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    第13章 超異文化の「砂漠と石油」の王国サウジアラビアへの赴任
    第4節 サウジの異次元文化に衝撃を受ける


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     第13章・目次

      第1節: 日本の技術協力に期待する石油王国サウジアラビア
      第2節: サウジアラビアにおけるプライベートライフ(その1)/欧米式コンパウンド生活
      第3節: サウジアラビアにおけるプライベートライフ(その2)/砂漠へのピクニック
      第4節: サウジの異次元文化に衝撃を受ける
      第5節: 「海のラクダ」ダウ船を追い求め、時計回りに半島諸国を旅する(その1) /ドバイ、バーレーン、カタール
      第6節: 「海のラクダ」ダウ船を追い求め、時計回りに半島諸国を旅する(その2) /ドバイ(再)、オマーンなど


  カメラで写真を撮ることが大好きな私にとってなかなか馴染めないことがあった。海や船の被写体を求めて旅に出たり、街中を散策 したり、博物館を探訪することが楽しみとなっていた。それは特に2000年から南米の「海なし国」パラグアイに赴任し、2つの船舶 博物館に出会った時からである。ところがサウジでは、自宅などのプライベート空間以外の公共の場での撮影は御法度で、 フラストレーションは日に日に高まって行った。3年間の 赴任において、友人宅などのプライベート空間でも、その他の一般公共の場においても、カメラやスマホをもって写真撮影を している場面に遭遇したのは何と一度きりであった。

  リヤド市街地内では唯一といえる歴史的史跡の「マスマク城」の近くで、ヨーロッパから来たと思われる旅人の青年二人が カメラをぶら下げ、いかにも楽しそうに街角風景を撮っていた。お節介であったが、思わず、 公共の場で無造作に写真撮影していると警察に通報され、咎められるかもしれない、と声を掛けてしまった。外国人に限らず他人が、 アバヤに身を包んだ女性を被写体にしたり、石油工業コンビナート施設、警察署、軍施設、宮殿、政府関係の建物などをうっかり カメラで切り撮るとやっかいなことになる。荒涼とした砂漠すらも公共の場ということになる。大袈裟に言えば、カメラワークは 自宅内のみということになる。

 サウジアラビアに赴任していた当時、カメラをぶら下げてサウジ国内を気軽に旅し、自然風景のみならず、人が行き交う 街角風景や、今は廃墟となっているディライーヤという旧リヤドの歴史的遺跡すらも、また人が何かを営む実風景を自由に切り撮る ことなど、誰かに密告されそうで怖くてできなかった。写真好きであり、また海洋辞典ウェブサイトで素晴らしい海風景などを アップし、サウジの海の今を紹介したいと思ってもできないとなれば、隠し撮りまで行かなくても、サウジ人に気付かれない ようにシャッターを押したいという衝動にかられた。こうして3年近くもカメラワークへの情熱を持ち続け、緊張感をポケットに しまい込んでいろいろな風景と向き合った。

  正直そこまで厳格に写真撮影を排斥するのか、という思いがいつも付きまとっていた。リヤド市内であろうが、片田舎の村であろうが、 写真撮影には本気で注意を払う必要があった。正に盗み撮りするかのような気の使い方であった。ある時数日の長距離の国内旅行をした。サウジ 北西部のヨルダン国境に近い、紅海沿岸の小さな漁業の町アル・ワッジへと空路旅した。そこでガイドと落ち合い、そこから車 で内陸部へドライブし、古代遺跡のあるマダイン・サーレを訪れる手はずになっていた。映画「アラビアのローレンス」で描写される ヒジャーズ鉄道列車の爆破シーンを思い出させるような地であった。さて、アル・ウェッジは小さな入り江に面 する漁村であったが、その岸辺には小型漁船が浜揚げされ、その脇にはモスクのミナレット(尖塔)がそびえ立っていた。 海と漁船、モスクというコンビネーション風景が気に入り、何としても画像を切り撮ろうとした。

