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    第13章 超異文化の「砂漠と石油」の王国サウジアラビアへの赴任(その1)
    第5節 「海のラクダ」ダウ船を追い求め、時計回りにアラビア半島諸国を旅する(その1) /ドバイ、バーレーン、カタール

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    第13章・目次
      第1節: 日本の技術協力に期待する石油王国サウジアラビア
      第2節: サウジアラビアにおけるプライベートライフ(その1)/欧米式コンパウンド生活
      第3節: サウジアラビアにおけるプライベートライフ(その2)/砂漠へのピクニック
      第4節: サウジの異次元文化に衝撃を受ける
      第5節: 「海のラクダ」ダウ船を追い求め、時計回りにアラビア半島諸国を旅する(その1)/ドバイ、バーレーン、カタール
      第6節: 「海のラクダ」ダウ船を追い求め、時計回りにアラビア半島諸国を旅する(その2)/ドバイ(再)、オマーンなど

      序章~第11章 | 第12章  第14章 | 第15章~最終章


  サウジアラビアに赴任し半年近く生活していると次第に「心と体が酸欠状態」になりがちである。もちろん、サウジには手軽に一杯 飲めそうなバーやパブも居酒屋もない。コンサートやダンスホール、カラオケやキャバレーも、映画館もなく、娯楽で2-3時間でも気を休め 息抜きする場がない。無性に、心の酸欠状態と体のアルコール切れから逃れようと、何がしかの酸素とアルコールの補充を求めて、 数ヶ月に一度くらいは、隣国のア首連のドバイ辺りに、サウジの週末である金・土曜日だけでも、飛行機で逃避行してみたくなる。 それは致し方ないことだ。こうして、飛行機で2時間ほどの至近距離にある隣国のドバイにスピリッチュアルかつフィジカルな「充電」 のために駆け込んだ。

  だが、ある時にふと一つのアイデアを閃いた。ドバイばかりに出向くのは芸がなく、余りにも面白みに欠けると気になり出した。 そして、同時に一つのアイデアを天から授かった。確かにビールを気ままに飲めるのは嬉しかった。羽目を外して浴びるほど アルコールに浸る訳ではなかったが、ビール一瓶か二瓶で心を軽く癒し、映画を日に1、2本でも鑑賞するために、ドバイばかりを「射程圏内に 入れて」出掛けるのは、それはそれでよかった。だが、同じア首連ばかりでは余りにもつまらないし、サウジに赴任している価値が 損なわれるように思え、もったいないと気付いた。アラビア半島周辺のアラブ中東諸国を時計回りに訪ね、異文化体験を積極的に 深めようと決意した。未だ訪ねたことのない中近東諸国の海辺の自然風景の中に身を置き、海沿いの田舎町のダウ船や伝統的沿岸漁船 の船溜まりや造船所などを訪れたり、フィッシュ・マーケットや漁業などの歴史文化施設、その他フォート(要塞)などの史跡を訪ね、 歩き、その国の歴史文化をいろいろ学ぶまたとないチャンスでないか、と思い直した。それに窒息しそうな環境からの一時的な 脱出にもなる。旅の道中で今まで見たこともない海やダウ船の被写体を活写できるかもしれないという期待も心のどこかにあった。

  実は、事務所の同僚が家族でオマーンのマスカットに出かけ、素晴らしい風景に感動し、楽しい思い出を作ったという。その 話に刺激されたこともあり、「冒険青年シンドバッド」になったつもりでアラビア半島周辺諸国へ冒険の旅に出掛けるきっかけ をえることになった。かくして、半島周辺諸国を順繰りに時計廻りに、まだ見たことのない海辺風景を追い求めてみることになった。

   私にしてはこの面白く楽しい漫遊の旅のアイデアを気に入り、早速機会を見て実行に移すことにした。ドバイへの逃避行的な 旅を当分は取り止め、先ずはバーレーンから積極的・能動的な「酸素補給」の旅に出立することにした。その後は、東隣のカタール、さらに南東に 位置するオマーンや南のイエメン、そして時にア首連に戻ることにした。その後は再び半島を大回りして、紅海をはさんだアフリカ のジプチ、エリトリア、スーダンなど訪ね歩き、異国文化をさらに学ぶことに想いをはせた。

