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    第8章 水産プロジェクト運営を通じて国際協力(その1)
    第6節 ア首連にて水産増養殖センターの建設を施工監理する(その2)


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       第8章・目次
      第1節: 担当プロジェクトを総覧する [付属資料]JICA水産室時代に おける海外出張略履歴
      第2節: 担当はインドネシアの漁港案件から始まった
      第3節: チュニジア漁業訓練センタープロジェクトから多くの教訓を学ぶ(その1)
      第4節: チュニジア漁業訓練センタープロジェクトから多くの教訓を学ぶ(その2)
      第5節: ア首連にて水産増養殖センターの建設を施工監理する(その1)
      第6節: ア首連にて水産増養殖センターの建設を施工監理する(その2)
      第7節: カリブ海での沿岸水産資源調査やパラオでのカツオ操業の採算性実証に取り組む



  JICAに課せられた国内法制上の制約とは何のことか。前節での記述から大よその推測が可能と思われるが、JICAの設立を 規定する組織法令によって、JICAが実施できる技術協力の範囲が定められていることと 関係していた。「開発調査」という援助スキームをもって建物の概略設計や基本設計レベルの調査を行なうことについては特段の 制約はない。だが、対外技術協力の所定の範囲・レベルを越えて、施設の「詳細設計」や「施工監理」を行なうことは、国内法上 認められていないということである。

  ここでいう施工監理とは、ア首連が建設したい「水産増養殖センター」の詳細設計を行い、更に国際入札図書一式を作成し、国際入札の実施を 補佐して建設工事を請け負う業者を選定し、なおかつ施主であるア首連政府に代わって建設工事に対する「施工監理(スーパービジョン supervision、S/V)」を行なうという、含めた一連の建設工程のことである。

  かくして、同センター建設工事への日本の協力を改めて要請された本事案について、外務省は外交的にどう対処するか、その検討を 引き取ることになった。外務省はその方針として、ア首連と再協議を行い、新しい合意文書を取り交わす方向にあった。そして、 日本側としては、施工監理に協力するつもりはない旨を盛り込んだ合意文書を準備し、先方にその理解を改めて求めようとしていた。

  さて、改めて取り交わされた合意文書で一件落着するかと思いきや、JICAの顧問弁護士事務所によれば、 新合意文書であっても日本側が施工監理につき協力するという趣旨には何ら変わりはないという解釈が示された。かくして、日本側は ア首連側の主張に応じて同センター建設の施工監理を行なうことに踏み切るか否か、真に問われることになった。

  事はもはやJICA水産室だけで対応し得る問題ではなく、総務部企画課が外務省との間に入って本事案の調整に乗り出すことになった。同省 技術協力課との協議の初期段階では「JICAは国内法制上施工監理を行なう法的権限が認められておらず、それに携わることはできない」 というのがJICAの公式見解であり、真正面からぶつかりあった。何度か協議が続けられた結果、その落としどころとして、外務省同課から JICA企画課へ念書一通を差し入れることになった。

  外務省が本件協力に関わる全ての責任を負うことを約し、JICAも腹を括って実施するという運びに落ち着いた。 当時の深刻な世界的石油危機と言う時代的背景では、日本が国内法令上の制約を盾に協力しないという判断を頑なに固持するという 選択肢はなかったと推察される。完工するまで何年要するか分からないが、 外務省が予算的措置を含め全責任をもつことを謳った、JICAに差し入れられた同省技術協力課長からの便箋一枚の文書の下で、 施工監理という前例なき技術協力に踏み出すことになった。

  勿論、そもそもJICAには施工監理できる有資格の技術者や実務経験者など誰一人としていなかった。また、施工監理中にJICA 側の人為的判断ミス(故意ではないミス)などで何か事故や工事遅延などの損害が発生し、ア首連や工事業者から金銭的賠償が訴求されたとしても、JICAは法的責任を負えるものではなかった。即ち、JICAとしては瑕疵担保条項につき先方と合意しておく必要があった。

  いずれにせよ、JICA職員になり代わって施工監理を引き受けてくれる民間コンサルタントを見つけ雇用する必要があった。 当該業務に就く者は民間コンサルタントであるとしても、ア首連側からすれば当該コンサルタントはJICAそのものであり、 JICAは施工監理者としての責務から逃れられるものではなかった。だとしても、万が一何か手違いや損害が発生した場合には、JICAではなく、 その分身であるコンサルタントにその責を背負ってもらえるよう、JICAとの契約書上それなりの縛りを掛けておかねばならなかった。

