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    [作成/Under Construction]
    第23章 パンデミックの終息後の海外渡航を夢見る万年青年
    第5節 アフリカ大陸最南端の喜望峰と「ガーデンルート」の海を訪ねて

      第1節 新型コロナウイルスによるパンデックの終息を待ち焦がれて
      第2節 「ニカラグア運河」を追いかけて再訪を夢見る
      第3節 カナダ東部海岸諸州の海・運河・船の風景を探し求めて
      第4節 中国の京杭大運河(揚州など)を再び訪ね歩く
      第5節 アフリカ大陸最南端の喜望峰と「ガーデンルート」の海を訪ねて
      第6節 インドネシアのモルッカ諸島(香料諸島)、スパイスと古要塞を 訪ねて


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    序章~第21章 | 第22章  最終章


  果たして何時頃になれば、新型コロナウイルス(COVID-19)によるパンデミックが終息し、それ以前のように、ワクチン接種 ・一定期間の隔離措置・陰性証明書の提示などの社会的規制なく気軽に海外へ旅に出掛けられるのか。家族や友人らと海外弾丸ツアーを 楽しめる時代が再びやって来るのか、じっと注視しているところである。一度はCOVID-19に罹患した。その後は体力・気力を十分 回復させ、フットワークを向上させ、いつでも旅に出立できるように努力している。とはいえ、若い時と同じようにエネルギッシュ に一日平均1~1.5万円くらいの出費で、1~2週間超倹約しての旅を今後も敢行できるであろうか。これまではホステルや学生寮のような 安宿でも我慢し、時に蚕棚式のベッドだけの超安宿に泊したこともあった。また、管理人も誰もいない本当に素泊まりするだけの宿 を渡り歩き、朝から晩までウォーターフロント界隈や海洋博物館などを訪ね歩いたが、そんな弾丸ツアーをパンデミック終息後も バックパッカー的スタイルで続けられる自信がまだ残っているか。その流儀を見直す時期に来ているのかもしれない。73歳の今、 気合を入れ直して次の旅のプランを練り、その敢行の日が来るのを楽しみにしているところである。

  旅の大目標は、アフリカ大陸南端の「喜望峰」を一度だけでもこの目に焼き付けることである。ポルトガルのエンリケ航海 王子は、大陸西岸を南下してアジア、特にチョウジなどの富を産むモルッカ諸島(香料諸島)に到達する航路を開拓しようと数多くの 航海探検家を送り出した。「大航海時代」、あるいは「地理的発見の時代」といわれる世紀は、1400年代初期の頃から始まっている。 わずか600年ほど前のことである。そして、人類史上最大の探検と発見は、バーソロミュー・ディアスによる喜望峰の回航、バスコ・ダ・ガマによる インドへの航路の開拓、そしてマゼランによる南米大陸南端の太平洋へ通じる狭い水路の発見であったとみる。それらは500年ほど 前のことである。今回はまだ見たことのない喜望峰を見下ろす岩山に是非とも立ってみたい。これまで果たしえなかった。 主に南アフリカの治安上の懸念でずっとこれまで旅立ちに二の足を踏んできた。今回、旅の大雑把な日程案あるいはモデル案を 模索してみた。今後関連情報を積み重ねながら、詳細で具体案を練り上げて行くことにしたい。

  ポルトガルはインド航路開拓のためたくさんの探検家を送り出した。ポルトガルがインド航路の開拓を成就するまで70年ほどを要したと いわれる。アフリカ大陸西岸沿いに南下する苦難の航海探検史を累々と積み重ね、ついにアフリカ 南端を回航しインド洋に入域できた。アフリカ南端の喜望峰回航は人類史上画期的な出来事であった。そこから 「人類史の新しいページ」が開かれた。果たしてそこはどんな最果ての岬なのか、一度は見てみたいと胸中に秘め続けてきた。そこに 身を置き、改めて回航の歴史的意義を振り返る機会としたい。その機会はまだ現実のものとはなっていないが、その実現を夢見て、 またその実現に備えて、ケープタウンとその周辺の沿岸諸都市を辿る旅のラフなプランを描いてみた。

  さて、旅の時期としては 南半球の冬期8~10月である。シーズンオフであるからひっそりしており、観光客で込んで 苛立つことはないものと踏んでいる。旅行シーズンオンのために市中の物価が値上がりしている懸念もない。私的には9月がベストである。 5~8月の冬期に近いと雨が集中する。先ず渡航ルートだが、一般的にはシンガポールかア首連ドバイで乗り継ぐことになろう。 南ア航空のフライトはどうか。いずれネット上の航空券比較サイトでフライト関連情報をしっかりと検索してみたい。 ヨハネスブルグを出入国の起点にする。行きはヨハネで乗り継ぎケープタウンへと向かう。

