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    第10章 国際協力システム(JICS)とインターネット
    第2節 調査団員の人繰りに明け暮れる


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     第10章・目次
      第1節: 食糧増産援助(2KR)は優れもの
      第2節: 調査団員の人繰りに明け暮れる
      第3節: インターネットの世界を熱く語る「M」さんとの出会い
      第4節: ネットサーフィンと海洋語彙集づくりの輝く未来
      第5節: 自作ホームページに鳥肌が立ち感涙する



  国際協力システム(JICS)勤務2年目の1995年5月、業務第2部の「2KR課」から横滑りして、すぐ隣の「計画調査課」に異動した。 2KR課は、JICAから直に委託を受けて、日本政府による発展途上国での食糧増産のための無償資金協力に専属的に関わっていた。 他方、計画調査課は、同じくJICAから直の委託を受けて、多種多様な資機材を対象とした無償資金協力のための海外調査を担っていた。 その海外調査を大きく分類すると、無償資金協力のための「事前調査」、「フォローアップ調査」、「簡易機材調査」の3種類であった。因みに扱う機材としては、ブルドーザーやローダーなどの道路整備用機材、国公立 病院の医療用機器、食品や医薬品の化学的精密検査機器、消防車両、港湾でのコンテナの積み降ろしのための昇降装置、公立音楽劇場の 音響装置や楽器類、移動式井戸掘削装置やポンプなどさまざまであった。

  「事前調査」では、被援助国から提出された要請書を分析しても資機材の利用計画、妥当性などを十分把握できず、そのためその基本設計調査 に着手することが困難である場合、「事前調査」という名の予備的な現地調査を行なう手法が採られた。被援助国から供与要請された資機材について、その要請の背景、機材の使用計画、その規模 ・数量の妥当性、調達の概算額などについて現地調査を行なう。JICAによってJICSの調査対応能力が考慮されるが、毎年の事前調査受託件数 は何十件にも及んだ。

  調査に従事するJICS団員は通常2名であり、調査内容に合致する専門的知見や調査経験をもつプロパー2名を各調査にあてがうのが理想的で あった。しかし、調査件数が立て込んでくると、そんな知見と経験を有する団員1名を確保することさえ困難になることも多かった。 知見や経験が乏しくとも何とかもう一名を課内・課外から人材を見い出さざるを得なかった。さもなければ、JICS組織 外から調査人材1名をそれなりのフィーを支払ってリクルートし、社内人材と組み合わせて調査チームを編成する他なかった。 いわゆる「外部補強」というやり方であった。当然、その場合JICSの実質的な「儲け」はなかった。 だが、JICAの海外調査に従事するはずのJICA登録コンサルタント企業から人材を補強することは、JICAがJICSを特命随契の相手方に指名する ことと相容れず、またJICAの制度を形骸化させることになるので認められなかった。

  それでさえも社内の調査従事可能人材が不足する状況下で、無償資金協力のもう一つの調査形態である「フォローアップ調査」が加わり、人繰りの困難さに拍車をかけた。 フォローアップとは、過去10年ほどの間に被援助国に無償供与された資機材に関し、経年の劣化や、いろいろな人為的起因による故障 などでその機能が低下あるいは喪失したものについて、被援助国の自助努力ではどうしても対応できないことから、不具合の箇所を特定し パーツを供与することなどによって、所定の機能を原状回復させ、さらに有効に利活用してもらうことを目的として行なわれる海外 調査である。要するに、資機材の所期機能が再生されるよう修理を行うなどの必要な支援を被援助国に行なうものである。

  公立学校・病院などの施設、道路・橋などの構造物などを対象とするのではなく、消防用機材、車載の移動式地下水 掘削装置、道路舗装・修理用機材、地雷掘り起こし装置、国公立病院の医療機具など、原則としてあらゆる無償供与機材を対象とした。 多岐にわたる資機材の不具合箇所を見極め、そのパーツを的確に特定できる技術者をリクルートすることはそう簡単ではない。 特定の製造メーカーは自社製品ならともかく、他社メーカーの機材を修理することはほとんど受け入れない。修理できないと責任が問われかねない からである。いずれにせよ。仕事が一時期に過度に集中することが最大の悩みであった。両調査合わせれば毎年30~40件以上の件数となった。 調査経験や能力に不安のある課員でも、他のベテラン団員とのマッチングを考えつつ調査に参団してもらうことも多々あり、忸怩たる 思いがあった。

