ロー・スクール大学院第一学期末における国際海洋法の筆記試験は、幾つかの設問から一問を選択する方式であった。選択した設問
とは、互いに向かい合う2つの沿岸国の大陸棚に対する主権的権利に関するものであった。相対するそれら沿岸国の大陸棚境界線に
ついても関わっていたのかもしれない。留学時の1974年に出題されたものであり、今から半世紀以上も前のことになることから、
その詳細を思い出すことはとてもできそうにない。
当時は「第三次国連海洋法会議」が始まって間もない頃で、200海里排他k的経済水域や大陸棚などの新しい法制を含む「新海洋法条約の
ための包括的な非公式単一交渉草案」が協議のテーブルに乗せられようとしていた頃であった。
従って同試験の設問では新条約草案を踏まえての解答が要求されるものではなかった。さて、設問は概ね次のようなものであったと記憶する。
[筆記試験の設問の趣旨] 沿岸国AとBの領土・海岸線は向かい合っている(相対している)。その両国間の離岸距離は300kmほどである。
二国間には水深200m以浅の共通の大陸棚が広がっている。しかし、A国の海岸からその陸地の自然の延長をたどると、海岸線から
すぐの沖合に最大水深500mほどの細長い舟状海盆が、同国海岸線に並行して横たわっている。そして、その海盆の向こう側には、
A・B両国の中間線を越えて、B国の海岸線に向け水深200m以浅の大陸棚が緩やかなスロープをなして広がる。
即ち、B国の海岸線から沖へ陸地の自然の延長を辿って行けば、A・B両国中間線を越えて水深200m以浅の大陸棚が伸びつつ同海盆へと続いている。
(1) A国は技術的先進国で、水深300mまでならば海底油井を掘削するに足る能力を十分もつ。そこで、A国は、その舟状海盆を越えるものの、
両国中間線よりもかなり自国寄りにある水深300mの大陸棚海底(ア地点)で油井掘削を行なう計画である。
(2) 他方、B国は開発途上国であるために、両国中間線よりも自国寄りの水深00m以浅の大陸棚上ですらで海底石油の資源開発を行なう
経済・技術力はなかった。だが、B国の主張によれば、自国の陸地の自然の延長は、両国中間線を越え、その陸地は舟状海盆底部の水深
500mまでは続いており、その主権的権利はその底部(イ地点)まで及ぶと主張する。
なお、A国は「1958年大陸棚条約」の非締約国である。それ故に国際法上、B国は、A国が当該ア地点で掘削する主権的権利を有しないと
主張する。B国は同条約の締約国となっている。
現在「国連第三次海洋法会議」で、現行の大陸棚法制や境界線画定方法の見直しが議論され新たに法制化が試みられているものの、
同会議の俎上に上がっているいずれの条約草案もこの設問に適用されないものとする。
主要設問は次の2問である。
設問(1): A国は、成文および慣習国際法上、舟状海盆を越えて水深300m地点(ア地点)で海底油井の掘削を行なう主権的権利が
認められるか。
設問(2): B国は、同じく国際法上、両国の中間線を遥かに越えて舟状海盆底部の水深500m地点(イ地点)まで主権的権利をもつと主張できるか。
設問(1)・(2)を論じる当たって適用される現行の主なルールとしては、当時の成文国際法(多国間条約)である「1958年大陸棚条約」
が一つである。それ以外には見当たらない。それに加えて、適用されるべき国際慣習法上の規定や法原則があるとすれば、それはいかなる
ものであるか。もう一つは「1969年の北海大陸棚の境界線画定に関する国際司法裁判所(ICJ)の判決」である。現行国際法の諸条項や
国際判例をよく理解したうえで、法理を展開し解答を導かねばならなかった。
さて、バーク教授の国際海洋法講座の期末筆記試験の顛末を述べるに当たって、大陸棚の定義やその境界画定に関する法制などについて、
若干の基礎的[参考資料]を紹介すべく本節後段に取り纏めることとしたい。設問はシンプルであるが、当時の幾つもの関連法規、
それも多くの曖昧性を含む法規上のポイントを押さえつつ解を導き出すことが求められた。