  周囲には人影はなく、誰も見ているはずもないと思い、カメラを構えて撮影しようとした。すると、ガイドは慌てて遮った。 美しい漁村風景を切り撮るのには少し知恵が要ると、彼はこう助言した。ガイドの自分が水際に立つので、自身を撮影するような振りを しながら、少しカメラアングルをずらせて、狙いの風景写真を撮るようにという。ガイド自身はヨルダン出身の外国人であった。 イスラム教徒であったが、彼にとってもサウジでは異邦人であった。同じアラブ人でありながら、撮影には相当神経を使っている ことに驚きであった。いずれにせよ、100%納得して数枚の素晴らしい風景写真を物にした。ところがである、2~3分もしないうちに、 地元民らしきサウジ人老人がどこからともなく目の前に現われた。カメラを持つ私の眼をしっかりと見据え何やら訴えてきた。 だが、暖簾に腕押しである。何を言っているのか理解不能であった。直ぐにガイドが割って入った。 両人はアラブ語であれこれと押し問答を繰り返した後、一段落した。

  喧嘩にはならなかったが、老人は明らかに撮影のことでかなり気が高ぶっていた。ガイドは冷静に応対していた。彼に同行して もらったのが正解であった。ガイドがいなければ、老人に不信感が募り、警察を呼んだかもしれない。用心していても、やはり地元の 男性から咎められた。一般市中で軽率にして無警戒に撮影でもすれば、どうなるか想像がつくというものである。 老人はたまたまよそ者の外国人が撮影していることに気付いたのであろう。怪しいと疑念を深めていれば即座に警察に通報してい たかもしれない。公共の場での写真撮りを甘く見てはいけない、と改めて自戒した。たとえ人物の写らない自然風景の撮影で あっても、誰が見ているか分からない。スマホなどで即通報された挙句に、言葉が通じず十分釈明できなければ、さらに署 まで連行されかねない。不特定多数が行き来する一般市内の公共の場での風景撮り、特に人物が写る風景は恐らく一般通行人に 咎められ警察沙汰になるリスクが髙いことを肝に命じた。

  さて、写真撮影に関する別の話であるが、赴任中の短期専門家が業務でジェッダへ単身出張した。夕刻仕事を終えてホテル へ戻ろうとした。タクシーの後部座席から海岸通り沿いの市内風景をカメラを構えて撮り始めた。後続を走っていた別車のサウジ人 がどうもそれを見ていたらしい。そして、警察に通報したようだ。テロリストかもしれない怪しい人物が車から撮影しいると、 警察に通報されたかは定かではないが、専門家の搭乗するタクシーがパトカーに捕捉された。通報した人物は、タクシー客が 石油化学工業関連のコンビナート施設を撮影したものと受け取ったのであろう。パトカーの警察官に職務 尋問されたが、言葉が互いに通じず挙句の果てに、最寄の警察署へ連行され、そこで取り調べを受けることになった。

  専門家には不測の事態に備えて、事務所からは携帯電話器を貸出し、いつでも24時間連絡を取れるようにしていた。 事務所はその日夕刻、専門家からジェッダの警察署にて取り調べを受けているという連絡を受けた。どうも写真撮影を問題に されているという。カメラを調べられた結果、コンビナートの施設も写っていたらしい。サウジ側はテロリスト との繋がりを疑ったはずである。事務所はすぐに日本大使館や在ジェッダの日本総領事館に連絡を取り、詳細事情を説明した。 直ぐに領事館員に出向いてもらい、事実確認や身元についての説明などをしてもらえるよう依頼した。かくして、大使館員が 翌日を改めて出向き、身元保証書にサインし、身柄を引き取れることで一見落着した。屋外ではこのように誰が見ているかも分からず、 現代の利器である携帯電話で即通報され、取り調べを受ける羽目となり、コミュニケーションできないとややこしいことになる のは必定となろう。

