中米ニカラグアに赴任中の2009年にチャレンジした「ニカラグア運河」候補ルートの踏査には、たいてい1~4名のJICA青年海外協力隊員
が参加してくれていたが、K土木隊員だけはほぼいつも同行してくれていた。土木専門だけあって、運河への関心はさすが半端では
なかった。
私が、彼女に幾度か語っていたことがある。「私自身は残念ながら年齢から察して、ニカラグア運河ルート上の心臓部といえるニカラ
グア湖に超巨大船が航行する姿を現実に眺めることはできないであろうが、貴方はまだまだ若いから生きている間にきっと見れる時が
やって来るだろう」。「少なくとも貴方のお子さんは、運河を行くマンモス船の雄姿を見られるに違いない」と。ところが、ニカラグアから
帰国後4年が経った2013年になって、団塊世代に属し還暦を過ぎた私ですら眺めることができる可能性が出て来たのにはびっくり
仰天であった。
ニカラグア政府は、親米右派のボラーニョス大統領時代の2006年8月、ニカラグア運河の建設に関するプレ・フィージビリティ調査
報告書として、「ニカラグア大運河計画概要書」(略称:GCIN)なるものを公表していた。そしてその中で、6つの運河候補ルートを
明らかにし、運河建設に向けてのアドバルーンを上げた。2007年9月に赴任した私は、「エル・カスティージョ要塞」への旅で偶然にも、
「ニカラグア運河の夢」を知ることになった。そしてその後、幾つかの候補ルートと重なり合う河川の現地踏査を敢行した。だがしかし、
私が生きている間に運河建設が開始されることなどありえない、と決めつけていた。
ところが、2013年になって、ニカラグア発のびっくり仰天のビッグ・ニュースが耳に飛び込んで来た。同年6月、当時
なおもニカラグア政権の座にあったダニエル・オルテガ大統領が、香港系の中国通信会社が設立した「香港ニカラグア運河開発投資
会社」(略称「HKND Group」)の会長・王(Wang Jin)氏との間で、運河建設事業に関するコンセッション契約を締結したという
のである。オルテガ大統領は国家の積年の運河建設の夢を自身の任期中において一気に実現し、歴史的レジェンドを創り上げるようと
している風に、私的には見えた。コンセッション契約はいかなる内容なのか、関連情報をネットなどを通じて収集し始めた。
かくして、建設計画のアウトラインが徐々に明らかになってきた。
コンセッション契約は、本体部分である運河建設のメガプロジェクトと、付帯部分である諸々の開発関連事業のサブプロジェクトの
計画立案・設計、資金調達、建設、運営管理・保守などの全ての事業活動を排他的に請け負わせる、いわゆるコンセッション事業を
取り決めた商業協定であった。契約によれば、運河の建設・運営管理などの独占的請負の権利を50年間認められる。
サブプロジェクトとしては、太平洋沿岸の運河入り口における国際港湾施設の建設(港湾工事は手始めに太平洋側でなされるという)、
リーバス地区での国際空港施設や観光・住宅などの複合施設の建設、港湾に併設される自由貿易区の設営、「陸の運河」(ドライ・
カナル)と称される鉄道・原油パイプラインの敷設などのインフラ整備、その他関連道路網の整備が対象となっている。
オルテガ大統領は、自身の政治的支持基盤である政党「サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)」に属する議員が多数派を占めるニカ
ラグア議会で、運河を建設することを承認する法案を可決通過させた。即ち、議会は、「オ」大統領・王会長とが調印した前日に、同
コンセッション契約の締結についての承認を裁可した。事業権の付与期間は50年間とされ、その後50年間の延長も可能とされているので、
最長100年間の権利付与となる。
余談であるが、契約相手方の「香港ニカラグア運河開発投資会社(HKND Group)」の母体企業である中国通信会社「Xinwei Telecom
Enterprise Group」とはいかなる会社か、その当時から大いに話題となっていた。同投資会社は、2012年11月7日に、イギリスの海外
領土である「ケイマン諸島」の中の最大の島である「グランド・ケイマン島(Gran Caimán)」で設立された。
