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    第5章 ワシントン大学での勉学と海への回帰(その2)
    第2節: 研究論文をもって起死回生を期す(その2)/論文「アフリカ地域と200海里経済水域」


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       第5章・目次
      第1節: 研究論文をもって起死回生を期す(その1)/地理的偶然による海洋資源の配分
      第2節: 研究論文をもって起死回生を期す(その2)/論文「アフリカ地域と200海里経済水域」
      第3節: 海洋学や海運学の面白さに誘われ、海へ回帰する
      第4節: 深海底マンガン団塊と海洋環境保全を深掘りする(その1)
      第5節: 深海底マンガン団塊と海洋環境保全を深掘りする(その2)
      第6節: 海洋コンサルタントとの出会い、そしてシアトルとの別れ




  履修必須科目であった「国際海洋法(パート II )」については、学期末に筆記試験が課されることにはならなかったが、研究 論文の提出が義務付けられることになった。バーク教授の特別の配慮と言えるものであった。さて、論文の視座・論点について首尾よく 着想できたものの、世界の全ての沿岸諸国を対象にして「200海里排他的経済水域(200EEZ)」を比較考量するのは荷が重すぎるので、 アフリカ諸国のそれに限定してのケーススタディを試みることにした。そして、地理的偶然による200EEZの設定からもたらされる 主要海洋資源の富の偏在性や不均等性について掘り下げることにした。その目途は、200EEZが不条理な資源分割をもたらす法的 レジームであるかを示しながら、世界の諸国はそれで良しとするのかを問いかけることである。
(注)200海里はほぼ370km(200×1.852km)である。

  早速、キャンパス内に所在する二つの「総合図書館」や、地理学部などの幾つかの専門図書館を渡り歩き、 アフリカ関連のさまざまな基礎資料を掻き集めることにした。先ずは、200EEZの質的・量的な差異、即ち将来的に海の富の偏在性や格差を 如実に発現させ浮き彫りにさせるであろう主要パラメーターを洗い出すことにした。そして、各種関連データを比較考量しながら 海洋資源のポテンシャルの遍在性を読み解き例示しようとした。

  データの収集・分析と平行して、論文の取りまとめ方についても模索し、かつ論文全体の概要(アブストラクト)につき思い巡らせた。 その後、精緻に論点整理や論理の組み立て行ないながら、同時並行的に「章・節立て」を試み、さらに如何なる結論を導き出すかを模索 した。最後には、200EEZレジームに関し如何なる修正提案を行なうのか、思い巡らせることにした。

  第二次大戦後独立を果たした多くの発展途上国は、一方で、「公海自由の原則」の下に資本と技術を投入し海を利用することで経済的 恩恵を享受してきた海洋先進諸国に抗し、アンチテーゼを大胆に振りかざしていた。そして、途上国は、自国沖合の水産資源や 海底石油・ガスなどの非生物資源などを囲い込み、自らの発展のために利活用したいとの観点から、少なくとも離岸200海里に及ぶ 排他的管轄水域を国際社会に認めさせたいと頑なに主張していた。

  また、途上国は他方において、200海里以遠の公海下の深海底に無尽蔵に眠るマンガン団塊などの鉱物資源につき、先進諸国が「公海 自由の原則」の名の下に独占的に開発利用し、経済的利益をほしいままに享受するのではないかと、強い危機感の下、特別な資源管理レジーム の創設を主張し抗っていた。

  即ち、途上国は、同資源を「人類の共同財産」として位置づけ、厳格な国際的規制や管理に服させるべきと主張していた。「G77」と 称される途上国グループは、大きくはこれらの二つの法制(リーガル・レジーム)の革命的とも思える創設を目指していたといえる。即ち、 一方で200EEZによる彼らの国益の出来る限りの最大化と、他方でそれ以遠の公海下にある鉱物資源についての国際共益の最大化という、 両益の同時的実現を目指していたといえる。それは、歴史的、革命的かつ壮大な主義主張といえるものであった。

