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    第16章 「自由の翼」を得て、海洋辞典の「中締めの〝未完の完"」をめざす
    第6節 辞典づくり、2020年の「中締めの〝未完の完″」をめざして


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     第16章・目次
      第1節: 嘱託として「健康管理センター」に勤務する
      第2節: 東日本大震災、早期完全離職の決断を後押しする
      第3節: 理想と現実のはざまで「選択と集中」に取り組む(その1)/辞典たるゆえん
      第4節: 理想と現実のはざまで「選択と集中」に取り組む(その2)/データベース&フォトギャラリー
      第5節: 理想と現実のはざまで「選択と集中」に取り組む(その3)/新しいビジョン&チャレンジ
      第6節: 辞典づくり、「中締め(2020年)の〝未完の完″」をめざして
      第7節: 海洋辞典の承継編者探しを家族に口頭・書面で依願する



  2011年(平成23年)3月末でJICAから完全離職し、ウェブ海洋辞典づくりに専念する決意をした。ニカラグアからの奇跡の生還によって繫ぐ ことができた命を大切にして、渾身の力を辞典づくりに出し尽くすことを考えた。辞典の完成度が低く忸怩たる思いを持ち続けていた ので、その飛躍的な「進化」を図るべく専従したかった。より早期の専従の方針は決して間違った選択ではなく、当時の私にとっては正しい選択であった。 残されている命の時間はどれ程か見当のつけようもなかったが、この先20年はとても望み得まいと思った。心臓冠動脈にステント2つを留置する身では、 あてずっぽうであるが、10年と思い定めた。JICA嘱託は1年でも早く切り上げ、その分辞典づくりに励みたいと思った訳である。そして、辞典の総見直しを行い、 新ビジョンの下で再出発したかった。「選択と集中」を徹底して行ない、結論的には2020年を一区切りとして、その時点での「中締めの〝未完 の完″」を目指すこととした。かくして、私は、完全に仕事から解放され、「自由な翼」を背に擁して第二の人生を歩み出した。

  離職後、人生で初めて「自由人」という名の人間へと変身し、海洋辞典づくりに専従できるかと思いきや、最初の数年はそういう訳には いかなかった。急に毎日が日曜日となり、陽の明るい時間帯に身を持て余すことがないよう、どう上手く自己管理するか、戸惑いつつ試行錯誤した。 日頃の生活リズムを上手く取れるよう腐心したが、先ず健康面でいろいろな壁にぶつかった。現役時代の緊張感が無くなり、免疫力も落ちたのか、 身体のあちこちから故障の兆候が噴出した。急に四十肩ならぬ六十肩に襲われた。自身でリハビリの努力をしながら、整骨院に半年も通い続けた。 また、歯槽膿漏が思いの他悪化していて、ついに歯茎の腫れと激痛に襲われ、抜歯せざるをえなくなったりした。その後、次つぎと歯の治療に 歯科通いする破目になった。また、酷い残尿感に苛まれたりして、温熱療法とマッサージでもって一年ほどかけて 自前でなんとか回復できた。医者に頼らず自力で回復できたことで、人間のもつ自然の治癒力の大事さ、偉大さを思い知った。とは言え、 最初の数年間次々と障害と不快感を抱え、生活リズムは何かと乱れ続け、日常的に「自由人」を謳歌するどころではなかった。

  雑事と言えば叱られるが、自身が暮らすマンションの管理組合の役員ポストへの、10年に一度の役回りの順番がやって来た。任期は1年で、 月一度の定期会合の他に、時にいろいろな日常的課題への対処のために出動するお努めが付いて回った。他の役員の足手まといにならぬよう 何とか一年間務めることができ、次の役員会にバトンをつないだ。

  JICAから完全に「卒業」したと思っていたら、JICA役職員らが加入する「交友クラブ」(いわばOB・OGの会) の広報担当幹事への就任につきお声が掛かり、お手伝いすることになった。都内麹町にあるJICAに月一度「出社」し、倶楽部運営に係る定期会合への 出席の他、年2回の会報誌の発刊とそのための情報収集・処理、講演会や総会の準備と本番、その他臨時の特別会合などに関わった。会合後は 役員らで2時間ほどビールを傾けながら、四方山話に花を咲かせるのが楽しみであり、それはそれで気分爽快になれる場であった。 かれこれ4年近く勤めた。