  ケープタウンでの宿泊先としては、ケープタウンの最も安全地区とされるウォーターフロントのマリーナ周辺か、市中中心街の セントラル地区にて、料金と相談しながらリーゾナブルなホテルを見つけたい。今後情報を収集しつつ、例えば幾つかの2~3星の ホテル、あるいは民宿(B&B、ゲストハウス、バックパッカーズ、ホステル)につき目安をある程度付けておきたい。空港からは、 個別順番に乗客の予約済みホテルに送り届けてくれる乗り合い式送迎マイクロバス(大型乗合タクシーのようなもの)を利用したい。 兎に角、安全確保を最優先にしてリーズナブルな宿泊先と空港からの交通手段を選んで行きたい。

  天候との相談であるが、先ずは喜望峰を探訪し、その次にテーブルマウンテンに登りたい。喜望峰とテーブルマウンテンを最も安全 に回れる方法を徹底して探る。マウンテンのケーブル乗り場まではウォーターフロントから30分ほど。トータルの所要4時間を 見る必要がある。ケーブルカーは天候が悪いと運休するらしい。ドライブでの登頂は不可。マウンテンへのグループツアーがあるのであれば、 旅行代理店を通じて申込む。

  2階建てオープン・ダブルデッカー観光バスが、ケープタウンの見どころをはじめ、テーブル マウンテン(乗り場まで行くのであろう)など11か所を回るという。「レッドルート」と呼ばれる。15~20分おきに出発する。 好きな場所で下車し、再び次のバスで次の目的地へと向かうことができる。このルートバス利用がよい。ところで、「ブルールート」 を走るバスは15~20分おきに出発しケープ半島を巡る。だが、喜望峰 までは行かないという。では、最寄のバス降り口から喜望峰まで辿るのは相当難儀するのであろうか、今は情報がない。

     ケープ半島は観光客が多く治安上は問題ないとされる。喜望峰を主体に周遊するか、またはその半島周辺の見どころを含めて喜望峰を 回る日帰りの団体観光バスツアーを探したい。例えば、喜望峰・ケープポイント周遊をメインとして、その他半島上の途中の町 サイモンズ・タウン(Simon's Town)やホルダーズビーチ(ケープペンギン営巣地がある)などの観光施設や自然を訪ねるのに 十分時間を取ってくれるツアーが良い。私的な関心を満たしてくれる最適なグループツアーを見つけるか、若しくは 若干の重複があったとしても2つの異なるグループツアーに参加して、究極の目的を達成するかである。あるいは、 エージェントに頼んで、ケープ半島の喜望峰・ケープポイントをメインにして、その他希望する場所・施設、例えば、 サイモンズタウンの「海洋博物館」などへも、交通手段付でガイドしてもらえる個別ツアーのアレンジを頼むのも手であろう。勿論かなり の出費は避けられないが、安全にして目的を成就するためにはありうる選択肢の一つであろう。

  なお、ケープタウンには、地方への旅に出立する前に見学しておきたい施設が3つある。ケープタウンのウォーターフロント・ マリーナに、海洋と人間に関する資料展示がなされる「海洋センター Iziko Maritime Center」があり、是非訪ねておきたい。 ケープタウンでの海運業の概観、1885年に完成したテーブル・ベイ港の最古の実在模型などの展示もある。 また、「ツー・オーシャンズ水族館 The Two Oceans Aquarium」も同じマリーナ地区にあり、極近場なので何時でも見学できよう (天気がすぐれず野外周遊に適さない日時には、これら施設を巡覧することにしたい)。 その他、ケープ半島のサイモンズ・タウンにあるJohn H. Marsh Maritime Research Centreの「南アフリカ海洋博物館 Iziko South African Maritime Museum」(Adderley Street; A part of the South African Navy)は最優先で訪ねたいが、天気がすぐれ ない時の選択肢として巡覧することも視野に入れておきたい。

  なお、ケープタウンセントラル地区にもいろいろ歴史文化施設があるが、見学の優先順位は低い。例えば、「南アフリカ博物館  South African Museum」は1852年創設の同国最大の自然博物館で、体長20mのクジラの骨格の展示もある。その他の施設についても、 安全と時間的余裕などを勘案しながらの見学としたい。