  休題閑話。アフリカ大陸には50ほどの国があった。海をもたない内陸国は14か国以上存在した。例えば、マリ、 ニジェール、チャド、ルワンダ、ウガンダ、ブルンジ、マラウィ、ザンビア、ジンバブエ、ボツワナなどである。 それらの内陸国は、世界の他地域の内陸国と協調しながら、条約上のさまざまの特別的配慮を強く求めていた。

  だが、内陸国はその隣接する沿岸諸国の200EEZにおいて、法制上如何ほどのアクセス権や経済的恩恵を享受できることになるかは、 海洋法会議初期段階の議論にあっては明白ではなかった。水産資源へのごく限られたアクセスの可能性を除き、内陸国は海底石油・ガス 資源等の何らかの「適正な配分」には預かれそうもなかった。

  アフリカ大陸での沿岸諸国の海岸線の長さは世界の他地域における諸国のそれと同様に様々であった。特に西アフリカの大西洋に 面するセネガルからコンゴ民主共和国までの沿岸諸国の15か国以上が海への間口、即ち海岸線の長さはわずか2~300kmあるかないか であった。因みに、トーゴは26kmしかない。他方、最長の海岸線をもつ国はマダガスカル(2,155km)で、次いで南ア(1,462km)、 モザンビーク(1,352km)であり、その他は500~800kmを有する。因みに日本のそれは35,000kmほどもある。海岸線の長さと200EEZや 大陸棚の広さとは概して比例しており、第一義的に資源のポテンシャルを大きく左右することにつながる。

  200EEZの面的広さも千差万別である。マダガスカル、南ア、ナミビア、アンゴラ、モザンビーク、ソマリア、モロッコなどの10か国 ほどが大きく大洋に開かれており、EEZも相対的に広い。因みに、マダガスカルのEEZ面積は129.2万平方km、南ア101.7万 平方km、アンゴラは50.8万平方kmである。それ以外のアフリカ諸国は相対的に狭く、数万から数10万平方kmほどである。

  地理的不利国も8か国に達する。例えば、紅海に面するジプチ、エティオピア、エリトリア、スーダン、紅海と地中海に面するエジプト、 また地中海に面するチュニジア、リビア、アルジェリアなどである。離岸200海里まで最大限に伸長しようにも、相対国や隣接国の EEZによって袋小路のように押しこめられたりする。かくして、それらの海域では相対的に狭小な200EEZがモザイク状に ひしめき合うことになる。 

  総じていえば、アフリカ大陸を取り巻く水深200m以下の地質学的な意味での大陸棚の幅員は相対的に広くない。強いて挙げれば、 水深200m以浅の大陸棚を最も広く有するのは南アフリカであろう。チュニジアの沖合いにも水深200m以浅の大陸棚 が広がるが、沖合への伸長は余りできず、わずか8.6万平方kmと見積もられる。特に地中海や紅海では、200EEZの場合と同じく、 相対国や隣接国の大陸棚同士がその伸長をお互いに閉ざし合い、大陸棚面積は狭いケースが殆どである。

  アフリカ大陸周辺での海底石油・ガスの埋蔵の可能性は全ての沿岸諸国沖の水域において見込まれるという。だが、これまでの事実として、 アフリカ沿岸諸国の年間産出量や推定・確認埋蔵量はかなり偏在していることはデータ上明らかである。産出量が多い諸国は、 ナイジェリア、リビア、アルジェリア、エジプト、ガボンなどで、埋蔵量も相対的に多い。

  200EEZにおける水産資源の年間漁獲実績や潜在的生産可能性についても千差万別である。FAO漁業統計などに依拠しながら、アフリカ 諸国のEEZの海の豊かさ、その潜在的な経済的価値を比較考量し、図解化し「見える化」(あるいは「可視化」)を図ろうと取り組んだ。 主なパラメーターは、沿岸諸国の漁船隊、年間国別・魚種別漁獲実績をはじめ、漁業生産の潜在的可能性を示唆する植物プランクトンの 一日1平方メートル当たりの一次基礎生産量の海域別分布状況、動物プランクトンの1立方メートル当たりの湿重量などである。

