[Under Construction/作成中]
* 海の語彙拾いという人の手仕事が「原典」を作る・産む・作りたい。
語彙拾い=手仕事は効率化に抗い、時間を費やすことに何の意義ありや。その費やすことで
「原典」を生み出すことにつながる。つなげたい。
* 語彙拾い:泥臭いといえばまさにその通りだろう。しかし、本当の意味でAIの原典を作るのは泥臭く人間であり、人間が泥臭く作った
ものをAIがいとも大規模言語学習を繰り返し、さらに「賢くなる」。だが、忘れはしない。こと辞典づくりに関していえば、その泥臭い
人間の泥臭い創成物を取り入れているに過ぎないとも言える。
AIは人知を凌ぐ予見、分析、翻訳などのパワーを発揮するだろうが、あくまで人間の仕事をアシストする役割である。
AIは万能でななく、依存し過ぎれば危険を伴う。だが、人間の判断・パワーを助ける補助者、アシスタントとして使いこなせば
ピンチを打開する鍵を見つける力になる、大いに有効となる。
AIとの適切な向き合い方も変わって来よう。だが、最後の砦、AIと人間双方にとって拠り所は辞事書典である。
後書き: テーマはAIについてのみ。
* AIがどんなに進化しようと何の問題、支障もない。一冊だけ存在するという「海洋総合辞典」があっても良いではないか。
まさしく希少価値は最大である。
AI/機械翻訳と海洋辞典は「共存」していく。海洋辞典はAIに対する人間の最後の究極的な「原典」としての居場所をもち、そのもとでAIは
無限大の「花」を咲かせる。
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昔英国で始まった「産業革命」に匹敵するかそれ以上の革命が現代世界で引き起こされているのだろうか。通信技術革命とも言える
1990年代の爆発的インターネット普及が起こり、世界の何十億人もの人々が互いにパソコンを通して繋がってきた。それからわずか
半世紀もしないうちに、「生成AI」という人工知能の時代へと変遷してきた。AI革命がどこまで進み、人間社会はいかなる影響
を受け、どう変容していくのか、誰も正確に予測ができない。
自身が生きてきた過去半世紀を振り返っても、凄まじいほどの科学技術の発展を目にしてきた。アルゼンチン以来30年海洋
辞典づくりにいそしんできたがその間でも、通信技術はテレタイプ、ファックス、写植からワープロ、パソコン、さらにネット、AIへと
進歩。手作りの時代からワープロ・パソコン→ネット時代、世界へ発信・情報シェアリング可能となったと思えば、何とウェブ辞典
さえも不用になる時代とは、、、、。生成AIは辞典辞書を完全に駆逐、絶滅危惧種に追いやるのであるか。
人間の知能を遥かに凌駕し、あらゆる社会領域にAIが入り込み、実社会に大変革をもたらすにしても、その行く末は予測不可能である。
驚異の異次元的変革世界への入り口、ゲートウェイ、創世記が迫りつつあるのだろうか。AIが想像できないくらいに成長進化を続けよう。
果たして、人間はAIとどう向き合えばいいのだろうか。個人的に見れば、海洋辞典づくりにどんな影響をもたらすのであろうか。
どうAIと向き合えばよいのか、さっぱりその向き合い方、方向が分からない。答えが出ないまま、とにかく辞典づくりを進める他ない
のであろうか。海洋辞典づくりだけでなく、辞典・辞書は南百何千とあり、同じ運命宿命問いかけに直面しているであろう。
広辞苑・国語大辞典、現代の知恵など、一般辞典・辞書、その他語学やいろんなジャンルの専門辞典などの辞典づくりにどんな影響インパクトを
もたらすか。どう考えればよいのか。それらの事典・辞書づくりに今後どんな意味、意義、implicationsがあるのか問われる。
紐解けることも、またどう向き合うか納得のいく、
現代の「生成人工知能(AI)」は将来どこまでも無限大的に進化していくであろう。生成AIはたえず膨大な、無限大的に、データ・情報
