サウジアラビアでのこと、カメラで海岸や船風景の写真を撮ることが大好きな私にとってなかなか馴染めないことがあった。
海や船の被写体を求めて大砂漠を横断してじぇっどなどの地方都市へ旅するのはもちろんのこと、首都リヤドの街中や近郊の史跡
を散策したり博物館を探訪することが楽しみとなっていた。実はデジタルカメラで「撮活」の楽しみにのめり込んだのは、
2000年から南米の「海なし国」パラグアイに赴任し、何と2つの船舶博物館に出会ってからのことである。だが残念なことに、
サウジでは、自宅などのプライベート空間以外の公共の場所での撮影はほとんど許されなかった。
そして、フラストレーションが日に日に高まることになった。2年半近くの赴任において、市民らが一般公共の場においてカメラやスマホを
もって写真撮りしている現場に遭遇したのは何と一度限りであったと記憶する。
リヤド市街地内では唯一といえる歴史的史跡の「マスマク城」の近くで、ヨーロッパから来たと思われる旅人の青年二人が
カメラをぶら下げ、全く臆することなくいかにも楽しそうに街角風景を撮っていた。お節介であったが、思わず声を掛けてしまった。
公共の場で無造作に写真撮影していると警察に通報され咎められるかもしれないと告げてしまった。外国人に限らず他人が、
真っ黒いアバヤに身を包んだ女性をはじめ、石油工業コンビナート施設、警察署、軍施設、宮殿、政府関係の建物などをうっかりと
カメラで切り撮るとやっかいなことになる。荒涼とした砂漠すらも公共の場ということになる。大袈裟に言えば、カメラワークは
自宅内の被写体のみということになるらしい。
サウジアラビアに赴任していた2004~2007年当時、カメラをぶら下げてサウジ国内を気軽に旅し、自然風景のみならず、人が行き交う
街角風景を自由に切り撮ることなど、誰かに密告されそうでリスクを感じるほどであった。ましてや、身近に人がいる場所での撮影には
常に密告のリスクが付きまとい、とても撮影できなかった。リヤド郊外の「ディライーヤ」という、今では廃墟となっている旧リヤド
の歴史的遺跡地区内ですらも、全く人がいないことを慎重に見届けながらカメラを構えるほどであった。海洋辞典ウェブサイトにおいて素晴らしい海風景などをアップし、
サウジの今を紹介したいと思いつつも、それができないとなればフラストレーションが一気に上昇した。隠し撮りするところまでは
行かなかったが、サウジ人に気付かれないように何とか切り撮りたいという衝動に駆り立てられることがよくあった。
そして赴任中、カメラを構える時のリスクを無理やりポケットに押し込んで、髙い緊張感を抱きながらいろいろな被写体と向き合った。
かくして、サウジ社会での長期生活者としての目線をもっての「撮活」(カメラワーク)に対する情熱を失うことなく、ついに数万枚の
画像を切り撮ることができた。
カメラワークについて正直に吐露するとすれば、「サウジ社会はそこまで厳格に写真撮影を排斥するのか」という思いが
いつも付きまとっていた。リヤド市内であろうが、片田舎の村であろうが、写真撮影には本気で注意を払う必要があった。正に
盗み撮りをするかのような気の使い様であった。ここで写真撮影にまつわるエピソードを幾つか紹介したい。
JICAサウジアラビア事務所員の旅行譚に刺激されて、私も同じ辺境の地へと数日間旅に出ることにした。サウジ北西部のヨルダン国境に近い、
紅海沿岸の小さな漁業の町アル・ワッジへと空の旅人となった。そこで旅行ガイドと落ち合い、そこから車
で内陸部の辺境地にある砂漠へとドライブする手はずになっていた。目的地は古代遺跡のあるマダイン・サーレという砂漠と山岳が
同居する、サウジらしい雄大な風景に出会える地であった。映画「アラビアのローレンス」で描写される、砂漠の中を貫通する
「ヒジャーズ鉄道」の列車を連想させてくれる土地でもあった。
さて、アル・ウェッジは小さな入り江に面する小漁村であった。その海辺には小型漁船が浜揚げされ、背後の海の先に
は小さな砂州が伸び、そこには集落がありモスクのミナレット(尖塔)がそびえ立っていた。紅海と木造漁船とモスクという
3つの被写体が最高のコンビネーション風景を作り出していた。大いに気に入り、是が非でも切り撮りたいと気をせいた。
