サウジアラビアは日本や欧米諸国などからの技術協力を渇望してきた。前節で述べたとおり、それには相当の理由があった。
私が赴任した2004年当時、「政府開発援助(ODA)」の一環として無償で技術協力を実施していたのは日本くらいであった
(サウジへのいわゆる無償資金協力は、ア首連、クウェートなどの他の中東湾岸産油諸国の場合と同じく対象国ではなかった。だが、
技術協力についてはサウジはなおも対象国であった)。ドイツの援助機関であるGTZはすでに有償ベースでの技術協力に踏み込んでいた。
サウジでは、JICAは援助機関としてのステータスそのものがずっと認められてこなかったものの、日本大使館経済部の看板を掲げて実施
するJICAの技術協力は過去30年以上にわたり大いに歓迎されてきた。
さて、サウジ側はODAを受け入れるに当たっては、ODAの仕組みを忠実に履行する形で、必要とされる施設や資機材のハードウェアに
多くを多額の国家予算を投じて自ら準備してきた。そして、サウジ人材の育成につながるさまざまな技術ノウハウを真摯に学ぼう
としてきた。世界有数の石油王国とはいえ、長期戦略として「脱石油立国」、「産業の重層化、多角化や複合化」という国づくりを
目指すのは、将来のいつの日にか、国家経済を石油と石油化学工業ばかりに頼っていてはいずれ立ち行かなくなるからである。
その苦悩は半端でない。サウジほど技術的ノウハウに飢え、多角的な産業基盤の振興を渇望する国も少ないであろう。高くつく対価を
払ってでも技術ノウハウを希求する国であると理解した。
だとしても、サウジは大産油国であるが故に一人あたりの国内総生産(GDP)は相当高いもので、2004年当時にあっても
ODAからの「卒業」が取り沙汰されていた。何故にサウジのような大産油国がJICAからのODAを受け入れるのか、JICAでも疑念を抱く
職員も多かった。OECDの「開発援助委員会(DAC)」の統計では、一人当たり一万ドルを超える国は、「発展途上国」とは見なされず、
ODAの対象国ではない。サウジについては例外扱いとして、3年間連続してこの基準を上回る場合には対象国からはずされること
になっていた。非対象国と認定されれば、OECD加盟国の日本がいくら技術協力しても「途上国へのODA供与実績」としてはカウントされない。
結局数年後にはODA卒業国とみなされる可能性が迫っていた。
サウジの3年間の技術協力に関する基準超過措置は特例的な取り扱いであった。ほとんどの先進国は無償での
技術援助から手を引き、例えばドイツなどは有償ベースでの技術ノウハウ移転システムに移行していた。日本がいくら
対サウジ支援を続けても、統計上DACのODA供与実績にはカウントされなくなる日は間近に迫っていた。別の見方をすれば、日本の大蔵省、
外務省、JICAがODA予算をつぎ込んでサウジを援助すること自体が法的に許容されなくなる。JICAは法律上「開発途上国」に対してのみ
ODAを供与できるというのが法制である。従って、サウジがODA卒業した後もJICAが技術協力を続けると法律違反となってしまう。いずれにせよ、何らかの
民間ベースでの技術協力や、有償ベースによるJICAの技術協力などの別のスキームをもってしか対応できないことになる。
休題閑話。さて、JICAの具体的なプロジェクトのことに話を戻したい。サウジからの期待が最も高く、しかも成果が上がりつつ
あった技術協力プロジェクトは、紅海沿岸の国際的港湾商業都市ジェッダで実施されていた「自動車整備研修所(SJAHI)」プロジェクト
である。日本およびJICAの技術協力としては特筆に値する重要なプロジェクトで、サウジ政府と社会に大きなインパクトを及ぼしつつ
あった。SJAHIプロジェクトの存在はサウジ国内のみならず欧米援助諸国の間でも広く知られ、第二・第三の類似プロジェクトへ繋がり
つつあった。
現代の自動車には電子制御システムが多く組み込まれ、その電子技術までも習得し整備することはそう生易しくはない。しかし、サウジ
人青年に自動車の機械・電気関係の専門的整備技術の基礎をみっちり伝授し、サウジ社会に送出することには極めて大きな意義が存在した。
5~6百万人の外国人技術者・労働者に依存するサウジにとっては、当該分野のサウジ人材を育成することでそこそこの外国人を
サウジ人に置き換えることに繫がるというモデル事業的な取り組みであった。まさに現地で声高々に叫ばれていた「サウダイゼーション化政策」の
