ワシントン大学(UW) ロー・スクール法科大学院の「海洋法&海事プログラム(Law and Marine Affairs Program)」について、
私は「海洋総合プログラム」と捉え、そのように意訳していた。
UWはこのプログラムをもってどのような専門的人材の育成を目指しているのか。数多くの必須・選択科目からいろいろな教科を選択し
履修しながら、そのプログラムの狙いや意義について時々自問自答を続けていた。そして、自分なりの「解」を徐々に見い出せる
ようになった。その理解についてはもう少し先で触れたいが、プログラムの第一学期で学んでみて、そのような意訳は遠からず近からず
の適訳であったと自分なりに納得できた。
さて、私も含めプログラムに在籍するロー・スクール大学院生5名は、その修士課程に属しながら、「海洋研究所」(Institute for
Marine Studies; IMS)という、大学のいずれの学部や大学院にも属さない独立系研究機関において、海洋関連の様々な自然科学・社会
科学系や理工学系諸学の教科をいわば領域横断的に履修することができた。海洋、水産、地理、理学、生物学部などの修士課程レベル
に所属する大学院生も、同研究所で海洋関連教科を履修できた。彼らはその授業のためにIMSにその都度集ってきた。
同研究所で履修できる教科の多くは、漁業資源の開発・利用・保存、産業としての漁業の振興政策、国際漁業規制や管理のあり方などに関連する
ものであった。もちろん、それにとどまるものでなかった。海洋の開発や科学技術全般、海底鉱物資源・海底石油ガス・海洋エネルギー
などの開発・管理、海洋環境の保全、軍艦・一般船舶の領海や国際海峡での通航、海洋国際組織論やそのガバナンスなど、講座内容は広範囲
にわたっていた。
日本の法学部でのフレッシュマン時代には、心理学、社会学、政治学、哲学などの一般教養科目を履修したが、その後は
憲法、刑法、民法、民事・刑事訴訟法、行政法、国際法などに関し、それらの法理論や法令の解釈・適用、判例の学習ばかりを
長年飽きもせず学びの対象としてきた。
その後は大学院の研究テーマとして、国連の安全保障制度や平和維持組織(PKO)に関心を
もつようになったものの、国際法ゼミを中心に据えながら、憲法や国際法をはじめとする公法諸学をさらに深掘りすることに多くの時間を費やした。
少し分野が異なるものと言えば、ギリシャ哲学やロシア国際政治史くらいであった。
「特別研究生」となっていわば留学浪人になってからは、国際法の一領域である国際海洋法を中心に深掘りした。それが適用される
領域や空間は基本的に海洋であったが、やはり法理や法制の学究が主であった。だから、私のような法律諸学の学徒にとっては、UWの「海洋研究所」において学びの対象とした履修科目や講座は、どれもこれも過去に学んだことのない全く異分野に属する学問領域、それも自然科学や理工学系
に近いものであった。故に、私的には実に新鮮なものに映った映った。まさに目からウロコが落ちることの
連続であった。
海洋研究所で最初に学んだ必須科目としては、いずれも水産学の基礎的理論、いわば「水産学パート (I) 」といったところである。
その中心テーマは漁業管理に関する基礎理論、政府の漁業政策・行政全般や水産資源の開発・管理、国際的な漁業規制・管理に関する
ものであった。
海洋の魚貝類・哺乳動物などの生物資源は「誰の物」かという古くて新しい「そもそも論」のテーマから始まった。単位当たりの
漁獲努力量 (fishing efforts per unit; FEPU) と最大持続生産量(Maximum Sustainable Yield; MSY)との関係、
漁法・漁船隻数・漁獲量・漁期・漁獲割当・網目サイズなどによる漁業規制、漁業への新規加入者や既存漁業従事者との関係性やそれら漁業者
の管理論など、水産資源管理に関する基礎理論を学んだ。
また、北太平洋や北大西洋などにおける水産資源の国際規制、オリンピック方式がもたらす
乱獲、刺し網などによるウミガメの混獲、サケ・マス遡河性魚種、マグロ・カツオなどの高度回遊性魚種などの魚種別規制、その他国際的な
