国際協力システム(JICS)での勤務2年目の1995年5月、「業務第2部2KR課」から横滑りして、すぐ隣の「計画調査課」に異動した。
2KR課は、JICAから直に委託を受けて、日本政府による発展途上国の食糧増産のための無償資金協力に専属的に携わっていた。
他方、計画調査課は、同じくJICAから直の委託を受けて、多種多様な機材を対象とした無償資金協力のための海外調査を担っていた。
その海外調査を大きく分類すると、無償資金協力(一般無償)のための「事前調査」、「フォローアップ調査」、「簡易機材調査」の3種類であった。
因みに扱う機材としては、ブルドーザーやローダーなどの道路整備用機材、国公立病院用の医療機器、食品や医薬品の理化学的な精密検査
用機器、消防車両、港湾でのコンテナの積み降ろしのための昇降装置、国公立音楽劇場などの
音響装置や楽器類、移動式井戸掘削車両やポンプ、地雷探知・除去関連機器など多種多様であった。
「事前調査」では、被援助国から提出された公式要請書だけでは機材の利活用計画、妥当性などを十分把握できず、それ故一足飛びに
「基本設計調査」を着手するには困難と判断される場合、「事前調査」という名の予備的な現地調査を行なうという手法が採用された。
被援助国から要請された機材について、その要請の背景、機材の使用計画、機材内容・数量の妥当性、保守・維持費や人的資源の
手当て見込みなどについて現地調査を行ない、帰国後機材調達に当たっての概算額などを見積もる。調査実施に当たってJICAは、
JICS側の調査態勢やタイミングが考慮されるが、毎年の事前調査受託件数は何十件にも及んだ。
現地調査に従事するJICS団員は通常2名であり、語学能力を十分考慮しながら、調査内容に合致する専門的知見や調査経験をもつ
プロパー職員2名をあてがうのが理想的であった。しかし、調査件数が立て込んでくると、知見と経験を有する有資格な職員1名を
確保することが精一杯となることが多かった。知見や経験が乏しくとも何とかもう一名を課内から人材を見い出さざるを得なかった。
さもなければ、JICSの他部署から応援職員を借りて来るか、それが不可能だらば組織外から調査人材1名を高額な対価を
支払ってリクルートし、課内人材と組み合わせて調査チームを編成する他なかった。後者はいわゆる「外部補強」というやり方であった。
当然、その場合ほとんどJICS側の実質的な収益にはならなかった。
JICAの海外調査に従事するとの前提に立ってJICAにコンサルタント登録をしている法人の社員を、あるいは個人登録のコンサルタントをJICA
調査に補強することには問題があった。即ち、JICA登録コンサルタントを差し置いて、JICSを特命随意契約の相手方に指名すること
(JICSに調査実施の特別枠を認めるという制度)と相容れないばかりか、JICAの制度を形骸化させることに繋がることから認められる
ものではなかった。
それでさえも社内では調査従事可能人材が不足する状況下で、無償資金協力のもう一つの調査形態である「フォローアップ調査」
が加わり、人繰りの困難さに拍車をかけた。JICSにとってのフォローアップとは、過去10年ほどの間に被援助国に無償供与された
機材に関し、経年の劣化や色々な人為的起因による故障などでその機能が低下あるいは喪失したものについて、被援助国の自助
努力ではどうにも対応できないことから、不具合の箇所を特定し修復するなどしてその機能を回復させ、引き続き有効に利活用して
もらうことを目的として行なわれる海外調査である。特定したパーツを日本で調達後、修理チームを派遣し現地で修理するなどの
支援を行なうことが多い。
公立学校・病院などの施設、道路・橋などの建築・土木構造物などを対象とするのではなく、消防用機材、車載の移動式井戸
掘削装置、道路舗装・補修用機材、地雷の探知器・改修のための重機、国公立病院の医療機具、職業訓練校の各種実習機材など、原則としてあらゆる無償供与機材を対象とした。
多岐にわたる資機材の不具合箇所を見極め、そのパーツを的確に特定できる技術者をリクルートすることはそう簡単ではない。
製造メーカーは、自社製品ならともかく他社メーカーの機材を修理することはほとんど受け入れない。首尾よく修理できない場合にはその