  サウジ人の「善意の通報者」はテロを未然に防ぐという思いであったに違いない。専門家の軽率な撮影行為から不用意な結果を招いて しまった。領事館には本人貰い受けの御足労をしてもらった。専門家の身に何があるか分からないし、こんなことの有事に備えて 携帯電話を貸与しており、幸いにもすぐに通信することができた。本人が英語で身分などを釈明しようにも、言葉の壁は大きい。 警官は英語を理解しない場合が多く、意思疎通は期待薄であり、不信が増幅されかねない。いくら説明しても信用されず、日本人 だけでは説明しきれないこともありうる。警察沙汰になった場合、JICAの業務を良く知り身元を十分説明できる者、それもサウジ人 が間に入って不審者でないことを説明するのが、円満解決への確かな方法である。例えば、裏ワザとして、JICA事務所が契約する 現役の治安担当警察官に介在してもらう次善の策もあるにはあった。だが、外交官が本人を引き取りに行かざるを得ない事には 代わりはない。国によっては、たかだか写真一枚と軽視できない。

  余談であるが、北アフリカのチュニジアで写真撮影を巡って肝を冷やしたことがあった。「チュニジア漁業訓練センター」 プロジェクトにつき、同国水産局や専門家との打ち合わせのためにチュニジアを訪問した。センター所属の訓練船が首都チュニスの 造船所ドックに入渠し修理中ということで、我われJICA調査団員らが視察に出向いた。その時同センターに配属されていた若いJICA 海外青年協力隊員も同行してくれた。隊員はその訓練船の写真を何枚か撮影したという。隣のドックにはフリゲート艦のような 艦艇が泊渠していた。泊渠そのものには気づいていたが、艦艇の国籍などを気に掛けることはなかった。

  ところが、その後聞かされた話であるが、在チュニジアソ連大使館から日本大使館に連絡が入り、写真とそのネガの引き渡しを 要求して来たという。訓練船を撮影した写真には、その背後に泊渠していたソ連艦が写っているはずだから、それらを引き渡す ようにという要求であった。ところが、想定外の話であるが、同隊員はカメラにフィリムを入れ忘れていたことを撮影後になって 気付いた。仮に引き渡すとしても、写真もネガも存在しようもなかった。今更ソ連側にそれを釈明したとしても、 彼らは信じないし、更に要求態度が硬化すれば彼らの猜疑心が深刻化し、日本側と険悪な外交関係に陥る懸念もあった。 それらの引き渡しに頑として応じず、それを貫き通すことになった。冗談話のようではあるが本当の話である。このように、海外での写真 撮りには思わぬリスクがあるので、細心の注意が必要である。

  市中の公共の場でのサウジ人女性の撮影は、たとえ「アバヤ」を着衣していてももちろんご法度である。サウジでは、女性は 「アバヤ」というだぶだぶの黒いワンピースのような薄い衣服で頭のてっぺんから足元まですっぽりと覆っている。全くの黒 ずくめである。頭部を覆う頭巾はほとんどの場合は、目だけを露出させたものとなっている。さらにサングラスを掛ければ、 誰か全く見分けがつかない。アバヤを脱げば、私服で着飾っているとよくいわれるが、サウジ人女性が街中で私服になっている ところを一度も見たことない。だが、本当のことらしい。男性は頭巾はかぶらないが、真っ白なワンピースのような衣服で覆い、 涼しげな様相である。だから、サウジの街中でぐるりと全周を見渡してみれば、ブラックかホワイトいずれかのモノトーンの世界が 広がる。街中を行き交っている「物体」、即ち人々はほぼ二色だけということになる。