、自動車整備分野における具現化を担ってきたものといえる。
同研修所のハード面である施設・資機材は基本的にサウジ側の財政的負担によって整備された。日本側は基本的に、日本の
自動車メーカーで組織される「日本自動車工業連盟」の全面的バックアップの下に、JICAの長期技術専門家が派遣され
指導にあたってきた。連盟からは実習に用いる何台もの最新モデルの自動車などが贈与されたりした。サウジ人自動車整備士を
一から養成するための本格的な職業訓練を集中かつ専門的に施す場であった。
当初にあってはサウジ側には十分な技術的ノウハウを擁するカウンターパート教官は全く育っていなかった。故に、技術移転の
ための指導方法としては、フィリピン人の中堅整備技術者を雇い入れ、フィリピン人技術者を介してサウジ人カウンターパートを
手厚く集中的に養成する一方、サウジ人見習いに直接的に実習・座学をもって教授するというものである。つまり、日本人専門家とサウジ人
生徒の間に中間指導者としてのフィリピン人技術者とサウジ人カウンターパートとしての専任助教官が介在した。
指導は整備技術だけでなく職業倫理意識の向上にも向けられた。サウジ人青年は一般的には、エアコンの効いた快適なオフィス
などでの執務環境下において、油で手を汚すことなく管理職的な仕事を好む傾向にある。国家公務員や業務管理者的な執務を志向し、
いわゆるブルーカラーのような工場労働を好まない。サウジに限らず現下の社会では止むを得ない傾向といえるが、油まみれになって汗を流す労働は
かなり苦手といえる。研修所では整備士訓練生として統一の作業用ユニフォームを着用し、汗を流し油にまみれながら
先ずはきちんと自動車整備を行い、顧客に整備済み車を引き渡すことをもってカスタマーの信頼に応えるという、有能な人材を育成すること
が目標である。
整理整頓、時間厳守などの意識改革も同時並行的に習慣化された。即ち、時間を厳守することから、全てにわたり規律正しく、
整理整頓と清掃を行なうことなど、日本的職業倫理をしっかりと会得してもらうべく徹底されてきた。将来自動車整備の最前線において
高い職業倫理をもって勤務できることを目指しての技術協力である。サウジ人青年である全生徒が一堂に寄宿生活を共に
しながら、日本車の整備を3年間にわたり、全て英語にて理論と実習のトレーニングに励み、勤労のあり方などの職業倫理をも修得する。
「整備のことは外国人のエンジニアや整備工に任せておけばよい」ということを止め、サウジ人が汗を流し油まみれになって
適確に整備し、顧客の信頼に応えられるようになることを目指している。
さて、全ての新人見習いは入学に先立って、日本の自動車販売会社に雇用される。その後、彼ら社員は社命をもって同研修所へ
派遣されるという形態をとる。即ち、入学時に雇用契約を交わした後、日本の自動車販売会社の整備サービス事業所に配属される。サウジ政府(職業訓練庁)は訓練経費の何割かをSJAHIへ
補助金として支払うことになる。毎年200名ほどの青年整備士が卒業する。日本の技術協力の中でも最有望なモデル的プロジェクトであると評価
されてきた。
サウジ青年らへの整備ノウハウの移転とともに、彼らの意識改革を促しつつ高い職業倫理を身につけるという職業訓練であることから、
サウジ政府と職業訓練庁によって高く評価され、将来にはサウダイゼーション化に寄与するものと期待されていた。サウジ社会では
SJAHIは模範的な職業訓練プロジェクトと認識され、実際に大きなインパクトを与えてきた。自動車整備に関する技術ノウハウだけでなく、
青年に労働・職業倫理の意識変革をもたらすはずであった。青年に新しい職域の創成をもたらすこと、かつその裾野を広げ技術労働者の
サイダイゼーション化に寄与するとの期待がある。直接的には自動車保守整備業界におけるサウジ人の雇用率の大幅アップにつながる。
整備サービス事業所がもはやサウジ人「幽霊社員」を抱えるようなことはなくなることになる。他方で、サウジのODA卒業の時期がどんどん近づいていた。
かくして、JICAはSJAHIプロジェクトを通じてサウジの国家存立にかかわる社会的課題の解決への道筋を切り拓くうえで大きな貢献
を果たそうとしていた。即ち、SJAHIをモデルにして、当時幾つかの類似のプロジェクトが創始されようとしていた。その類似
プロジェクトとは「プラスチック研修所」であった。サウジに進出する日本の石油化学工業関連企業などの全面的な協力を結集して、