責任が問われかねないからである。いずれにせよ、計画調査課では仕事が一時期に過度に集中することが最大の悩みであった。両調査
合わせれば毎年30~40件以上にも上った。調査経験や能力に不安のある課員でも、他のベテランの有資格職員とのマッチングを考えつつ、
何とか調査に参団してもらうケースも多々あり、忸怩たる思いがあった。
外部からの補強のことに戻るが、JICAが、無償供与機材の海外調査において一般競争入札によって選定されるコンサルタントではなく、
公益法人としてのJICSを特命随意契約の相手方として指名するのは、JICSにそれだけの技術力をもつ人的資源が備わっている
こと、また経皮的にもより低価格かつタイム・セービングにして調査を履行できることなどを大前提にしている。また、
公益法人の設立趣旨と定款に抵触しない形で受託し、かつ民間コンサルタントの受注量に深刻な影響を及ぼさないことも暗黙の了解事項に
なっている。もちろん、既述の通り、社外人材を「補強」するにしても、JICAに登録する企業や個人コンサルからの補強は
認められない。結局のところ、調査団員数が2名の場合であれば、外部からの補強は1名のみ可能となる。仮に
団員数3名のところに2名を補強すると50%を超えてしまい、JICSを特命随契相手方とするという制度とは相容れないことになる。
このように専門人材の補強も厳しい制約下にあった。
JICAからの海外調査の受託件数が増大し、しかも実施時期が集中することになると、JICS団員のもつ専門的ノウハウのレベルや
他業務でのアサイメント(従事)との重複の回避、候補団員の体調など総合的に加味しながら調査業務を割り振ったりするにしても、
絶対的に限られた人的資源状況下では、調査団の組織化組はすこぶるタイトとなる。専門性のあるプロパー人材の不足もあって、
クライアントであるJICAの要望に応え切れず、日々四苦八苦しながら限界ぎりぎりの対応に追われていた。かと言って、社外からの
補強団員のリクルートも実際のところ容易なことではなかった。極限られた期間内に特定分野の技術的有資格をもつ人材を都合そんなに
よく数週間だけリクルートすることは、よくよく考えればJICSの手前勝手なことと言わざるを得ないものであった。
一時期に調査業務が集中し、オーバーフローして消化できない状況が往々にして生まれた。
また、扱う分野が広いので、社内人材で全ての分野をカバーできるほど人的資源は潤沢ではなかった。
そのオーバーフローを少しでも緩和すべく、需要の多い分野の人材を正社員として雇用し、その育成を図り、クライアントの要望に応える
必要があった。直属の上司や経営幹部にその人材リクルートを訴え続け、2年目にして専門性の髙い人材が若干名か採用された。
大いに助けとなった。だが焼け石に水であり、調査団員の人繰りは相変わらず厳しく悩みは尽きなかった。
そうであっても、もちろんギブアップするわけにはいかず、走りながら考えざるを得なかった。
多数にのぼる事前調査とフォローアップ調査などにおいて、高い専門性と経験のある団員を派遣することは
いつも難題であり、私の仕事のエネルギーのほとんどを人繰りに費やした。年間延べ100人近い人材を調査に送り出し、かつ
調査の質を確保せねばならなかった。人繰りにギブアップすることなく、日々肝を冷やしながらも、受託した調査案件を
やり遂げ如何にクライアントの期待に応えるか、その知恵を搾りに搾った。だが、もちろん一人でこなすには限界があった。
「計画調査課」には3名の課長代理がいて、偶然にも3人とも血液型は「B」であり、その特性として個性が強く押しも人並み以上で
あった。彼ら三人の意見調整には日頃から思いの外エネルギーを「消費」していたが、調査の人繰りなどの難局において、プロパー代理三
人は経験とノウハウを遺憾なく発揮した。そのお陰で何度も難局を切り抜けることができ助けられた。彼らの奮闘振りは頼もしく、
感謝し過ぎることはなかった。毎年度受託の全ての海外調査を何とかやり過ごすに当たっての重圧感は半端でなかったが、三人の代理を
始め調査課全員の頑張りで毎年の調査業務のピークを乗り切ることができ、真に皆に感謝であった。