を集め取り込み学習を行い、人間の命令・指示に基づき論文・原稿記事、小説、学術書などの生成、それらの要約ばかりでなく、イラスト、画像、動画や音楽などの芸術的作品制作も自在に行なったりする。無限大の見出し語と語釈をもつ分野ジャンル別の辞書類をも作り上げるかもしれない。
AIはまた口述・著述された言語を他言語により正確・迅速(即時)に翻訳あるいは通訳/同時通訳する能力を飛躍的に向上させつつある。
AIが人間並みか、または以上の「人間よりはるかに賢いAIといわれる。そんな状況下辞典づくりにどんな意義があるのか。翻訳も自由自在に
こなすであろう。
辞典づくりに関して言えば、他のそれも同じ悩みに直面し、どんな意義がありや。人間はそんなAIとどう向き合うのか。
この先将来どうAIは進歩発展していくのだろうか、想像がつかないくらいである。
確かに生成AIは無限大的に「賢く」なるに違いない。将来は生成AIはあらゆる社会領域で取り入れられ、人間活動をサポートできる
ようになるのかも知れない。
論述・著作(エッセイ・論文記事の生成、要約、翻訳などなんでも為す)、画像・動画・絵画の制作、音楽の創成、翻訳などの能力は
無限大的に拡大していく。かくて、人間による「海洋辞典づくり」は将来どんな意義をもつか。「It's a question.」である。
辞典づくりの意義はどこにあり続けるのであろうか。
世の中の辞典・辞書・事典類などはもう不要なもの、無駄なものとなり、消滅していく運命を辿ることになるのであろうか。
大百科事典をはじめ、アナログの紙媒体のジャンル別辞典・辞書類は経済採算性が取れないということで、図書館や古本屋に並ぶだけの存在に
なるのであろうか。あるいは生成AIのさらなる普及とも相俟って、数多くの語学辞書も含めて、多岐に渡るジャンル別辞書類は
行く行くは消滅の運命を辿るのであろうか。あらゆる辞典づくりは無駄なのか。AIはその計算、論理、論述、翻訳が正しいかどうか、自ら判断できるのか。AIは生成した物のうち何が間違っているか、自ら判断できるのか。人間が点検確認する他ない。そのベースラインを人間はいつも
座右の銘として確認のために辞典辞書類を片隅に置く必要がある。
意義があるとすれば原典となることである。AIの生成する文書、翻訳などが正しい、正答なのかどうか、それを究極的に判断・チェック
するのは人間である。その判断のいわばベースラインは常にアップデートされ続ける必要がある。その原点に据えられるよう辞典づくり
でも努力がいる。
AIは超人的にどこまで進化? 何でもAIは可能にするだろうが、その行き着く先は見えない。我々人間社会に何が起こるのか、正確予測は不可能。
因みに例えば、生成AIによる自動機械翻訳・通訳技術の進化の行き着く先は、どんな口頭・文語であろうと瞬時にどんな他言語に
へも適訳を表示したり、口述できるようになろう。そうなったとしても、訳されたものが正しいことを誰がどう証明できるのか。
結局最後は人間がチェックして「正訳」「適訳」であることを確認する必要がある。かくして、海洋辞典自身も進化を続ける必要
があるが、辞典は人間が確認するにおいての一つの拠り所、換言すれば「原典」となるものである。
それは時空を越えて必要とされるものである。
なぜ、AIが進化し賢くなっても原典が必要か。原典としての辞典は最後のよりどころ、論述やその翻訳の確認照合のためには必要不可欠の
拠り所となる。
AIの時代、異言語間コミュニケーション翻訳通訳などの有り様は劇的に変革、進化しよう。そんな中、海洋辞典づくりは無駄なのか、
その正答はまだないが、目下考えるところは=AIの原典である。どこまでこの件で掘り起こさねばならないか。
その時頼り拠り所とするものは即ち何がしかの原典なるものが必要である。世の中にはそのような原典となるものに溢れている。
原典とはあらゆる物事の「知の集積体」である。無数にそれらが存在する。そして絶えず「知の集積体」がupdated, enlarged, integrated,
されている。AI自身もディープラーニングしながらそれをしている。