さまざまなプラスティック製品を成型する労働者・技術者を育成する職訓機関を立ち上げるという構想である。
赴任中、サウジ職業訓練庁の資金投下によって建設工事は順調に進められた。当初は、この研修所は純然たるサウジ・日本の民間ベースの
協力として創始されたものであった。だが、日本側民間企業は、SJAHIをモデルとして何らかの形で日本政府・JICAが関与する政府系
プロジェクトに仕立てることを期待したようであった。即ち、技術指導に当たる7~8名
の日本人民間技術者に「JICA派遣の技術専門家」という身分を付与すること(JICAが派遣経費を負担すること、および外務省は公用
パスポートを発行すること)、もしくはJICAが経費を負担しなくとも外務省が当該民間技術者に特別に公用パスポートを付与する
ことなど、サウジ・日本の協力形態に関する協議が東京で続けられたようである。
JICA派遣専門家の身分を付与することは、JICAが派遣経費を負担すること、また公用パスポートが付与されることを保障するものであった。
日本・サウジの協力スキームにつき、日本の関係民間企業が水面下でJICAプロジェクトに仕立てたいとJICA本部に接触したことから、
本体の民間石化工業プロジェクトを采配するサウジ王家出身の顧問が疑義を呈した。元来の計画では、サウジ側の
財政負担をもって日本側企業が専属の技術指導者を派遣する約束になっていたという。それをJICAによる技術協力へとスキーム替えすれば、
日本企業はサウジ側の財政負担を丸々「自己収益化」できることになる。サウジ側は当初の約束を違えるものであると強いクレームをつけた
ようだ。紆余曲折を経て結局は、サウジはJICA技術協力からの卒業が近いこと、サウジの財政負担による日本人技術者の
派遣につき合意をみていたこと、ロイヤルファミリーの日本企業への不信感を払拭できないままにあることなどのため、JICAは当該
プロジェクトにいかなる形においても関与しないことで落ち着いたようである。
もう一つの類似プロジェクトは「電気電子製品メンテナンス(保守修理)研修所(仮称)」の設立であった。日本は多種多様の電気製品(複写機などの事務機器
をはじめ、冷蔵庫、洗濯機、空調機、電子レンジ、テレビ、携帯電話、ステレオ、ラジカセ、ミシンなど)を輸出し、
サウジは重要な顧客であった。もちろん、欧米諸国もそれらの製品を輸出している。ここでも日本の電子電気関連工業界は、そのメンテ
研修所の設立と、関連技術などのソフト面での技術協力が求められた。欧米諸国も横並びで協力が求められる状況にあった。
当時まだその建物の姿は見えなかったが、真剣に協議が続けられていた。職業訓練庁の副総裁はこのプロジェクトの実現に向け真剣そのものであった。
JICAがいかなる形で関与するのか、当時公式・非公式のいずれにおいても何の相談や協議にも預かることはなかった。
同庁が独自に日本の商社などを窓口にして製品メーカーと水面下で真剣な協議を重ねていたはずである。恐らく、技術協力からの
「卒業」を十分視野に入れ、民間ベースにおける技術協力においてのみ可能性を見い出していたのであろう。
いずれにせよ、SJAHIが最適のモデルとして、職業訓練庁は、米国、ドイツなどともこれら2つの研修所の設立について協議を続け
ていたようである。それほどインパクトが大きかった。
サウジにとって、ハード的な受け皿の建設については全面的に負担する一方で、先進諸国政府や進出民間企業には技術
ノウハウというソフト面での人材養成に対する協力を求めていた。有償方式をもって対価を支払ってでもサウジ青年に新規就労機会を
確保するための基盤づくりに真剣であった。サウダイゼーション化を進めるうえで確かな一歩に繋がるということであった。
JICAによるサウジに対する技術協力プロジェクトは、極論すればどんなジャンルのものでも歓迎されたといえる。日本への信頼は厚かった。
外国企業をサウジに誘致し雇用の機会を拡大することを渇望する一方で、必要とされるハード面での全経費につき財政
負担するので、人材育成に手を貸してほしいというのがサウジ政府の本音であろう。世界的に自然再生可能エネルギーや原子力などの
開発が進む中、グローバル規模での脱炭素社会化への取り組みは急速に進みつつある。サウジは世界的な脱石油・脱炭素化の大きな流れに
相当の焦りを感じていることであろう。職業訓練はもとより、あらゆる技術ノウハウの吸収をなりふり構わず渇望する。有償を前提にしてでも