  さて、男性が親族でもない他人の女性に直接話しかけ会話することも、またご法度である。女性は自身の夫や息子、父親などの 家族以外の血縁のない男性とは会話することもできない。だから、男性警察官ですら、女性の男性親族を介しないで女性に職質する ことも御法度であるという。職質するならば、その女性の男性親族(配偶者や息子、父親、兄弟など)を介して対話する他ないという。 この文化・習慣の違い、価値観の違いに驚く他ない。文化に「慣れる」というよりも、「アンタッチャブル」なこととして受け 入れる他ない。サウジ生活2年7か月赴任中、街中で若い男女が気軽に日常的会話や打ち合わせをしている情景に一度もお目 にかかることはできなかった。私自身もサウジ人の女性と直に対面して会話したのが二度ほどで、それも職場に事務所内でのこと であり、それ以外のいかなる場所でも言葉を交わしたことはない。

  女性との会話に関するもう一つのエピソードに触れておきたい。サウジ赴任中において、私的にしろ業務にしろ、サウジ人女性 と会話を交わし、意思疎通を図った時の総時間を数えてみれば、わずか1時間ほどであった。それ以外記憶はない。

  10名ほどのサウジ女性が日本でJICA研修プログラムに参加することになり、それに先だって事務所に出向いていただき、オリ エンテーションを差し上げる機会をもった。所長として公式の挨拶を行ない、幾つかの重要事項を説明することになった。 東京でのJICAによる対研修員接遇や研修に際して彼女らに誤解が生まれないよう予め予備知識を提供するめである。 出席の全女性がアバヤを羽織り、目しか露出していなかった。中には、その上にサングラスをかけている女性もいた。 少し年配らしき女性は顔を露出していたが、ほとんどは目にも透かしの効いた薄い黒布で覆っていた。 勿論女性等からは透視できるようになっているはずである。我われが顔を見ながら説明しても、表情が見えないので、彼女らの思い や反応を読み取ることはできなかった。彼女らから質問を受けることで理解の程度を推し測るか、意思疎通がなしえたと思うしかな かった。だが、初めての慣れない経験であったので、会議中何となくだがしっくりこない空気感を感じたことは確かであった。 同じベールであっても目の部だけでも露出していれば、目の動きなどで反応などがつかめるが、ベールで目を覆ったりサングラス を掛けていれば、逆にこちらの心の中まで鋭く透視されているような気分になってしまった。

  サウジでは年頃の男女でなくても、同じ職場内で顔を合わせ、意思疎通を図りながら共働することもない。男女が社内食堂で 共に昼食を取り談笑することもない。実は、政府機関のなかでも「職業訓練庁」とは電子・電気・機械関連の職業訓練プロジェクト や自動車修理研修所プロジェクトなどを介して、長い付き合いをしてきた。同庁の副総裁アリ氏とは頻繁に会合をもったり、食事を 共にしたりして、それなりの信頼関係を築いていた。そして、ある日彼が明かしてくれたことがある。同庁には3人の副総裁 が就いていた。うち一人は女性であるという。それを聞かされた私は、興味本位でつい訊ねてしまった。 「打ち合わせはお互いに同じテーブルを囲んでするるのですか」と質問した。アリ氏曰く、「何年も未だ会ったことはない。 顔も知らない」という。そもそもこれまで会議で同席することもなかった(できなかった)らしい。「それで、どのようにして仕事を しているか」を問うと、「仕事のやり取りはファックスでしている。後は電話でしている」との答えが返ってきた。 さらに問いかける言葉が出てこず、出て来たのはため息だけであった。

  別の話であるが、政府系機関の「サウジ投資庁」にジャパンデスクがあり、日本人顧問T氏が勤務していた。ある優秀な女性を雇用すること になったという。そして、その顧問がその新入女性職員の指導役に指名されたまではよいが、同庁の出入り口を男女共用とする ことも、同じ建物や職場内で男性に混じって彼女が執務することも、サウジでは許されないことであった。どうするのかと思いきや、 彼女一人を執務させるのに、男ばかりが執務する本館のすぐ傍らに彼女専用の小さな分館を建てたという。 ジャパンデスクのその顧問男性から直に聞かされた話である。その彼女にどこでどう指南したのかほとんど聞きそびれてしまった。 ファックスや電話によることもあったであろうが、同氏の口ぶりではどうも対面指導もなされていたようである。

