初めての台湾旅行に出立した。2016年6月のことである。沖縄県宮古島や石垣島の目と鼻の先にありながら、台湾へ旅したことが
無かった。一度は足を伸ばしてみたいと、漫然とささやかな期待を抱いていた。そんな折、ある日突然友人から台湾旅行への誘いを受けた。
背中を一気に押され即その場で「OK」の返事をした。それは5日間の台湾一周格安団体ツアー(2016.6.24~28)であった。
島内を一周するお決まりの弾丸ツアーであった。だから、ツアーコースからわずかでも外れて、海洋関連の歴史文化施設などに
立ち寄れるような自由時間などは望むべくもなかった。
さて、これをチャンスにネットで台湾のことを調べると、幾つもの海洋関連の博物館や歴史文化科学施設があることを知った。
だが、ツアーでの自由行動は皆無であったので、最初から諦めがついていた。だとしても、周遊の地として重要港湾都市である基隆や
高雄にも足を踏み入れるので、それらの港景くらいは垣間見れるものと期待した。兎に角、友人と純粋に旅を楽しむことに主眼を置く
ことにした。
夕刻に台北国際空港に到着した後、すぐその足で貸切バスで台中へと移動しそこで泊した。翌日、台湾の背骨とも言うべき「中央
山脈」の中央西端部の山中に所在する「日月潭湖」という高山湖と、その湖畔の高台にある荘厳な「文武廟」を訪ねた。廟から眺める湖
は、その周囲を緑豊かな山々に抱かれ、神秘的で穏やかな湖水を湛える、まさに景勝の地であった。
その後、観光バスは「嘉義」という町近くで、北回帰線記念塔が建つ公園に立ち寄った。そこで回帰線をまたいだことにして、「台南」
へと向かった。台南では、1660年代に創建されたという台湾で最古の「孔子廟」などを見学した。その後、国際港湾商業都市「高雄」
へと移動した。郊外にある風光明媚な湖「蓮池潭」の畔に立つ「龍虎塔」に立ち寄った。龍の馬鹿でかい口から入り、七重の塔の天辺
まで登った後、虎のでかい口から外界へ出れば、身が浄化されるという。これで福を授かることができれば誠にありがたい話であり、
お布施も高くはないと言うものである。
その後、高雄市街中心部に移動し、鉄道駅「高雄」から4㎞ほど西方の山中にある「壽山公園」へと向かった。公園の展望台からは
市街全体だけでなく港全体を鳥瞰することができた。これこそが今回のツアーで眺望できるものと最も期待していた港湾風景であった。
当初は、昔の神戸港のように何本もの外貿埠頭が台湾海峡に向けて突き出しているものと想像していた。だが全くそうではなかった。
細長い砂州のような平野部が海峡に沿って伸びており、その内側に内港(インナーハーバー)が細長く伸びていた。港湾施設は
ほぼ100%その内港に立地している様相であった。そして、市街地がその内港の陸地側に大きく広がっていた。市街地には高雄の
ランドマークとなっている、一本の超高層ビル「高雄85大樓」が天に突き刺すようにそそり立つ。天候も良く、市街地西向こう遠方に
広がる「台湾海峡」の180度パノラミックビューを暫し眺め続けた。高雄港とはどんな地形に抱かれた港なのか昔からずっと関心があったので、それを
眺望できたことは、私的にはこれだけでもツアーに参加した価値があったと心中秘かに悦に浸っていた。
その後、列車に揺られて太平洋に面する町「台東」へと移動した。そこで、貸切バスに乗り換え、岩石海岸沿いに50kmほど北上し、
「三仙洞」という風光明媚な名勝地に立ち寄った。岸から地先の小島まで8の太鼓橋が伸びている。龍が海に向かって泳ぎ出て、海中の
竜宮城から美しい姫を迎えるかのような海景がそこにあるという。
さてその後、台湾東海岸沿いの最大の都市「花蓮」へ向かった。その夜は「阿美文化村」にて先住民族のアミ族の
伝統的民族舞踊と音楽のショーを観覧した。翌日、再びバスで北上を続けた。台湾の東部地域では「中央山脈」が馬の背のように
南北250kmほどに貫く。そして、嶮しい山岳が東部海岸へと一気に迫り、海へと没している。差し詰め富山県・黒部峡谷のような急峻
な山峡に沿って道路が縫うように走る。「太魯閣峡谷」のことである。ツアーでは、そんな嶮しい峡谷に少しだけ足を踏み入れ、