  さて、旅のもう一つの大きな目途は「ガーデンルート」という、ケープタウンからダーバンまでの南~南東海岸沿いルート 上にある幾つかの海洋歴史文化施設を辿ることである。
ルート概略: 日本→ シンガポール・ドバイ経由→ ヨハネブルグ・起点→ ケープタウン→ ハマナス Hermanus→ アグハス岬 →  (300km)モッセル・ベイ Mossel Bay→ (100km)ナイズナ Knysna→(200km余)ポート・エリザベス→ (飛行機300km) イースト・ロンドン→(飛行機500km)ダーバン→(飛行機500km)ヨハネスブルグ→ シンガポール・ドバイ経由→ 日本。
そして、沿岸諸都市での主要な海洋関連施設の見学としては以下のものが想定される。

1.ハマナス: 西ケープ州ハマナス。ケープタウンから東へ122km
・ 旧港博物館 Old Harbour Museum: 漁業関連史料、数多くの古い漁撈用ボート、鯨の骨格標本・探鯨機などを展示する。
・ Whale House クジラ館: 鯨に関する資料展示など。

2.モッセル・ベイ:  西ケープ州
・ Bartolomeu Dias Museum Complex バルトロメウ・ディアス・ミュージアム・コンプレックス: モッセル・ベイは、1488年に ポルトガル人航海家バルトロメウ・ディアスが西欧人として初めて上陸した地である。
・ Shell Museum 貝殻博物館。
・ Bartholomeu Dias Maritime Museum 海洋博物館: ディアスの帆船レプリカなど。
・ Culture Museum 文化史博物館: モッセル・ベイの歴史、航海用具、錨などを展示する。

3.ナイズナ
・ Angling Museum 釣り博物館 [ナイズナ博物館(Nnysna Museum)内][西ケープ州ナイズナ(Nnysna)/ケープタウンと ポートエリザベスとの中ほどに位置する; シーラカンス剥製の展示あり].

4.イースト・ロンドン: 東ケープ州
・ East London Museum イースト・ロンドン博物館: シーラカンス剥製、数多くの魚類剥製標本、大航海時代の貿易品など も展示する; 最初にシーラカンスが発見されたのがイーストロンドン沖である。

5.ダーバン
・ Port Natal Maritime Museum ナタール港海洋博物館: パイロットボーと「ウルンディ(Ulundi, J.R.)」、タグ蒸気船 「J.R.モア(J.R. Moore)」、第二次大戦時の掃海艇「SASダーバン(SAS Durban, mainesweeper)」の船内などを 公開する船舶博物館。いかだの復元模型、近現代までの航海術の発展史の展示など。
(Hours: Mon - Sat 8: 30am- 4:00pm, Sun 11:00am - 4:00pm. Place: at the bay end, of Aliwal Street, Victoria Embankment)。
・ uShaka Marine World ウシャカ・マリンワールド。

・ KwaZulu-Natal Museum クワズル・ナタール博物館 [ピーターマリッツバーグ Pietermaritzburg; ダーバン西方、バスで1時間 の内陸都市]; 南アで最大級の貝殻コレクションを展示する"海洋館/海洋展示室"がある。その他帆船模型、大砲なども展示する。

  さて、南・南東海岸沿いのそれらの町の海洋歴史文化施設をどう安全を確保しながら周遊できるのか、交通手段と宿泊先情報の他、 いろいろな治安情報と安全対策の知恵を集めたい。地方都市間をグレイハウンドのような大型バスで移動するのも一つ。だが、 バスターミナルとホステル・B&Bなどの宿泊先との間の移動上の安全確保が気になる。

  「バズ・バス Buz Bus」という交通手段について今後徹底的に調べることにしたい。バズバスは中型バスで、バックパッカーズ などの安宿に立ち寄りながら、それらの諸都市やダーバン、ヨハネスブルグを周遊する。宿まで迎えに来てくれ、 目的地の宿まで送ってくれる。各都市の宿泊先からそれぞれの施設や見どころの地までの交通をどうするのか。適当なシャトルバスや タクシーのようなサービスと安全をどう確保できるのか。バズバスをはじめ、その他の交通手段につき、最大限情報収集し安全な移動の 方途をスタディしたい。周遊したい町と見学希望施設や日時などを提示して、バズバスやその他の移動手段についての予約、変更、 支払などの方法につき、バズバス側と綿密に相談することになろう。 現地のB&Bなどでは「Coast to Coast」というバズバスのガイドブックが提供されているようだが、ネットでも入手して調べ尽くしたい。 また、南アフリカ専門の旅行エージェント、TBSの旅行資料室などにも相談しあらゆる関連情報を入手しながら、具体的なプランを練り上げたい。