さてここで、試験の顛末に触れたい。試験過程にあっては、大陸棚条約やICJ判例などを出来る限り思い出しながら、いずれのポイントをどう
適用すべきか思索を続けた。そして、論点をどのように整理し、どんな論理構成をもって解を導き出すべきかについて多くの時間を費やした。
あれやこれやと頭をひねくり回したものの、論点整理が一向にできず、納得しうる解にはなかなか辿り着けなかった。自身が納得しうる
結論に達しえなければ筆も進まず、イタズラに時間だけが経ってしまい焦るばかりとなってしまった。最後には、いずれの解に向けて
何をどう論じたいのか、また論じるべきなのか自分でも分からないようなひどい状態に陥ってしまった。
ふと机の上を見てみると答案用紙は消しゴムの屑だらけになっていた。時間的に余裕をもって答案用紙を提出し早々と退出する学生が
多いのかと思いきや、米国人学生も意外とぎりぎりまで答案用紙と格闘していた。少しは気が楽になったことを憶えている。英語を母国語にしない
外国人留学生には若干時間延長が認められたが、納得の行く答案の作成にはほど遠く、ついに時間切れとなった。試験から解放されはしたが、
後々までずっと無念の思いを引きずっていた。
結局、スコア「C」をマークしてしまった。スコア「A」はとても望めなかったが、せめて「B」をマークしたかった。兎に角、衝撃的な
結果を目の前に突きつけられてしまった。ロー・スクールの「ジュリス・ドクター(Juris Doctor; 略称JD)」コースの学生には学位取得上履修科目につき平均「C」以上の成績が求められ、院生には「LL.M」の学位取得上平均「B」以上が必要とされた。それ未満であり続けると、留学生
ビザ(I-20)が延長されないことにもなりかねなかった。
かくして期末試験の結果、第一学期の平均値は「B」以下となった。特にバーク教授から「C」という心が折れるスコアをもらったことは、
留学の経緯を考えれば忸怩たる思いで胸が張り裂けそうであった。酷い成績を前にして被った挫折の衝撃は半端でなかった。忘れようにも
一生忘れえぬものであった。人は笑うかもしれないが、人生の後先でこれほど心が折れ落ち込んだことはなかったほどである。
次学期以降にスコア「A」をマークして「C」を相殺しなければならず、またドロップアウトした2教科もあったので、学位取得には
いずれかの学期でそれらをもリカバリーする必要があった。相殺できなければ、「留学からドロップアウトし、勉学を諦め帰国するほかない」
とまで一人深刻に思い詰めた。答えは明快であった。「C」を「A」でもって相殺する以外には、留学の継続と学位の取得に向けた希望を
繫ぐための方途はなかった。
道半ばでドロップアウトすれば、推薦していただいた母校の恩師や教授などに、また国連法務官曽野氏にも全く言い訳も
顔向けもできない。忸怩たる思いがこみ上げ、顔がひきつっていた。国連法務官を目指すどころではなかった。雪山テントで閃き志した
国連法務官、それも海洋法担当法務官への道は、夢のまた夢となり、全ての努力が水泡に帰してしまう。それでは人生最悪のトラウマを
抱えてしまうことになる。誰にも言えず、一人で思い悩み、ひどく自身を追い詰めていた。留学での最大の危機であった。
真の原因は自身の語学力不足に尽きるといえた。己に恥じばかりであった。バーク教授の講義では難解な法理が展開されている
と想うのは、その能力不足の故であった。海洋法の講義になかなかついて行けず、最後まで消化不良を克服できないままに期末試験
を迎えてしまったが悔やまれた。
だがしかし、衝撃的な結果を招き、留学の続行か早期帰国かの深刻な悩みに至ったことをバネに、不退転の決意をもって自らに
奮起を促し、再起を賭けて第二学期(1975年1~3月)に臨む他なかった。元より次期にリカバリーできなければ留学を切り上げ帰国する
ことを内心覚悟していた。
学期末試験が終われば、寮生はもちろん殆どの学生はクリスマスや年末年始を故郷などで家族や友人と過ごすためドミトリーを後にする。
寮には極一部の留学生らが居残っていたが、全体としてはほぼ完ぺきな静寂が支配していた。