  200EEZでの漁獲実績や海産品の輸出収入が多いのは、南ア、アンゴラ、ナミビア、モロッコ、モーリタニアなどである。 また一次基礎生産量の海域別分布が顕著に多く見て取れるのは、大西洋南東域の南ア、ナミビア、アンゴラ沖水域、および 大西洋中東域のモロッコ、モーリタニア、セネガル、およびコートジボアール、ガーナ、ナイジェリア沖水域である。 海洋生物学的観点からして、それらのEEZにおける質・量的豊かさはかなり抜きん出ていると見受けられる。そして、それらのEEZの 面積が広いほど、そのポテンシャルはより高くなる。

  多金属含有の海底鉱物資源が賦存する海域もある。例えば、紅海は細長く伸び、その平均的幅員はわずか数100kmであるため、 沿岸諸国は比較的に狭小なEEZとその海底・地下を分け合うことになる。 だが、紅海中央部の舟状海盆の深淵部には多金属含有泥が賦存している。泥には鉄、マンガン、亜鉛、銅などを含有する。 その他、南ア、ナミビアなどの沿岸域には、ダイヤモンド、砂金などの漂砂鉱床が賦存する。しかしこれらの鉱物資源も顕著に 偏在している。

  アフリカの沿岸諸国も、第一義的には、たまたま持ち合わせる「偶然の地理」によって海洋資源が囲い込まれ分割され、 200EEZの潜在的価値、海の豊かさや不均等性が決定づけられることになるのは間違いない。 200EEZを頑なに主張してきたアフリカ諸国としても、それがもたらすであろう様々な分配上の質量的な不均等性につき甘んじて 受認しなければならない。アフリカ諸国はそれでよしとするのであろうか。

  そもそも、200EEZは、アフリカ諸国が他地域諸国と比して抱え持つ「経済的格差」について、その縮減にどう寄与することに 繋がるのであろうか。それが、かねがね抱いていたEEZにまつわる命題であり疑義の一つであった。正直なところ、その寄与のあり方については全く未知数である。そして、一般常識的観点からすれば、地理的偶然によって海の富の分配上の不均等性を明らかに生み出すことになるEEZ レジームの創設に合理性や妥当性があるとは考えられない。

  さて、分厚い専門書を30分や1時間で読めると豪語していたルームメートのリーディング法のことに戻りたい。目からウロコの 衝撃的な速読術であり、翻ってみれば論文執筆術にも通じることであったので簡単に忘却できるようなことではなかった。特に研究論文に 取り組み始めた頃であったので、このリーディング法をライティング法として是非とも生かさねばと考えた。彼はほらを吹くようなこと なく真摯に分かりやすく語ってくれた。簡潔に述べればこういうことであった。

  専門書には大抵その巻頭に、その書全体の論旨を簡潔に取りまとめたアブストラクト(要約編)が添えられている。 先ずそのアブストラクトを通読し、図書の概要を全体的に理解する。それがなければ、章ごとに記述されたアブストラクトを第一章から 最後章まで通読する。先ずそれらを通読すれば、当該書物の論旨や概要などをかなりすばやく理解することができる。

  「章(チャプター)」はいくつかの「節(セクション)」で構成される。各節は数多くの「段落(パラグラフ、以下「パラ」という)」 でもって構成される。先ず読むべきは、各パラの最初と最後の文章である。そのファースト・センテンスでは、筆者はそのパラにおいて 何を論述したいかを的確に記しているはずである。

  ラスト・センテンスには、そのパラの結論が記されている。そして、両センテンスの間にある諸々の文章は、ラスト・センテンス にいう結論に導いたところの理論やその他の説明書きなどが配されている。必要に応じてそれらの文章を読むことにすればこと足りる。 不要ならば次のパラのファーストとラスト・センテンスへと進む。こうして、各パラの最初と最後のセンテンスを迅速に 通読しながらも、どうしても理解を深めておきたいというのであれば、両センテンス間にある説明書きに目を通しておく。

  「アフリカ諸国と200EEZ」 での論理の組み立て及び執筆作業を進めるに当たり、このリーディング術を何度も肝に命じ、ライティング 上で応用すべく取り組んだ。ルームメートに教わったのは専門書の読み方であったが、結果的に教わったこととしてはその書 き方であった。論文執筆においてこの手法がどれほど役に立ったことか計り知れなかった。何故ならば、恥ずかしながら過去において この術を全くわきまえずマスターもしていなかったからである。

