1997年(平成9年)5月に3年振りにJICSからJICAへ復帰した。配属先は「無償資金協力業務部」であった。JICAには無償資金協力に直接
関連する部署が2つあった。一つは「無償資金協力調査部(略して無調部)」。もう一つは今回配属された「無償資金協力業務部
(略して無業部)」である。先ず前者の無調部での業務をざっくりと振り返れば、途上国から援助要請されたプロジェクトの施設・構造物
や機材について、コンサルタントを通じて基本設計調査(Basic Design Survey; B/D調査)を行なうことである。プロジェクトの妥当性
をつぶさに検討し、建設費・機材費などを積算したりする。JICAで精査された報告書は外務省に提出される。同省無償資金協力課は
内部検討とその後の局議を経て閣議に上程、そこで援助の実施が決定されることになる。
無業部での業務について言えば、援助に関する外交文書(口上書、Exchange of Note; E/N)が日本政府と被援助国政府との間で交わされた後、
B/D調査を請け負ったコンサルタントが、JICAからの推薦を得て、被援助国政府との間でコンサルティング契約(主に施行監理に関する契約)
を締結する。被援助国政府はコンサルタントによる入札補助の下、施工請負業者を決定する。同政府がその請負業者と契約を締結した後、
コンサルタントは詳細設計(Detailed Design; D/D)を行なうと共に、同政府代理人となって、請負業者による建設工事に対して施工監理
(supervision; S/V)を行なう。完成した施設などが引き渡された
1年後には瑕疵検査がなされる。E/N締結から瑕疵検査までの一連の過程において、JICAは工事や機材調達が円滑かつ適正に履行されるよう、
プロジェクトの「実施促進」(略して実促)を担う。
JICSで3年間無償協力業務についていわば実践形式で「修行」を積んだ者が無業部へ配属されるのは十分ありうることであったと、
遅まきながら後で気付いた。同業務部には管理課と3つの「業務課」があったが、私は「業務第二課」に配属された。
所轄する対象地域・国は、中国・モンゴルの他、インド、ネパール、ブータン、パキスタン、バングラデシュ、
スリランカなどの南西アジア諸国、そして中南米・カリブ海地域の国々であった。およそ40か国のプロジェクトの実施促進を担うことになった。
そこに、1999年5月までの2年間在職した。その間に私の机を通過して行ったプロジェクトは何百件にも及んだ。
JICA無業部に配属になって改めて思い知ったのは、日本政府が編み出した無償資金協力にまつわるスキーム(制度)は驚くほど精緻に
設計されていること、そしてその設計と運用上の奥深さであった。スキームはいかにも日本人官僚が創り出した仕組みらしく、
複雑にして精緻なものである。スキームのどこを切り取っても、隙が見当たらないものである。
そして、制度上の問題よりもむしろ運用上のそれに引き回されることが圧倒的に多かった。JICAとしては「性善説」に立って、コンサル
タントや施工業者への信頼の下でスキームを運用している。だが、その信頼が失われた時には、その緻密なスキームも台無しとなる。それに、
国予算の単年度主義がその精緻なスキームの運用をかなり窮屈なものにさせていた。
案件には数億から数10億円の国税が、さまざまな建設工事や機材調達のための資金として途上国に供与されてきた。それは国づくり
のための資金の贈与であり、一切の償還義務は生じない。援助資金は、最終的には日本の国内
銀行に開設される被援助国の特別口座に振り込まれ、同銀行における預かり資金となる。そして工事の進捗に従って、被援助国政府の
許可の下に、順次コンサルタントや建設業者に対して契約金が分割して支払われることになる。援助資金が被援助国の中央銀行や国内銀行内の
口座に滞留し、同国関係者が自由に出し入れを行なえる訳ではない。
精緻な制度設計には理由がある。コンサルタント契約や建設工事契約のフェーズごとの部分支払い、即ち援助資金の支出には、日本や被援助
国の関係機関が発出するさまざまな許可が求められる仕組みである。だが、被援助国政府機関の誰もが援助資金の現金に一度も触れることが
ないまま、ワンタッチでコンサルタントや業者に支払われる。予算執行の全過程において、援助のための資金が知らぬ間に
不正に流用されたりして、行方不明になることはまずありえないことを意味する。