先ず正すのは人間であり、正されるべきは機械・人工知能のAIである。人間はつねに主体性と責任をもつものであり、主従逆転は
ありえない・為されるべきではない。
その意義は、「原典」となりうる辞典づくりするだけではない。むしろ第二の副次的な意義であり、真の第一の意義は別にある。
そもそも「辞典づくり」することが第一義的、第一目的、究極的な目的ではなかった。
翻訳するためのみの辞典ではない。思考することで創造するためのきっかけを得るため
の辞典にしたい、という思い。辞典づくり=語彙拾い、他言語で何と言うか、その対訳、標尺、文例などの蓄積化、いわば手作りのAIはなくなる訳でない。
・ 辞典づくり
「人間は考える葦である」限り、また人間が思考思索を続ける限り、その手段である言葉・言語は必要不可欠であり、なくなることはない。
なくなるのは思考を停止した時である。
また、言葉・言語は民族によって異なる。新たに生まれるもの、死語になるもの、新たな意味が加わったりもする。一つの語彙は
一般用語もあれば、ある分野・ジャンルで2つ以上の多くの意味をもつことが多い。いずれにせよ、文化を育み発展させていくには
言葉・言語を集積し続けるという営みが欠かすことができない。
その営みの結晶となるのがいわゆる辞典辞書と言えよう。
AIがどんなに発展しようと、AIが生成する多言語であらわされるかも知れない「作品」の正しさ・良し悪さを最後に・究極的に検証するのは
人間である。その検証には人間が築いてきた「知の集積」である辞典辞書が半永久的にそのための「原典」となり続ける。
その存在意義は「無」になることなく「有」り続ける。
この後書きでの結論。
・ 凡人努力あるのみ。
毎日30分でも集中して取り組めば何かを生み出せるにつながる。辞典づくりもNo.1、only1を目指せる。そのつもりで頑張っていたのに。
原典となり続けることを期したい。語彙用語の対訳、多言語への対置だけでなく、思索思考の化学反応、触媒になれれば期す、
海語を紡ぎ海洋辞典を編む、その永遠のプロセスを楽しみながら「未完の完」のステージアップを目指す。そのプロセスが全て、人生そのもの
であった。
・「アップデート」はいつも必要である。終わりはなく、完成もない、永遠に未完ということだが、アップデートで完に限りなく
近づける唯一の方法である。辞典づくりでまさか金儲けしようという人はいないで
あろうが、とても儲けるツールにはなりえないし、また好ましくない。
語彙拾い、アップデート、辞典づくりをすることが広く一般的恩恵、「公益・共益」に繋がることに誇りをもち続けたい。
金儲けのツールを想起するのであれば、辞典づくりを辞退してもらいたい。
・ 生きている限り生涯にわたり続けられる何かをもちたかった。それが海の研究と辞典づくりであった。
その先に見える景色は、得られる景色は何なのか分からないが、生涯続けたおかげで人生はリッチとなり、楽しむことができ、
人生と言うロード、プロセスは充実し、お陰で幸せをもって人生を閉じれるものと確かな物にできた。
・ 毎日「一寸」の時とまでいかなくとも、例えば毎日「30分」の光陰軽んずべからず、と言いたい=これもプロセス。
博物館: 知と文化を担う、これもプロセス。
海洋辞典づくりは、1ー言葉の大海における「語彙拾い」であり、2それは「知の宝探し」であり、3原典を生成する「創成することの楽しみ」
である。AIで瞬時に辞典づくりして何が嬉しいのか。機械が全部やってくれる?AIの進歩にともなって人間が失うものは何か。
そんな失った世界が楽しいのか。AIはどれほど人を幸福にするのか。AIに使われ、コントロールされ、あげくに制御不能にはならないのか。
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・ アナログ・紙辞典づくり:
アナログの辞典・辞書で語彙を調べてページをめくると、途中で興味深い語彙などをみつけて「寄り道」し面白くもなる。