台湾の多様性のある自然造形美を拝観した。その後、「宜蘭」というところで再び電車に乗り換え北上を続けた。
台湾北端の港町「基隆」の少し手前で下車し、再びバスで「九份(きゅうふん)」という山腹に広がる集落に案内された。九份は
かつて金鉱の街として栄えたという。石造りの急階段に沿って狭く入り組んだ路地が連なるのが特徴である。そこではすれ違うのが
やっとの狭さである。急階段の路地の両側には昔ながらの赤提灯をぶら下げた古民家風のショップやカフェテリアなどが軒を連ねる。
九份ではまさにそれらがメイン・ストリートとなっており、そこに観光客らで溢れる。
また、日本統治時代の1934年創始の映画館が路地奥にそのまま遺されていたりで、ノスタルジーを誘う。私は全く心得が無かったが、
旅の相棒によれば宮崎駿監督のアニメ「千と千尋の神隠し」の街のモデルとなったという。基隆の街を遠くにかすかに臨めるカフェテリア
で、相棒と暫し休息し旅でのエピソード話で花を咲かせながら、ゆるやかに流れる時間を楽しんだ。
さて、私的にはもう一つ期待を寄せる港町があった。貸切りバスは日本とも歴史的繋がりの深い「基隆(キールン)」へと向かった。
期待は裏切られなかった。馬鹿でかい観音像が建つ「中正公園」の山頂から市街地中心部と港全体を見下ろすことができ、その
パノラミックビューに満足感を覚えた。「これが基隆の港なのだ」と一人心の中で感激の叫びを上げ感涙した。船乗りを夢見ていた青少年
の頃から基隆がどんな港風景なのか一度は見たかった。その景色にありつけたことに感謝また感謝であった。
21世紀となった今では基隆の港は既に手詰まりであろうが、港は奥行きの深い良湾に立地し、その最奥部に定期客船の発着場が
発展してきたことを見て取った。複雑に入り組んだ入り江や港湾全体、湾奥の波止場や埠頭、そして湾奥周辺のわずかの平地に発展し
てきた市街地など、山頂から絶景を鳥瞰できただけでも、団体ツアーにジョインした甲斐があった。人知れず私の心は子供のような
興奮状態であった。
さて、翌日には台北市内の「故宮博物館」など幾つかの文化施設を周遊し、お決まりの土産物店でのショッピングに付き
合わされた。旅の道中ずっとこのパターンであった。相棒と私は、店内のカフェテリアでのんびりと談笑しながら暇つぶしをした。
高雄・基隆の港を山頂から鳥瞰できたことはは、近い将来台湾に舞い戻ってオーシャンフロントを散策し、海洋歴史文化施設などを
探索する上で、大いに参考になるものであった。
旅を少し顧みるならば、毎日午前5時起床し深夜近くに就寝と言う、いわば難行苦行型の団体ツアーの一般的パターンではなかった
ことに安堵した。だが、予想通り朝の8時頃から12時間ほど毎日引き回されはした。それでも、まだしも余裕のあるツアーであった。
5日間で台湾周遊、東西南北の主要都市や名所旧跡を一気に駆け抜けた。海との関わりでいえば、高雄と基隆で、近傍の山頂から港全体
を鳥瞰的に眺望することができただけでも満足とする他なかった。それに台湾の東海岸沿いに300㎞余駆け巡り、時に風光明媚な海岸
風景を楽しむことができた。今回の旅では海洋関連の歴史文化科学的な施設を巡覧することは皆無であった。その点の成果は全くなかったが、
久々に友人と楽しい旅ができた。それに数々の海洋関連施設の所在についての予備知識を蓄えることができた。
また、台湾の社会事情全般について理解を深め、また主要都市での土地勘を養うことができた。そのお陰で、中国語ができなくとも一
週間でも単独行できる自信のようなものが生まれてきた。次の本格的な海と港を巡る旅のいわば下見ができた。
次の旅は恐らく単独行になるに違いないが、その計画が立てやすくなり、また旅の予行演習にもなった。
基隆の「国立海洋科技博物館」や「海洋文化展示館」の見学、高雄港界隈の一人街歩き、世界的海運会社である「エバーグリーン社」
が経営する台北や高雄市内の「海事博物館」などを巡る旅を何時頃から始めようかと、このツアーが大詰めを迎える頃にはワクワク
しながら旅のプランを構想していた。