極めて優れもののスキームである。被援助国関係者からしても、またプロジェクトの実促に携わるJICAマンからしても、スキーム全体を理解
するまでには思いのほか多大な時間と労力がいる。スキーム運用に携われば幾度となく手引書を読み直すことになる複雑怪奇なスキームである。
因みに、予算執行の各ステージで求められるフォーマリティ、即ち提出されるべき支払いのための必要正式書類の様式は数多い。
JICSで無償協力業務を経験したとはいえ、冷静に振り返ってみれば、大勢の若い有能な仕事仲間やインハウス・コンサルタントに
おんぶにだっこ状態で仕事をこなしてきただけと言えよう。真にスキーム全体やそれらの実務をどれだけ深く理解していたのかと問われると、
そこは内心忸怩たる思いがある。JICSでの無償協力の経験と知識が買われてのJICA無業部への異動となったと推察されるが、何か過度に買いかぶられていたような気がして、
穴があれば入りたい心境であった。
さて、改めてここで、無業部での仕事の流れや実促についてざっくりと復習しておきたい。JICS勤務の3年間で得た経験や知識
は大いに役立ったことはいうまでもない。だが、無業部で席を温めるにつれ、それらはほんの一部であったことを後で思い知ることになった。
被援助国からプロジェクトへの無償資金協力要請に対して、JICAは内部手続きを経て選定したコンサルタントに基本設計
調査を請け負ってもらうことになる。B/D調査結果を踏まえ、援助内容・金額などが閣議に諮られ援助の実施が決定された後、外務省は被援助国
政府と資金援助に関するE/Nを取り交わす。そのB/Dを実施したコンサルタントは、JICAからの推薦を得て、
被援助国政府とコンサルティング契約を結び、当該国政府の代理人となって、建設工事や機材調達を行なう請負業者に対する施工監理
を担うことになる。
コンサルタントはプロジェクトのD/Dを行い、設計図書や契約書案を含む入札図書一式を作成し、入札実施の補佐をする。落札した
請負業者は被援助国政府と工事契約を結び、その工事の施行を行なう。機材類については据付と操作の技術指導なども含まれる。
施設・機材の正式引き渡し後一年間は瑕疵担保期間とされ、コンサルタントは一年後それに瑕疵がないことを確認する。また、必要な手直しを
業者に求める。
業無第二課のルーティンワークの主なものは、入札図書のチェック、入札の立ち会い、被援助国政府とコンサルタントや業者との契約書の
外務省認証に先立つ事前審査、プロジェクト現場から提出されるコンサルタント月報のチェックによる進捗状況の把握とフィードバック、
設計変更に対する対応、不可抗力となる自然災害やテロ行為などによる損壊などのさまざまな障害への実務的対応などである。無償協力の実施に
関するすべての権限と責務をもつのは、日本政府であり、外務省自身である。JICA無業部は、コンサルタント契約や業者契約の事前審査などの
一定業務を明示的に受託している。だが、それ以外については、個々のプロジェクトが履行期限内に円滑かつ適正に完工するよう
「実施促進」するというのがJICAの公式の立場であり、使命である。その実促業務はスキームの精緻さとは裏腹にかなり曖昧模糊としていた。
JICAには実促の実務をこなすための数多くの業務マニュアルがあった。バイブル的な基本文書は250ページほどの業務手引き書
である。JICAに復帰して改めてその部外秘の文書を何度も事あるごとに読み返した。その他に、実務上の数多くの内部規程・細則など
があるが、それらも必読となる。スキーム全体を広く理解するには、少なくとも一年間を一つのサイクルにして、自ら「実施促進」の実務
に携わり、その運用経験を経てそれなりの実際的に活用可能なノウハウを授かることができる。事実スキームを一年間一通り実務的に
やりこなして初めて会得できたという実感が湧いてくる。二年目からは何とか自律的に、ただし手引書などを座右の書にして、実施促進の実務を
切り盛りできるといえよう。それでも判断しがたい出来事にぶち当たり、上司の指示や同僚の助言を求めることは多々あることである。
業務第二課にほぼ2年在籍したが、その所感を一言で言えば、ほとんどが南西アジア諸国におけるトラブル・シューティングであった。
具体的にはインド、ネパール、ブータン、パキスタン、スリランカの五ヶ国へ次々と降りかかるトラブル対応のため出向いた。
トラブルの一山を越えればまた次の山を登り越えねばならなかった。解決の容易な山もあれば、対応に何週間もかかる難題にもぶち当たった。