     補強のことに戻るが、JICAが無償供与資機材の海外調査において一般競争入札によるコンサルタント選定ではなく、公益法人としてのJICSを 特命随意契約相手方として指名するのは、JICSにそれだけの技術力をもつ人的資源が備わっていることを大前提にしている。また、 公益法人の設立趣旨と定款に抵触しない形での調査の受託であることも大前提である。社外人材から「補強」するにしても、 JICAに登録する企業や個人コンサルタントからの補強は認められないので、調査団員数が2名であれば補強は1名のみ可能となる。仮に 団員数3名のところに2名を補強すると50%を超えることとなり、JICSを特命随契相手方とするという制度とは馴染まないことになる。 このように専門人材の補強も厳しい制約下にあった。

  JICAからの海外調査の委託件数が増大し、さらに実施時期が集中することになると、JICS団員のもつ専門的ノウハウのレベルや 他業務へのアサイメントとの重複の回避、本人の体調などを加味しながら手当てするにしても、絶対的に限られた人的資源状況下では、 調査団の組み立てはすこぶるタイトとなる。専門性のあるプロパー人材の不足もあって、クライアントのJICAの要望に応え きれず、限界ぎりぎりの対応で日々四苦八苦であった。かと言って、社外からの補強団員のリクルートも容易なことではなかった。 極限られた期間内に特定分野の技術的有資格人材を都合よく数週間だけリクルートすることには限界があった。

  一時期に調査業務が集中することも多く、オーバーフローして消化できない状況が往々にして生まれた。 また、扱う分野が広いので、社内人材で全ての分野をカバーできるほど人的資源は潤沢ではなかった。 そのオーバーフローを少しでも緩和すべく、需要の多い分野の人材を正社員として雇用し育成を図り、クライアントの要望に応える 必要があった。上司や経営幹部にその人材リクルートを訴え続け、2年目にして専門性の髙い人材数人が採用された。 大いに助けとなったが、それでも調査団員の人繰りは、いつも厳しい戦いとなり日々悩みは尽きなかった。 そうであっても、もちろんギブアップするわけにはいかず、走りながら考えざるを得なかった。

  多数にのぼる事前調査とフォローアップ調査において、専門性と経験のある団員を派遣することはいつも難題であり、私的には、 仕事のエネルギーのほとんどを人繰りに費やしたといえる。年間延べ100人近く調査に送り出し、かつ 調査の成果を確保せねばならなかった。人繰りにギブアップするすることなく、肝を冷やす日々を送りながらも、受託した調査案件を いかにやり通し、クライアントの期待に応えるか、その知恵を搾りに搾った。だが、到底一人では限界があった。

  調査課には3名の課長代理がいて、偶然にも3人とも血液型は「B」で押しが強く、個性がまるで違っていた。彼らの意見調整に日頃から エネルギーを大分「消費」したが、人繰りや調査の難局において、プロパー代理の経験とノウハウを遺憾なく発揮し、 そのお陰で難局を切り抜けることが多くありがたかった。彼らの奮闘振りは頼もしく、多々助けられた。受託の全ての海外調査を何とか やり過ごす時の重圧感は半端でなかったが、調査課全員の頑張りで、毎年の派遣のピークを乗り切ることができ、真に皆に感謝であった。

  その他、「簡易機材調査」という重要な調査業務があった。被援助国から要請された資機材内容が単一的で 簡易なものである案件については、JICAとの特命随契の形で、機材内容や利用計画の妥当性、概算見積もりなどの基本設計を行なう 海外調査を委託されると共に、その調査後にはJICAからの推薦を受け、JICSが被援助国政府の代理人となり、 機材の詳細設計、入札図書作成、入札補助、資機材の納入・据え付け、技術指導などのいわゆるコンサルティング業務を行い、 その報酬を得た。その報酬は援助額の中に含まれていた。このような海外調査 (いわば資機材の「基本設計調査」) に加え、 資機材の実際の調達・据付、技術指導までの業務を行なうことに全責任を担うのがプロジェクト・マネージャー(略してプロ・マネ。 プロジェクトの主任従事者・統轄責任者)であった。

  JICS勤務中、このプロマネを何度か経験し、多くを学んだ。JICAでは経験したくてもできない職務であった。 それは純然たる民間コンサルタントがJICAから請負う業務であり、特にトラブルに巻き込まれた時には、その緊張感は時に半端ではなかった。 資機材の入札に参加する商社、およびその背後に控えるメーカーにとっては、何億円もの儲けがどっしりと彼らの両肩に懸っていた からである。激しい競争の世界がそこにあった。プロマネ業務のいろいろな局面でどろどろとした闘いに巻き込まれ、時に血の気を失う局面も あった。とは言え、JICSでの調査における最たる醍醐味は、法人として存続して行くための糧を稼ぎ、その健全な収支バランスをとる ことに寄与する一方で、クライアントであるJICAや被援助国政府の期待に応えつつ、JICSの社会的使命と国際貢献を果たすことである。