  ア首連については、今一度新たな視点で先ずドバイを散策し直すことにした。即ち、ビールと映画に浸るための旅とせず、ドバイ市内の 歴史文化施設(例えば、旧市街地区の博物館や史跡など)や数多のダウ船が停泊するクリーク沿いの波止場、クリーク内を 行き来する「アブラ」という水上バスでの水上散策、魚市場の訪問(漁業展示室が併設されるという)などを再探訪することにした。 また、シャルジャーなどの他の首長国のダウ造船所や海洋関連文化施設を探訪することにした。半島周辺諸国はリヤドからわずか数時間の フライトで行き着ける国ばかりである。金・土曜日(サウジでの休日。日本での土日の週末に当たる)の1泊2日の弾丸トラベル を試みるのもよいが、有給休暇1~2日をプラスできれば理想的であるといえた。中近東諸国の見聞を実地に広められると、旅計画 を立てる段階からわくわくした。鼻先にそんな楽しい旅プランがぶらさがっていると、仕事にもプラスの心理的影響をもたらす らしい。アドレナリンが増幅され仕事が大いにはかどることにもつながった。

  ざっくりと歴史をたどれば、アラビア半島諸国周辺のアラブ人は、かつてインドや東南アジアなどで産する胡椒、グローブ、丁子、 シナモンなどの香辛料の中継貿易を行い、経済的に大いに潤っていた。中世の時代、ジェノバやベネチアなどの商人は それらの交易を独占的に支配し繁栄を極めていた。だが、オスマン・トルコが台頭し、彼らの独占的交易の権益が脅かされるようになった。 そんな情勢下において、アジアの香辛料の産出地域との直接的な海上交易ルートを開拓するための先陣を切ったのがポルトガルであった。 その後スペインが、さらに英国、オランダが続いた。「地理的発見の時代、大航海時代」という海洋進出が始まった。

  古来よりペルシャ湾岸地域や紅海、アラビア海にあっては、東西世界のはざまで中継貿易に勤しむアラブ民族が活躍していた。他方、 ポルトガル人航海家らは、15世紀初めから半世紀以上をかけて、何とかしてアフリカ大陸を大迂回して何とかアジア・インド方面 への航路を切り拓くべく、その探検に命を賭けて大陸西岸を南下し続けた。バスコ・ダ・ガマが西欧人ではじめてインド・ゴアに到達し、 その後ポルトガルは支配拠点と権益を順次東方へ拡大した。その後、英国、オランダなどが進出してきた。 彼らの権益闘争の跡が、アラビア半島周辺諸国の海沿いに城壁や要塞として遺されている。それらの歴史文化の足跡を見て回る のも楽しいものである。アラブ人の交易や漁撈・真珠の採取などの重要な手段が「ダウ船」であり、 諸国港々でそれを見て歩きたいと考えた。半島周辺の彼らの沿岸航海ルート、並びにそれと東南アジアとの海上交易ルートは、 今では「海のシルクロード」と称されるものの一部であり、このサウジ赴任をまたとない機会としてその一端を垣間見たかった。

  さて、時計回りの旅で最初に目指したのはバーレーンである。同じアラブ国であっても、見たことのないどんな風景が待ち受けているの か楽しみであった。初めて訪れる国の海や街角はいつも新鮮でわくわくする。バーレーンは、地図で見ると、ペルシャ湾に親指を 立てたように突き出た小さな半島国である。カタールの西方沖に浮かぶ、米粒のような小さな島国である。石油・天然ガス資源が 開発されるまでは、カタールやア首連と同様に、天然真珠採取などの漁労とメソポタミアとインダス地域間の中継貿易などで 古くから成り立っていた。バーレーンは1932年にアラブで初めて石油採掘に成功した。特に天然ガス資源を多量に産出することになった。 サウジアラビアとは「キング・ファハド・コーズウェイ」という海上埋立道路一本でつながる。ほぼ中間に小さな人工島があり、 島中央に国境線が引かれている。国境線をはさんで両サイドに展望塔が立ち、ペルシャ湾の紺碧の海を360度眺望できる。眼下には実物のダウ船 が陸揚げされ、モニュメントとして鎮座している。

  首都マナマのランドマークである「バブ・アル・バーレーン」(バーレーン門)の前に広がるマナマ漁港には数多くのダウ漁船が 係留されている。湿度の高い炎天下を朝から数時間、その船溜まりをほっつき歩き回った。そして、「海のラクダ」とも称されるダウ船 を被写体にして撮りまくった。ところが、昼前になって急に気分が悪くなり、これは危険な兆候だと悟った。ペットボトルももたず午前中 一滴も水分補給することなく歩き回り、熱中症に全く無警戒であったことに気付いた。急いで埠頭から最寄りの大通りに出てタクシーを捕まえ、そう遠く はないはずの「バーレーン国立博物館」へ逃げ込む算段をした。先ずはクーラーががんがんに効いたタクシー内で体を冷やそうとした。 だが、なかなかタクシーがやって来ず、下手するとその場でぶっ倒れると焦った。正に熱中症に冒され、病院に駆け込む寸前にあった。 ようやく2、30分後に通りかかったタクシーを捉まえ、その前部座席に身を投げ出した。顔面を冷風に押し当てすぐに「急速冷凍」でも して体を冷やしたかった。クーラーに助けられ、徐々に体調が好転していくことが自分でも見て取れた。「助かった」と真に安堵した。 もう少しで臨界点を越すところであった。危機一髪で難を逃れた。そして深く自省した。

