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RAAN地区は、首都マナグアから500kmほど離れ、面積は約32,000km2で、人口は約350,000(2008年)である。
人口密度はわずか11人/km2である。
プエルト・カベーサス、ワスパン、ボナンサ、シウナ、ロシータなど7つの市からなる。年平均気温は27度、年間降水量は
2,000~3,500mmである。
先住民族として、ミスキート族、スモ族、ラマ族の直系の人々が暮らす。独自の言語、文化をもち、ニカラグアの中で最も古い
先住民族に属する。内陸部のシウナ、ボナンサ、ロシータには重要な鉱山があり、プエルト・カベーサスにはその名が示すように重要
な港湾がある (プエルトはスペイン語で「港、港湾」の意)。
カリブ沿岸沿いには、Bismina, Tuhkru, Pahara, Karata, Wountaなどの大きな潟湖(ラグーン)がある。
毎年、甲殻類 (crustáceos) や貝類 (moluscos) が、その摂餌や成長のためにこれらのラグーンにやって来る。
また、大きな河川が自治区内を東西に横切りながらカリブ海へと注ぎ込む。例えば、ホンジュラスとの国境を流れるココ川(Coco)、
プエルト・カベーサスのすぐ南を流れるワナ川 (Wana)、その南方のプリンサポルカ川 (Prinzapolka) などである。
RAAN地区のうちカリブ海側の半分以上は低い平地で、マングローブ、松林などの原生林、畑作地・放牧地などが広がる。
地域経済を支えている主な生産物は、鉱物資源、木材、魚介類である。
[雑記帳]
コロンブスの第4次航海(最後の航海)は1502~1503年であった。コロンブスは、キューバから針路を南西方向にとり、
現在のホンジュラスの海岸に達し、その後沿岸沿いに東方へ航海した。そして、ホンジュラス沿岸ではすさましい嵐に遭遇した。
コロンブスが後に名付けた「グラシアス・ア・ディオス岬」に至るまでの間耐えに耐えしのいだ悪天候ほどいまだかつて体験した
ことがないすごさであった、とコロンブスにいわせしめた。(出典:「コロンブス」、フェリペ・フェルナンデス・アルメスト、
永井淳訳、草思社、155ページ)
40日の間、時化の中で、ホンジュラス沿岸(東西方向に延びる)の沖合をのたうち回った後、ついに救いの光が見えた。
「海に眠る船 ― コロンブス大航海の謎」(クラウス・ブリンクボイマー、クレメンス・ヘーゲス著、シドラ房子訳、ランダム
ハウス講談社、2006年)は、その261-263ページにおいて、次のように記している。
「40日で70海里も押しもどされた。頬はこけ、希望をなくし、痛風などの病気に悩まされ、やっとのことで海岸が南に延びている
場所に着いた。そこを回ると、別世界が飛び込んできた。
青空がほほ笑み、すがすがしい風に帆がはたはたと音をたてる。目の前にある陸地が楽園にも見えた。提督は発見した山地に
ふさわしい名をつけた。われわれが40日の苦痛を終えた場所のそばの岬を「グラシアス・ア・ディオス」と名付けたのである。
(ディエゴ・メンデス「オフィル」より)」)」
グラシアス・ア・ディオス (Gracias a Dios) とは、スペイン語で「神よ、感謝します」という意味であり、「神に感謝する岬」とされた。
この岬が、現在ホンジュラスとニカラグアとの国境を流れるココ川 (Coco) のカリブ海への注ぎ口のすぐ南側にある岬である。
東西に延びるホンジュラスの海岸線はこの岬を境にして、ほぼ直角に南の方角へと延びて行く。この画像に写るラグーンから120kmほど
北にある岬である(プエルト・カベーサスから岬への道路はなく、ボートで行くほかない)。
コロンブスらの4隻の船は、1502年9月14日その岬から岸沿いに南下する航海を行い、220km南で投錨し、偵察用ボートを送り出した。
河口に渦があり、陸風が強まり、航行は困難であった。そこで船乗り二人が溺死したので、その川を「リオ・デ・ロス・
デサストレス (大惨事の川)」と名付けた。さらに南下して、次の川に達したが、夜となったためにその川に入るのを見合わせた。
この時この川に入りずっと遡上していれば、ニカラグア湖に達していたかもしれない。そこで先住民らと通じていれば、
幅20数㎞の現在のリーバス地峡の先に大洋が広がることが分かったかもしれない。歴史に「 if 」(仮説)は許されないとしつつも、
著者はあえてその「 if 」に触れている。(出典: 「海に眠る船 ― コロンブス大航海の謎」、264ページ)
いずれ機会を見て、「その川」、すなわちサン・ファン川の河口域の風景画像をご紹介したい。
[2009.03.20-21 ニカラグア、プエルト・カベーサスにて][拡大画像: x24236.jpg]
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