  その他のこととして、30代半ば頃に公務で知り合った中国人の王さんの事業に首を突っ込むようになった。JICA農業投融資部門に 席を置いていた時、大豆試験栽培事業案件で初めて中国に出張し、黒竜江省のハルピンで外事弁公室通訳の王さんと知り合った。彼はその後 北大博士課程に留学し、卒後日本でずっと働いていた。王さんの仕事の一つは、中国人技能実習生 を中国で募集し日本の農家などに受け入れてもらうという斡旋事業をしていた。それまで延べ5,000人ほど受け入れ、日本での実習生の生活の面倒を みていた。

  彼は何らかの手伝いをしてもらいたいとの意向をもっていた。そのこともあって、中国での実習生候補の人選や事前訓練事情を学ぶため、 彼の所有・経営する研修施設や事務所のある瀋陽に出向いたりした。また、北海道や信州の受け入れ農家や農協などを訪ね、彼らの生活や労働環境などを視察し、 事業とその課題への理解を深めようと務めミーティングを繰り返した。JICAでの経験を生かして何がしかの実務を担うことが期待され、何かお役に立てること を模索する日々が続いた。適度な刺激にもなっていた。だが過度に束縛されると、「自由人」となって辞典づくりをめざした ことの意味を失うことになりはしないかと身構えることが多くなった。

  春と秋には、実家の田植えや稲刈りなどの農作業を手伝うため、年に延日数にして1か月ほど帰郷した。特に秋期の場合には、雨が降れば 稲の刈り入れや脱穀作業はできず、数日間は「晴耕雨読」とならざるを得なかった。そんな日は、地の利と偶然の機会を生かして、地元にある国立民族博物館を はじめ、大阪市内の歴史博物館、自然史博物館、神戸の海洋博物館、京都の琵琶湖疏水やインクラインなど巡っては画像を切り撮り 日帰りの旅を楽しんだ。それはそれで、実家をベースとした博物館探訪の絶好の機会となった。

  生活リズムを不規則にさせるものではないが、国内外へ半年に一回一週間ほど気晴らしの旅に出た。辞典づくりのよい刺激となった。 特に「一枚の特選フォト」ギャラリーの充実を図るうえで役立った。韓国・釜山の海洋博物館や自然史博物館、蔚山の鯨博物館、木浦の海底考古学 関連の博物館などを手始めに訪れた。次いで、マレーシア・マラッカの海洋博物館や鄭和関連文化施設なども訪れた。中国・上海にある航海博物館、 杭州・南京・蘇州の実物の京杭大運河の他、運河関連の歴史的遺構や博物館などを訪ねた。結局のところ、離職後の数年間は腰を落ちつけてじっくり 辞典づくりに専従できる状況ではなく、そのリズムは大方不規則なものであった。

  だがしかしその後は、管理組合やJICA交友会の役員会を離れ、また体の不調に悩まされることもほとんどなくなり、規則的で安定した辞典づくりの リズムを得た。毎日7~8時間、辞典づくりにじっくり心を落ち着かせて向き合えるようになった。そして、離職を機にようやく、辞典の包括的で徹底した 見直しと「選別と集中」の成果として、辞典づくりの中核をなす「和英西仏葡語・海洋辞典」そのものの作成、さらにはその「分野別海洋 辞典」づくりに専心専従することができた。データベースの「断捨離」も進み、また数多の画像の加工とフォトギャラリーの充実に向けた取り組みも軌道に乗りつつあった。もっとも、 新しいビジョンとして描きつつあった「オーシャン・アフェアーズ・ジャパン」構想はまだまだ具現化せず、渦巻の星雲状態にあった。だが、 その実現化に向けての希望は抱き続けていた。