  その後、博物館を訪れる前に、その近くで見つけたファーストフード店で腹ごしらえをしようと店内に入った。若い男女 が向き合って談笑しながらバーガーにかぶりついていた。その男女の姿を見て、ホット安堵するというよりも、逆に一瞬のことだが ある種の「違和感」を抱いてしまった。男女が席を同じくして談笑している。ここはバーレーンであり、サウジではないことを思い出し、 違和感を惹起した自分自身に違和感を覚える始末であった。サウジの社会生活環境にすっかり馴致している自分を何と 理解すればよいのか、と考えながらバーガーにありついた。サウジではめったに見られない社会風景にどぎまぎしてしまったことに ショックであった。同じイスラム国でもこんなにも宗教・社会的許容度の違いがあることに改めて衝撃を受けた。2005年4月のカタール 訪問時のことである。男女相席は先のドバイでも、またオマーン、エジプト、モロッコでも普通の風景であった。だが、ずっと早い段階ではじめて ドバイへ出向いた時には、何故かこんな違和感を抱くことはなかったのが不思議である。まだサウジ社会に十分馴致していな かったということなのか。そうであればダブルショックである。

  さて、ランチ後バーレーンの歴史・文化・社会・産業などを学べる国立博物館を訪れた。博物館脇の人工池の真ん中や、その池に隣接する広場 「ヘリテージ・ビレッジ」には、大小幾つかのダウ船がアート・モニュメント風に鎮座し、歓迎してくれていた。館内には、伝統的なアラブ 民族衣装に身を包み、装飾品の他、野菜・果物・家具・薬剤・香辛料・アラブ風パン「ナン」・雑貨などを売る露天商のジオラマがずらりと展示され、 昔の社会・文化・風俗などを学べた。8世紀頃にイスラム教が伝播してくるまでの3世紀以上もの間バーレーンを支配した「ディムルン 文明」を紹介し、また古代墳墓の再現もあった。ディムルン文明が興り、メソポタミアとインダスを繫ぐ中継貿易拠点として 栄えていたという。古くから開発され使われていたアラブの伝統的な地下灌漑システムである「カナート」の大型模型も展示される。

  私的に最も感銘を受けた展示は、天然真珠の採取場面を再現した、木造漁船と潜水夫らが繰り広げる実物大のジオラマである。また、天然真珠の取り引きに 使われた昔の道具類、例えば一定の大きさの真珠をふるい落として選別するための金属製容器、潜水用具(マスク、重りなど)、真珠貝の 殻剥き具、真珠を値踏みするための特殊な絵図を描いた本、カキ採取用の革製の指先保護具、天秤や分銅の役目を果たす石の重り、真珠をすくい取る用具 (スクーパー)なども展示される。その昔何百年にもわたり天然真珠の採取が盛んであったことを示している。その他、漁具づくりに励む 漁師の住まいのジオラマなどもある。マナマは海外などとの中継貿易の町である他、天然真珠の採取や取引の拠点として発展して いたことが理解できる。よく語られることだが、日本の御木本幸吉が真珠の人工養殖に成功してからは、その採取業はどんどん衰退 の一途をたどった。博物館の展示はそんな真珠採取・加工産業のかつての栄枯盛衰の歴史を語りかけている。

  印象深かったのは造船所の探訪であった。マナマから旧市街地の「ムハラク地区」に向けての海岸線に沿って伸びる「シェイク・ ハマド・コーズウェイ」を歩き続けた。数多くのダウ漁船がイワシの串刺しのように横列に係留された風景がそこにあった。また、 干潮時であったためか、干潟が海岸際からはるか遠くにまで伸びていた。そこで、幾つかの面白い風景にお目にかかった。自営漁民 なのか出稼ぎの外国人漁民なのか分からないが、炎天下ものともせず、魚や甲殻類の捕獲用の金網製トラップ(籠状の仕掛け)の 製作に勤しんでいた。