周囲にはまったく人影はなく、誰も見ているはずもなかろうと思い、カメラを構えて切り撮ろうとした。すると、ガイドは
慌てて遮った。何故ストップをかけたのか、当初は理解できなかった。
美しい漁村風景を切り撮るのには少し知恵が要ると、彼は真面目顔でこう助言した。ガイドの自分が水際に立つので、自分を
撮影するような振りをしながら、少しカメラアングルをずらせて狙いの風景写真を撮るようにとのこと。ガイド自身はヨルダン
出身のいわば出稼ぎ外国人であった。アラブ人であり、またイスラム教徒のはずであったが、彼にとってもサウジのこの地では
異邦人であったようだ。アラブ人でありながら、たかだか風景写真の撮影に相当神経を使っていることが驚きであった。
いずれにせよ、彼の助言を100%受け入れて、数枚の狙い通りの素晴らしい風景画像を物にした。ところがである、2~3分もしないうちに、
地元民らしきサウジ人の老人がどこからともなく目の前に現われた。カメラを持つ私の眼をしっかりと見据え何やら訴え始めた。
だが、何を言っているのかアラブ語での「説教」は、馬の耳に念仏というか暖簾に腕押しで、全く理解不能であった。
直ぐにガイドが割って入った。両人はアラブ語であれこれと押し問答を結構長く繰り返した後、一段落した。
喧嘩にも警察沙汰にもならなかったが、老人は明らかに撮影のことでかなり気が高ぶっていた。ガイドは冷静に応対していた。彼に同行して
もらったのが正解であった。用心していても、やはり地元の男性から咎められてしまった。
その老人はたまたまよそ者の外国人が撮影していることに気付いたのであろう。最初から怪しい外国人と強い疑念を抱いたと
すれば、すぐさま警察に通報していたかもしれない。ガイドがいなくて私一人だけであったら、互いに意思疎通できず、老人は不信感
を募らせ警察にその場で通報したかもしれない。公共の場での写真撮りを甘く見てはいけない、と改めて自戒した。
たとえ人物の写らない自然風景の撮影であっても、誰が見ているか分からない。
辺境の町でもこんな具合であるから、ましてや一般の市中で軽率にして無警戒に撮影でもすれば、どうなるか想像がつく
というものである。スマホなどでいとも簡単に警察へ即時通報された挙句に、言葉が通じず釈明が全く理解されなければ、
警察署まで連行されかねない。兎に角、不特定多数が行き来する一般市内の公共の場での風景撮り、特に人物が写り込むような
写真は恐らく一般通行人に咎められ、警察沙汰になるリスクが髙いと心得るべきであろう。
写真撮影に関する別のエピソード「撮活奇譚」がある。赴任していた短期専門家が業務でジェッダへ単身出張した。夕刻には仕事を終えてホテル
へ戻ろうとした。タクシーの後部座席から海岸通り沿いの市内風景をカメラで撮り始めた。後続していた車のサウジ人
がどうもそれを見ていたらしい。そして、警察に通報したのは明らかだ。テロリストかもしれない怪しい人物が車から撮影しいると言って
通報したかどうかはさておいて、専門家が乗車するタクシーがパトカーに捕捉された。通報した人物は、タクシー客が
石油化学工業関連のコンビナート施設を撮影したところを目撃したに違いない。パトカーの警察官に職務質問されたが、言葉が
互いに通じず挙句の果てに最寄の警察署へ連行され聴取を受けることになった。
専門家には不測の事態に備えて、JICA事務所からは携帯電話器を貸出し、いつでも24時間連絡を取れるように配慮していた。
同日夜になって、所員が専門家から「ジェッダの警察署にて取り調べを受けている」という電話連絡を受けた。どうも写真撮影を問題に
されているというだ。カメラを調べられた結果、コンビナートの施設も写っていたらしい。サウジ側はテロリスト
との繋がりを疑ったはずである。
事務所はすぐに在リヤド日本大使館や在ジェッダ日本総領事館に連絡を取り事情を説明した。
直ぐに警察署で本人に面会し、事実確認や身元についての説明などの対応を取ってもらうことになった。そして、大使館員が
翌日を改めて出向き、身元保証書などにサインし、身柄を引き取ることで一見落着した。屋外ではこのように誰が見ているか分からず、
現代の利器である携帯電話で即座に通報されてしまい、事情聴取を受ける羽目となる。コミュニケーションができないとなると、さらに