  だがしかし、そんな都合の良いことができるのであろうか。監理を行なうのはJICA自身であることには変わりはなく、 コンサルタントはJICAの分身そのものであり、一心同体ということであった。更にまた、建設工事の請負業者に対しては、JICAがア首連 政府の代理人の立場で施工監理に従事するということを意味していた。

  さて、「施工監理を請け負う民間コンサルタントと一心同体となって、またア首連の代理人となってセンター建設工事の監理 に当たれ」と担当者の私に言われても、初めての業務経験であったので、その実務的経験も知識も殆どなかった。何をどうすればいいのか、 悩みうろたえるばかりであった。他職員を頼りにしようにも、そもそもJICAに施工監理業務を行った経験者や知恵者もいるとはとても思えなかった。

  先ずは、JICAの内部手続きを経て、JICAのために施工監理業務を請け負ってくれるコンサルタントを選定し、「瑕疵担保条項」を含む 監理請負契約を取り交わす必要があった。同条項は、施工監理においてJICAが故意若しくは重大な過失をもってア首連や 建設業者に損害を与えない限り、JICAは一切の責任を負うものではないことを対外的に約するものである。

  コンサルタントはその条項をわきまえつつ、JICAになり代わってア首連政府と詳細設計 や施工監理の請負い契約を取り交わすことになる。契約後は、センターの詳細設計を行なうと共に、ア首連の代理人兼施工監理者 という肩書を背負って、現地での国際入札の実施を補佐する。そして、ア首連政府と建設業者が工事請負契約を締結した後は、まさに 建設が完了するまで施工監理に専念してもらうことになる。

  だが、JICA内部の手続きとして、調達部契約課にコンサルタントのリクルートに着手してもらうには多くのドキュメンテーションが 必要であった。JICAでは初めての経験であり、全く実務ノウハウを持ち合わせてなかった。発注主であるJICAとしては、コンサルタントにいかなる 具体的な業務を請け負ってもらうのか、その施工監理業務内容や範囲の他、JICA・ア首連・コンサルタント・建設業者の4者の権利義務関係を 明確にしつつ、必要な書類一式を作成し、契約課にコンサルタント選定を依頼する必要があった。

  コンサルタントをリクルートするJICA内の手続きとその実務につき全く不慣れのな状況にあって、そのデスクワークこそが当座の 最大の難儀であった。実務経験と知識が全くない担当者にとっては、何か事を判断し実行しようにも基礎的知恵をもち合わせて いないという苦しさが毎日のように押し寄せてきた。何をやるにも全て手探りであり試行錯誤の連続であった。一つのことに対処するのに 人の何倍もの時間を要することから、目の前の実務が滞りどんどん追いつめられ焦るばかりであった。

  全てのことが初めての実務であり、それも次々とこなさなければならなかった。コンサルタントを選定するのに、業務指示書、施工監理の 業務内容とその範囲、人員の配置計画表と数量、予算計画書の他、ア首連政府・JICA・コンサルタント・建設請負業者の四者間 の権利義務関係を図上演習しながら、瑕疵担保条項を含むJICA・コンサルタント契約書案などを手探りで準備した。

  調達部契約課が所管する「コンサル選定委員会」の俎上に選定手続きに必要とされる一連の書類を積み上げ、ようやく第一回の審査 委員会の開催に漕ぎ着けた。実際は、先に概略設計調査を実施したコンサルタントである「パシフィック・コンサルタンツ・インター ナショナル(PCI)」が特命随意契約方式で選定された。そして、同社との間で施工監理業務コンサルティング契約を締結する運びとなった。

  実務を進める過程の中のいろいろな節目節目において、胃に錐を刺したような激痛に襲われた。このままでは確実に胃潰瘍になる という恐怖に囚われ深刻に悩んだ。精神的に病んでしまってほぼ鬱病状態と自己診断をした。毎日起きるのが苦痛で、出勤するのも酷く 憂鬱となっていた。駅ホームからふらふらと転げ落ちるのではないかと自身の自律神経に自信がもてなくなった。精神的なへこみは 酷いものであった。だから、ホームの端を歩いたりせず、意識をしっかりもってホームの中央に立って電車を待つように心掛けた。 軽いノイローゼと言うような話ではなかった。人生で初めて鬱病患者の心理がどういうものか痛いほど推し測れるとの思いであった。 食欲がなく、気力もなく、何をすればよいのかも、また何を考えているのかさえ自身でも分からなくなるほど自律神経が傷め付け られていると思い込んだ。