  少し先に進むと、ダウ船の造船所の前を通りかかった。炎天下ゆえなのか、船大工や作業員が誰一人いないので声の掛けようもなかった。厳重に入り口 を閉め切っている風でもなく、ほぼ開けっ放しの状態であった。それをいいことにして、敷地内に足を踏み入れぶらぶらと歩き 回ってしまった。海岸沿いの広い敷地内には誰もいなかった。 ダウ船などの写真をいろいろなアングルから撮りまくった。数え切れないほどの木造ダウ船を建造・修理中であったが、FRP製の船殻をもつ ダウ船も意外と多いのには驚かされた。FRP船を造るための実物大の型枠を組み立て、プラスティックを流し込んで船殻を塑造する 途上の船にもお目にかかった。この探訪の前にも後にも、これほど長くじっくりと本格的なダウ造船所内を見学できたことはなかった。

  造船所のある海岸に沿ってもう少し進むと、入り江をはさんだ対岸に「プラッド・フォート」という要塞が遠望できた。その昔、 「ムハラク地区」への船の出入りを監視する目的で、16世紀に建てられた砦といわれる。ペルシャ湾岸の昔の原風景を見るかのようであった。 同要塞を見学した後に、ムハラク地区の旧市街をぶらついた。日干し煉瓦でしっかりと建築された元首長や真珠貿易商 (ベイト・シャディ)の幾つかのアラブ風住居が遺され、バーレーンの歴史と文化を今に伝えている。夜になってのことであろうが、 自然の風を屋内に取り込むウインドタワーを擁する住居でもあった。昔のアラブの世界をじっくりと巡覧することができた。

  その他、マナマ近郊の「カラート・アル・バーレーン遺跡」、通称「バーレーン・フォート」あるいは「ポルトガル・フォート」と呼ばれる要塞を 探訪した。ユネスコ世界文化遺産である。現在遺される遺構は、1512-1622年にバーレーンを支配していたポルトガルが築造し遺して いった城塞の跡である。大航海時代にポルトガルの偉大な探検航海士バスコ・ダ・ガマが喜望峰を回航し、インドへの航海ルートの開拓に成功した後、 ポルトガルは次々とその勢力を拡大して行った。これら要塞を散策すると、ポルトガルとアラブ世界とのせめぎ合いの時代に タイムスリップしたかのようである。その他には、「アル・ジャスラ・ハンディフラフト・センター」を探訪した。ダウ船模型の製作 工房の他、バーレーンの伝統的民芸品などを製作・販売する工房などがある。ダウ船もFRP製が多くなり、伝統的な木造ダウを建造する 技能を引き継ぐ若者が少なくなっていると推察されるが、果たして実際はどうなのであろうか。ついぞ訊きそびれてしまった。

  次にカタールを目指した。半島時計回りの次の旅として、バーレーンのすぐ東側にあってアラビア半島からペルシャ湾に向けて 親指を立てたように突き出した小さな半島国家・カタールに狙いを定めた。首都ドーハへの旅は初めてであった。ドーハ市街地の 中心部といえば、「アル・ワキーフ・スーク」辺りである。その界隈から「アル・コルニーシュ・ストリート」と呼ばれる海岸沿いの、 緩やかな弓なり状になった大通りが続く。そのウォーターフロントのすぐ沖には「パールアイランド」という小島が浮かぶ。 その大通りに沿って、公官庁、ビジネス、ホテルなどの高層ビルが立ち並び、一見した限りいかにも近代的都会風景が広がっていて、 アラブ的原風景などは先ずもって見られない。だが、そのスーク地区界隈のごたごたした迷路に入り込むと、スパイス、民族衣装、貴金属、雑貨などを扱う店が軒を連ね、 大勢の市民で賑わい、アラブ風のクラシカルな街風景にタイムスリップできそうである。

  スーク界隈をそぞろ歩きした後、そのすぐ先にある「ダウ船ハーバー」と呼ばれるウオーターフロントに足を伸ばした。その入り口 付近では巨大な真珠貝をモチーフにしたモニュメントが迎えてくれる。 ハーバーには数多のダウ漁船がハーバーから溢れんばかりに詰め込まれていた。その後ハーバーから1kmほど先 にある「カタール国立博物館」を訪ねたが、運悪く改修中のために見学することはできなかった。ガイドブックによれば、 カタールの歴史・社会・文化・自然などを幅広く紹介する。館内には水族館を兼ねる「海洋館」もあるという。ペルシャ湾の海の 生き物たちの展示の他、昔の天然真珠の採取など、海での伝統的な営みに関わる何らかの展示も期待できそうであったが、叶わなかった。
* ずっと後の2017年12月に、ヨーロッパからの帰途カタール航空の遅延のために同社負担でドーハに一泊する幸運に恵まれ、「カタール 国立博物館」を再び訪れたが、その時は建て替え中のためまたもや見学不可であった。代わりに「イスラム芸術博物館」に立ち寄った。