込み入った事態になるのは必定である。ましてや、大使館員、JICA所員、サウジ人関係者などの適時適切な介入がないとトラブル
は相当深刻化するリスクがあろう。
サウジ人からすれば「善意の通報」であり、テロを未然に防ぐためという思いがあったに違いない。今回、専門家の軽率な撮影
行為から不用意な結果を招いてしまった。勿論、撮影に関する留意事項を含めて専門家に個別に事前のオリエンテーションをしてきた。
さて、在ジェッダ日本総領事館には事情確認と本人の貰い受けの御足労をしてもらった。専門家の身に何があるか分からないし、
このような有事に備えて携帯電話を貸与しているものであり、幸いにもすぐに通信することができた。本人が英語で身分などを釈明しようにも、
言葉の壁は大きい。警官は英語を理解しない場合がほとんどであり、意思疎通は期待薄のため不信が増幅されかねない。
我々日本人が専門家の事をいくら英語で説明しても信用されないことになりかねない。警察沙汰になった場合には、JICAの業務
をよく知り、彼の身元を十分説明できる者、それもサウジ人(少なくともアラブ語を理解するエジプト人所員など)が間に入って説明
するのが嫌疑解消への確かな方法である。あるいは例えば、裏ワザとして、事務所が常々相談したりする現役の治安担当警察官に介在して
もらうという次善策があるにはあった。だが、領事館員などが本人の身元保証や引き受けに出向かざるを得ない事には代わりは
ないと言える。国によっては、たかだか写真一枚のことと軽視できない。
他国でのケースであるが、その「たかだか写真一枚」と軽視できないエピソードがある。北アフリカのチュニジアで写真撮影を巡って肝を冷やしたことがあった。「マディア漁業訓練センター」
という技術協力プロジェクトにつき、同国水産局や専門家との打ち合わせのために、1982年11月にチュニジアを訪問した。センター
所属の訓練船が首都チュニスの造船所のドックに入渠し修理中ということで、我われJICA調査団員らが状況視察に出向いた。
その時同センターに配属されていた若いJICA海外青年協力隊員も同行してくれた。隊員はその訓練船の写真を何枚か撮影したという。
隣のドックにはフリゲート艦のような軍艦が泊渠していた。泊渠そのものには気づいていたが、艦船の国籍などを気に掛けることはなかった。
ところが、その後聞かされた話であるが、在チュニジアソ連大使館から日本大使館に連絡が入り、写真とそのネガの引き渡しを
要求されたという。訓練船を撮影した写真には、その背後に泊渠していたソ連艦が写っているはずだから、それらを引き渡す
ようにという要求であった。ところが、想定外の話であるが、同隊員はカメラにフィリムを入れ忘れていたことを撮影後になって
気付いた。仮に引き渡すことになったとしても、写真もネガも存在するものではなかった。今更ソ連側にそれを釈明したとしても、
彼らは信じるはずもないことであった。要求がさらにエスカレートすれば、ソ連側の猜疑心は一層深まり両国の折衝が
更にぎくしゃくする懸念もあった。後で聞いた話であるが、写真の引き渡しに頑として応じず、それを貫き通したという。冗談話の
ようで本当の話である。このように、海外での写真撮影には思わぬリスクが潜んでいるので、細心の注意が必要である。
市中の公共の場でのサウジ人女性の写真撮りは、たとえ「アバヤ」を着衣していてもご法度である。サウジでは、女性は
「アバヤ」というゆったり目の真黒い無地の超ロングなワンピースのような薄い手の民俗衣装をもって、全身を肩から足元まですっぽりと
覆っている。女性の肌を一切見せないためである。さらに、「ヘジャブ」(またはヒジャブ)という黒い布で髪の毛を含め頭や顔の回りを
すっぽりと覆う。さらに、両眼だけを残して顔全体を別の黒い布「ニカブ」で覆い隠す。
そして、そこにサングラスを掛ければ、肌は一切見えなくなり、誰か全く見分けがつかなくなる。アバヤを着脱すれば、私服で美しく
着飾っているとよくいわれるが、街中で私服姿のサウジ人女性(幼い子供たちは別にして)を一度も見たことない。だが、
着飾りは本当のことらしい。男性はヘジャブもニカブも被らないが、女性の真っ黒いアバヤと対照的に真っ白な超ロングコートのよう
な薄い民俗衣装で覆い、涼しげないでたちである。だから、サウジの街中を見渡せば、行き交う者はブラックかホワイトのいずれかで、