私は時に、ルームメートのいない部屋で一人地元のラジオ放送などに耳を傾けた。どのチャンネルを回してもクリスマス・ソングが流れ
溢れ出ていた。
学業のことで落ち込んでいることもあり、自室で一人聴くと余計にメランコリな感情が込み上げ、ますます沈み込みそうであった。
クリスマスというのに、暫くは長く暗いトンネルに入ってしまいそうであった。そこで、年末年始には思い切って、当時憧れの
ブランドであった「k2」のスキー板などを、記念に持ち帰れるとの思いもあって、思い切って買い込み、スキーに出掛けて心機一転を
図ることにした。
居直り半分気晴らし半分で白銀のゲレンデでスキーでも楽しみ、沈み込んだ気持ちを少しでも逆回転させ、来学期からの学業への
意欲とエネルギーを蓄えようと出かけることにした。シアトルの北東部にカスケード山脈が横たわっているが、その山中にある
スノークォミンというスキー場へのスキーツアーに申し込んだ。この時、私的にはレジャーのために初めて高額ドル紙幣を多くはたいた。
それまでは質素倹約モードで暮らすよう真摯に努めていた。
閑散とした寮を後にして、無理やりでも成績「C」の一件を忘れて、暫く白銀の
世界で楽しくやり過ごした。ツアー参加者は殆どが留学生であった。ノルウェーやフィリピンからの留学生らと新たな
出会いもでき楽しい思い出を作ることができた。来学期に向けての新しいエネルギーをしっかりと充電することができた。そして、
リカバリーできず学業を断念して故郷に帰える破目に陥らぬよう、不退転の覚悟をもって立ち向かう準備ができた。
さて、最後に筆記試験の設問についての解答に今一度ざっと思い巡らせてみたい。正答ではないかもしれないが、こういうことで
なかったかと考察してみた。
設問(1)について。A国は大陸棚条約に非加盟であったが、当時の国際慣習法的ルール(「北海大陸棚事件」の判例に基づいて)として、大陸棚に対する主権的権利は水深200m(地質学的な大陸棚の平均水深も200mに近かった)まで、または「開発可能な水深」まで認められていた。
しかも、当時の大陸棚開発の世界的技術の標準レベルは水深500mほどであった。従って、A国は水深500mの海盆をやり過ごしたところの
水深300mのア地点における大陸棚の資源開発に対する主権的権利をもつといえる。また、ア地点はA国領土からの自然の延長上にもあり、
かつA国にずっと近接しているといえる。同条約は大陸棚の範囲につき、水深をもって定義しており、地形上や地質学上の定義を採用していない。
設問(2)について。A・B国共通の大陸棚を両国で分界する当たり、B国は両国の中間線を遥かに越えて舟状海盆の水深500mの底部(イ地点)にまでその主権的権利を主張することができるか。これは相対する国の境界画定上の問題でもある。大陸棚条約第6条の
規定では、相対する国での境界画定について、合意による決定を基本原則とする。合意が成立しない時は、「特別な事情」によって
ある境界(この場合は海盆底部まで)が正当と認められる場合はその境界によるとする。正当化されない限り、中間線を適用することと
規定される。A国沖に存する海盆は両国が面する共通の大陸棚の「窪み」であり、それを境界とすべき「特別な事情」に当たらない。故に
中間線を基礎として合意形成を図るべきであると結論したい。
しかし、法律上かかる「特別の事情」の内容が定められていないので、詰まるところ、それら特別の事情はAB国間の協議の
基礎材料(資料)になるだけである。即ち、大陸棚に海盆がある場合、それを「特別の事情」とみなし、そこを両国の大陸棚の自然の
延長の限界点とするということが国際慣習法的ルールとして法典化されていると言いうるのか。
答えは否なので、既述の通り、B国は、中間線を遥かに越えて盆地底部までが義務的強制的であると主張することを正当化しえない。
他方、非締約国Aは、義務的強制的に中間線が両国の限界であると主張できる権利を持ち合わせない。
結局、境界画定につき両国間で合意をえられるよう外交的努力と、「衡平の原則」に沿って何らかの妥協が求められることになる。