(もちろん、ページをめくるのが面倒くさい人もいるであろうが)。
デジタルの本「海洋辞典」でも同じで、ページをスライドさせる途上で寄り道することとなるかも。
その途上で調べたい肝心の語彙を忘れてしまうこともあろう(笑)
紙の辞典・辞書でも同じだが、「ウェブ海洋辞典」でも全く同じで「寄り道」して他の語彙に偶然目にして読む。時に
画像も目につき「保養」にもなる。
現行の「ウェブ海洋辞典」だからこそ普通のアナログ辞典と同じように「読み物」として楽しめるとも言えそうである。
・ AI自動翻訳
AIによる自動英和翻訳など拡大しつつあり、学生も研究者等の日本人はどのレベルの語学を学習し語学力を身に着けるべきか、
学習するにどのような・どれほどの意味があるかなど、あるいはアナログやデジタル辞典・辞書にどのような・どれほどの意味があるか、
現実的かつ根本的な問いかけが教育、研究学術現場に投げかけられている。
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* 辞典づくり
私の心意気・志を感動・共感してもらって辞典づくり、「人生意気に感じて」いただくことを期待する。辞典づくりへの支援を引き継ぎを
バトンタッチをお願いしたい。お金ではなく名誉のために。
* 辞典づくり、やっとこんお位置に辿り着けた。即ち、海洋に関する「デジタル」で「総合的」な5ヶ国語の辞典のこれからの基礎・
礎となり進化し続ける「基礎の基礎」ができた。辞典づくりはまだまだスタートポイントに近い通過点の位置にある、故に未来に託したい。
* 言語を問わず、海洋学、海洋科学、航海学、漁業学などのテキスト・教科書・基本書・入門書などを読んで専門的な語彙を拾う法
* 辞典づくり
海好きだが海にまつわる図書をほとんどこれまで読んだことのない人が辞典づくりの後継者になってくれた場合の助言:
・ 例えば、和英仏西の海洋の総合的大図鑑の類いをしっかり何度も通読・熟読して興味を掻き立てていただく。cf。図解式や写真の
多い「海の大図鑑・大事典」」
・ 各主要な海洋基本書を通読熟読。cf。海洋学・海洋科学の読本・入門書、水産学のそれ、船の知識。もって基礎知識を得る。
英仏西語の基本書・入門書も通読。参考としてリストアップする。
・ 九死に一生を得て見えてきた死生観・今まで見えてこなかった・辿り着かなかった人生観。極論すれば「余命なし、余命ゼロ」の
発送で海洋辞典づくりに取り組む覚悟、ミッションを見つめ直す。
・ 原発事故に遭遇して、さて事故から日が代わってメルトダウン、ぞーとする、寒気がする、日本沈没がよぎった、日本は消滅か
と恐怖心を抱く、唖然とする、茫然自失する、開いた口が塞がらず、、、、。日本はこれから将来再起できるのかと恐怖感に襲われもした。
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悩み1: AIの時代へ大転換: 他方で世の中は技術で大転換。ところが、ICT技術のシンポは凄まじかった。1995年から2000年頃には
AIの時代へ。デジタル辞典があたかも不要にするかのような勢いで、不安にさせた。世の辞書類も含めて。
AIとの関わりに悩む。答え見えず。
悩み2: もう一つの悩みは後継継承・一つは年齢70歳越える、辞典づくりの後継をどうするか、懸念。辞典づくりの継続の
意義をAIは突きつけるものであった。かくて後継者とAIの悩み時追うごとに深まる。
その正答えられないまま悩みずっと続いてきた。当分悩むにしても答えあるか分からない。
さてそうであっても、前を向く。これからも考え抜く。ニカラグア赴任中大病で奇跡の生還、まだ4,5年は生きられそうなので、
最後まで正答を探してバトンタッチしたい。
情報技術IT,ICT技術の出現に感激しそれを学び、キャッチアップし大いに救われ、助力を得た: インターネットの出現、世界のパソコンが
つながり、世界へ情報発信できるとんでもない世界がやってきた。そこまではよかった。順調。多くの人々に無料で辞典を提供、貢献度は