ほぼ二色だけの世界が広がる。
さて、男性が親族でもない他人の女性に直接話しかけ対話することもまたご法度である。女性が自身の夫や息子、父親などの
家族以外の血縁のない男性とは会話することは大いに差し障りがある。男性警察官ですら、女性の男性親族を
介しないで女性に職質することも出来ないらしい。職質するならば、その女性の男性親族(配偶者や息子、父親、兄弟など)を
介する他ないという。サウジでのこの社会慣習や価値観の違いには驚くばかりである。文化に「慣れる」というよりも、「アンタッチャブル」なこととして受け
入れる他ない。2年7か月のサウジ生活において、街中で他人同士の若い男女が気軽に日常的会話をしているとか、仕事で打ち合わせ
している場面を目にすることは一度もなかった。私自身もサウジ人女性と直に対面で会話したのは二度ほどで、それも職場の
事務所内での業務上の説明会でのことであった。それ以外のいかなる場所でも言葉を交わしたことがない。
女性との会話に関するエピソードを続けたい。サウジ赴任中において、私的にしろ業務にしろ、サウジ人女性
と会話を交わし、意思疎通を図った時の総時間を数えてみれば、わずか1時間ほどであった。それ以外の記憶はない。
10名のサウジ人女性が東京にてJICAの特設研修プログラムに参加することになった。出立に先だって事務所に出向いてもらい、オリ
エンテーションを供する機会をもった。責任者として先ず公式の挨拶を交わした後、幾つかの重要事項を説明するとの手はずで
ある。彼女ら研修員が東京のJICA本部から接受する待遇や応対に関連して、彼女らに余計な誤解が生じることがないよう適切な
情報を予め提供するためであった。出席した女性の全員が例の真黒いアバヤを全身に羽織り、ヘジャブという黒いベールで髪の毛と
顔の周りを完全に覆い尽くし、さらにニカブを顔全面を覆い両目部分しか露出していなかった。そして、中には、
透かしの効いた薄い黒い布で両目部分を覆っている研修員もいた。勿論、女性からは透視できるように
なっているはずである。両目を覆う薄手の布の上からさらにサングラスを掛ている女性もいて、さすがに心臓をドッキリとさせ
られた。
女性研修員と相対して対話しても、顔の表情や両目の動きが分からないので、彼女らの思いや反応などを読み取ることは
できなかった。彼女らから投げかけられた質問や彼女らからの返答を通した対話によって、理解の程度を推し計るほかなかった。
アバヤ、ヘジャブ、ニカブ、さらにサングラスを着用したサウジ人女性との生まれて初めての密室での対面であり会議であった。
過去に経験したことのない何とも表現し難い空気感の中に一時間ほど閉じ込められたという印象である。
別の表現をすれば、別々の星からやって来た異邦人同士が初めて対面して言葉を交わし、何とか意思疎通を図るというような
緊張感に包まれていた。目の部分だけでも露出していれば、目の動きなどである程度心の反応などが掴めるが、サングラスまで
掛けられると、対面者である私の心の中まで鋭く透視されているかのような奇妙な感覚に囚われてしまう。
サウジでは年頃の男女であってもなくても、同じ職場内で顔を合わせたり、また意思疎通を図りながら共働することもない。
男女が社内食堂で共に昼食を取り談笑することもない。実は、JICA事務所はサウジ政府機関のなかでも「職業訓練庁」とは電子・電気・
機械関連の高等専門学校や自動車修理研修所などのプロジェクトを介して、最も長く深い付き合いをしてきた。同庁の副総裁アリ氏とは頻繁に会合をもったり、食事を
共にしたりして、それなりの信頼関係を築いてきた。そして、ある日彼が明かしてくれたことがある。同庁には3人の副総裁
が就いていた。うち一人は女性であるという。それを聞かされた私は、興味本位でつい訊ねてしまった。
「打ち合わせは同じテーブルを囲んで対面で行なうのですか」と質問した。アリ氏曰く、「未だ会ったことはない。
顔も知らない」という。そもそもこれまで会議で同席することもなかった(できなかった)らしい。ならば、どのようにして仕事を
するかを問うと、「仕事上のやり取りはファックスで。後は電話で」という答えが返ってきた。
さらに問いかける言葉が出てこず、出てきたのはため息だけであった。