  専門書や学術論文などにおいてそういう論理の組み立て方がなされていないと、読者はリーディングに際してつっかえたり、内容を 理解する上で困難や混乱を引き起こすことになるという。彼が示唆したかったことはまさにそのことであった。これはいわば 「コロンブスの卵」であり、目からウロコの学びであった。研究論文づくりにおいて真剣にこの手法と向き合った。これを十分 わきまえずして、説得力があり高いスコアをマークできる論文を仕上げることはできないとの思いで、この手法を常に頭の片隅に置きながら 日々の執筆に取り組んだ。

  休題閑話。当時の第三次海洋法会議における世界的潮流を俯瞰して思うことがあった。地理的偶然によって囲い込まれる海洋の富 に対する諸国間の大きな不均等性や不公平性をもたらすことを理由にして、「G77」に対して200EEZの主張を撤回あるいは抑制 すべきであると語りかけることは、説得力のあることであったであろうか。

  世界の内陸国はもちろんのこと、いずれの沿岸諸国も海洋資源の偏在性や不均等性 に甘んじることになることは明々白々であった。だが、結論的には、200EEZの国際法秩序化は不可逆的であり、またその放棄を 求めることは最早到底不可能な趨勢であったことも明白なことと思われた。

  国際社会は地理的偶然による200EEZの制度化を通じて地球的規模での不均衡、不合理、不公正な富の分配に向かって歩み出していた。 将来のそんな富の偏在の固定化を少しでも緩和するため、その幅員を200海里から50海里へ(あるいは100海里へ) 縮減すべきではないかと論じたかった。

  そしてまた、それ以遠の海を「公海」よりもむしろ「国際区域」と定義し、海中、海底、その地下に賦存する資源を国際機構の 管理に服させるようにすべきである、という結論に導きたかった。

  端的に言えば、沿岸国が排他的管轄権下に置くべきは、離岸200海里までの海域ではなく、せいぜい離岸50海里(あるいは100海里)以内に抑制 すべきである。可能な限りより広い海域とより多くの海洋資源を国際社会全体の共有財産として位置づけ、国際社会へその収益の一部を 還元すべきである、というのが視座であった。

  だが、国家の主権や既得権益と言う髙い壁がそこに立ちはだかっている。世界的にみて、水深200mまでの地質学上の大陸棚の 平均的離岸距離は75km(ほぼ40海里)であった。それをEEZの限界にすることも一策ではあった。だが、到底それではすまなかった。 当時の成文法であった「大陸棚条約」では、沿岸国の大陸棚への主権的権利は、「水深200mまで、若しくは開発可能なところまで」 及ぶと規定され、実に曖昧な定義であった。そして、実際には既に、その権利は「沖へ侵食しつつある管轄権(creeping jurisdiction)」 として、陸棚斜面を超えて更に大水深へと拡張されつつあった。

  資本や技術があろうとなかろうと、200海里を超えて水深200m以浅の大陸棚を延伸できる沿岸諸国は、自国陸地の自然の延長をたどって200海里をはるかに超える所まで その主権的権利を要求していた。

  他方、地質学上の大陸棚が極めて狭い沿岸国は、逆に、水深にかかわらず離岸200海里 までの管轄権を要求していた。海洋法会議での関心事はもはや、EEZの限界を少なくとも離岸200海里としながら、水深200m以浅の大陸棚がそれを 超えて延びている場合は、さらに何処までを限界にするかということであった。趨勢を逆回転させてEEZの幅員を50海里あるいは100海里まで 抑制し縮減するという案はもはや非現実的と思われた。国際社会では200EEZの法制度化は押し戻せないほどに大きな潮流となっていた。

  200海里幅のEEZはやむ得ないとしても、世界的規模において地理的偶然による海洋資源の分配がもたらす不公平性や不均等性を 和らげるための何がしかの合理的かつ妥協の成立を期待しうる法制に関する提言は最早ありえないのか。それが次の論点であった。