  余談だが、15世紀初期、ポルトガルのエンリケ航海王子(1394年~1460年)が、アフリカ大陸南方にあるかないか分からない アジアへの通路を見つけるため、そして香料諸島へ到達するために、その航路開拓に乗り出した。即ち、アフリカ大陸西岸沿いに 南下する航海探検家送り出した。王子の航海学校創設からして、インド航路の開拓を成就するまで70年を要した。 その関連略史をここに記しておきたい。


・ 1394年、エンリケ航海王子、ポルトガル王ジョアン一世と英国ランカスターの王女フィリッパの息子として生まれる(~1460年)。
・ 1415年のこと、エンリケ王子は、200隻余の軍船をもってイベリア半島から北アフリカのムーア人 (イスラム 教徒)の要衝セウタを攻略し、セウタを奪取した。彼はそのことでも名を知られる。
[注] セウタ: ジブラルタル海峡に面する、現在のモロッコ北端にある港町タンジールの東方約70kmほどのところにあって、同じく 同海峡に面する。


・ 1415年、エンリケ王子、アフリカ北西岸の「ボジャドール岬(ボハドール岬)」到達を目指して自国の小艦隊を派遣する(カラ ベル船を使用する)。

・ 1418年、エンリケ王子は、イベリア半島のポルトガル領南西端のサグレス岬に航海学校・天文台などを設立し、 民族・宗教などを問わず学者、航海者らを集め、そこで航海学、帆船の艤装や運用術、造船学、地図製作、天地誌学などに関する 研究を行ない、またそれらを学ばせて航海者を育成することに取り組み始めた。そして、アフリカ大陸南端を周回して、 インドへ到達することの可能性を固く信じ、アジアへの海上ルート開拓を期して、アフリカ 大陸西岸沿いに南下させる探検航海者を本格的に派遣し、その探検事業を徹底して推し進めようとした。

  歴史上、後に「大航海時代」と位置づけられる初期の頃のことである。 ポルトガルは、アフリカ最南端周回とインド航路開拓、それに続きアジアでの国勢伸張への道を辿り始めた。 ポルトガルは海路・東回りで、スペインは海路・西回りでアジアを目指し、両国間のグルーバルの覇権争いの世紀へと突入した。

・ 1420年、最初のポルトガル遠征隊、マデイラ諸島の一つのポルト・サント島に嵐で打ち上げられる(その後、遠征隊が再派遣され、 マデイラ諸島であることを確認し、サトウキビとブドウの株を移植する)。
・ 1427年、アゾレス諸島を再確認する。当時、「ナン岬(ネバー岬)」以南では、海は沸騰し、怪物が現れ、二度と帰還できないと考えられていた。


・ 1432年、ポルトガル航海者ジル・エアネス(Gil Eanes)は、エンリケ王子からナン岬以南への航海の再挑戦を命じられる。 かつて、彼は王子の命を受け、「ナン岬」を越えて南下すべく航海を試み、一度は失敗していた。
・ 1434年、ジル・エアネス、ナン岬を越え、更にその200海里ほど南方の「ボジャドール岬(ボハドール岬)Cape BOJADOR」 (その沖合には暗礁が突き出る航海の難所であったが、その迂回を達成した)に到達することに成功する。この成功は中世の人々の迷信打破に絶大な影響をもたらす。


・ 1441年、ヌーノ・トゥリスタン、リオ・デ・ジャネイロに到達した後、ボジャドール岬の遥か南方の「ブランコ岬」に到達する。
・ 1443年、ヌーノ・トゥリスタン、「ブランコ岬」を通過して、その少し南方の「アルギン湾」に達する。
(1443年、エンリケ航海王子の実兄ペドロ親王、「ボジャドール岬」以遠への通航には同航海王子の許可を必要とする旨を布告する。 以後、幾つかの新たな布告によって、同航海王子への航海・交易上の特権の拡大がなされる)
・ 1445年、ディニス・ディアスが「ヴェルデ岬」に到達する。ヴェルデ岬についても、海は沸騰し灼熱の世界といわれていた。
・ 1460年、エンリケ航海王子、没する。かくして、同航海王子が生きていた時代におけるアフリカ西岸南下の航海・探検事業は、 シェラレオーネ辺りまでの到達をもって終わりを告げた。だが、その後20年ほどの間に、南下を続けたポルトガルの航海者たちは、 赤道を越え、更には「コンゴ河」の河口に到達し、ついにアフリカ南端を周回するに至るまで、数々の成果をあげることになる。