別の話であるが、政府系機関の「サウジ投資庁」にはジャパンデスクがあり、日本人顧問の「T」氏が勤務していた。ある優秀な女性を雇用すること
になったという。そして、同顧問がその新入女性職員の指導役に指名された。そこまではよいとして、男女同一職場環境問題が
持ち上がった。同庁の出入り口を男女共用とすることも、同じ建物内の職場で彼女が男性に混じって執務することも、サウジでは許されない
ことであった。どうするのかと思いきや、彼女一人を執務させるために、男ばかりが執務する本館のすぐ傍らに彼女専用の分館を
建てたという。ジャパンデスクのT氏から直に聞かされた話である。果たしてT氏が彼女に何処でどのように教育指導したのかを
聞きそびれてしまった。
ファックスや電話によることもあったであろうが、同氏の口ぶりではどうも対面指導もなされていたようである。
女性にまつわる社会・宗教的慣習に直面してはびっくり仰天し、唖然として言葉も出てこないこともあった。女性も自動車運転
免許を取得できるが、自分では運転できないという。主人や子息に送り迎えしてもらう他ない
という。公共バスもほとんどないことから、多くの女性は不便極まりないという。女性が買い物に出掛けても男性店員とは話が
できない。レストランに行っても、女性が混じる家族のための専用入り口と、その他の一般男性客用のそれとは別々である。勿論、
レストラン内部でも全くセパレートされる。一般男性が自身の家族でもない他の一般女性とが顔を見合わせることはありえないのである。
かくして、独身男性の結婚相手は、その女性の生い立ちや素性を知る立場にある母親が決めるという流れにならざるをえないという。
それがほとんどのケースであると聞き及ぶ。
アザーンが響き渡りお祈りの時間が近づけば、全ての店のシャッターが閉じられる。店を閉じなければ営業停止などの処分を食らう
ことになる。モスクへ駆けつけて出来るだけ大勢の人と一緒にお祈りすることが強く推奨される。毎日5回、時間がくればお祈りする。
日中なら、仕事の手を休め、立ったり座ったりしながらお祈りすることで体を動かすことになる。彼らなりに心身をリフレッシュ
することができるという。お祈りはいろいろな「効能」をもたらすことは確かである。異邦人からすればなかなか馴染めないことだが、
サウジ人にはお祈りを通して毎日の生活にメリハリがつき、また刺激の矢が刺さるようである。気分転換ともなりうる。サウジに数年いると、
社会・文化・宗教的価値観などを学び、目からうろこが
落ちるような体験に巡り会うことにもなる。カルチャーショックは日常茶飯事のことであった。いつも新しい発見で、
そんなものかと軽く済ませられることが多いが、時に煩わしさと不便さを感じることもある。サウジで生活する限りそれらに耐える他ない。
さて、余りのカルチャーショックに唖然とし、一生忘れがたいエピソードを体験した。サウジ人女性10名の日本でのJICA研修への
出立に当たって、JICAのリヤド事務所で対面した時のことについては既に述べたが、実は彼女らの渡航許可を巡って一悶着あった。
サウジ文部省が彼女らの日本研修を許可するに当たってのエピソードである。サウジ政府の要請に応じて、JICAはサウジ女性の
大学教育関係者10名のために毎年数週間の特別研修プログラムをアレンジしていた。研修の受け入れ実施機関は東京のある女子大学
であった。日本の女子大学の教育制度、レベル、教育方法をはじめ、保護者と大学の関係性、大学の運営管理、交友会・同窓会の運営
その他の学務・教育上の諸課題について研修するものであった。
日本に送り出すための実務手続きとして、サウジ政府側からの正式の研修員受入要請書なるものを取り付ける必要があった。
具体的には、サウジ教育省内にて大臣承認を取り付けるために10名の女性候補者の顔写真付き履歴書を含む正式の要請書(A2A3フォームと称される文書)を
封書に入れた決裁文書案が関係部署に回付が行われた。
特定の所管官吏しか開封できないよう厳重に省内回付がなされたはずである。かくして、教育省の次官は決裁書類に署名し、教育大臣に
回付されたという。だが何故か、大臣がなかなか署名するに至らず、ペンディング状態になっているとの内部情報を掴んでいた。
JICA事務所ではやきもき