  JICAとJICSとの立ち位置の違いについて少し触れておきたい。JICAは、外務省など4省によって兼轄される政府系特殊法人であり、 その職員は国家公務員そのものではないが、法律上公務員とみなされる。事実上公務員と同じである。 JICAは公的機関として、その職員の人件費も事業費もすべて国家予算によって賄われる。職員は途上国援助のために国家予算を最大限有効に 「使う」だけで、その仕事を通じてお金を一円たりとも「稼ぐ」ことはない (もっとも、投融資制度が運用されることで、例えば民間 企業に貸し出したJICAローンの利息収入や、また発展途上国に融資した円借款における利息収入などはある。だがその収入は国庫に 歳入され、役職員の俸給などのために内部で分配される訳ではない)。 要するに、事業遂行による稼ぎはなく、また稼いではならない。私としては、JICAでは、途上国の「国づくり人づくり」のためにお金を 使うことしか知らなかった。仕事によって自身の生活の糧を稼ぎ出すという世界から全くかけ離れたところに身を置いていたのである。

  他方、JICSは外務省によって認可され、同省やJICAから仕事を委託される公益法人である。その業務の柱は、外務省やJICAが発展途上国 に対して行う政府開発援助(ODA)の技術協力・無償資金協力に関連する資機材の調達について側面支援することである。ODAの一端を担うことを もって国益や国際共益に貢献する法人である。その意味で、JICAとJICSは基底において同じ立ち位置にあると言える。 しかし、大きな違いがあった。

  JICSは民間の公益法人である限り、法人としての収入源をいくばくか自ら確保し、経営上その健全な収支バランスを 維持しなければならない。仕事を通じて最大収益を追求し、大儲けをする必要はないが (一定の収益を得れば税金が課せられる)、 少なくとも健全な収支バランスを維持する必要がある。要するに、役職員120名ほどの所帯のJICSは、必要な生存のための糧を自ら 確保し続けなければならない。

  だが、JICSは純粋な民間企業ではないので、その存続のために民間企業と同じ土俵上で営業活動を展開し、 民間企業と生存を懸けた商業的競争をする必要はない。JICS業務については、その定款上、特命的に任される システムになっており、特命随意契約をもって受注する。予算上の上下変動はあるものの、外務省やJICAから年間一定の仕事量が担保 されているといえる。仕事の受託上、いわば特別の「座布団」をもっている。もっとも一定の限度・条件を越える場合には特命の 恩恵を受けることはない。

  さらに言えば、仕事を得るためにJICS職員は、外務省やJICA、民間企業などに飛び込み、調査などの役務を売り込むなどの営業活動 を行なったり、新しいクライアントを開拓することもない。民間企業と競争して、職員が足で稼いで仕事をもらってくる訳でない。だが、 外務省やJICAから委託が滞れば、生存の糧を減ずることになるので、経営陣はそうなら ないように常にアンテナを張り、安定して一定量の仕事を受託できるよう、ある意味の「営業努力」に務めることになる。 職員もそれなりに調査を安定かつ円滑に受託できるよう、実務関係者と良好な関係を維持し、また調査の精度と成果を高め続けること が必要になる。民間企業のように最大益を追求する立場にはないが、稼ぎを得ながらその健全な収支バランスをとることが求められる。 そして、中間管理職の私は、委託された仕事を指の間から漏らし落とさぬよう、職員と共に人繰りなどにも最善を尽くす ことが必須であった。

  ところで、JICAとJICSの立ち位置の違いを身をもって知ることになった。JICAでは、被援助国の国づくりのために国家予算をいかに 有効に使うかを使命とする世界に没入していた。だが、JICSでは、外務省やJICAに役務を提供 (コンサルティングワーク) し、 収入を稼ぎ、結果として社会貢献を果たすという立場であった。稼ぎを得ねばならない立場と、稼ぐのではなく使うだけの立場の違い は身に沁みた。外務省・JICAは、国益と国際共益のためにお金を「使う人」であり、JICSはお金を「稼ぐ人」であった。外務省やJICAは、 JICSからすれば有り体に言えば「クライアント、顧客様」、仕事の「発注主」、そして「金を支払う側」であり、JICSは民間の 「受注者」であり、仕事をして報酬としてお金を「支払ってもらう側」であった。この違いは大きい。とは言え、実は世の90%以上の 方々が生きる「民間の世界」では全く普通のことである。そんな当たり前の世界に3年間過ごしただけと言える。だが、その世界は私には 衝撃的であった。