帰国後、台湾には「国立海洋科技博物館」の他にどんな歴史文化科学関連の博物館や施設が在るのか、それらをどう周遊するかの
具体的プランを本腰入れて練り出した。そのプラニングのために過ごす時間は楽しいものであった。やがて、台湾に博物館や
港散策の旅に出掛ける機会が意外と早く巡って来た。最初の訪問から8か月後のことであった。その一週間の旅計画では、基隆、
高雄に加え、台北とその郊外の淡水への4都市に的を絞って散策する計画を練り上げた。敢行に及んだのは2017年2月であった。
前回の旅で距離感などを学習できたこともあり、それほど悩むことなく旅程を立てることができた。
初日は、台北空港から電車で台北へ向かい、そこで乗り換えて基隆へと直行した。地図を片手に街行く人に英語で尋ねながら、
夜9時頃にはネット予約のホテルになんとか辿り着けた。仕事の出張者が常宿にしそうな、少し年季の入った2つ星の格安ビジネス
ホテルのような様相であった。翌日、路線バスで、「台湾海洋大学」のすぐ傍を通って、近年創建されたばかりの本格的な
「国立海洋科技博物館」へと、子供が遠足にでも行くように喜び勇んで出掛けた。
海沿いの広々とした敷地に建てられた博物館の近代的建物の前に立った時は、全身に鳥肌が立ちぞくぞくしてきた。先ずは
館内をざっと巡覧した。海運、造船、港湾、船舶航海、漁業、魚貝類の食品加工、海洋鉱物資源開発、海や船の歴史、海洋科学技術など、
海のさまざまなテーマに沿いながら広範囲に渡って展示する近代的で総合的な海洋博物館であった。
子どもたちのために、生きた海洋生物を水槽に展示するミニ水族館コーナーだけでなく、電子・機械仕掛けで泳ぐ人工魚に慣れ親し
めるように、自律型魚ロボットが遊泳するミニプールも用意されていた。
特に印象的であったのは、小中高校生が知的好奇心を高められるように、展示上のさまざまな工夫が凝らされていたことである。
海中での水圧、音の伝播の仕方、海水溶存元素量、海水と人間の血液の構成要素の類似性などを理解しやすいように、最大限に
可視化や模型化を施すための創意工夫がなされていた。館内でのランチをはさみ、一日中じっくりと何度も巡覧しながら、
画像を沢山切り撮った。
翌日、戦前日本企業によって建てられ使われてきたビルが今でも遺される、基隆港の中でも最も中枢的地区を訪ねた。そんなビルの一つが
利用される「海洋文化展示館」である。「陽明」という民間海運会社が創建し運営する博物館である。
基隆の港はざっくりと言えば、奥行きの深い漏斗のような形状の入り江内の奥にある。その中でもかつて中国本土や日本などと
行き来する近海定期航路客船の発着に使われた桟橋・埠頭があったのは、その文化展示館が立地する辺りの波止場であったものと
見て取った。その波止場界隈には戦前に建てられた幾つかの古い建物が遺され、どことなく戦前の日本の雰囲気を醸し出している。
戦前日本・台湾間の定期客船はその最奥部にあるこの埠頭を発着場にしていたのは間違いない。
「海洋文化展示館」には、背後の山(恐らく「中正公園」辺り)から港全体を撮影した数枚の戦前の絵葉書が展示される。それを
じっくりと観察すると、基隆港のその当時の街の広がりや街並み、発展の系譜などがいろいろと想像される。街はその最奥の波止場
を中心に発展したようだ。「陽明」の展示館はいわばそんな旧港の波止場界隈に建っている訳である。
展示館の建物もいかにも戦前からある日本の建造物の様相を呈し、戦前から海運会社や関連団体によって利用されていたものと思われる。
館内には、多くの船舶模型の他、船橋シミュレーター、陽明海運会社の発展を示す史料などが展示される。
陽明海運は現在では大手コンテナ輸送の船会社である。英名は「Yang Ming Marine Transport Corp.」という。その前身は、1873年に清が上海に設立
させた蒸気船海運会社の「輪船招商業局」(China Merchants Steam Navigation Company)にまで遡る。麻薬撲滅に尽力を重ねた李鴻章が