  ドーハではワキーフ・スーク地区の他、「ヘリテージ・ビレッジ」を訪ねた。そこにはダウ船のかなり大型の模型を製作 する工房があり、製作中の模型船を見学できた。また、ミニュチュアのダウ船を製作するブース、漁網・重り・フロートや アシ舟・定置網の模型・ダウ船のハーフモデルを納めた額などの展示ブース、魚類捕獲用の各種のトラップや魚籠(びく)などのブース、 各種のロープ・縄類を売るブース、天然真珠採り用のたも網・潜水重り・真珠サイズ選別用のハンディタイプの工具箱(金属製の選別容器、 天秤、分銅、カキ殻剥き具、挟具・ピンセット)などの展示ブースなど、海での伝統的な営みに関連する用具を製作・販売・展示する いろいろな工房のコンプレックスをじっくり巡覧して回った。

  さて丸一日は、レンタカーを借りて半島を北に向け4、50kmほど縦断し、半島先端にある小さな漁村アル・ルウェイスをめざして、 土漠を数時間ドライブした。その小さな漁村の港にも数多くのダウ漁船が係留されていた。午後の炎天下に訪れたためか、漁港では 何の人の動きもなかった。魚市場や荷捌き施設、その他漁業のことを一般訪問客に紹介する文化施設のようなものもなく、早々に次の町をめざした。 アル・ルウェイスから半島の西海岸沿いに10kmほど南下するとアル・ズバラという小さな町があった。そこに「ズバラ要塞」があり、 ペルシャ湾を背景にしたカタールの原風景と思しき海と要塞をじっくりと眺めることにした。

  ペルシャ湾岸地域は元々遠い昔から天然真珠の採取が盛んであった。そしてズバラの街はその交易拠点として18世紀に建設されたという。 周囲を城壁と幾つもの砦が取り囲んでいたが、現存する城塞は1基のみである(1938年に沿岸警備のため建設されたものという)。 ズバラはかつて真珠の交易港市として栄えていたが、19世紀初め頃に紛争のために 破壊されてしまった。20世紀には放棄される状態であったが、近年一部発掘され、城壁に囲まれていた市街が史跡として復活するに至った。 そして、アル・ズバラ考古遺跡群が2013年6月にカタールで初めてのユネスコ世界文化遺産に登録された。ベドウィンの敷物、 アラブ衣装、伝統的家具類、漁に使われる鉄製の籠などの諸々が展示される。

  その昔、バーレーンと同じくカタールも、かつてインドや東南アジアなどの胡椒、グローブ、丁子、シナモンなどの香辛料の 中継貿易によって繁栄し潤った。ペルシャ湾岸とインドを結ぶ貿易航路をめぐるポルトガルと英国との争いで、カタールは重要な 地政学的位置を占めていた。また、石油・天然ガス資源で栄える以前は、ここも漁業や天然真珠採取、さらにデーツ生産などの 第一次産業によって経済が支えられていた。だが、日本の御木本幸吉が開発した養殖真珠が世界に普及すると、ペルシャ湾岸での天然 真珠採取業は大きな打撃を受け衰退の道を辿った。なお、カタールの天然ガス埋蔵量は膨大で世界30%とも言われる。

  さて次に、新たな視点をもってアラブ首長国連邦のドバイに旅することにした。これまでとは異なる視点を胸に秘めていたので、 ドバイの海辺や市街地での散策を通じて全く新しい発見に出会うことを期待した。

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    第13-1章 超異文化の「砂漠と石油」の王国サウジアラビアへの赴任(その1)
    第5節 「海のラクダ」ダウ船を追い求め、時計回りにアラビア半島諸国を旅する(その1) /ドバイ、バーレーン、カタール

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      第2節: サウジアラビアにおけるプライベートライフ(その1)/欧米式コンパウンド生活
      第3節: サウジアラビアにおけるプライベートライフ(その2)/砂漠へのピクニック
      第4節: サウジの異次元文化に衝撃を受ける
      第5節: 「海のラクダ」ダウ船を追い求め、時計回りにアラビア半島諸国を旅する(その1)/ドバイ、バーレーン、カタール
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