しながら決裁が下されるのを待ち続けた。事務所から教育省事務方に照会しても、「次官は決裁済み。もう少し待ってほしい」
との返事ばかりであった。
あの手この手でいろいろ督促をお願いしていた甲斐あって、その後一週間ほどしてようやく大臣によって裁可されたとの
情報がもたらされた。だが、決裁に何やら付箋が付けられて戻されてきたという。大臣自らが書き入れたメモには一つの条件が
記入されていた。「研修員の渡航に当たっては、それぞれ彼女らの男性保護者を同伴すること。ただし、その渡航費用についてはサウジ政府
が負担する」という。何度もプッシュした結果、ようやく大臣がゴーサインを下したものの、そんなメモ書きが添えられていたことで、
日本人所員は唖然とした。
研修渡航の条件として、父親、夫、男性兄弟などの男性親族一名が帯同されるべきことが指示されていた訳である。
サウジ政府としてもイスラム教ワッハーブ派の厳しい宗教上の掟から
導き出される結論なのであろう。そう指示しなければ、宗教界との間に深刻な対立の種が生まれてくるものと推察された。
各1名の同伴者の渡航にかかる航空券代と宿泊経費についてはサウジ政府が負担するということであった。かくして、女性にまつわる
宗教的ルールの矢が突き刺さった。価値基準の違いから来るこの衝撃の大臣指示や社会的価値観に暫く茫然とした。だが、事務所の
エジプト人らのナショナルスタッフは安堵し、むしろ歓喜の声を上げていた。
JICA事務所の我々日本人所員が大臣のメモ書きの何に困惑したのか。最も懸念し唖然としたのは渡航費などの経費負担のことでは
なかった。経費はたとえサウジ政府負担であっても、そもそも、JICAの一般研修では同伴者の帯同は認められなかったからである。百歩譲ったとしても、JICAは
日本政府から招待を受けていない同伴者に対して何の特別・個別のサービスも提供することができないし、また行なわないのが大原則
であった。JICAは特別の便宜供与をそのような帯同者にはなしえない。つまり、同伴保護者向けの特別のプログラムや
その他のいかなるサービス・メニューも基本的に一切用意されることはない。帯同者のための宿泊ホテルの予約、研修旅行の同行
者向けのアレンジなどにも手を貸すことはしないという実務上のルールがあった。そのことを研修員に事前に十分理解して
もらう必要があった。
ところがである、親族帯同を前提とした渡航承認を知ったナショナルスタッフは歓声を挙げて喜んだが、それには隠された事情があった。とにかく
これで万事うまく運ぶといわんばかりであった。私は、女性研修員の男性保護者によるお目付け役的付き添いという裁可そのものに
率直に驚いた。渡航費の政府負担はさすが金持ち国サウジがやること、その太っ腹に驚いた。だが、先に述べたように、そんなことより
別のことが脳裏をよぎった。
JICAが運営する研修・宿泊施設はほとんど全てが単身赴任者用である。10組のツイン・ルームがあるはずもなかった。
民間ホテルなどの宿泊施設を同伴者のためにアレンジすることもしないし、また国内研修旅行の移動に際しても同伴者のために切符のアレンジをすることもない。
要するに、JICAの研修は同伴者を前提とする招聘ではないし、例え同伴者が来日しても宿泊・移動その他の便宜を供する
こともないのである。それにもかかわらず、JICA本部の担当者らにどこまで特別配慮を頼み込めるかであった。「サウジはこれだから、
……なんだ」と陰口を叩き迷惑顔を浮かべる本部研修関係者らを想像してしまった。彼らは門切り型の画一的な対応に長年にわたり
浸っており、融通の利いた柔軟なアレンジを強引に求めることもはばかれると、頭から思い込んでいたところがあった。
日本人所員のそんな「思い過ごしの事情」を知ってか知らずか、ナショナルスタッフはこれで「一件落着した」と歓喜しており、訳を飲み込めない
日本人所員には困惑がさらに深まった。
さてその後すぐに訳を知って再び唖然とし、彼女らの渡航を実現できるのか困惑した。特にエジプト人高級クラークであった所員は
これで全ての手続きを前に押し進められると満面の笑顔であった。
ナショナルスタッフにその訳を尋ねた。サウジ政府からファーストクラスの航空券が支給されても、男性保護者は訪日しないで