命じて創建させた、いわば近代中国による最初の海運会社である。当時は沿海や河川輸送を手掛けていた。それ以来、同局の海運業は
発展を重ね、現在の陽明海運会社に引き継がれてきた。
さてその後、電車で台北に戻り、別線に乗り換えて、台北の北西20kmほどにある「淡水」という町へ向かった。台湾の大河の一つで
ある「淡水河」の下流にあって、河川港市として発展してきた。台北の近郊週末リゾート地のようでもあった。
陽のあるうちは、街中を流れ下る淡水河の川沿いの目抜き通りを暫く散策し土地勘を養った。そして、日本を出る前にグーグル・
マップを見て克明に手書きしておいた、予約済みの民宿の位置図を頼りにその宿を捜した。だが、1時間以上ほっつき歩き回り、警察署
やその他5、6か所で尋ねてみたものの、結局見つけられず疲れ果ててついに諦めた。余談だが、帰国後家族から聞いて話として、当日
夜に宿泊する予定があるのか否か確認のための国際電話があったという。当時スマホでグーグルマップを仕えていれば、こんな行き違いはなかった
かも知れない。当時私は「スマホ難民」常態であった。
さて、駅前周辺でホテルのネオンサインを探し求めたが、それも徒労に終わった。結局「地球の歩き方」に掲載される
駅近くのホテルをあちこちで尋ねながらようやく探し当てた。そのホテルは、迷路のようなややこしい路地裏にあって、これでは辿り
着くのも至難の業と納得した。ホテルは薄暗く快適とは到底言えない、星1つか2つの場末の安ホテルであった。エレベーターが
あるにはあるが、全くの旧式であった。部屋の中は廊下と同じくらい薄暗く、ベッドがあるだけ未だましと少しは前向きに捉え
、ベッドにその身を投げた。だが、布団は湿気をかなり吸い込んでいるようであった。
チェックイン時に少し解せないと思ったことがあった。ホテルの入り口では、まるで屋台のような
粗末なレセプションに一人のオジサンが座っていた。そして、彼に言われるままのホテル代を現金払いした。だが、領収書も
くれなかった。また宿泊客としての記帳も全く要求されず、少し懐疑的に思いつつも、そのまま部屋に転がり込んだ次第であった。
さて、疲れて早々と就寝していると、夜中近くになって、突然ドアを激しくノックする音で目が覚めた。叫び声の「ポリース」
だけは理解できたので、仕方なくドアを開いたら、警官二人とオジサンが立っていた。警官にパスポートの提示を要求された。
警官はそれをチェックした上で、問題なしと見て取ったのかすぐに立ち去って行った。
何故部屋に警官らがやってきたかをベッドに潜り込みながら推測した。巡回中の警官二人がホテルの部屋鍵保管フックと宿泊客の
記帳とを照合した結果、記帳されていない宿泊客が一人いることが判明し、警官は身元確認のために
やって来たのであろう。テロリストか犯罪逃走者が潜伏でもしていると推察したに違いない。
他方、オヤジさんは、無記帳のままにして、雇い主のホテル側に私の宿泊代金を引き渡さずネコババでもする
つもりであったのであろう。だが、警官が見回りに来て、彼の小遣い稼ぎの計略が図らずもばれてしまったというのが事の顛末では
ないかと想像を逞しくした。。それとも、ホテル側が警官にアルバイトをさせて、オジサンがねこばばしないように、時に監視させている
のかもしれないと、想像しているうちにまた寝入ってしまった。
ところで、当時スマホを携帯しグーグルマップ画面を見ながら辿っていれば、容易にその予約していた民宿を探し出せたのかもしれない。
旅立つ前に自宅のパソコンで、プロッティングされた位置をグーグル・マップから丹念に写した手書きの地図を持ち歩いていた。だが、
民宿の実際の位置はその地図上の位置からかなりずれていたのが原因であろうと推察した。苦い経験であった。学習をした。
実は半年後、中国に一人旅をした折には、スマホが必需品であることを決定的に、かつ嫌と言うほど認識させられた。
上海・杭州での2泊において立て続けに、全く同じトラブルを繰り返す結果となり、少なくとも2泊分二重払いを余儀なくされたと
言う、まさに実損の経験を繰り返してしまった。中国から帰国して2か月後には、「SIMカード・フリー」の格安スマホを入手した。