技術協力を希求するというのが本音であろうが、他方でその対価に見合うだけの優秀な技術指導者を自国に派遣してほしいというのも
本音である。
無償の技術協力であっても、サウジからは技術ノウハウの移転とその成果をしっかり求められた。平たく言えば、
お茶を濁すような成果の見えない技術協力に対しては、時に正面切って歯に衣着せぬ厳しいコメントをつけられたりもした。
語学力と技術力に長けた優秀な専門家を派遣して欲しいと苦情めいた要望を、職業訓練庁副総裁から面と向かってストレートに何度か
発せられた。出来うればサウジ側関係者が日本に出向いて、複数の日本人専門家候補者を面談した後に、事実上自らが人選したいと、
同庁副総裁から本音のような要望をぶつけられた。JICA30年のキャリアの中で、他国政府からそんな要望を吐露されたのは
初めてのことであった。
JICAの技術協力は一般的に高い評価を受けてきたが、サウジでは語学力と技術力への苦言が何度か呈され、
あげくに複数の専門家候補者を前においてサウジ側が面談し選考したいと告げられたのには、さすがに驚きを隠せなかった。
JICAとしてはそのような人選手法は受け入れられるものではないところ、あっさりやんわりとお断りした。その場では軽く受け流し胸に
収めたものの、実態を知る者としては反論に窮することもあり悔しい限りであった。
要するにいろいろなプロジェクトがあり、専門家も混交玉石であるのは何もサウジに限ったことではなかった。
サウジは石油開発・石化業だけでなく新しい雇用の場としての他種産業を自国に根付かせ、サウジ人材を労働市場で吸収し、
国家が生き延びる方途と基盤を一日も早く盤石なものにしたいという。そんな石油大国として抱える悩みには根深いものがある。
JICAは それを理解しつつ、国家の将来の有り様にかかわる諸課題の解決に少しでも貢献すべく努めてきた。JICAの使命は、サウジの「人づくり
国づくり」や課題解決に向けた様々な種を播き続けることである。その代表事例はSJAHIプロジェクトであるが、JICAはそれ以外にも
課題解決に向けての色々な種を播き続けてきた。サウジ在任当時における協力領域は多岐にわたっていた。当時の
プロジェクト事例の幾つかをここに紹介したい。
・ 自然環境保全: アラビア半島西部には標高千数百メートル級の「アシール山脈」が1,000㎞ほどにわたり連なるが、「サウジ国家自然
保護委員会」としては同地方での植生を今後どう保全するかが大きな関心事であった。特にその山地に生える、ある固有種の樹木の減少が
懸念材料であった。その減少傾向の原因を探り、保全計画の策定の基礎とするための広範囲の植生実態調査などへに取り組んだ。
・ 看護技術の向上: 毎年サウジでは、世界のイスラム教徒にとって重要な宗教的行事である「ハッジ」と称されるイベントが繰り
広げられる。毎年世界中の百万人以上のイスラム教徒が、生涯に一度の義務として、メッカへ巡礼するため来訪する。巡礼者は時に
偶発的な大事故に巻き込まれことがある。保健省はその発生時においては迅速かつ適切な緊急医療サービスを提供する必要に迫られる
ことになる。救急対応策の一つとしてトリアージ法を採り入れることで看護対応能力を向上させるべく、看護協力プロジェクトに数年
取り組んだ。
・ 女性起業家の育成: サウジでは女性が就労する上でさまざまな宗教・社会慣習上の制約が立ちはだかる。女性による起業の振興策
を学び、就労機会の向上を図ることは、サウジ社会全体にとっても重要なテーマである。女性による起業の促進
に携わる女性指導者を育成し、就労機会の拡大を図るためのさまざまなノウハウを提供するプロジェクトとして、サウジ女性
への日本での技術研修の実現に取り組んだ。
・ 女子大学の教育・学務レベルの向上: サウジでは基本的に教育は男女別学であるが、特に女子高等教育(女子大学など)の
制度や内容、カリキュラム、大学の運営管理、学生保護者などのステークホルダーと大学側との関係構築を含む学務上のマネッジ
メント、就職指導などについて、女子大学教員らとそれら知見を交換するための教育・学務向上プロジェクトの実施。10名のサウジ人
大学教育関係者に対する日本の女子大学での特設研修を2年度にわたり実現した。
・ 貿易促進のための法制整備: 日本のJETROのような貿易振興機構づくりをはじめ、貿易を促進するための制度設計について
