったりと陳列されていた。海洋博物館があたかも新規にオープンしたのと同じであった。
中国の伝統的な各種の船舶模型、媽祖の船首像、指南針などの古航海機器、香港の造船業・港湾荷役の変遷の歴史、海底考古学的な
遺物、潜水機具、海上保安・安全に関する展示など、海洋の歴史文化技術に関する見応えのある総合的な展示館へと衣替えされていた。
旧館からの移設もあったが、7~8割の展示文物が刷新されているような印象であった。
今回何よりも喜んだのは、旧館の場合と違って写真撮影が全くフリーであったことである。
心置きなくほぼ全ての陳列品を切り撮ることができた。そして、帰国後説明書きをじっくり読み込んで展示文物への理解を深めることができた。
さて、翌日には改めてマカオへと急いだ。そして、前回の訪問でやり残しとなっていたことをやり遂げようとした。即ち、
マカオのフェリーターミナルからほど近い小高い山の頂上に立つ「ギアの灯台」にまず登り、歴史を刻んできた灯台とその展示室を訪れた。
たまたま当日には、公道を利用したF1オートレースが開催されていた。このため、山裾に辿り着くまでに半周分以上遠回りさせられて
しまった。歩き疲れて途中タクシーを捕まえ、山の反対側へと回り込んだ。そこで、極短のミニ・ケーブルカーに乗ることができた。それによって
時間的節約をしたつもりであったが、終着駅から灯台までの距離はかなり残されていた。かくして、
過去に遣り残していた灯台への登頂を果たし、マカオのウォーターフロント方面を遠望するパノラミックビューを満喫できた。
市街中心部はポルトガル植民地時代の情趣を色濃く残す。その中でも、正面外壁だけ原形を遺す例の「聖ポール天主堂跡」
がマカオ最大のランドマークであるが、前回の旅では十分な拝観時間を取れず、目に焼き付ける機会を逸した。今回はお上りさんになって、
聖堂跡を見学した。ポルトガルが、インド・ゴア、マラッカに次いでカトリック教徒たちが祈りを捧げるために、また布教活動の一大
拠点とするために、マカオの地にカテドラルが建てられた歴史の証しを垣間見れた。
その後、ポルトガルの伝統工芸であるアズレージョが旧市街の一角の壁面に
埋め込まれているという史跡を探し求めて市街をうろついた。アズレージョの壁面には帆船が描かれていた。その後、
「マカオ海洋博物館」へと急いだ。
同博物館での展示内容はほとんど変わっていなかった。だが、前回訪問時は時間に追われて駆け込み巡覧になってしまい、
じっくりカメラワークができなかった。今回初めて見学するのだという気構えの下、新鮮で好奇心溢れる目をもって館内をじっくり巡覧した。
見学に時間的余裕をもつと新しい発見も多くなり、また理解も深まった。ほとんどの陳列品をカメラの焦点をしっかりと合わせな
がら丹念に切り撮ることができた。
だが、丹念に巡覧し撮影して回った結果、またもや閉館時間を迎えてしまい、十分納得行くところまで切り撮ることができなかった。
またしても、少しではあったものの、心残りができてしまった。今回「ギアの灯台」と「聖ポール天主堂跡」を訪ねることが
できて良かったが、その道草のためにまたもや多少の消化不良を招いてしまったようだ。フェリーターミナルに戻り、フェリーに駆け込んだ。
ところで今回は、高速フェリーで香港島南岸の地先に浮かぶ「南Y島」にある漁村文化村を訪れた。大きな浮体構造物の上に築かれた、観光客
向けの漁業と漁村生活をメインテーマするパークである。実物の小型漁船、各種漁船模型や漁具などが展示されている。
20名ほどのグループツアー客が実物のドラゴンボート(龍船)への試乗体験を楽しんでいた。真剣に櫂の漕ぎ方を地上で学び練習した後、
実際にボートに乗り込み海上で漕ぎ方を実習していた。そのうち最後尾のクルーの掛け声に合わせ全員の櫂が噛み合うように
なったところで、2艘によるレースにチャレンジしていた。
さて、数年後に3度目の香港・マカオへの旅が実現した。渡航すべきある特別の事情が発生しなかったならば、その旅はありえなかった。
ともかく、それをチャンスにして、中環で用足しを数時間で済ませた後一目散に「香港海洋博物館」を再訪した。そして、隅から隅まで
じっくりと巡覧し、新しい発見をしながら再び沢山の画像を切り撮った。そして、翌日には、マカオに早朝から一人で出向いた。今回は
寄り道もせず博物館へ直行した。
さて、今回は開館には早過ぎるほどであった。時間調整のため、博物館のすぐ近傍にある媽祖を祀る由緒ある「天后宮」
(媽閣楼廟 Templo de A-Ma。15世紀建造の寺院)に旅の無事を祈ってお詣りした。媽祖の小さな人形が船上に飾り立てられた
船模型についても記念に切り撮った。日本でも、船主や船頭らが航海の無事を祈り、またそれを感謝して金刀比羅神社や最寄りの所縁の神社に、
自身の船の絵馬や模型などを奉納するという伝統文化がある。それと思いは全く同じで、彼らも天后宮にそれを奉納したのであろう。
お詣り後、開館一番に入場を果たし、午后5時に閉館するまで、昼食の小一時間を挟んでじっくりと巡覧した。これ以上見学すべき
陳列文物や展示パネルもないというほど丹念に拝見し画像を切り撮ることができた。これで帰国後じっくりパネルを熟読できる
はずであった。かくしてようやく3度目にして、後ろ髪を引かれることなく巡覧の充足感を胸にしまい込んで同館を後にする
ことができた。
さて、翌日思い切って香港の西方に浮かぶ「ランタオ島」へ出かけた。同島には香港国際空港がある。空港駅の一歩手前の
駅で下車し、路線バスで島西部の「大澳」を目指した。大澳はさしずめ「香港のベニス」とも呼ばれ、一昔前の古き香港の原風景を
眺めることができるという。
干満差の激しい狭水路や入り江を辿り行くと、迷路のように入り組んでいる。両岸に沿って沢山の長い木杭が打ち込まれ、その上に
家屋やテラスが築かれている。そんな家屋などが狭水路や入り江にせり出し向かい合っている。いわば、狭水路沿いに高床式の家々が
居並ぶという一種の水郷的風情である。日本ではめったに見ることのない風景と言えよう。観光客は狭水路にせり出した家々やテラスを
ボートから見上げながら遊覧する。中国・香港の田舎のノスタルジックな水郷集落風景がそこにあった。
かつては漁業で生計を立ててきた集落である。集落内には小規模だが、漁村で使われてきた伝統的な漁具漁法を紹介する文化展示室
もあった。また、集落の狭い路地に沿って魚介類の乾物などを並べ商う店が軒を連ねる。そんな路地を散策すると、どこか日本の
漁村風景と重なって見える。
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