少なくともホテルなどで「Wi-Fi」でも利用できそうであった。その後初めて海外(フィリピン)にスマホを携帯し、多少の便利さを
享受できるところまでは成長した。
さて、翌朝早く、淡水市街地のすぐ傍を流れる「淡水河」(台北市内を流れ下ってくる)沿いに散策した。川沿いのプロムナードに
昔の港風景などを紹介する金属製写真パネルが並べられているのを切り撮った。朝食後、目的地である「淡江大学」付属の「海事博物館」
へ出向いた。多くの船舶模型、中国の古代船の構造模型や航海用具の展示など、充実した内容であった。神戸大学(海事科学部)や東京
海洋大学付属の「海事博物館」などと似かよっていた。
その後、電車で台北に戻り、目途にしていた市街区の一角でホテルを探し投宿した。翌日、地下鉄MRT「台大医院駅」からほど近いところ
にある世界的な海運会社の一つである「長榮」(エバーグリーン社)が創設した「海事博物館」へと出かけた。グローバルな海運企業だけあって、世界中から一級品と目される
船舶模型や海洋画などが、近代的ビルの一部を博物館にして展示されていた。
1階ロビーには、実物の小型ダウ船、台湾の付属島嶼の先住民族が今でも使いこなす伝統的な漁撈用アウトリガー、中近東・アフ
リカ北東岸への航海を含む「南海航海」を何度も行った艦隊司令官「鄭和(ていわ)」の宝船(いわば旗艦)の巨大模型、ベネチアのゴンドラなどの実物などが並べられ、それら展示の壮観さと迫力に唖然とさせられた。
上階には、比類なきまでの技巧と緻密さをもって組み立てられたな数多の帆船・艦船の模型コレクション、数多くの海洋画・船舶画の他、海運や航海の世界史、
台湾での港湾開発、パナマ運河の拡張計画などに関するパネル展示がなされている。一階部分を除いて撮影は原則禁止であった。
翌日、新幹線でもう一つの目的地である港町の「高雄」に向かった。高雄駅前の安宿に飛び込みチェックインできたので、フロントに
荷物を預け、地下鉄MRTで、「西子湾駅」という終着駅を目指した。というのも、同駅が、高雄本土から対岸の「旗津半島(チージー
バンダオ)」に渡るためのフェリー乗り場への最寄駅であった。「旗津」は日本語読みで「きしん」である。既に述べたが、高雄港の港内水域と港湾施設は、高雄市街地のある本土とその
対岸にあって細長く伸びる「旗津半島」との間に広がる内港(インナー・ハーバー)に位置している(いわば深水の潟湖が内港となっている
様相である)。
インナー・ハーバー北部の水域をフェリーで対岸の「旗津半島」へと渡った。そして、船着き場から南に4~5km離れた内港埠頭沿いにあって、
「陽明海運会社」が経営する「海洋文化展示館」へと向かった。基隆のそれとはいわば姉妹館のような関係であった。数多くの船
模型の他、人類の航海の足跡をたどる歴史年表のパネル展示など、基隆とそれとは
異なる興味深い展示文物に巡り遭うことができた。
展示館は高雄港のインナーハーバー内の漁港から伸びる突堤上にあった。インナー・ハーバー(内港、港内水域)には多数の
大型船舶が停泊し、また通航して行く。漁港の様子を知るため暫し埠頭界隈を散策した後、路線バスでフェリー船着き場
へ戻ることにした。だが、気が変わり、往きのバスの中から垣間見た公営の「旗津貝殻博物館」に立ち寄ることにした。少々疲れ
気味であったが、思い切って見学した。
見学の成果については正直余り期待はしていなかった。台湾海峡に面する大きな旗津公園内にある同館に訪れる人はまばらであった。
ところが、入館してみてびっくり仰天した。何千という貝殻標本がガラス陳列棚に整然と綺麗に陳列されていた。1時間ほどで閉館時間となり、
わずか数10%くらいしか画像に切り撮れなかった。自由に撮影できたことも嬉しかった。後ろ髪を引かれながら、博物館を後にした。
再訪する口実と希望をつないだ。その後公園の海辺に出て一休みした。台湾海峡の水平線に陽が近づきつつあった。やがて海面に一本の長い光の柱が
立ち、強烈な黄金色を放った。海辺では太公望が黄金の柱に向けて糸を垂れていた。