果たしてこれれらが正答であったといえるであろうか。今に解を求めるにしても、難問であったに違いないと考え込んでしまう。
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[参考資料]
・ 1982年4月に「海洋法に関する国連条約」(1982年国連海洋法条約)が賛成130、反対4(米国、イスラエル、トルコ、ベネズエラ)、
棄権17で採択された。署名式は同年12月10日、ジャマイカのモンテゴベイで開催された。
日本は1983年2月に署名した。
・ 留学していた1974~75年当時には、大陸棚に関する多国間国際条約(国際成文法)としては、それまでは「1958年大陸棚条約」しか
存在しなかった。アラフラ海での真珠貝資源の絡みで日本はずっと非締約国であり続けていた。
同条約によれば、「大陸棚とは沿岸国の海岸に隣接するが、領海の外にある海底およびその地下であって、沿岸国は大陸棚を探査し
天然資源を開発するための主権を行使することができる」。即ち、大陸棚とは海底の探査・天然資源の開発に関する限り、沿岸国の主権に
服するとされる区域をいう。しかし、その外側にある大陸棚限界は当時の国際法上曖昧のままで問題点として残されていた。
・ それでは、大陸棚の外側の限界は何処か。資源探査・開発の主権に服する大陸棚と「国家管轄権の範囲を超える海底およびその地下」
と呼ばれる区域との分界は何処か。
大陸棚条約によれば、「大陸棚の範囲について、沿岸国の海岸に隣接するが、領海の外にある海底およびその地下であって、上部水域の
水深が200mまで、またその限度を越える場合は、天然資源の開発を可能にする水深まで」と規定されていた。
地質・地形とは無関係に水深200m以下の海底の全てを含むことになる。
・ 開発を可能にする技術は沿岸国が有する技術のレベルを標準とするものではなく、当時の世界における最先端の海底開発
技術レベルを標準とすることになる。何故ならば、沿岸国の資本・技術のみによる探査・開発である必要はなく、外国のそれを導入して
の開発であっても良いことからである。
沿岸国の大陸棚に対する権利は、その資源に関する探査と開発を独占させることになるので、また開発可能性は技術の進歩につれて
無限に沖合へと広がり行くので、理論的には、いずれは全世界で開発不可能な海底はほとんど存在しなくなる。海底は特に
資本・技術もつ世界中の先進諸国によって分割・管理・支配される時代が来るのは不可避であると思われていた。
・ 大陸棚の境界に関して言えば、大陸棚が、「2つ以上の相対する沿岸国間にある場合」、あるいは「隣接する国の領域(領土)に面して
同一の大陸棚がある場合」、関係国間の合意によって決定する。合意成立しない場合は、特別の事情によりある境界が正当と認められる場合は
その境界による。しかし、かかる特別の事情の内容が定められていないので、詰まるところ、それら特別の事情は関係国間の協議の
基礎材料(資料)になるだけである。
・ 合意が成立しない場合、両国が「紛争の義務的解決に関する選択署名議定書」の当事国であれば、その手続きに従って処理する
ことになる。合意が成立せず、かつ特別の事情により「ある境界線」が正当と認められない限り、相対国では大陸棚の中間線とする。
隣接国の場合では等距離の原則をもって決定することとなる。
なお、国際司法裁判所(ICJ)は、後述する「北海大陸棚事件」の判決において、中間線・等距離線について、慣習国際法を法典化したものではないので、合意なき場合その適用を義務的なものとすることは認められない旨の決定を下している。
・ さてここで、当時重要な判例であった「北海大陸棚事件」のICJ判決について振り返りたい。1969年、西ドイツ(大陸棚条約の非
当事国)対デンマーク・オランダ間の境界画定につき判決を下した。境界画定だけでなく、大陸棚制度の
基本に触れる問題について慣習国際法の側面から重要な見解を明らかにしている。