資源管理の理論・実例やその限界・課題などを学んだ。初めて触れる自然科学系の水産学のさまざまな概念や理論に触れたのは、
全くもって新鮮であり興味津々であった。
講義で特に興味をもったのは、漁業資源の最大持続生産量や「最適生産量」(Optimum Yield; OY)に関する基礎理論であった。
漁船隻数や漁具数・規模、操業従事者などが増え続け、単位当たりの漁獲努力量が増大化すれば、それに比例して漁獲量も増大していく。
しかし、努力量をさらに増大させても漁獲量は必ずしも増えず減少に転じて行く。漁獲量のピーク前に全漁業者が操業をストップすれば、
資源量に悪影響を及ぼさない。だがしかし、早い者勝ちの操業を繰り返すと、ほとんどの場合MSYを超過し、ついには深刻な乱獲に陥る
可能性がある。
目指すべきはMSYではなく、操業者が最大の経済的収益を得られるような漁獲量に抑えること、また市場を睨みながら
適切な漁期などを選ぶことによって、最適生産量を目指すべきとされる。OYはMSYよりもずっと少ない単位当たり漁獲努力量で達成
されうると論じられる。このような漁業経済学、資源管理学、法制論が入り混じる、いわば自然・社会科学系の諸学に生まれて初めて接した。
専門の異なる複数の教授が出席してのセミナー形式の講義に加え、実際の漁業従事者を招聘しつつ、出席者全員による自由闊達な
議論を目の当たりにして、新鮮さと驚きを感じずにはおられなかった。
ところで、折りしも「第三次国連海洋法会議」が開催され、主要な法制テーマごとに利害を同じくする諸国がいろいろな大小
グループを形成し、海洋法制につき提案し、条約案に反映させようとしていた。その代表的なグループが、中国を初めとする
発展途上国で構成される「グループ77」であった。米ソ軍事超大国、欧米諸国、海峡沿岸国、地理的不利国・内陸国などのグループがあった。
「グループ77」は200海里排他的経済水域(200海里EEZ)などの条約化を強固に支持していたが、米ソや欧州諸国などの先進諸国はもろ手
を上げてそれに賛成していた訳でなく、その新制度の行方は1974年当時まだまだ定まっていなかった。
日本は、遠洋漁業国の立場から、200海里EEZに頑なに反対し、「3海里の狭い領海と、より広い公海」、「公海での漁業の自由」
を金科玉条の如く唱えていた。会議では「エクセプト・ワン(日本を除いて)」と揶揄されるほど、国内の漁業利益団体の圧力にも押され
、会議では頑としてEEZに反対の立場をとっていた。
1974年当時においては、諸国からの数多くの提案が同会議長の采配の下で「非公式単一交渉草案」としてとりまとめられる努力が
続けられていた頃であった。会議での200EEZを巡る議論の行方はまだまだ混沌としていた。何故ならば、新条約案は全参加国のコン
センサス方式で採択されることで合意されていたからである。
200EEZの行方に大きな影響をもたらす可能性を秘めていたのは、やはり米ソ超大国の軍事戦略上の思惑であった。
潜水艦搭載大陸間弾道弾 (ICBM) を保有する米国・ソ連などは、軍事戦略上「国際海峡」における艦船のより自由な通航、潜水艦の
潜航したままでの通過、軍用機の上空飛行などを求めるという立場であり、彼らの国益が合致していた。米ソにとっては、ペルーや
チリなどの南米沿岸諸国らが主張していた200海里幅の「領海」の法制化を受認することなどは論外であった。だが、米ソをはじめ英・
仏などの海洋強国は、「グループ77」が主張するEEZ法制化をどう受認するかに腐心していた。
世界の数多くの国際海峡で領海幅が3海里から12海里に拡大化された場合、両岸の距離が24海里以下の国際海峡には「公海」部分が残されず、
「領海化」されてしまうことになる。特別な海峡制度を条約化しない限り、
潜水艦の潜航通過や軍用機の上空飛行などの権利は認められなくなる。かくして、米ソが200EEZを容認する見返りとして、
「グループ77」は国際海峡における特別な通航制度を容認するという、妥協的取り引きが成立する可能性があった。
だとしても、「グループ77」や先進欧州諸国にとっても、また米ソ超大国にとっても、200EEZをどういう具体的なレジームに仕立てる