  ア首連の増養殖センターのことで、明日は仕事の何をどうこなせばいいのか、寝床に就いてもそのことが頭にまとわりつき眠れ なかった。頭からア首連のことを払拭し眠りに就こうとすればするほど、そのことが頭の中をぐるぐると駆け巡るばかりで不眠症 状態であった。何日もそのような眠れない苦しい日々が続いた。仕事を放り出したくなるが、それもできないままの苦悶との 闘いであった。何とか気を持ち直して職場へとぼとぼと向かうのであったが、他人が私の後ろ姿を見れば、夢遊病患者と思った ことであろう想像する。心の激しい浮き沈みが頻繁にやってきたが、それに打ち勝とうと一人もがいていたこの頃が 最も辛い時期であった。

  PCIとついに契約書を取り交わし、ようやく一名のベテランの主任監理者を現地に派遣するところまで漕ぎ着けられた。そして、 「詳細設計」に着手できる段階へと一歩全身することができた。数か月後には驚くばかりの分量のある詳細設計図に加え、国際入札に 供する図書類一式がJICAの事前承認を求めて、PCI本社の海外業務統括部から順次送り届けられてきた。設計図や工事数量表などは 絵図と数字であるが、国際入札に先立って応札予定社に対して提示される工事の業務指示書や工事請負契約書案など、当然全て 英語版の図書であった。

  国際入札を前に外務省などの関係者らに業者選定基準や工事工程、工事契約書案などに関し近々に説明せねばならなかった。 何をどう説明すべきなのか、読み解いて理解するには時間も余りなかった。針のむしろに座るようで心穏やかならず、 何度も精神的に追い詰められていた。

  建設工事の契約書案は、基本的に「フィデック(FIDIC)」という「国際建設工事契約約款」に則して作成される。FIDICを理解 しておくことは契約書案の内容の適否を判断するには欠かせなかった。施主のア首連政府、建設工事請負業者、そのサブ・コントラクター、 施工監理者であるJICA、そしてJICAから派遣されるコンサルタント(PCI) との間の諸々の権利義務関係が記される。建設業者は期限内に施設を ア首連側に引き渡さなくてはならない。竣工が遅延すれば建設業者にに違約金が課されることにつながる。JICAは分身のコンサルタント と一心同体となって適正な施工監理業務を果たさなくてはならなかった。ア首連は、自身の代理人であるJICA(及びそのコンサル タントであるPCI)による工事出来高の承認の下、工事着手金の支払い、数度にわたる中間支払い、 完工後の最終支払いなどをきちんと執行する義務があった。

  省庁関係者らへの説明会が近づくなか、苛立ちがピークに達しついに居直ってしまった。英語版の全入札図書案を束にして、 当時着任して間もない水産室長の机にどさっと置いて、「月曜日までに全てに目を通して、国際 入札の執行に「ゴーサイン」を出して問題はないか否か」の判断を下してほしいと、室長に本気で詰め寄った。要するに判断の丸投げをした。

  当時、最も心が沈み病んでいた頃であった。室長が通読して管理職としての意地を見せてくれるならば、担当者として気を 取り直してもう一度頑張ろうと秘かに覚悟を決めていた。また、それを期待していた。私的には、それが精神的に追い詰められて いた当時の偽らざる心境であった。担当者としての職務を果たす必要があったが、関係者に何をどう説明すべきなのか見えてこず 悩みが続いていた。翌週、室長から「入札図書を一通り読んでみたが、あるページのこことあそこがどうしても理解できないので、 教えてくれ」と真顔で請われた。それを聞いて気を取り戻し、担当者としてもう一度監理業務に正面から向き合うことを決意した。

  かくして、施工監理を請け負ってくれたPCIと二人三脚で次の一歩を踏み出した。現場に常駐するPCI主任監理者には、施主である ア首連の代理人として、また施工監理者であるJICAの代理人として、それらの看板と全責務を背負ってもらっていた。現場に張り付く PCI監理者から受け取る全ての報告文書を通読し、節目節目で必要な「指示/ゴーサイン」などを発出し続けた。 まさに、JICAとコンサルタントは一心同体かつ一蓮托生の関係であった。日常的に特に問題が発生しない場合には、定期報告書を もって進捗状況を確認した。時には個別の相談を受けつつ適宜必要な判断を下して行った。また、PCI本社統轄本部とも緊密な連携を 取り合った。