  女性にまつわる社会・宗教的習慣に直面してはびっくり仰天し、唖然として言葉も出てこないこともある。女性は自動車運転 免許を取得できるが、自分では運転できないという。ご主人や子息、雇い入れたドライバーなどに送り迎えしてもらう他ない という。公共バスもほとんどないことから、多くの女性は不便極まりないという。女性が買い物に出掛けても男性店員とは話が できない。レストランに行っても、女性が混じる家族のための専用入り口と、その他の一般男性客用のそれとは別である。勿論、 レストラン内部でも全く別々である。一般男性が自身の家族でもない他の一般女性とが顔を見合わせることはありえないのである。 かくして、独身男性の結婚相手は、母親が決めるという流れにならざるをえないという。事実それが実際である。 ことはない。

  アザーンが響き渡りお祈りの時間が近づけば、全ての店ではシャッターが閉じられる。店を閉じなければ営業停止などの処分を食らう ことになる。モスクへ駆けつけて出来るだけ大勢の人と一緒にお祈りすることが求められる。毎日5回、時間がくればお祈りする。 日中なら、仕事の手を休め、足ったり座ったりしながらお祈りすることで体を動かすことになる。彼らなりに心身をリフレッシュ することができるという。お祈りはいろいろな「効能」をもたらすことは確かである。異邦人からすればなかなか馴染めないことだが、 サウジ人にはお祈りを通して生活に刺激の矢が刺さる。サウジに数年いると、社会文化宗教的価値観などを学び、目からうろこが 落ちるような体験に巡り会えることができる。カルチャーショックは日常茶飯事の連続であった。いつも新しい発見で、 そんなものかと済ませられることも多いし、また大そう不便さを感じることもある。その不便さには耐える他に方途はない。

  さて、余りのカルチャーショックに唖然とし、一生忘れがたいことも体験した。サウジ人女性10名が日本でJICA研修を受ける ために渡航するに当たって、国王の裁可を仰ぐことになった事例を述べたい。サウジ政府の要請に応じて、JICAはサウジ女性の 大学教育関係者10名のために数週間の特別研修プログラムをアレンジしていた。研修の受け入れ機関は東京のある女子大学 であった。日本の女子大学の教育制度、レベル、教育方法、交友会や保護者と大学の関係などの大学の運営管理、その他諸課題 について研修するものである。

  日本に送り出すための実務手続きとして、サウジ政府側からの公式要請書を取り付ける必要があった。日本での準備が整う一方、 サウジ側では10名の女性候補者の顔写真付き履歴書を含む正式の要請書(A2A3フォームと称されるサウジ政府からの正式要請文書)を 封書に入れ、サウジ教育省としての承認を取り付けるべく決裁案の省内回付が行われた。 特定の所管官吏しか開封できないよう厳重に省内回付されたはずである。かくして、教育省の次官は決裁書類に署名し、教育大臣に 回付された。だが何故か、大臣はなかなか署名をせず、ペンディング状態になっているとの内部事情を掴んでいた。我々はやきもき しながら決裁が下されるのを待ち続けた。事務所から教育省事務方に照会しても、「次官は決裁済み。もう少し待ってほしい」 との返事ばかりであった。

  あの手この手でいろいろ督促をお願いしていた甲斐があって、その後一週間ほどしてようやく大臣によって裁可されたとの 情報がもたらされた。だが、決裁に何やら付箋が付けられて戻されたという。大臣自らが書き入れたメモには一つの条件が 添付されていた。「渡航に当たっては、研修員はその男性保護者を同伴すること。ただし、その渡航費用についてはサウジ政府 が負担する」という。何度もプッシュした結果、ようやく大臣がゴーサインを下した。しかし、そんなメモ書きが添えられていたことで、 日本人所員は唖然とした。