  そこで提言した一つのレジームは、離岸50海里(あるいは離岸100海里)から200海里の間にある公海における水産資源や非生物資源 の開発・利用から生まれる生産価額の何パーセントかを、国連機関などを通じて国際社会に「国際税」として納付し、何がしかの 国際的共益金(公益金)としてプールし、途上国の社会経済的発展のためのリソースに資するというアイデアであった。 例えば一人当たりGDP2,000ドル以下の途上国などへ特別に配分(あるいは極低利で融資)することができよう。これは200EEZ法制のフレームをかなり根本的に変えるものであった。

  論文執筆は1975年のことであったが、ここで時間軸を現在に巻き戻して一言触れたい。「国連海洋法条約」は国連外交会議10年を経て 1982年にようやく採択されたが、その条約第82条に重要な規定が盛り込まれている。 「離岸200海里を超える大陸棚」における非生物資源の開発によって得られた、生産価額または生産量の1%を、現物拠出するか、または 支払うという義務である。その資源の純輸入国の場合にあってはその義務は免除される。手続きは「国際海底機構(ISA)」という深海底の鉱物資源の 探査・開発・管理を行なう機関を通じてなされる。徴収額は、後発発展途上国、内陸国の利益と必要に考慮を払って、 衡平な分配基準に基づき配分されると規定される。私は、この規定をずっと後で知ることになった。

  ところで、第二学期を振り返れば、大抵は深夜まで研究室に閉じこもり、資料などの通読や論文作成などに向き合う日々を送った。 前学期にマークしてしまったスコア「C」のリカバリーという、強迫観念的な思いが心底にあったことは間違いないが、 上述の命題の下での論文作成にはそれなりの面白さと取り組み甲斐を感じていた。

  平日の5日間は授業出席や研究室での勉学に専念した。朝9時頃から研究室に詰め、寮に帰えるのはいつも深夜で、 寮には寝るために帰るだけであった。週末の土日は狂ったかのように徹底的に気晴らしに努めた。学究のことを完全に忘れたり、 勉学以外の楽しみを見い出し、それに専念して気分転換を図るようにした。さもなくば、週末での気晴らし不足がたたって 一種の雑念が次週に蘇るようでは、平日での勉学に再び専心することができなくなるからであった。

  提出期限が迫る頃には研究室に毛布を持ち込み、深夜机上に体を横たえて束の間の仮眠を取り疲れを和らげたり、 時にはそのまま朝まで眠り込んだりもした。ある日の早朝に、バーク教授の女性秘書が研究室に届け物をするため合いカギをもってやってきた。 たまたま私が机上で寝ていて目を覚ましたために秘書はびっくり仰天したこともあった。論文の完成に向けて最後の追い込みに入った 頃には泊まり込みも日常的となってしまった。

  当時、我々学徒にとって論文執筆上必需にしたツールはタイプライターであった。IBM社製の中古品を200ドルほどで買い取ることができた。 タイプライターは思いのほかアームが重々しく、指でしっかり押さないとアームが勢いよく跳ね上らず、明瞭に印字できなかった。

  とにかく重いアームで長期間打ち込み作業をすると、指が疲れてきて上半身すらもくたびれた。片手2本ずつの指でいわば二本打法的 にタイプするのが精一杯になってしまったこともしばしばであった。当時ワープロやパソコンがあった訳でなく、何度も打ち直しするのは 拷問のようであった。それでも、論文完成の目処がたった頃は、気分も晴れ晴れしくなり、指の関節痛も肩こりも取るに足らない軽症ほどの ことに思えた。

  先ずルームメートに初稿の校正を頼んだ。彼は快諾してくれ、真剣に校正に向き合ってくれた。100ページほどの論文に目を通しながら、 赤ペンで修正やコメントを入れてもらった。彼としてはいろいろと細かく手を加えたかったかもしれないが、 赤ペン修正箇所が意外と少なくて済みほっとした。仔細にわたり手を加えると、全てのページをリタイプすることになりかねず、それでは 大変過ぎると慮ったのかもしれない。それとも微細にチェックするときりがないので、時間と労力をほどほどに節約したのだろうか。 それは分からないが、赤ペン修正箇所を中心に諸々手直しした上で、バーク教授に期限通り提出できほっとした。