商工省関係局へ助言を行なう長期専門家の派遣。
・ 電子・電気・機械技術教育の向上: JICAはかつて「リヤド電気電子技術学院」における電子・電気・機械分野の技術教育レベルの
向上を図るために長期にわたり技術協力プロジェクトを実施した。その後「リヤド短期技術大学」へと発展したが、電子制御などの電子・
電気工学分野と機械工学分野の長期専門家2名を派遣して、両分野の技術教育レベルの一層の向上を図るべく取り組んだ。
・ 下水処理技術の向上: リヤド市の下水道処理場における浄化処理能力を向上させ、水資源の再利用率を高めるためのプロジェクト
の実施。
・ 省電力を普及するための開発調査: サウジは石油が豊富なことからほとんどの電力を石油火力発電によって賄ってきた。だが、
化石燃料の燃焼などによる地球温暖化効果ガスの排出を抑制するとの観点から、電力供給における化石燃料の消費を軽減するため、
国家として電力消費をいかに節減するかが社会的課題となりつつある。サウジの一般国民をはじめ、民間企業による電気の節電モードをいかなる手法で
社会的に浸透させ、実効性を上げて行くか。特に、消費者レベルにおける省エネの意識向上や習慣化の促進のための
方策を探るため「電力省エネ化のための可能性調査」を集中的に実施した。
・ 水資源の開発可能性を探るための開発調査: サウジでは水を制する者が国を制するとまで言われる。サウジの泣き所は水不足である。
国民生活・産業に必要な水のほとんどは海水の淡水化によって賄われてきた。西部の「アシール山脈」の高原諸都市では、淡水化した水を
紅海沿岸から高度差1000メートル以上もポンプアップしている。また、紅海だけでなくペルシャ湾岸低地地域の諸都市住民や産業でさえ、
多くは海水を淡水化した水に依存する。石油・ガス資源が枯渇傾向にでもなれば、水確保をどうするか。サウジの悩みは水資源の限界性にあり、
それは国の成長限界とも深く関わる課題となってきた。
サウジで水資源開発の可能性のある地域の一つは、相対的に空気中に水分が多いとされる「アシール山脈」周辺地域である。「ワジ(涸れ沢)」
などの地下には天水が伏流している可能性がある。その伏流水を地下ダムによって
堰き止めて、それを汲み上げることに望みをつないできた。ワジなどに伏流する地下水がいずこにどの程度賦存するか。その
開発可能性を探る基礎調査へは大きな期待が寄せられてきた。だが、2000年初期の一時期における大きなテロ事件の頻発と治安悪化のためにこれら2つの
開発調査の開始は中断されたままになっていた。
前任所長が住まっていたコンパウンドへのテロリストによる大規模な自爆テロは世界に衝撃をもたらしたが、それ以降数年以上にわたり
そらら2件の開発調査(省電力と水資源関連)案件が大幅に滞り、JICAリヤド事務所では早期に実施に移せるよう模索してきた。
かくして、JICA本部から安全確認調査団がようやく来訪することになった。リヤドやアシール地方のプロジェクト
対象地域における治安事情を調査し、開発調査の安全性を確認する必要があった。JICA本部の開発調査担当部はその結果を踏まえてようやく
2調査に着手することになり、技術協力は大きく前進することになった。
・ 海水淡水化技術の向上: JICAはかつて海水淡水化技術を向上させるために、過去長期間にわたり技術協力を実施してきた。
特に逆浸透膜方式などによる淡水製造能力や効率性を高めるための研究協力に長年取り組み、その後の淡水化事業に大きな貢献を果たして
きた。もっとも、赴任当時にはこの技術支援は終了し、民間のコマーシャルベースでの事業に移行してきた。
さて、最後にサウジのODAからの卒業や有償ベースの技術協力の模索について触れたい。2004~7年当時サウジのODA卒業がいずれ日程
に上がるのは時間の問題であった。当時、現地の日本関係者と間で卒業に備えて、水面下でそのソフトランディングに向けた
模索を活発化しつつあった。日本のいずれかの民間公益法人、例えばJETROや「中東協力センター」などがもつ別の政府系支援スキームによる、
何らかの有償ベースの協力に乗り換えるという施策もありえた。
JICAにも有償での技術協力スキームがあるにはあったが、その実効性には課題があると思われた。JICAでは、
経済的対価を得て技術協力を行なうことの事例は殆どなく、またその協力に殆ど慣れておらず、そのシキームも具体的かつ精緻に