本社は香港にある、とされた。ニカラグアにおいては、首都マナグアに所在する弁護士事務所が同会社を代表していた。会長は王氏
(Wang Jing; 2013年当時40歳)であった。当時、「HKNDグループ」はコンソーシアムを組織していた。その構成員は、「中国鉄道
建設会社(China Railway Construction Company; CRCC)」である。その他、王会長の通信事業会社の「Xinwei Telecom Enterprise
Group」であった。
同投資会社(HKNDグループ)は、その後いくつかのコンサルティング会社と契約を結び、プレ・フィージビリティ調査(予備的事業化調査)
なるものを実施した。すなわち、2013年3月以降になって、「中国鉄道建設会社(CRCC)」、「マッキンゼー(McKinsey)」コンサルティング
会社、「環境リソーシーズ・マネジメント(ERM: Environmental Resources Management)」などを招き入れて、運河調査を実施した。
鉄道建設会社「CRCC」は、実際のフィールドにおいて、地理、地質、水文(陸水)などに関連する調査や、その他環境、社会、経済、技術
的関連情報を収集し、それらを総合しながら、運河ルートの調査研究を行ったという。
「HKNDグループ」は、その後「大運河プロジェクト」と銘打って、その計画案を取りまとめ、2014年7月に「大運河プロジェクト」
の概要を説明するためのワークショップを首都マナグアで実施した。その中で、特に運河ルート、人工湖や閘門システムの設計に関する
調査結果につきマスコミに公表した。
ボラーニョス政権が2006年8月に発表した、「ニカラグア大運河計画概要書」(略称:GCIN)では、6つの候補ルート(No.1~6)を
提案していたが、そのうち「ルートNo.3」が最も有望ルートとして推奨されていた。「ルートNo.3」とは、既述の通り、大西洋沿岸の
「ブルーフィールズ湾」(事実上、半閉鎖海または潟湖といえる)の南端部に注ぎ出る「ククラ川」の河口(ラマ・キー島近傍)
から「エル・ラマ川」の中・上流域へ取り付き、「オヤテ川」との分水嶺を経てニカラグア湖へと至るルートである。
だが、「大運河プロジェクト」案では、候補から除外された。代わりに、「ルートNo.4」をベースにした修正ルート案が提示されていた。
即ち、大西洋に注ぎ出る「プンタ・ゴルダ川」をなぞって西行し、その中流域に建設される予定のダム・人工湖と閘門を経て、さらに
ニカラグア湖に注ぎ込む「トゥーレ川」との分水嶺を越えて同湖に至るというルートである。なお、環境影響評価調査を行い結果を
公表するとされていたが、それはずっと後になってからである。
さて、「HKNDグループ」の「大運河プロジェクト」では、2006年の「ニカラグア大運河計画概要書(GCIN)」にいう「ルートNo.4」
の修正ルート(以下「修正ルートNo.4」)が推奨されたが、その理由についていろいろと列挙している。
太平洋・大西洋の両洋間の運河航路の総延長距離は286kmであるとされる。太平洋岸の「ブリット川」河口付近から、海抜32メートル
ほどにあるニカラグア湖までの「リーバス地峡」の距離は26kmほどである。その間に3段連続式閘室を擁する「水の階段」である
「ブリット閘門」が建設され、水位差が克服される。同湖の西岸から東岸側の「トゥーレ川」河口付近までの湖水内では、幅280メートル、
水深28メートル、長さ107kmの航路帯(レイク・レーン)が浚渫されることになっている。
「トゥーレ川」河口付近から大西洋岸までは、幅230メートル、水深27メートル、長さ106kmにおよぶ運河航路が開削なされるという
計画案である。そのルート途上において、カリブ海に注ぐ「プンタ・ゴルダ川」を堰き止め、「アトランタ湖」という人工湖が造成
されるという。人工湖は395平方km(ニカラグア湖のほぼ4.8%の広さ)であるという。乾期の水不足に備えて、幾つかの補助
人工湖(アグア・サルカ貯水池など)も造成される。「アトランタ湖」の東端には、同じく3段連続式閘室からなる「カミーロ閘門」が
建設される計画である。