何故南西アジアにトラブルが多いのか、理解に苦しむところであった。勝手な個人的推論であるが、それら諸国の多くはかつて長く英国の
植民地支配下にあった関係で、政府機関の高級官僚らの責任の取り方や身の処し方が我われ日本人とは異なる一方で、彼らの間ではどこか
共通しているのではないかと思えた。
さて、トラブルの最初のきっかけになりがちなのは入札図書、その中の機材の仕様(スペック)であった。どの機材も複数の商社が
応札できる仕様である必要があるが、図書上、特定のメーカー一社を指名するかのような機材仕様になっている場合がある。設備や機材の技術仕様があるメーカー一社のものしか担げ
ないというのであれば、応札商社間でそのメーカーの機材を奪い合うことになる。最初の入り口で入札から締め出され公正な競争が
成り立たないことになる。仕様書に問題ありと、深刻なクレームがつく。本来では、複数商社がいろいろなメーカーの製品の中から選りすぐり
担ぐことができない場合には、特命随契方式で別トラックで調達すべきものである。JICAは事前に技術仕様を含め入札図書を丹念にチェック
をするが、漏れないとは言い切れない。入札図書の不備などの要因で入札が紛糾し、図書の再確認や作成のやり直しにもつながりかねない。
コンサルタント契約書や建設工事契約書には日本側が用意するプロトタイプ(雛形)がある。正当な根拠もなくそれらの条文(英語、スペイン語など)を恣意的
に修正したり、制度をゆがめるような条文を追加することは認められない。
しかしプロジェクトによっては特別な個別事情があって合理的な修正を加えたり、新規条文を挿入することがある。JICAは、それが
許容範囲であり適正であるか、あるいは無償資金協力スキームとはなじまない条文の修正や追加でないか、慎重に事前審査を行なうことになる。
一般論としては、トラブルの遠因として横たわるのは、国予算の単年度主義であるとも言える。被援助国政府、コンサルタントや施工業者に
とって泣かせられる「イズム」であろう。国予算は原則として次年度に一度は繰り越せてもそれ以上は繰り越せない。施設建設の完工や機材の製造・据付まで
に翌年の繰り越し期間の一年を含めて丸2年間の履行期間があればまだしも、いろいろな事情で短くなることが多い。閣議決定や
E/N締結が、年度中央や後半になされたりすると、残余の実質の履行期間は1年半をゆうに下回ることにもなる。その他数々の諸要因に
つまずいて、案件によっては、竣工が期限のぎりぎりとなり、資金の支払いが期限内に履行され難い事態も生まれる。被援助国政府は日本の
独自のスキームと期限設定に否応なしにつき合わされる。支払いの期限が年度末に迫りトラブルは深刻さを増し、関係者を窮地に追い込む
ことになりかねない。
期限内に援助資金の支払いを完了することができず、被援助政府に対して、実のところ完工していないが完工しているものと
みなして建設費やコンサルタント費の支払いを承認するレター(approval of payment; A/P)を発給してほしいと申し入れる、いわゆる
「みなし完工」の依頼がちらつくことがある。その対処に出向くこともあった。機材がまだシッピング途上にあるなか、
支払い期限が逼迫しているので支払い承認のA/Pを相手政府にプッシュしてほしいということである。
発信者不詳のいわゆる「ブラックレター」が、JICA総裁や政府要人宛てに舞い込めば、入札を一時中断して事実確認を行なうことにも
なりかねない。慎重にその差出人の真意を探り、事実を見極めるに必要な調査を始める。時に入札をその直前でサスペンドしたりもする。
事実確認や適正な対処後に問題のないことを確認した後にそのサスペンドを解除する。JICAへの「ラブレター」は単なる警告やいやがらせの
レベルではなく、プロジェクトを最初に手掛けた「本命の社」とそこに殴り込みをかける「ライバル社」との熾烈な闘いであることが多い。
その意図が何であれ、一旦立ち止まり、その真意を見極めるなどして、慎重にプロジェクトを前に進めて行くことになる。
プロジェクト実施過程でいろいろなことが沸き起こったが、時に凄まじい、どろどろしたビジネスの世界を垣間見ることがある。
JICS在籍中それなりに緊張する場面を時に切り抜けてきたが、JICA業務第二課ではそれ以上の緊張の連続であった。
一件数億から20億円の建設・機材調達案件を請け負うために、応札社間で水面下または水面上で、彼らの社運を懸けて凄まじい闘いが繰り