  研修渡航の条件として、父親、兄弟などの1名の男性親族が同伴されるべきことが指示されていた。サウジ政府としてもイスラム教ワッハーブ派の戒律から 導き出される結論なのであろう。そう指示しなければ、宗教界との間に深刻な対立の種が生まれてくるものと推察された。 各1名の同伴者の渡航にかかる航空券代と宿泊経費についてはサウジ政府が負担するということであった。かくして、女性にまつわる 宗教的ルール、戒律の矢が突き刺さった。価値基準の違いから来るこの大臣指示に暫く茫然とした。だが、エジプト人らの現地雇用のナショナル スタッフは安堵し、むしろ歓喜の声を上げていた。

  何故大臣のメモ書きに唖然としたのか。我われ日本人所員が最も懸念したのは渡航費などの経費負担のことではなかった。経費はたとえ サウジ政府負担であっても、そもそも、JICAの研修では同伴者の帯同は認められなかった。百歩譲ったとしても、JICAは 日本政府から招待を受けていない同伴者に対して何の特別・個別のサービスをも提供できないし、また行なわない。JICAは特別の 便宜供与をそのような付き添い人にはなしえない。つまり、同伴保護者向けの特別のプログラムやその他のいかなるメニューも 基本的に一切用意しない。同伴者のための宿泊ホテルの予約、研修旅行への同行アレンジなどのオプション的事柄のアレンジには 手を貸すことはない。そのことを彼女らに十分理解してもらう必要があった。

  ところがである、親族同伴を前提とした渡航承認を聞いたナショナルスタッフは歓声を挙げて喜んだ。これで、事は済んだ といわんばかりであった。私は、女性研修員の男性保護者によるお目付け役的付き添いという裁可に正直驚いた。渡航費の政府負担には、 さすがサウジ政府は金持ち国、その太っ腹に驚いた。だが、先に少し述べたように、そんなことより別のことがよぎった。 JICAの宿泊施設はほとんど全てが単身赴任者用である。10組のツイン・ルームがあるはずもなかった。民間ホテルなどの宿泊施設を 同伴者のためにアレンジすることもしないし、また国内研修旅行の移動に際しても同伴者のために切符のアレンジをすることもない。 要するに、JICAの研修は同伴者を前提とするものではないし、例え同伴者が来日しても宿泊・移動その他の便宜を供与する ことはないのである。そこを、本部関係者にどこまで特別配慮を求めて頼み込むかであった。「サウジはこれだから、……なんだ」 と陰口をたたき、迷惑顔を浮かべる本部関係者を想像してしまった。門切り型の官僚主義的で画一的な対応に慣れきっている本部 関係者に融通の利いた柔軟なアレンジを要請するべくもないと、頭から思い込んでいたところがあった。 日本人所員のそんな思い過ごしことを知ってか知らずか、ローカルスタッフは、これで「一件落着した」と歓喜するのだから もう訳が分からなかった。

  さてその後すぐに、私はその訳を知って再び唖然とし、彼女らの渡航を実現できるのか困惑した。エジプト人の高級クラークは これで全てが前に押し進められると満面の笑顔を見せていた。これで研修員は全員渡航できるという。 ナショナルスタッフの説明を聴いた。サウジ政府からファーストクラスの航空券を支給されても、男性保護者は訪日しないで あろうというという。途中ドバイかどこかでフライトを降り遊んだ後戻ってくるか、ドバイで乗り換えてヨーロッパの町へ繰り出す だろう。保護者が同伴しない場合は、ファーストクラスの日本サウジ往復航空賃と宿泊費を国内で別目的に有効に使うか、ドバイで 使い果たすか、あるいはそのままポケットにしまい込むだろうという。要は、サウジ政府としては、宗教的戒律に基づききちんと 保護者同伴を指示したが、研修員やその親族自身がそれを守らなかった、ということになるのだという。結局、数人の研修員は 同伴して訪日した。執拗なほどにJICAは何の特別かつ個別の便宜を提供できない立場にあることを説明していたので、本部からは 何のクレームも聞かされなかった。