・ 1487年8月、ポルトガル人バルトロメウ(バーソロミュー)・ディアス(Bartolomeu Dias)は、2隻のカラベラ船と1隻の輸送船を率いてリスボンを出航し、 リスボンを出航し、西アフリカ西岸を一路南下した。アフリカ大陸を迂回せんと航海を続けるなか、同年12月末に激しい嵐に遭遇したことで、15日間も 方向を見失ったまま航行し、嵐の中で知らないうちにアフリカの陸地が船の西側に位置することに気付いた。 アフリカの最南端を回航したことの証左ともいえるものであった。かくして、ディアスは大陸南端を周回していたことを認識した。

  ディアスはさらに周回航海の継続を主張したが、乗組員が反対し暴動を起こしたため断念せざるをえず、南端を少し周回した 南緯33度辺り(現在のダーバンは南緯30度辺りにある)に位置する現「グレート・フィッシュ川」付近で反転し引き返した。 そして、1488年12月にリスボンに帰着した。クリストファー・コロンブスはこのディアスの華やかな帰着をその港で見物していたという。 かくして、王子の航海学校創始から70年を経た1488年、ついにアフリカ大陸最南端を回航するという偉業を果たすに至った。

  ディアスは、南端を周回していた頃は激しい嵐に見舞われていたことから「嵐の岬」と名付けた。後に、ポルトガル国王ジョ アン2世 (在位1481‐1495年10月)は、 インドへの道が拓かれたという国運を祝して「喜望峰」と名付け換えた。なお、喜望峰の発見について、往航時は荒天であったため 岬を初認できていなかったが、復航時にはその岬を認めたとされる。

  ポルトガルはディアスの帰還後すぐに次の探検船隊を派遣するにはいたらなかった。ジョアン2世に代わって王位を継いでいた マヌエル1世は、ようやく1497年になって、バスコ・ダ・ガマを喜望峰回りでインドに向けて出帆させた。 つまり、ポルトガルはスペインよりも早くインディアスへ到達することをめざした。


・ 1497年7月8日に、ジョアン2世の後継の国王マヌエルの命によりバスコ・ダ・ガマは13隻からなる船隊を率いてリスボンから インドに向け出航した。コロンブスが第1回目の西回り航海に出帆したのは1492年であり、コロンブスがインディアスに到達した との報を携えて帰国したのは翌年1493年3月のことであった。ガマは当然のことながら、コロンブスのこのインディアス到達 を知った上での出帆であった。実際に到達したのはインディアスではなくカリブ海の島嶼であった。 さらに言えば、更にコロンブスは1495年に第2回目の西回り航海を果たしていた。

  ガマは、1497年ヴェルデ岬諸島を経た後、大西洋に大きな半円を描き迂回するように喜望峰をめざした。同年11月9日 喜望峰に近いアフリカ南西部の「セント・ヘレナ湾」に到達した。11月22日には喜望峰を周回し、11月25日に「サン・ブラス湾」 に到着、12月17日には、ディアスが先の航海で到達した最遠地である「インファンテ川」(現在のグレート・フィッシュ川) 河口で投錨した。その後沿岸沿いに北上し、1498年4月に現在のケニアのマリンディに到達した。

  ガマはそこでアラブ人でインド洋での航海に熟達した船乗りイブン・マジードを水先案内人として雇い入れた。ガマはその後首尾 よくアラビア海を横断した。そして1498年5月1日インド亜大陸南西部のマラバール海岸のカリカット近くの港に錨を降ろした。

  1498年8月にカリカットから帰国の途に着いたものの、その航海は厳しいものとなった。アラビア海を越えるのにほぼ3か月を要し、 ガマの旗艦「サン・ガブリエル号」がリスボンに帰還したのは、1499年8月29日のことである。結局、ガマはインドとの往復航にほぼ 2年を要し、又約170名の乗組員のうち帰還したのはわずか60余名であった。 また、ガマがもち帰った香辛料の量は見本程度というごくわずかなものであったし、更にはカリカットの王との香辛料の交易取り 決め交渉は成功するにいたらず、通商面での成果はほとんどなかった。

  だが、エンリケ航海王子が1400年代初頭以来思い描いていた、インドへの東回り航路、即ちアフリカ大陸周回によるインド航路の 開拓にかかる大事業がついにここに完成したことの意義は計り知れない。 ポルトガルは、70年に及ぶこの大事業の完遂によって、それまでアラビア人、更にはベネッツィア人、ジェノバ人 らによって独占されていた金、香辛料などの新たな東方海上貿易ルートを切り拓き、交易を自らの手に独占する道を切り拓き、 その後の歴史的な国家繁栄へと突き進むことになる。翻って、アラビアのイスラム商人らとの熾烈な闘いが始まることになる。


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