不明だが活用されたはず。
しかし、AI技術の世になり情勢が変わった。AIでデジタル辞典の意義が薄れて行くように感じる。辞典の無限大の進化を描いていたが、
2020年代はじめにおいてそんたテーマがAIから突き付けられた。悩むことになった。だが辞典に可能性はないのか。辞典が無駄
になった訳ではない。
他の辞典辞書と同じくAI進化しても原典・原点となりうる。人間の判断の最後のよりどころになる。
後は後継する価値ありや、後継者がいるか、そしてAIの時代でその意義があるか。
AIの時代になっても、辞典づくりとは原典・原点を作ることである。AIは原典となる辞典辞書を作れるのか? いつも大量の言語、文章
を「食って」、学ぶぼしても、人間のための英和・和英、スペイン語、フランス語辞典を作れるのか。、
原典・原点たりえる。考えることや、語彙への入り口となる。
> 辞典は原典であり、。AIが想像できないくらいに成長進化を続けよう。果たして、AIとどう向き合いながら
「海洋辞典づくり」を進めて行けばよいのか、さっぱり正直向かうべき方向が分からない。答えがないままとにかく辞典づくりを進める
他はないのか。そのうち良いアイデアも浮かび、紐解けることも、またどう向き合うか納得のいく、もやもやが晴れる答えに辿り着くことも
できよう。AIとの向き合い。
他方、ネット時代から生成AI人工知能へと大革新へイノベーション時代へ。海洋辞典づくりもいい気なインパクトを受けた。その存在
意義が問われることになった。だが、意義消滅どころか逆に意義が増大することを認識した。
そこを「後書き」にて触れたい。
最終章=後書きその1: 生成AI・人工知能と海洋辞典との関係性、存在意義、AIの進化は∞、底なし。さらなる進歩で辞典の意義は
失われるのか、意義はどう変わるのかを考え、模索し悩んでいること。
海洋研究を楽しんできた事、白書も形になったこと、研究所創設にチャレンジしたこと、語彙集からウェブ辞典へとトライ
してきたこと、海を友にして生涯歩んできたことなど、豊かな人生を送れたことなど、
最後の思いを後書きに記す。
* 生成AIと辞典についての雑多な思い、紙とデジタル辞典の違い、どちらが優位:利用・便宜性、長所短所、ウェブ辞典の
意義
* 生成AIに海洋問題を設問し、その程度を知る。あるいは辞典翻訳の程度をしる。まずそこから。
AIに最も尋ねたい、各1-6章のテーマごとに10問用意。また4,5行の海洋研究文書を2,30パラグラフ用意して翻訳を
見てみろ。
* 後書き:生成AI,チャットGPT,大規模言語モデル、ディープラーニング、、、IT技術進歩のすさまじさ・革命的。
これらの深化の手法・理論を学び、おれの海洋辞典づくりとの関わり・関係性を解き、論じる。
AIは団塊の探査を精緻効率化するも、採鉱には何ももたらさぬ。
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● 辞典づくりの意義、どこにあるか。何故辞典づくりにこだわるか。
・ 生成AIの時代になっても、自動機械翻訳・通訳技術の進化の行き着く先は、どんな口頭・文語であろうと瞬時にどんな言語においても
適訳を表示したり、しゃべったりすることになろう。そうなったとしても、訳されたものが100%正しいことをだれがどう証明できるのか。
結局最後は人間がチェックして100%「正訳」「適訳」であることを確認する必要がある。
かくして、海洋辞典自身も進化する必要があるが、辞典はその人間が確認するにおいての一つの「原典」となるもの。
それは時空を越えて必要とされるものである。
その意義は、「原典」となりうる辞典づくりするだけではない。むしろ第二の副次的な意義であり、真の第一の意義は別にある。
そもそも「辞典づくり」することが第一義的、第一目的、究極的な目的ではなかった。
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