あろうという。途中ドバイかどこかでフライトを降り、そこで観光でもした後サウジに戻って来るか、ドバイで乗り換えてヨーロッパ諸国
へ繰り出すだろう。あるいは同行しない保護者は、ファーストクラスの日本・サウジ往復航空券をキャッシュ化し、宿泊代金とともに
別目的で有効に使うか、あるいはそのままポケットにしまい込むだろうという。要は、サウジ政府としては、宗教的戒律に基づききちんと
保護者の帯同のために航空券などを支給してまで指示したが、研修員や帯同者自身がそれに従わなかった、という論理に落ち着く
のだという。結局、数人の研修員は帯同して訪日した。執拗なほどにJICAは何の特別かつ個別の便宜を提供できない立場にあることを説明していたので、
本部からは何のクレームも聞かされなかった。日本に同行した親族は恐らく東京などで思い思いに本邦滞在を堪能したに違いない。
もっと驚いたのは二年目のことであった。翌年同じ研修プログラムを実施するに際しては、事はさらに大袈裟となり、開いた口が塞がらなかった。
今度は、教育大臣は女性研修員の日本渡航の可否につき、国王の裁可を仰ぐことにしたということが、教育省担当者から漏れ
伝わってきた。あっけにとられた。女性研修員10名の渡航に関し、その可否を国家の最高権力者に判断を求めるということの、
異文化の余りのギャップに全身鳥肌が立った。国王から裁可が下るのに相当の時間を要し、研修そのものが迷宮入りになることもありうると
半ば覚悟した。裁可が何時になるか全く目途がたたなかったので、止む無くJICA本部に研修実施時期の先送りを早目に願い出て、
改めての仕切り直しすることにした。そして、研修機関である女子大学との調整につき依頼した。
さて、その1ヶ月後のこと、国王から渡航の裁可が下りたとの連絡を受けた。意外にも早く裁可が下りて安堵した。だがしかし、
研修時期は予想した通り当初の実施計画時期から大幅にずらすことになり、時期のリセットを余儀なくされた。さて、
渡航については昨年と同様の条件付きでの裁可であった。JICA本部では多くの関係者が受け入れ計画の変更・再調整を図り、
異文化間のギャップを何とか乗り越え研修を実現することができた。
2年7か月のサウジ勤務にあって、これが最もびっくり仰天した価値観のギャップであった。異文化の衝撃的な洗礼を受けた
思いがした。だとしても、サウジ勤務は驚きの連続であり緊張感漂う刺激的な毎日であった。サウジ社会との向き合いにあっては
飽きることを知らず、また退屈する暇もないほどであった。
最後にJICA事務所での勤務について一言。サウジでは金曜・土曜日が週休日であり、日曜日から木曜日までの5日間が出勤日であった。
日本と勤務時間を同じくして仕事ができるのは、月曜日から木曜日の
4日間のみであった。それも、サウジと日本の間に6時間の時差があったので、通常一日のうちで同じ勤務時間をシェアしているのは
何と2時間しかなかった。週休日が同じにならない限り、仕事上の物理的な非効率性を克服できない。だとしても、リヤド
事務所では、緊急事態が発生しない限り、週休日と時差のギャップを逆手にとってうまく利用しながら平常時の仕事をこなす業を
磨いて行った。
最後にもう一つの余談について。サウジ人に限ったことでないが、アラブ人やイスラム教徒は預言者モハンマドやその後継者たちの
名前を自身の名に取り入れることが数多見られる。特にサウジ人には多いようだ。「9.11のニューヨーク同時多発テロ事件」の実行犯の
殆どがサウジ人であったことから、各国の治安当局が有するコンピューター上の「ブラック・リスト」と照合されることになれば、
同姓同名に近い人物が少なからずはじき出される。単純に名前だけ照合されれば、サウジ研修員の多くがブラックリストに挙げられる
テロリストに該当するではないかと、入国時のパスポートコントロールにおいてその嫌疑がかけられるということになりかねない。
それに多くの男性がオサマ・ビン・ラディンのような立派なアゴヒゲなどを生やしているから、正直まともに疑われてしまいそうである。
時に名前と容姿からそんな悲劇的な嫌疑の的となり、日本の出入国管理でとんでもない事態を巻き起こすこともあった。
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