  もっと驚いたのは二年目のことであった。同じ研修プログラムを翌年にも実施する段には、事はさらに大袈裟となった。 今度は、教育大臣は女性研修員の日本渡航の可否につき、国王の裁可を仰ぐことにしたということが、教育省担当者から漏れ 伝わってきた。あっけにとられた。女性の渡航に関し、その可否を国家の最高権力者に判断を求めることに、異文化の余りの ギャップに全身鳥肌が立った。国王から裁可が下るのに相当の時間を要し、研修そのものが迷宮入りになることも半ば覚悟した。 裁可が何時になるか全く目途がたたなかったので、止む無くJICA本部に研修実施時期の先送り、改めての仕切り直しを願い出る ことにした。そして、研修機関である女子大学との調整につき依頼した。

  さて、その1ヶ月後のこと意外に早く、国王から渡航の裁可が下りたとの連絡を受けた。しかし、研修時期は予想した通り 当初の実施計画時期から大幅にずらすしかなく、時期のリセットを余儀なくされた。さて、渡航については昨年と同様の条件 付きでの裁可であった。JICA本部では国内法令と内部規則の下で見事なまで職務を効率よく遂行する。だが、多くの異文化を 経験してきたJICAでさえも、保護者同伴という事態は予想しておらず、それなりに柔軟な対応をすべく頭の切り替えをせざるを えないところに追い込まれた。兎に角、多くの関係者が予定の変更・再調整、多少の迷惑や混乱を受容しながら職務を遂行した。 日本人が当然視する日本ルールや価値観からかなりずれた超異文化を間近に体験し乗り越えることができたといえる。 2年7か月のサウジ勤務にあって、これがびっくり仰天し唖然とした一例であった。超異文化の洗礼をここに衝撃的な形で 受けた思いがした。だが、一般論としては、サウジ勤務は驚きの連続であり緊張の毎日であった。サウジ社会との向き合いは 飽きること知らず、退屈する暇もないほどであった。

  最後に、幾つかの余談を記したい。JICA事務所では、日本から派遣される所員は全員男性で、現地雇いのナショナルスタッフは 多国籍である。エジプト人、インド人、エリトリア人などであるが、一人だけ日本人女性が勤務していた。外部のサウジ人に 知られてはまずいことである。同じ場所での男女共働するのは御法度であった。当地では金曜・土曜日が週休日であった。 日曜日から木曜日までが通例の出勤日であった。日本と勤務時間を同じくして、仕事や通信ができるのは、月曜日から木曜日の 4日間のみであった。それも、サウジと日本の間に6時間の時差があったので、通常一日に同じ勤務時間をシェアしているのは 何と2時間しかなかった。これも仕事上非効率の種ではあった。

  最後に余談をもう一つ。サウジ人に限ったことでないが、アラブ人やイスラム教徒は預言者モハンマドやその後継者たちの 名前を自分の名に取り入れることが数多見られる。特にサウジ人には多いようだ。「9.11のニューヨーク同時多発テロ事件」の 殆どがサウジ人であったことから、各国の治安当局が有するブラック・リストとコンピューターをもって照合されれば、 同姓同名の人物がはじき出される。単純に名前だけ照合されれば、サウジ研修員の多くがブラックリストに挙げられるテロリストに 該当するではないかと、入国時のパスポートコントロールで疑われ、嫌疑を受けるということになりかねない。それにどの男性も オサマ・ビン・ラディンのような立派なアゴヒゲなどを生やしているから、正直まともに疑われてしまいそうである。 時にそんな悲劇的事態に出会うこともあった。

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    第4節 サウジの異次元文化に衝撃を受ける


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      第1節: 日本の技術協力に期待する石油王国サウジアラビア
      第2節: サウジアラビアにおけるプライベートライフ(その1)/欧米式コンパウンド生活
      第3節: サウジアラビアにおけるプライベートライフ(その2)/砂漠へのピクニック
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      第5節: 「海のラクダ」ダウ船を追い求め、時計回りに半島諸国を旅する(その1) /ドバイ、バーレーン、カタール
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