  契約ベースでJICS職員一人当たり2千万円ほどの稼ぎ(契約ベースで)が至上命題であった。JICS着任当初は、いきなり甲乙関係の「乙」 といういわば「使ってもらう側」、「使われる側」の立ち位置となり、大いに違和感をもち戸惑った。また、法人として の収支バランス上、調査契約件数のノルマを果たさねばならないというプレッシャーに立ち向かいながらの勤務であった。 だとしても、JICSにおける醍醐味は、日本政府(外務省)、被援助国政府、JICAなどのクライアントの期待に応えるべく、ノウハウと役務を提供し、 人繰りに心血を注ぎながらも、役務の結果としての生活の糧を自ら稼ぎ出し、さらに法人の収支バランスに寄与しつつも、何はともあれ エンドユーザーである途上国の国づくりへも貢献するという、崇高な使命の一端を果たすことにあった。

  また、無償資金協力の複雑なスキームについて、その実務運用を通じて、JICAや被援助政府から報酬をいただきながら学ばせてもらい、 その経験値が飛躍的に広がったことに感謝である。入札図書作成におけるコツどころ、応札者が目をギラギラさせて社運を懸けて参加 する入札での緊張した対応、その他いろいろなトラブルシューティングの経験など。無償資金協力の世界をほとんど知らずJICSへ 出向いたが、そのスキームを3年間学び、JICA復職後は再び無償協力業務に携わり、足掛け6年近くも関わることになった。 JICSでその面白さだけでなく、そのこわさをも知った。時に利害が死活的に絡むどろどろとしたビジネスの競争世界での人間の生きざま、 企業やその社員が置かれた凄まじい生存競争をも見た。

     JICS着任当初暫くは、立場上の逆転から来る「違和感」を感じながら仕事に向き合い苦悶苦闘することも多かったが、 その違和感を跳ね返し、JICSの仕事や立ち位置に自信と誇りを持って、クライアントを側面支援し、かつ報酬をいただくという日々業務に 情熱を注げるようになるまでには、確かにそれなりの期間を要した。

  純民間企業におけるように連日連夜営業活動を行ない、生きるか死ぬかのような生存競争を強いられて過ごしたJICSでの勤務ではな かったが、クライアントに「使ってもらう側」、「報酬をいただく側」の立場に立って初めて見えて来るものが幾つもあった。 JICAでは体験できなかったことを通じて、私的には貴重で価値のある知恵を授かったと感じる。JICAとJICSの立ち位置の違いは大きく、 また互いに背負っているものも違っていた。JICAとは真逆の立ち位置にいるJICSでの勤務体験を経て、人生や仕事への向き合い方がどこか 変わったような気がする。自身の人間力に磨きをかけ続けること、その人間力をもって全力で事に当たることの大切さを学んだ。 JICS勤務の最後章においては、JICSでの仕事に大きな喜びと誇りとを感じることができたことが最高に嬉しかった。

  さて、JICS勤務中の1995年のこと、中米ニカラグアへ道路整備機材の簡易機材調査のために赴いた。JICSのいわばインハウス・コン サルタントの森氏らと出張を共にした。それが運命的出会いとなった。彼氏を通じてインターネットを知ることになり、後にはネットを 通じて海洋語彙集を世界に発信し、世界とシェアできることへの道を切り拓くきっかけを得た。JICS勤務において、海のことと繋がる ことなど予想だにしなかった。森氏はインターネットとは何かについて熱く語りかけ、その指南を受けた。帰国後には、ネットサーフィン のデモンストレーションをもってネット世界の入り口まで導いてくれた。そして、ついには海洋語彙集をホームページとして世界に情報発信 できるところまで行き着いた。語彙拾いを諦めずに地道に10年ほど続けていたが、その先の展望は何一つ見通すことはできなかった。だがしかし、 インターネットは私に「運命的な光」を差しかけることになった。そして、その後の人生に画期的な新目標をもたらすことになった。 JICSへの出向は人生の「回り道」でも「遠回り」でもなかった。振り返えれば、海洋語彙集のホームページづくりへの最も近道を歩むことに なったのかもしれない。

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