広げられる。出血を見るかのような半端でない競争がそこにある。何十億円もの契約金を巡ってうごめくがゆえに、時に胆を冷やす「ブラックレター」
が舞い込み、JICAを巻き込んで熾烈な闘いの展開となる。
被援助国政府の代理人としてのコンサルタントの社員自身が建設現場でトラブルを起こし、同社員がJICAにその裁可を強硬に求める
という本末転倒のトラブルもあった。そんな人為的トラブルの一方で、建設途上にある施設がハリケーンなどの自然災害の発生によって、
瑕疵検査がまだ終了していない中で大損壊を被るとか、また戦争の勃発やテロ行為によって建設途上の施設の損壊のため、工事の中断や
関係者の即時引き揚げなどがなされることもある。契約課とタイアップして契約変更など適正な対処が求められることになる。
定期的に外務省無償資金協力課と打ち合わせを行い、プロジェクト現況を報告・協議し、また意見の調整を図った。特に何らかのトラブルを
抱える全てのプロジェクトについて、その課題や対策案などについて話し合い、対応の方向や具体策などを確認し合うことになる。
外務省とJICAの関係者は、「事の大小を問わずどんなトラブルも承ります。共に協働していこう」というスタンスであった。どんなトラブルも
歓迎されることはなかったが、それから逃げるようなことは一切なかったのは心強かった。とにかくトラブルに向かって行った。
無業部の職務遂行での矜持は、トラブルが解決すれば皆が助かり、プロジェクトが前に進み、途上国の国づくりに繋がるという思いである。
醍醐味は、正に、期せずして起こるトラブル対応、トラブル・シューティングにあった。
プロジェクトは生き物。現場で何億何十億の国税をもって事業が進められる。従って未経験のトラブルであろうとなかろうと、
トラブルに遭遇すればそれと真剣に向き合い、必死にトラブル・シューティングする。実促の根幹部分を占めていると言える。
トラブルが全くなく、単に目の前の月報やプロトタイプのワンパターンの契約書などの書面に目を通し、サインをすることの
繰り返しのルーティンワークだけであれば、まさに日常業務は実質的な変化のない「退屈」なものと言える。それにこしたことはない
かもしれないが、現実はそういう訳には行かない。事業途上での障害や難題をシューティングし、関係者をサポートし、援助が滞りなく完了し、
施設・機材がハンドオーバーされ、形ある施設や機材が国づくりに役立てられることを見届けることが使命である。そこに無類の醍醐味、
ダイナミズムが溢れていると思えた。
技術協力プロジェクトや専門家指導による国づくり人づくりでの成果の発現には何年もの長期間を要する。しかし無償資金協力では、
プロジェクトが完工し供され始めた段階から、その効果が発現することがほとんどである。道路・病院・橋梁・船・学校などのハードの成果
発現はストレートに可視化される。そして、当該国の国づくりに何がしか関わることができたことは国際協力の大きな喜びであると実感できる。
毎日今日一日、トラブル・シューティングにどう立ち向かうか、それが朝の出勤時における気概であった。晴れ晴れした気持をもって立ち向かう時ばかりでは
なかったが、かと言って、尻込みをして後ずさりするような思いはいつも懐にしまい込んでいた。そこはぐっと堪え、気合を入れて
トラブル解決に立ち向かった。それが毎日味わう醍醐味であった。トラブルの対応に追われつつも、プロジェクトの完工と供用による
成果発現への貢献を信じつつ業務に向き合った。トラブルを解決して手持ちのトラブル案件リストからそれを消し去ることは時折の楽しみ
であった。
だがしかし、間もなくとんでもない事件に巻き込まれ、無償資金協力業務の恐ろしさをまざまざと体験した。醍醐味について悠長に
語っておれない、人生観が変わるほどの出来事に遭遇し、その洗礼を浴びることになった。トラブルの極めつけは、忘れもしないブータン・
プロジェクトであった。個人的な価値観を見直すきっかけにもなり、人生観に大きなインパクトをもたらした。職務の奥深さと怖さを
目の当たりにした。そのことは次々節に譲りたい。先ずは次節で、海との関わりのあるプロジェクトで遭遇したトラブルに触れたい。
無業部では海にまつわるプロジェクトは少なかったが、それでも幾つか向き合うことができた。その一つはカリブ海のドミニカ国での
漁港整備プロジェクトであった。向き合うきっかけになったのは、やはりトラブル・シューティングであった。
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