べきかは重要なテーマであった。米国にとっては、200EEZという排他的な水産資源管轄権をもつことになれば、日本や欧州などの遠洋漁業国
を自国EEZ水域からフェーズアウトすることができそうであった。要するに、200EEZによって米国の漁業権益に深刻な負の影響がもたら
されるという懸念は殆どなかった。
だがしかし、米国にとっても、200EEZをいかなる内容のレジームにすべきかは重大な関心事項と捉えそれと向き合っていた。それはソ連も同じであった。米国もソ連も少なくとも広大な200EEZを保有する可能性があり、その場合水産資源に関する莫大な権益を囲い込めることになるのは間違いなかった。かくして、IMSにおけるいろいろな講義において、200EEZレジームの条約化、その国内法への包摂化、その他国際漁業規制・管理
にかかわる諸事項につき、喧々諤々の熱い議論が展開された。
米国がたとえ200EEZを受認するとしても、自国の漁業者、あるいは外国の漁業者に対して自国EEZ内において国内法上あるいは新海洋法上
のいかなる漁業規制に服させるべきか、いろいろ検討すべき事項は山積していた。
米国の排他的管轄権の下に置かれることになる200EEZ内の漁業資源をどのような魚種別管理に服させるべきか、また国内の漁業者に
対して漁業資源をどのような法的枠組みの下で割り当てるべきか、その配分のための方法や基準をどうすべきか。
新規の漁業加入者はいかなるレジームの下で参入が認められるべきか。いかなる公開入札制度によって新規加入者に対して水産資源を
割当てることが公正で合理的であるのか。多くのテーマや課題があった。
米国はこれまで原則として3海里幅の領海以遠の公海における「漁業の自由の原則」を尊重し、それを基本にして関係遠洋漁業国と二国間
・多国間漁業条約などを締結し、資源の国際的な配分・保存・管理に関与してきた。だが、200EEZが条約化されれば、例えば北太平洋
における「日米加漁業条約」などの見直しが不可避となる。米国はその見直しに際していかなる漁業政策を執るのか。
遡河性魚種のサケ・マス資源については、日本は遠洋漁業国として、アラスカ沖、ベーリング海、ブリストル湾などの米国沿岸水域
近くまで進出し「沖獲り」をしてきた。だが、米国は同資源の母川国として、人工ふ化放流、河川環境保全などに大きな予算を投じ
資源保護・管理へ多大な努力を払ってきた。200海里EEZの下で米国は将来日本のような遠洋漁業国あるいは隣接国のカナダとどう向き合う
ことになるのかは重要なテーマであった。
米国は、自身の200EEZの設定によって他国と調整すべきことは多いが、日本が失う権益と比して米国のそれは圧倒的に少なかった。
米国にとって、外国漁船による米国沿岸や近海における乱獲を規制し、優先的に国内漁業者の利益を
護り、その水産資源の保全・保存を図るうえで、200EEZレジームは大きな有義性のある、まさに国益に適うものと見なされる可能性があった。
軍事戦略上の国益が究極的に確保されるのであれば、米国にとっては200EEZを受け入れることは自国の漁業権益確保上渡りに船と
捉えられたに違いない。
IMSでは、200EEZ法制と深い関係性のある魚種別管理をどう条約に盛り込むかも議論の大きなテーマであった。マグロ・カツオの
高度回遊性魚種、サケ・マスの遡河性魚種、ウナギなどの降河性魚種などは、公海と200EEZを自由に行き来するいわゆる「ストラド
リング魚種」であり、その扱いを巡る多くの課題について関心が向けられていた。
また、沿岸国のEEZ水域内における「余剰の水産資源」、すなわち当該沿岸国が漁獲しきれない資源をいかなる条件下で、何れの遠洋
漁業国や近接の漁業国にいかなる漁獲枠を認めるのか。沿岸国が獲り尽くせない余剰資源に対する他国の漁業権に関するいかなるレジームを
法制化し利害調整を図るのか。外国漁船に対して余剰資源の漁獲を合理的に認めなければ、沿岸国は資源を独占的に囲い込むだけであり、
結果的に資源を有効利用しないまま無駄にすることになる。かくして、国連海洋法会議の開催真っ最中とあって、IMSでの
講義はさまざまな重要な法的レジームや政策課題に議論が及び興味が尽きなかった。