  「自由の翼」をまとうことになって7、8年辞典を編み続けてきたが、正直なところ辞典づくりの先を見通せず、 その締めくくりの姿を描けないままであった。そして、一つの大きな課題に心を奪われるようになっていた。 その課題とは、辞典づくりの「完成の完」は何時なしうるのか、どういう締めくくり方ができるのか、ということであった。 「自由の翼」の下で辞典づくりに専従した先には、辞典の「完成の完」を何時どのように迎え得るのか。 夢物語のような空論はさておき、現実問題として、どんな辞典をいつ完成させるのか、ということである。辞典を完成させる目途はあるのか、 「どんな完成の仕方をするのか」、辞典の「仕上がり」や「締めくくり方」について自問自答するも、明快な解を得られず悩み続けていた。

  だがしかし、ついに一つの答えを得るにいたった。「完成の完」を目指しても果たして実現できるのかいろいろと巡らせ空転を繰り返して いたが、ついに達した結論は、「完成の完」をもって辞典づくりを終えることは到底無理であるということであった。辞典の対象言語は5か国語であり、海語は 無限的に存在するように思われた。60万枚もの切り撮った画像が未加工のままパソコンや外付け記憶装置に眠っていた。私的には、 自身の残命をもってしても果たしえないことは自明であった。トンネルの先に「完成の完」の光を見ることは叶わないというのが結論であった。

  悩み続けた結果、もう一つの解を得るにいたった。辞典づくりを客観的に直視すれば、そこにあるのは常に「未完の完」であると言わ ざるを得ない。現下で行っているのは、インターネット時代におけるデジタルタイプの辞典づくりである。その最大の長所は、時空を問わずいつでも どこでも即座に辞典のコンテンツをアップデートできることである。追筆・増筆や修正が自由自在である。その必然として、コンテンツが永遠に 完成することがないことに繋がる。デジタル版の帰結と言えるかもしれない。アナログ版辞典の初版の刊行であれば、コンテンツについて、 どこかで自己納得させ踏ん切りを付けることになろう。どこかで妥協を見い出し一区切りつけることにならざるをえない。勿論、 デジタルであれアナログであれ、辞典づくりには本当の意味での終わりも完成もないと言える。翻って、デジタルの場合でも、真の完成がない のであれば、どこか切りの良いところで任意の一区切りを付け、締めくくらざるをえない。

  辞典づくりは何時まで経っても未完状態のまま、完成へ向けた希望の道を歩み続けることになろう。どこまで辿っても収斂せず、終わりの見えない道を進むことに なる。辞典づくりにあるのは、基本的にいつも「未完の完」の連続であり、真の「完成の完」という締めくくりは永遠にないことであろう。 「完成の完」はとても望むべくもないと悟った。「完成の完」はそもそも辞典づくりにはそぐわないもの、本質的に辞典・辞書というものの 性格上から導き出される当然の帰結であると、主観的ではあるがそう結論した。辞典の進化の先には「完成という文字」はない。 あるのは「一区切りをつけた結果としての完」であろう。そもそも辞典づくりとはそういうものだと考えることにした。かくして、何をもって何処で 締めくくりとするのか、一区切りをつけるのか、という問いに向き合った。

  何処でどう締めくくるのかの自問自答する日々のなか、ついに辿り着いたコンセプトは「中締めの〝未完の完”」であった。そこを目指す ことにした。果てのない「完成の完」ばかりに目をやる訳にはいかない。今の時間を大切にして、丹念に語彙を拾い続け、英仏西葡語で 何というか、またその逆について調べ続ける他に、辞典づくりの王道はないと言える。一つの締めくくりや一区切りをする目途もなく、 永遠に辞典づくりを続ける訳にはいかなかった。結論的には、成しうることとしては、「中締めの完」、それも「未完の完」をいずれかの時点で 自己宣言する他ない。何処かで一区切りをつけて「中締め」にする他ないと自己納得した。 自身で一区切りの符を打つことでしか遣り様がないように思われた。

  英和辞典の見出し語数について何万語をもって一区切りすることや「中締め」とするのも一策であろう。 しかし、私的には何となくしっくりこなかった。そこで選んだのは、最もシンプルにターゲット・イヤーを定めることで一区切りをつけることにした。 見出し語数はまだしも、コンテンツの所定の完成度、成熟性をもってその「中締め」とするのはとても無理そうであった。 かくして、一区切りを、見出し語数を軸とするのではなく、時間軸をもってシンプルに中締めとしたい。因みに切りの良い2020年(東京五輪・パラリンピック 開催年でもあった)を一区切りとして、「中締め〝未完の完″」を目指すことにした。完全離職から9年後のことになる。