その他、「簡易機材調査」というJICSならではの特命随意契約による調査業務があった。被援助国から要請された機材につき
内容的に単一的で簡易なものである案件については、JICAとの特命随契ベースにて、機材内容やその利用計画の妥当性、調達の概算
額などの基本設計を行なう海外調査を委託された。その調査後にはJICAからの推薦を受け、JICSが被援助国政府の代理人となり、
機材の詳細設計、入札図書の作成、入札時の補助、機材の調達・据え付け・技術指導などのいわゆるコンサルティング業務を行い、
その報酬を得た。その報酬は無償資金援助額の中に含まれていた。左記のような簡易機材に関する「基本設計調査」に加え、
その後の調達・据付・技術指導までの一連のコンサルティング業務に全責任を担うのがプロジェクト・マネージャー、略して「プロマネ」
(プロジェクトの主任従事者・統轄責任者)であった。
JICS勤務中、簡易機材調査のプロマネを何度か経験することができ、多くのことを学んだ。JICAでは経験したくてもできない職務であった。
同機材の納入商社を選定するための入札においてトラブルに巻き込まれた時には、その緊張感は半端なものではなかった。
機材の応札商社、およびその背後に控えるメーカーにとっては、何億円もの収益がずっしりと彼らの両肩に懸っていた
からである。厳しい応札競争の世界がそこにあった。プロマネ業務のいろいろな局面でどろどろとした商社間の闘いに巻き込まれ、
時に血の気を失った経験も何度かした。とは言え、JICSの調査における最たる醍醐味は、法人として存続するための収益を稼ぎ出し、
その健全な収支バランスを維持することに寄与する一方で、国内でのクライアントであるJICAや施主である被援助国政府の期待に
応えつつ、その社会的使命である国際貢献を果たすことである。
JICAとJICSとの立ち位置の違いについてもう少しだけ触れておきたい。JICAは、外務省・通産省・大蔵省など4省によって兼轄される
政府系特殊法人である。そして、職員はその身分上国家公務員ではないが、法律上みなし公務員と位置づけられ、刑法上の収賄などの
罰則規定が適用される。JICAは公的機関として、その職員の人件費も事業費もすべて国家予算によって賄われる。また、職員は途上国
援助を執行するために国家予算を最大限有効に「使う」のが使命であるが、事業遂行によって一円たりとも収益を「稼ぐ」ことはない。
私としては、JICAでは、途上国の「国づくり人づくり」のためにお金を使うことしか知らなかった。仕事によって法人の存続のための
収益を稼ぎ出し、もって自身の生活の糧のための配分にあやかるという世界から遠くかけ離れたところに身を置いていたのである。
他方、JICSは外務省によって認可され、同省やJICAから仕事を特命随意契約的に委託される公益法人である。その業務の柱は、
外務省やJICAが途上国に対して行う政府開発援助(ODA)の技術協力・無償資金協力に関する機材の調達について側面支援することである。
ODAの一端を担うことをもって国益、途上国の国づくり、あるいはまた国際共益に貢献する法人である。その意味で、JICAとJICSは
基底において同じ立ち位置にあると言える。しかし、大きな違いがあった。
既述の通り、JICSは民間の公益法人であるところ、法人として幾ばくかの収入源を自らしっかりと確保し、経営上その健全な収支
バランスを維持しなければならない。ODA支援業務を通じてそれなりの収益を目指すとしても大儲けし過ぎる必要性はない (一定
以上の収益を得れば課税対象とされる)。だが、少なくとも健全な収支バランスを維持しつつ、公益法人として存続していく必要がある。
要するに、役職員120名ほどの所帯のJICSは、その法人の生存のために必要とされる糧を自ら確保し続けなければならない。
だが、JICSは純粋な民間企業ではないので、その存続のために民間企業と同じ土俵上でビジネスを展開し、民間企業との間で全く
同じルールの下で生存を懸けた競争をすることにはなっていない。定款上JICSのODA援助業務については、外務省やJICAから
特命随意契約ベースで、年間一定の仕事量が粗ほぼ担保されるシステムになっている。業務の受託上いわば特別の「座布団」を