フェリー船着き場に戻った後どうするか思案した。乗り場は旗津半島の最北端近くにある。乗り場のすぐ北側には標高100mほどの小高い丘があり、
そこに登り、半島と内港全域や市街地を眺望することにした。まだ日が落ちるまで1時間ほどあった。山頂には古くから「高雄燈塔」という
灯台や「旗後砲台」などがある。丘から南を見渡すと、眼下西側には台湾海峡があり、中央には細長い砂州である半島が南北に伸びる。
その東側には高雄港の細く伸びるインナー・ハーバー全域と、市街全域を眺望できた。
海峡に面する西側の海岸に沿って幾つものT字形の突堤が突き出し、海岸の砂が浸食されのを防ぎ、養浜している様子を見て取れる。山頂からは、台湾海峡の外海から高雄港
に出入りする、幅わずか数百メートルの狭い湾口(狭水道)が見て取れた。かつての台湾団体ツアーでは、本土側の別の山頂(中正公園)
からそれら港全体を遠望したが、その時は高雄港への狭水道は山裾に隠れていたためそこに港口があるとは全く気付かなかった。
実は、半島の南端には人工水路が開削され、もう一つのインナーハーバーへの出入り口がある。故に、かつては自然の地形としては
砂州の半島であったが、現在では超細長い形状の島となっている。地図で見るとその人工水路はどうも狭くて大型船舶の出入りには
不向きなように見える。
ところで、台湾に「国立海洋生物博物館」という施設がある。高雄から海岸沿いに200㎞ほど南下すると、「バーシー海峡」を臨む
最南端部(屏東県)にそれが所在することは分かっていた。だが、残念ながら日程の都合をつけられなかった。その他に台中市に「国立
自然科学博物館」もある。幸いなるかな、台湾に再び舞い戻り訪ね歩くための立派な口実と強い動機になりえた。
また、台湾を再訪するためのそれなりの希望を持ち続けたい。翌日台北にストレートに戻るにはまだまだ
時間的余裕があったので、海洋生物博物館訪問の代わりにと、途中下車し「鄭成功」とゆかりの深い地である「台南」を散策することにした。
先ず、市街地にある鄭成功ゆかりの「赤嵌樓」に立ち寄った。それは1653年オランダ人が創建した城で、かつては「プロビデンシャ城」
と呼ばれた。1661年に鄭成功がオランダ軍を駆逐した。震災のために現在では城門などごく一部だけがオランダ統治時代のものとして
遺されている。
その後、台南駅の西方郊外にある「安平」という歴史のある港町を散策した。台湾の発展はこの安平を起点にして
広がったといわれる。安平では「安平古堡」が有名である。オランダが侵攻してきて要塞を築き占領・支配していた地でもあるが、
鄭成功がオランダ軍部隊を駆逐したことで有名である。その要塞内には展示室が設営されており、オランダ軍と鄭成功らとの戦い
に関する歴史関連の展示パネルから興味深く学ぶことができた。
安平には「運河」と称される古い水路がある。安平の沿岸域には低湿地帯が広がり、昔から水路網が発達していた。海から
その水路を伝って街に出入りする船を取り締りまる税関(関所)が設営されていた。その機能を果たしていた館は現在「運河博物館」
として公開されている。「運河」と名の付く博物館は珍しいので楽しみにして訪ねた。だが、館内にはほとんど見るべき展示史料は
なくがっかりさせられた。博物館の建物はかつてはそのすぐ前の運河を通行する船を管理する官吏の事務所であった。
その後、在来線で少し北上した後、新幹線と交わる駅で乗り換え、台北へと戻った。そして、翌日帰国した。1週間ほどの旅
であったが、ほぼ安全かつスムーズに、あたかも日本国内を旅するような感覚で周遊することができた。それに、基隆、淡水、台北、
高雄の主要な海洋博物館などを訪問し大いに知的刺激を受け、また画像撮影においても成果は大であった。だが、まだまだ探訪したい
海洋歴史文化科学的施設を積み残してきた。次回の台湾訪問を楽しみにしたい。海外の旅でもスマホを携帯し自由自在に操れる
だけのノウハウは、旅の必需であると再認識させられた。
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