  さて、国際入札を執行する段階において発生したある出来事に遡りたい。現地の英字新聞に国際入札のための広告を掲載し、建設請負 業者を公募する段階へと移行した。応札したある英国・ア首連共同企業体に関し、コンサルタントは応札書類の不備を理由に失格 させるとの判断を下した。JICAは詳細な報告を受けその判断を是として受け入れた。その後、幾つかの有資格の応札企業の中から、 ある社が交渉優先順位第一位に浮上した。その後契約交渉を経て、同社と工事請負契約交渉を行なう運びとなった。

  だがしかし、ア首連農漁業省は再び突如外交ルートを通じて、今度は入札審査過程に瑕疵があるとして、国際入札の遣り直しを 求めてきた。審査に瑕疵は見られないとのスタンスを取るJICAは、これではア首連の代理人として責任もって、入札はおろか、その 後の施工監理を遂行しかねるので、監理業務から撤退することも止む得ないと、遺憾の意思表示を示そうとした。かくして、JICAは再入札 に応じない方針とし、再び企画課を窓口にして外務省技協課にその旨を申し入れることになった。

  応札書面不備のため入札有資格者とは認められないと「失格」と判定された社が、ア首連にとってはどうも本命であったらしい ことがそのずっと後で判明した。だが、そんなことよりも、瑕疵の見当たらない入札評価結果が理不尽に覆されるのであれば、JICAは 今後責任もって施工監理を続けられないとする旨の逆クレームを行った。即ち、JICAとしては企画課を介して施工監理から 撤退したい旨を外務省に強く申し入れた。

  さて、JICAでは再び企画課が前面に立ち、またもや外務省技協課と協議することになった。そして、外務省同課からの一通の念書をもって 事案を一件落着させることになった。即ち、同課が予算措置も含め今後の対UAE協力の実施に全ての責任を負う旨の約束を得て、 国際入札をやり直しするという落としどころが模索された。その後、再入札と評価が行われた結果、交渉順位第一位を得たのは何と 前回応札資格審査段階で失格となった例の英国・ア首連共同企業体であった。交渉の末、正式に建設コントラクターとなり、 工事着工の運びとなった。そして、その後の工事プロセスにおける同企業体の奮闘ぶりは、語るも涙聴くも涙の辛苦の道を辿ることになった。

  建設工事期間は1年ほどの予定であったが、工事は延びに延びて、竣工したのは4年後のことであった。施主のア首連政府に よるたびたびの設計変更の要求、工期ごとに課せられた工事代金の部分払いの遅延、予備費の使い方を巡る紛議など、いろいろな ことが遅延の直接・間接の要因となった。建設業者はア首連側の代金の支払い遅延や不払いのために、同社が雇う労働者に賃金を支払えず、そのために労働者によるストライキの頻発に巻き込まれ、その対処に翻弄されるなど、建設工程は難行苦行を余儀なくされた。 止むを得ず、業者は資金を別途工面しながら労働者に賃金を支払い、工事を続行させるのに涙ぐましい努力を続けた。

  英国・ア首連共同企業体はコントラクターとして諸々の悩ましい難義を背負いながらも、工事契約を途中で放棄することなく、 忍耐力をもって献身的努力を続け、着工後4年目にして竣工に漕ぎ着けた。何と、第一回目の入札に おいて応札書類の不備で失格者となった例の外資系企業体が、最後まで踏みとどまり奮闘した結果として「増養殖センター」の竣工を見る に至った。結果的に見れば、再入札を経て同社が請け負ったが故に竣工という「結果オーライ」に繋がった。 JICAとPCIも総括として髙い評価を下すに至った。それにしても、長い道のりであった。中東アラブ諸国で直の関係者となって仕事をする場合、 想定し難い諸々の苦難を乗り越えることを期初から覚悟せねばならない。それが本事案で学んだ教訓である。

  JICAの施工監理予算もついに尽きそうであった。JICAの分身であるPCIからの主任監理者の派遣は1名であったが、間接費を含む コンサルタント諸経費は決して安価なものではなかった。工事が遅延することを最初からそれなりに見越して、予算を大幅に膨ら ませていた。実質2年間以上十分対応できる予算を期初に一括して確保していた。外務省もそれを了としてくれていた。だがしかし、 潤沢に確保しておいたはずの予算も、工事の延長が繰り返されたため、3年目には予算不足が露見し底が尽きかけた。