もっている(もっとも、JICSのそのような公益法人としての特別の地位の恩恵を享受し、また毎年の業務量が保障されるものかは
誰にも分からないであろう)
さらに言えば、仕事を確保するためにJICS職員が、外務省・JICA、あるいは民間企業などに営業マンとして飛び込み、コンサルティ
ングの役務を売り込むなどの営業活動を行なったり、新しいクライアントを開拓することもない。民間企業と競争して、
職員が足で稼いで仕事をもらってくる訳でない。だが、外務省やJICAから受託が滞れば生存の糧を減ずることになるので、経営陣はそうなら
ないように常にアンテナを張り、営業活動に類する組織回りを定期的に行なうことで、一定量の仕事を安定して受託できるよう、
民間の世界でいう「営業努力」に務めることになる。職員も実務関係者と良好な関係を維持し、また調査業務の質的向上を図り
続け、その安定な受託に繫げることが必要となる。民間企業のように最大益を追求する立場にはないが、収益を得ながらその健全な
収支バランスを維持することが求められる。そして、中間管理職の私は、委託された仕事が指の間から漏れ落ちないよう、JICS調査団
員の人繰りと調査の質向上に最善を尽くすことが必須であった。
ところで、JICAとJICSの立ち位置の違いを身をもって知ることになった。JICAでは、被援助国の国づくりのために国家予算をいかに
有効に使うかを使命とすることに没頭していた。だが、JICSでは、外務省やJICAに役務(コンサルティングワーク)を提供し、
その対価としてのフィーを得ながら、結果として社会貢献を果たすという立場であった。ワークして「稼ぎ」を得ねばならない立場と、
稼ぐのではなく予算を使うことに尽力するという立場の違いは、全くの対極にあってその厳しさが身に沁みた。外務省・JICAは、
国益と国際共益のためにお金を「使う人」であり、JICSはお金を「稼ぐ人」であった。外務省やJICAは、
JICSの立場から有り体に言えば「クライアント(顧客)」、あるいは仕事の「発注主」であり、「金を支払う側」である。
JICSは公益ながら民間法人の「受注者」であり、仕事をこなし報酬として対価を「支払ってもらう側」である。この違いは大きい。
とは言え、実は公務員以外の世の90%以上の方々がそんな「民間の世界」で働き生活しているのであって、それは全く普通のことである。
私はそんな当たり前の世界に3年間身を置いただけのことであったと言えるが、そんな世界は衝撃的であった。
契約ベースでJICS職員一人当たり2千万円ほどの稼ぎが至上命題であった。JICS着任当初は、いきなり甲乙関係の「乙」
といういわば「甲から仕事をもらい甲に使ってもらう側」、「使われる側」の立ち位置となり、大いに違和感をもち戸惑った。
また、法人の収支バランス上、調査件数のノルマを果たさねばならないというプレッシャーに立ち向かいながらの勤務であった。
だとしても、JICSにおける醍醐味は、日本政府(外務省)、被援助国政府、JICAなどのクライアントの期待に応えるべく、人繰りに心血を注ぎながら
ノウハウと役務を提供し、その結果として生活の糧を自ら稼ぎ出し、さらに法人の収支バランスに寄与しつつも、何はともあれ
エンドユーザーである途上国の国づくりへ貢献するという、崇高な使命の一端を果たせていることにあった。
また、無償資金協力の複雑なスキームについて、その実務を通じて、JICAや被援助政府から報酬をいただきながら学ばせてもらい、
その経験値が飛躍的に広がったことに感謝である。入札図書作成におけるコツどころ、応札者が目をギラギラさせて社運を懸けて参加
する入札において緊張しながらの適確な対応、その他いろいろなトラブルシューティングなどに遭遇した。無償資金協力の世界をほとんど知らずにJICSへ
出向いたが、そのスキームを3年間学び、JICA復職後は再び無償協力業務に携わり、足掛け6年近くも当該業務に関わることになった。
JICSでその面白さだけでなく、そのこわさをも幾つか知った。企業やその社員の利害が死活的に絡むどろどろとした凄まじい生存
競争の世界とそこでの人間の悲哀や生きざまを垣間見た。