整備されているとは言い難い状態にあったといえる。有償技術協力ともなれば、英語力・コミュニケーション能力のみならず、
髙い専門的技術力と経験を有する人材をリクルートし派遣できるかが大きなテーマとなろう。
所定の成果が上がらなければ、サウジ側から契約金の一部返還のみならず、場合によっては損害賠償を求めらることにもなりかねない。
かつてJICAの有償技術協力に関し内々に両国政府関係者間で協議がなされたようであるが、いわゆる「瑕疵担保条項」を協定文書
のなかに盛り込むか否かで大論争になり、交渉はある時期から頓挫したと仄聞していた。すなわち、有償ベースでの技術移転を約束しながら、
その成果が協定書通りの内容・レベルにまで達成しえなかった場合には、その経費を精算し返還することもありうるということが
制度化されることになる。未達部分の精算・返還に関する協議や和解が決裂すれば、両国政府関係機関間で法的な争いとなり
かねない。
さて、JICAによる有償ベースの協力でなく、別のスキームへのソフトランディングが模索されることになった。民間公益法人による
技術協力への新規参入の場合、過去には実績がない代わりに、固定観念を持ち合わせず意外とスムーズに協力関係を構築しうる可能性が
大きいかもしれなかった。JICAは「瑕疵担保条項」に関連してのクレームや争いに巻き込まれることは避けたいはずである。
真に訴訟ともなれば、外務省と法務省が矢面に立つことになるからである。従前の委託ベースによる技術専門家については、
有能な人材をリクルートし派遣できないことの方が高い。しかし、JICA調達部登録の民間コンサルタントのような人材のリクルート・派遣
であれば、請負ベースになることから経費は何倍も嵩むとしても、サウジが満足できる人材を確保できるかもしれない。
いずれにせよ、JICAが関与する場合には、じっくりと具体的かつ精緻に制度設計を行ない、大蔵・外務省との調整も必要となるであろう。
最大の難関は「瑕疵担保条項」に日本・サウジが合意できるかで、それが試金石となろう。これまでの技術協力においては、JICAは
ほぼ100%同条項を踏まえたスキームの下で守られてきたといえる。
JICA側はサウジ政府関係機関との間でタフな法的論争をいつでも受けて立つ覚悟をもつであろうか。
JICAには有償ベースの技術協力に関する内規はあるにはあったが、結局のところ当該スキームを適用することなく、2007年以降暫くして
サウジは技術協力から完全に「卒業」したことを後で知った。また、その数年後のことになるが、有償ベースでの協力については
別の民間公益法人(例えば、「日本国際協力センター(JICE)」など)が引き受けることになったと仄聞してきた。
ところで最後に蛇足に言及するのは気が引けるが、2004~7年にリヤド事務所に在任中、世界の脱炭素化傾向が強まる中での
サウジの将来展望に思いを馳せた。京都議定書成立後の温暖化効果ガス排出の削減につき国際的合意がなされず、その方向性が
まだ全く見通せなかった頃のことであった。サウジはこれまで石油大国として十分潤ってきた。だが、石油資源への依存は
、かつての石炭の事例に見られるように、石油の利用は究極的には下降傾向を辿ることになろう。サウジは予見しうる将来財政上
の大きな困難に直面する恐れがある。
しかしながら、サウジが脱石油。脱炭素化時代を迎えようと、第二のエネルギー大国になりうる可能性があるのではないかと考えた。
サウジの国土のほとんどは土砂漠と山岳地に覆われるが、そこに太陽光が燦々と降り注ぐ。特に前者には太陽光という自然再生可能
エネルギーが豊富に存在する。砂漠から莫大な石油を産出し潤ってきたが、今度は土砂漠を別の巨大エネルギーを生み出すものに
変えることができるかも知れない。土砂漠に太陽光パネルを敷き詰め、有り余るほどの電力を海だし、もって海水を電気分解し
大量の水素エネルギーを安価に製造し、世界中に輸出することは夢なのであろうか。あるいは、水素を別のエネルギーに変換した
うえで貯蔵・輸出することもできよう。石油に代わる第二のエネルギー資源の創出と輸出、もって石油から「水素エネルギー大国」
となる可能性もありうると見て取った。最大のネックは広大な土砂漠で時に発生する砂嵐やその他の異常気象による自然災害に見舞われ
るということであろうが、如何にそれらを最小限に抑制するかである。
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