  4年目には、JICAは間接費を含むコンサルタント諸経費をまともに支払えなくなった。外務省は追加予算確保のために大蔵省と掛け合う 必要があった。だが、「開発調査」の概略設計が未だに続いていることを理由に追加予算を要求することはさすがにしづらかったようである。 止む無く間接費なしの直接経費のみの支払いをもって、完工まで後わずかと見込まれていた監理業務をPCIの深い理解と「厚意」をもって 続行することができた。

  かくして、間接経費の支払いをネグレクトし、直接人件費のみをPCIへ支払うこと、即ちJICA技術協力専門家派遣時に適用される いわゆる「給与の所属先補てん」のみで済ませるという「ウルトラC」的な遣り方で対応せざるを得なくなった。工事がこれほど遅延し、ついに 予算が枯渇しそうな事態が迫りつつあったことは全く想定外であった。アラブの世界では、やはり何が起こるか分からない。一年余の建設 予定期間が4年目へと延びても何ら驚くに当たらないという異界である。いみじくも中東アラブ諸国にあってはそれが「常識」であること を学ぶことになった。

  総覧してみると、チュニジアの「国立漁業訓練センター」プロジェクトと全く同様に、ア首連プロジェクトを通じて幾多の教訓を学んだ。 JICA調査団が交わす相手国関係者との合意文書における一言一句のもつ重さを肝に銘じた。何のお咎めもなかったが、一つの英単語の 見落としや使用方法の間違えについては何の言い訳もできることではなかった。

  一人の人間を追い詰め苦悩の奈落に突き落とすきっかけは日常的にどこにでも転がっている。私にとってはそれは真言であった。 初めての経験を「なせば成る」と気構え、チャレンジすることは時に大事なことである。だが、精神が壊れるまで追い詰められる こともありうる。精神崩壊の前に周囲の同僚らに声を上げることの大切さも学んだ。他方でまた、月並みではあるが、誠実に 事に向き合うことの大切さも重要な教訓の一つとなった。

  ところで、水産室において担当したプロジェクトの殆どはイスラム文化圏にある諸国であった。チュニジアやア首連しかり、 またインドネシアもそうであった。その当時にあっては、非イスラム国の案件を担当したのはミクロネシアのみであった。 イスラムやアラブ文化にかなり疲れを感じていた頃、周りの先輩諸氏にはっきりと聞き取れるように「独り言」を洩らした。 「他の地域のプロジェクトも担当してみたい、誰かプロジェクトを交換してもらえませんか」。その独り言が後の人生に 最大級のインパクトをもたらすことになるとは知る由もなかった。

  優しい二人の先輩職員は気を利かせて、ホンジュラスとアルゼンチンのプロジェクトを譲ってくれた。そして、JICAの業務出張 において初めて太平洋を越えることができた。水産室内の担当者同士のバーター取引によって、中南米との縁ができた。半ば意図的に 発したその「独り言」が、ずっと後に奇跡的な幸運をもたらすことにつながった。

  譲り受けたアルゼンチンのあるプロジェクトを成立させるために、その合意形成を目指しつつアルゼンチン海軍との実務交渉に奔走した。 1983年の一年間に日本・アルゼンチンを3往復するという幸運に恵まれた。他方その間も、「水産増養殖センター」の完工を目指し、 PCIとのコンサルティング契約を再三延長しつつ施工監理業務も続けた。

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    第8章 水産プロジェクト運営を通じて国際協力(その1)
    第6節 ア首連にて水産増養殖センターの建設を施工監理する


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       第8章・目次
      第1節: 担当プロジェクトを総覧する [付属資料]JICA水産室時代に おける海外出張略履歴
      第2節: 担当はインドネシアの漁港案件から始まった
      第3節: チュニジア漁業訓練センタープロジェクトから多くの教訓を学ぶ(その1)
      第4節: チュニジア漁業訓練センタープロジェクトから多くの教訓を学ぶ(その2)
      第5節: ア首連にて水産増養殖センターの建設を施工監理する(その1)
      第6節: ア首連にて水産増養殖センターの建設を施工監理する(その2)
      第7節: カリブ海での沿岸水産資源調査やパラオでのカツオ操業の採算性実証に取り組む