JICAからJICSに着任した当初暫くは、立場上の逆転から来る「違和感」を感じながら仕事に向き合い苦悶し苦闘することも多かったが、
その違和感を跳ね返し、JICSの仕事や立ち位置に自信と誇りを持ってクライアントからの受託業務に前のめりになり、かつ報酬を
いただくという日々の業務に情熱を注げるようになるまでには、確かにそれなりの期間を要した。
純民間企業におけるように連日営業活動を行ない、生きるか死ぬかのような生存競争を強いられて過ごしたというJICSでの勤務ではな
かった。だが、クライアントに「使ってもらう側」、「報酬をいただく側」の立場に立って初めて見えて来るものが幾つもあった。
JICAでは体験できなかった職務を通じて、私的には貴重で価値のある知恵と体験を授かったと感じる。JICAとJICSの立ち位置の違いは大きく、
また互いに背負っているものも違っていた。JICAとは真逆の立ち位置にあったJICSでの勤務体験を経て、人生や仕事への向き合い方が
変わった気がする。自身の「人間力」に磨きをかけ続けること、その「人間力」をもって全身全霊で事に当たることの大切さを学んだ。
JICS勤務を終えるに当たり、そこでのJICSでの仕事に大きな喜びと誇りとを感じることができたことが最高に嬉しものであった。
さて、JICS勤務中の1995年のこと、中米ニカラグアへ農道整備用機材の「簡易機材調査」のために赴いた。JICSのいわばイン
ハウス・コンサルタントのような存在であったコンサルティング法人「タスク」の森氏らと出張を共にした。それが運命的出会いとなった。
同氏を通じてインターネットを知ることになり、後にはネットを
通じて海洋語彙集を世界に発信し、世界とシェアできることへの道を切り拓くきっかけを得た。
JICS勤務において、海のことに繋がることなど予想だにしなかった。出張中のこと、同氏はインターネットとは何かについて私に
熱く語りかけ、その指南を受け、ネットの虜になった。帰国後は、ネットサーフィン
のデモンストレーションをもってネット世界の入り口へと導いてくれた。そして、ついには海洋語彙集をホームページとして世界に情報発信
できるところまで漕ぎ着けることになった。語彙拾いを諦めずに地道に10年ほど続けていたものの、当時にあってはその先の展望は何一つ見通すことはできなかった。
だがしかし、インターネットの指南は私に「運命的な光」を照射することになった。そして、その後の人生を送る画期的な新目標を得る
手掛かりを提供してくれた。JICSへの出向は、結果的にではあるが、人生の「回り道」でも「遠回り」でも、また「道草」でもなかった。
振り返えれば、海洋語彙集をベースにホームページづくりへの最も近道を歩むことに繋がったのかもしれない。
[資料] 簡易機材調査(いずれもプロマネとして参団)
1995年(平成7年)~1996年
・ サントメ・プリンシペ民主共和国 アイレス・ディ・メネゼス病院医療機材改善計画
無償資金協力、サントメ・プリンシペ民主共和国政府、案件監理・促進業務PM、本体コンサルタント、1995.3.6-3.13の0.3か月、
現地左同、田制アイテック
・ ニカラグア共和国 農業生産基盤改善用機材整備計画
簡易機材調査、JICA、機材調達計画1(インフラ改善計画)、1995.9から1.7か月、現地1995.9.25-10.19-0.83か月 森明司・石川順孝
・ インドネシア 食品・医薬品品質管理地方試験所強化計画
無償資金協力、インドネシア政府、案件監理・促進業務PM、本体コンサルタント、1995.2から1か月、
現地1995.2から0.37か月
・ インドネシア 食品・医薬品品質管理地方試験所強化計画
無償資金協力、インドネシア政府、案件監理・促進業務PM、同上、1995.3から0.33か月、現地左同
・ インドネシア 食品・医薬品品質管理地方試験所強化計画
無償資金協力、インドネシア政府、案件監理・促進業務PM、本体コンサルタント、1995.5から1か月、現地調査1995.5-0.5か月、深沢・石井
・ インドネシア 東部地域灌漑用地下水開発計画
簡易機材調査(井戸掘削機材)、JICA,機材・調達2(機材計画)、1996.9から4か月、現地1996.10.14-11.2の0.6か月、上村・山下・丸山