  1、2週間後に教授室に呼ばれその結果を得た。バーク教授は真面目な面持ちで、スコア「A」だ、と言ってくれた。そして、即座に、 誰かに見てもらったか否かを問われた。すかさず「ルームメートにチェックしてもらった」ことを正直に答えた。彼はそれについて特に コメントしなかったが、彼の顔からは「さもありなん」と言いたげな表情を読み取った。後で知ったことであるが、その論文はロー・スクール の「ジュリス・ドクター・コース」の学生たちのリーティング文献リストに入れられた。これで少しは自信になった。 名誉あることで嬉しかった。

  他のターム・ペーパーの提出も終えて開放感と虚無感のミックスしたような何とも言えない気分に陥った。 そして、「国際海洋法(パート I )」の成績をリカバリーでき、学業を続ける希望と意欲が湧いてきたことが何よりも嬉しかった。 「留学からドロップアウトして、失意のうちに帰国することになるのでは」と、前期末にあっては人生で最も落ち込んでいた。しかし、 今は、留学を続け国連海洋法担当法務官を目指すという、自身の正気さを取り戻すことができた。そのことが何よりも今後の 励ましとなった。それに、少しは語学力不足の汚名を返上できたことも大変嬉しいことであった。

  その頃のことだが、バーク教授から「海洋総合プログラム」における最初の日本人留学生は私であることを知らされた。今回のスコア「A」で ドロップアウトという「自爆」に陥ることなく、また何よりも、留学に当たってお世話になった恩師などに大恥をかかせてしまう ことがなかったことに改めて安堵した。私的には第二学期を何とか乗り切れたことに胸を熱くした。そして、枯れ木が息を吹き返した かのように心は晴れ晴れとしていた。もっと言えば、第三学期には明るい前途が待ち受けているとの思いが自然と込み上げ、 高揚感に酔いしれていた。



[参考資料] 留学時代におけるターム・ペーパー(Unpublished Academic Papers)
[注] Q: Quarter/学期

    ● 1th Q:『Warships and Transit through Territorial Straits: Sould Missile-carrying Nuclear Submarines Pass Submerged or on the Surface? (軍艦とその領海化された国際海峡の通航:核搭載潜水艦は沈航又は浮上通航すべきか?)』、 Independent research paper、1974年12月 Prof. William T. Burke (Law School, University of Washington)へ提出、p.46

    ● 2nd Q:『The African Developing Nations and the 200-mile Exclusive Economic Zone (アフリカ発展途上国と 200海里排他的経済水域)』、米国ワシントン大学ロースクールIndependent Research Paper、1975年3月 Prof. William T. Burkeへ提出、p.91

    ● 3rd Q: 『Japan and the Creation of New International Law of the Ocean Space: Japan and a 200-mile Exclusive Economic Zone (日本と新海洋法の創造:日本と200海里排他的経済水域)』、米国ワシントン大学ロースクール Paper for Ocean Resources Seminar、1975年6月 Prof. T. William Burkeへ提出、p.45

    『Supertanker, Navigation, Pollution (タンカー、航行及び汚染)』、1975年5月 Prof. Douglas K. Fleming (Department of Geography, University of Washington)へ提出、p.21

    ● 3rd Q or summer Q:『200海里排他的経済水域に基づいた漁業資源の配分』、1975年 Prof. Edward Miles & Prof. Christy (Institute for Marine Studies, University of Washington)へ提出、p.15

    『Deep Seabed Mining, Potential Environmental Impact and Legal Protection of the Marine Environment (深海海底マンガン団塊 開発に伴う海洋環境へのインパクトとその環境の法的保護制度について)』、1975年 Prof. William T. Burkeへ提出、p.60


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    第5章 ワシントン大学での勉学と海への回帰(その2)
    第2節: 研究論文をもって起死回生を期す(その2)/論文「アフリカ地域と200海里経済水域」


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      第2節: 研究論文をもって起死回生を期す(その2)/論文「アフリカ地域と200海里経済水域」
      第3節: 海洋学や海運学の面白さに誘われ、海へ回帰する
      第4節: 深海底マンガン団塊と海洋環境保全を深掘りする(その1)
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