  そして、2020年における辞典の締めくくりに関するシンプルなコンセプトを描いておくことにした。いわば、一区切りのためだけの 大雑把で主観的なコンセプトである。現辞典のコンテンツは未来の編纂承継者に託せるようなものではなかった。 未来の編者にコンテンツの修正やアップデートなどを自由自在に行ってもらうにして、プログラミング上のエラーや不統一性などについて、 余計な修正や手戻りで承継者を煩わせることがないようなウェブ辞典にして締めくくっておきたい。

  抽象的なコンセプトであるが、基本構造やコンテンツを熟知する初代編者の責任の下、修正しておくべきところはしっかり修正 しておかねばならず、そこまで仕上げておくということである。承継編者が辞典づくりに後ろを向いて取り組むのではなく、前を向いて どんどんアップデートなり追・増補すればよい状態にしておきたい。ウェブ辞典づくりはこれまで30年ほど経過したが、まだまだ基礎の基礎、 原形・基本形ができつつある段階である。辞典づくりの最終到達目標を見通せず、また半ば無限大に語彙の「大海」が広がることからすれば、 この5言語ウェブ辞典は、端緒についたばかりの未成熟なものである。翻って、辞典づくりの取り組みには限界はなく、無限大に広がる 時空の中でアップデートを続ける必要ある。翻ればその伸び代は無限大に広がっている。 2020年を目標年にして「オンライン海洋総合辞典」の「原形」あるいは「基本形」を作り終えたと、自己納得と自己宣言できるまで 走り続け、「中締めの〝未完の完″」という一区切りをつけることにしたい。

  私的には、2020年を目標に、ウェブ海洋辞典の「原形あるいは基本形、その一」として仕上げ、未来の編者にバトンを託せるようにしたい。 そして、実際に承継するウェブ辞典をいわば「〝未完の完″の第一巻」とでも位置づけたい。辞典づくりが承継されれば、2代目編者のそれは 「〝未完の完″の第二巻」ということになる。「未完の完」として自己納得、自己宣言のうえ、最大限に手戻りの少ないものをもって 次代に託したい。願わくば、2020年は一区切りつける通過点でありたい。その後も新たな通過点を越せるとすれば望外の喜びである。

、   誰も永遠な時間をもって辞典づくりなどできない。どこかの時点でバトンを未来の編者に託さねばならないし、是非ともそうしたい。 承継編者をみつけバトンを託す以外に辞典進化の道はない。託す辞典は未完成であることは全く致し方ないことであるが、少なくとも エラーや不統一性などのために余計な手戻りに未来人の手を煩わせたくない。私なりに納得のいく、美しく締めくくられた「作品」を未来人に 託したい。

  さて、もう一つ大きな課題が見えてきた。「中締めの〝未完の完″」を自己宣言できたとしても、その後の進化を望むならばバトンを 未来の編者に託す他ないことは既に述べた。誰にどう引き継ぐかという課題である。辞典づくりを未来に引き継がねば さらなる「進化」はない。それなくして、ワン・ステージ・アップの「未完の完」も望みえない。 未来に託すことができてはじめて「原形あるいは基本形、その二」あるいは「〝未完の完″の第二巻」に向けた新しい旅立ちができる。

  辞典づくりを託すことができる未来の編纂者との出会いを得て、そのバトンを直接託すことができるよう真剣に模索したい。次の 「中締めの〝未完の完″」を目指す起点・基点となる編者を探し出したい。後継編者をどう探し出すか、バトンをどう手渡すか、 辞典づくりをどう申し送りするか、もう一つの重要課題が浮上してきた。私が存命中であればバトンを次代編者に手渡すことはまだしも 可能であろう。だが、万が一の時には誰にどのように託すことができるのか、という新たな課題に直面した。人生何が起こるか分からない。次節でその方途や向き合い方の基本や指針 について綴ることにしたい。

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    第16章 「自由の翼」を得て、海洋辞典の「中締めの〝未完の完"」をめざす
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      第1節: 嘱託として「健康管理センター」に勤務する
      第2節: 東日本大震災、早期完全離職の決断を後押しする
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