さて、時間をもう一度ワシントン大学ロー・スクール法科大学院(修士課程; LL.M.コース)の第一学期(1974年10~12月)での体験談に巻き戻す
ことにしたい。「海洋総合プログラム」に入学許可をえた学徒として、第一学期(first quarter)中に履修する必須科目と選択科目、
それらの単位数などをアドミッション・オフィスに届け出て、入学金とともにそれ相応の学費を納めた。そして、大学院での講義が
いよいよスタートした。
ELS語学学校に3ヶ月間も英語研修に身を投じた結果、語学力について少しは自信が高まったと言えた。だが、いざ学期が始まってみると
語学力向上は錯覚でなかったかと思えるほど語学力不足を痛烈に味わうことになった。逃げ出したいような気持ちが日々高まった。
そして、ロー・スクールでの悪戦苦闘が始まった。
授業では針のむしろに座っているようであった。自由討論形式での授業であればまだしも、教授が一方的に理論を講義する教科にあっては
何かと苦労がつきまとった。指導教授のウィリアム T. バークの「国際海洋法」はそんな部類に属するものの一つといえた。それでさえ
難解な法理論が息つく暇もなく展開され、私的にはその内容をその時その瞬間にそしゃくできず、講義についていくのは至難であった。
大学院での必須科目を選択しようにも、真に興味を持って受講したいと思う科目が意外と少ないことに驚いた。必須科目の中で最重要
であるバーク教授の「国際海洋法 (パート I )」の他に、必須科目の中から「核の抑止論」と「模擬裁判」を選択した。その他は
「海洋研究所(Institute for Marine Affairs; 略称IMS)」で供される科目を履修した。かくして初っ端からつまずくことになった。そして、
そのつまずきの影響は一年後にプログラムの修了を迎える頃まで引きずることになった。
「核の抑止論」について。かつて国連による安全保障に深い関心を抱き前のめりであった時期があった。また、日本の
「非核三原則」の国是政策に関心もあったので、大いに興味がそそられた。米ソ超大国が鋭く対峙し一触即発の武力戦争の危機に直面した
場合、核兵器は真に戦争の勃発を押しとどめうるのか否か。それが根本命題に据えられていた。米ソ英仏中などが保有する核兵器は、
それらの大国による核戦争をどれほどまで抑止できうるのか。果たして米国では如何なる見方や認識が一般的であるのか興味を抱かせた。
講義の初めに教授が述べた結論によると、「核兵器はその完全な抑止にはつながらない」というものであったと記憶する。
敵国が先制して核ボタンを押すかもしれないという恐怖に支配された状況下であれば、その恐怖心に駆られて相手国よりも先に発射命令を
下すかもしれない。極度の恐怖と緊迫の状況下では、冷静かつ理性的な決断を下しうるか、大いに疑問なしとしない。
一刻も早く攻撃せねば手遅れになり、何百万人もの自国民の死が待ち受けるかもしれないという恐怖から先制攻撃してしまうリスクは
いつもつきまとう。勿論、相手が核兵器を発射したことが確実に探知されれば即座に対抗措置を取らざるを得なくなろう。核兵器の管理や
操作に関するヒューマン・エラーによるリスクも高い。
講義が何回か続くと、「もしも…たら・れば」の仮定が急に多くなって行った。仮定の下での抽象的理論が永続することになり、
消化不良から抜け出せなくなる事態に追い込まれるのではないかと危惧した。私的には、講義内容を理解できれば興味がずっと
持続するテーマのはずであったが、理解度が極度に低下していくばかりとなった。ついにギブアップする決断に達してしまった。
語学力不足こそが根本的問題であったが、講座に関する認識も随分甘かったと反省した。だとしても、本教科以上に大変な講座が
目の前に控えていたことを知り再び肩を落とすことになった。
数少ない必須科目の中から次に選ばざるをえなかった教科は「模擬裁判」であった。授業の初っ端からついけそうもない
と直感するほど悲惨であった。弁護士を目指すロー・スクール(4年制の学部卒業後において入学可能となる5年制の法律専門
学校)に在籍する者は、「ジュリス・ドクター (Juris Doctor; 略称JD )」コースの学徒と位置づけられるが、それらの学生と席を
同じくしての受講であった。
そもそも日本の4年制法学部、2年制の大学院(修士課程)において模擬裁判なるものの演習経験は皆無であった。講義内容をしっかり
理解できないと、そもそも論点の整理すら行ない得ない。また、論証や反論などのための
見解を論理的に組み立てることも不可能といえる。論戦に加わることも全くできない。数回の講義を受けた段階でひどい消化不良を起こした。
ここでも語学力不足に衝撃を受けた。
そして、「核抑止論」と共に、ペナルティーなしでドロップアウトできるタイムリミット
直前に履修取り止めの決断を下した。そして、他の科目への振り替えを模索し、急遽仕切り直しすることに追い込まれてしまった。
このドロップアウトが後々の学位(LL.M.) 授与審査に如何様の影響をもたらすことになるか、全く思い至らなかった。まさに知らぬが仏であった。
第一学期での大きなつまずきはそれだけではなかった。特別のペナルティなくドロップアウトすることになったが、放棄した単位については、
別の科目を履修し単位を取得することでリカバリーする必要があった。各学期における必須・選択科目の最低履修単位が求められていた。
しかも、大学院生は平均「B」(平均80点以上)の成績を修める必要があった。重いプレッシャーを背負いながら、第一学期の時間は過ぎて行った。
因みに、必須科目中の必須であったバーク教授の「国際海洋法 (パート I )」はドロップアウトできるはずもなく、また絶対にしたく
なかった。指導教授の教科であり、これを修めるために留学したのも同然であったからでもある。だがしかし、第一学期末には、