ところで、海洋研究所(IMS)での講義のやり方はほとんどの場合いわゆる「セミナー方式」であった。
IMSは海洋科学的実験施設・装備や研究調査船などを保有しない。漁業政策や法制にかかる論議を縦横に展開しながら、その教育的
及び政策研究上の使命を果たすところと理解した。海洋研究所の所長はマッカーナン教授が務めていた。彼は長く国務省において国際
漁業を担当する元国務次官補であった。
米国が関与する国際漁業法制や資源管理などに関する教科に最も興味が引かれた。ロー・スクールの「海洋総合
プログラム」在籍院生に加えて、海洋・水産・地理・理学・生物学などの大学院生10~15人ほどが参加していた。
講義には、IMS所長をはじめとする、IMS専属の担当教授、ロー・スクールのウィリアム T. バーク海洋法教授、あるいは他大学から招聘された
教授らも参加したりもした。先ず講座担当教授が基調講義を20~30分行い、その後全員で白熱した議論が交わされた。
講義には時に、地元の漁業従事者らがゼミに招聘され、将来制度化されるかもしれない漁業規制や資源管理にかかわる議論に加わる
こともあった。教授・院生は新しい200EEZ法制や漁業規制について自由奔放に議論するのに対し、漁民は自身の立場と利害を踏まえつつ、
するどい質問や異論などを提起したりした。
例えば、200EEZ水域内での操業規制や資源管理の在り方、魚種別の資源管理や漁獲割当制、新規加入者のための入札方式による漁業
参入のあり方など、漁業者にとっては死活的に利害が絡むテーマであった、彼らの生活が懸かっているだけに、議論は自然と白熱した
ものとなった。院生によるその時々の質問や見解陳述、さらに教授のコメントなどによって、議論は予想を超えた広がりと深掘りを見せる
ことも多かった。議論が四方八方に拡散されるように見えても、学期末近くになればそれなりに収斂し成熟化したものへと
落ち着いた。
さて、第一学期にIMSで幾つかの科目を受講した結果、「海洋総合プログラム」が教育上目指す狙いや意義について自分なりに
会得することができた。法律の解釈・適用ばかりに関わってきた私のような学徒にとっては、水産資源管理や海底鉱物
資源開発そのものについて殆ど予備知識の蓄えがないといえる。そのため、新しい海洋法制上の課題に立ち向かって、「最適解」を
求めようといくら頑張ってもなかなか困難であることを悟った。経済学、資源開発管理学、海洋学などの法律以外の諸学を広く学び、
それら諸学を専門とする学徒と交わり、議論を共にし、最適解に辿り着こうとすることが、同プログラムの理念であり出発点で
あると感じた。
IMSには自然科学系と社会科学系、さらに理工学系の教育的バックグランドの異なる院生たちが、一つの教科の下に集まり、
講義を受け、他の専門的知見に耳を傾け、同じ課題に向き合い、議論を深掘りし、「最適解」を模索する。それこそが同プログラムの神髄
そのものであると理解した。
海は一つに繋がり、あらゆる海の自然現象は連環性をもつ。故に、海に関する法秩序形成や課題解決にチャレンジするには、
自然科学・社会科学・理工学系を問わず、科学的知見を持ちより文理融合化させ、複眼・学際的にアプローチすることが
求められる。翻れば、細切れされ縦割りにされたサイエンスの一領域の知見だけでは課題の最適解に辿り着くことは難しいという意味合いがプログラムに込められているといえる。
繰り返しになるが、「海洋総合プログラム」は、学門的領域のボーダーを越え専門的知見を出し合い共有を図ること、時に化学的反応や
触発を起こし課題解決のための方程式を組み立て最適解を模索するというアプローチを体験させ、諸課題
の解決能力の向上を目指そうという、いわば「高度人材育成プログラム」であると理解した。「海洋法および海事プログラム」を海洋総合
プログラムと捉えたことは粗ほぼ見当違いではなかった。1974年当時日本の学術界では殆ど普及していなかった斬新なアプローチを海洋分野で
具現化するプログラムであったといえる。
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