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[判旨(はんし)] 大陸棚に対する沿岸国の権利はその陸棚が沿岸国陸域(領土)の海中へ向かっての「天然の延長」を構成しているという
事実に基づくものである。その延長を構成していない場合、いかに近くにあってもその沿岸国には属するものでない。このように、
大陸棚が沿岸国に付属する根拠は沿岸国領土と大陸棚との地質学的一体性にあるとし、隣接性や近接性よりも基本的なものであるとする。
この見解に従えば、大陸棚の範囲は沿岸国領土の天然の延長の端までということになる。
・ 大陸棚条約は第6条で、相対国や隣接国間の合意によって決定されるとする。合意が成立しない場合は、「特別の事情」により「ある境界線」が正当と認められない限り、等距離方式をとることを定める。合意なき場合とは交渉の失敗を前提にするのか、立証されることが立証
されることを要するのか。
「特別の事情」とは何か。誰がいかなる基準で認定するのか。合意も特別の事情もない場合、境界線は自動的に中間線または等距離線
となるのか。成文国際法上では必ずしも明らかでない。
・ 第6条の等距離方式の採用は当事国間で義務的ではないと思われる。理由として、大陸棚条約第1~3条は留保することが
許されていない。国際慣習法を法典化したものと見なされているからである。他方、等距離を規定する第6条は留保が許されている。
同条は法典化されたものでなく、新たに制定されたことの証拠とされる。
かくして、等距離方式の採用を当事国に義務的なものと解することはでき難い。
・ ICJ判決によれば、相対国、隣接国の境界画定は「衡平の原則」に従い、かつ全ての関連事情を考慮に入れて、当事国の領土の
海底沖へ向かっての天然の延長をなす大陸棚の全ての部分を、他国領土の天然の延長に侵入することなしに、各当事国にできる
限り多く残すような仕方で合意によってなされなければならない。
・ なお、ICJ判決では、大陸棚条約第1~3条については「大陸棚に関する慣習国際法として受容されたか、または少なくとも
現れつつある規則を反映し、またそれを具体化したものであると当時既にみなされていたことは明らかである」と述べ、同3ヶ条を
もって当時の国際慣習法を法典化(成文化)したものと捉えた。
・ ただし、その範囲については「大陸棚は沿岸国の領土からの天然の延長を構成しているという事実に基づくものである。
故にそれが沿岸国の領域の天然の延長を構成していないときは、いかに近くにあっても沿岸国に属しない」と述べる。
つまり、大陸棚が沿岸国に属するのは、沿岸国領土と大陸棚との地質学的一体性にあるものとしている。
この見解に従えば、大陸棚の範囲は沿岸国領土の天然の延長の端までということになり、水深にはこだわらないことになる。
・ 最後に現行の1982年国連海洋法条約では大陸棚法制をいかように定めているかは関心を抱かせるところである。
大陸棚とは、沿岸国の領土の天然の延長をたどって大陸縁辺部の外縁(コンチネンタル・マージン)の海底及びその下、または
外縁が領海の基線から200海里に達しない場合は、その基線から200海里までの海底及びその下までである(第6部第76条1項)。
同マージンが200海里を越える時は外縁が終わるところまでである。ただし、その外縁は、領海基線から350海里まで、
または水深2500mの等深線から100海里を超えてはならないと規定する。
1982年およびそれ以降では、大陸棚法制を含む「国連海洋法条約」が成立し適用されるとともに、大陸棚の境界を巡る幾つもの国際司法
判例が発出され続けてきた。そんな状況の中で、時代を遥かに遡って1974-75年時代の筆記試験問題(それも今となっては記憶が相当曖昧
のままである)を論述し、当時の旧ルールをもって論理展開を試みるのは、内心忸怩たる思いがある。というのは、期末筆記試験の
結果は惨憺たるものであったからである。
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