留学そのものからのドロップアウトが脳裏をかすめるをところまで追い詰められてしまった。
第一学期の早い段階で2教科をドロップアウトしたことに加え、最も大事なバーク教授の「国際海洋法」の講義の内容の理解に
四苦八苦するという窮地に陥った。海洋研究所(IMS)でのゼミ方式での海洋資源管理などの講義では、それなりの抽象的な
理論展開もあるにはあったが、具体事例をまじえたものが多かった。また、討論形式の授業でもあったので取り組み易く曲りなりにも講義についていけたし、興味も持続させることできた。だが、国際海洋法の講義ではいつも半端でない難解さが付いて回り、毎回悲痛な思いで授業に
しがみついていた。
「海洋総合プログラム」に在籍する他の4名のクラスメートとともに国際海洋法を受講していたが、ロー・スクールのJ.D.コースの学生や、
海洋学や水産学系などの大学院生ら合わせて20人ほど受講していた。
理由が何であれ海洋法講義からドロップアウトすることなど、当該プログラムに在籍するロー・スクール院生にとってはありえない
ことであった。他教科へ振り替ることもありえず、必死に食らいついて行く以外に選択肢はなかった。
毎週バーク教授の海洋法講義については、いつも気を一段と引き締め、より高い緊張感をもって臨むようにしていた。
「今日こそは」と、それまで以上に集中力を高め講義内容を理解しようと真剣に向き合った。海洋法はそもそも留学に先だって学んできた
国際法の一領域であり、どの教科よりも予備知識があるはずと、自身を鼓舞した。
だがしかし、授業が進むにつれ、理解度が上るどころかむしろ減退して行くような思いであった。そして、毎回の如く講義途上で集中力
が途切れた。その日の講義が終わってみると、消化不良の悪夢と溜め息だけが残るひどい結果となり、愕然とすることが多かった。
それでも、毎回気を取り直して講義について行こうと、耳をそばだて必死に集中する努力を続けた。私にとっては、留学中のこの頃が
最も苦しかった。必死の思いで米国人学生集団について行こうと、もがいていた時であった。
講義が「理解できない」とか、「難解である」とは具体的にはどういう状態なのか。断片的にしか単語やフレーズが聴き取れない
状況のことである。時に瞬時に何とかそれらを繫ぎ合わせ文章化し、それを脳内スクリーンに焼きつけようとする。しかし、焼きつけられず、
講義のだいたいの内容すらも理解できないということである。
例えば、受信状態が悪いラジオ番組について何とかチューニングしようと努力する時とよく似ている。ごく部分的には聴き取れるとしても、
大半はガーガーと雑音が鳴り響く。全体として何を言っているのかはっきりと聴き取れず理解できない。放送内容のアウトラインすら
殆ど想像することができない状況とほぼ同じといえよう。
難解で込み入った海洋法理のことなので、単語やフレーズが断片的に耳に入っても一向に文章化されず理解するにはほど遠いという
ことであった。聴き取れた断片的な単語やフレーズを掻き集め、それらを繫ぎ合わせようといくら努力しても、
ストーリー性のある文章に仕立て上げることができないのである。いわば、頭の中で星雲がとぎれとぎれに渦巻いているような状態であり、
中心核をもちながらしっかりと渦巻くような星雲にはならないのである。
「溺れる者、藁をもつかむ」と言うが如く、同じプログラムに在籍するクラスメートに頼み込んで、彼らの受講ノートを見せてもらいコピー
までした。彼らは大いに協力し助けてくれた。少しでもキャッチアップしょうと必死にもがいた。
だが、さすがに手書きのノートは凄く読みづらかった。活字印刷した専門図書をじっくり読解するようには行かなかった。ノートに目を通し何がしか
講義内容を部分的にせよ理解できることもあった。だが、サブテーマ毎にどんな法理や判例・事例などが論じられているのか、
その内容を明瞭に掴めず愕然とした。イライラが募るばかりとなり、ついにはノートに頼ることすらも諦めてしまった。
かくして、バーク教授の海洋法理論の講義にまともについて行けず、ひどい消化不良を起こし続けていた私は、全く自信のないまま
期末テストを迎えることになった。覚悟を決める他なかった。テストは筆記試験方式で、テスト時に与えられる幾つかの設問の中から
一問を選択するというものであった。「タームペーパー」と称される期末論文を一定期限内に提出すればよいという、いわゆる論文形式
のテストではなかった。筆記試験方式と聞かされた他のクラスメートもそれには多少心を揺さぶられたようであった。
嫌な予感がしたものの、今更どうすることもできなかった。
因みに、IMSでの履修科目の期末試験はすべて「タームペーパー方式」であった。在学中における期末試験のうちでは、バーク
教授の海洋法と、我々5名のロー・スクール院生が受講した「海洋学」だけが筆記試験であった。
緊張感をもつことなく余裕をもって講義に没頭できたのは、元スクリップス海洋研究所海洋生物学者のフレミング教授の自然科学系
の講義「海洋学」であった。ゆっくりとしたスピードで進められた。受講生は私も含めて殆どが法学系のバックグラウンドをもつ
ロー・スクール院生であったことから、そんな学徒にも理解できるように講義内容や進め方
について特段の配慮がなされていたことを強く感じた。また、筆記試験についてもその点が十分配慮されていて助かった。
院生全員それには「深謝」であった。
さて、海洋法の筆記試験では、設問から大陸棚法制に関する一問を選択することにした。約90分四苦八苦しながら設問に取り組んだ。答案
は自信をもてるものではなかった。予想以上にひどい成績をマークし、それを知った時には顔面から血の気が一気に引いてしまった。
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