「修正ルートNo.4」の建設による大西洋側沿岸地域における自然環境などへの影響については、既述の「ルートNo.5・No.6」の
他ルートに比して最小限に抑制されるという。比較的平坦地が多いが、局所的には、特に「トゥーレ川」と「プンタ・ゴルダ川」の分水嶺
付近においては、標高100~200メートルの山地が数10kmに渡り横たわっている。いずれにせよ、動植物、
農牧生産、先住民の生活圏への影響など、考慮されるべき事項は多岐にわたる。
何故、2006年8月に公表された「大運河計画概要書(GCIN)」に言う「ルートNo.1、2、3」、および「ルートNo.5、6」が
除外されたのか。さて、「ルートNo.1~6」について改めて比較優位性などについて再検討が行われた。その結果、「大運河プロジェクト」
において最有力候補ルートに選定されたのは、大よそ「ルートNo.4」に沿いつつ修正されたものであった。「大運河プロジェクト」
で提示された理由について簡潔に言ってしまえば、自然環境や動植物生態系などへの影響、先住民族らへの社会・文化的影響に関する
各ルート間での比較検討による消去法的考察の結果によるものである。また、後述の通り、特に「ルートNo.5、No.6」については、
隣国コスタリカとの二国間関係への配慮によるものである。
「ルートNo.1」は、「エスコンディード川」をなぞりつつ、内陸都市エル・ラマ近傍で「シキア川」へ、さらに「ミコ川
(シキア川支流)」をなぞり、最終的にはエスコンディード川支流である「エル・ラマ川」の中流域に取りつく。そして、「オヤテ川」との
分水嶺を越えてニカラグア湖に至る。「ルートNo.2」は、エスコンディード川を少し遡り、その支流の「マホガニー・クリーク」周辺の
亜熱帯樹林を大回りに横切り、同じくエル・ラマ川中流域へと取り付く。その後は同様のルートを辿りニカラグア湖に至る。このように、
「ルートNo.1・No.2」は、エスコンディード川とエル・ラマ川をかなりの部分について共通してなぞることになる。
「大運河プロジェクト」では、何故に、「ルートNo.1とNo.2」が除外されたか。ブルーフィールズ湾への社会的、自然環境的
インパクトを考慮して運河開削は適切ではないとされた。カリブ海沿いの「ラグーナ・ペルラス」(エスコンディード川はブルーフィー
ルズ湾北域に注ぎ込むが、潟湖のラグーナ・ペルラスは同湾のすぐ北方に位置し、亜熱帯樹林に取り囲まれている)やブルーフィールズ
湾には、絶滅が危惧される海ガメ4種の棲息地が存在する。また、ブルーフィールズ湾は「ラムサール条約」の湿地帯に登録されている。
ブルーフィールズ湾およびそれに注ぎ込む河川の河口域での水理力学的特性への潜在的インパクト、同湾周辺の亜熱帯原生樹林、
希少な動植物やサンゴ礁などの存在と、それに大きく依存するエコツーリズム関連のサービス産業に対する潜在的インパクトなどが
配慮されたという。また、ミスキート族などの先住諸民族の存在の他に、「北大西洋自治地域」の行政府であるブルーフィールズが所在し、
カリブ海沿岸で最多人口を擁することなども配慮された。
「ルートNo.5」は、カリブ海に注ぐプンタ・ゴルダ川河口付近から内陸部へと深く西行した後、南方へ転進しつつ分水嶺へと繋がり越え
行く。その後、「サバロス川」をなぞりサン・ファン川に合流した後、後者の河川をなぞりつつニカラグア湖に至る。
「ルートNo.6」は、サン・ファン川河口にある町「サン・ファン・デル・ノルテ(グレータウン)」から原生樹林・湿地帯やラグーンを
ストレートに縦断した後、サン・ファン川に取り付き、さらにそれをなぞってニカラグア湖に至るルートである。「ルートNo.5とNo.6」
の共通点は、サン・ファン川の大部分、または一部分をなぞってニカラグア湖に至ることである。これ即ち後述の通り、サン・ファン川南岸が
コスタリカとの国境線となっており、それに大きなインパクトを及ぼすことになる。
「大運河プロジェクト」では、何故に、候補ルートNo.5とNo.6を除外するに至ったのか。サン・ファン川河口・下流域では、広大な
面積をもつ亜熱帯原生樹林でもって濃密に覆われている「インディオ・マイス生物保護区」が設定されている。そこは「中米の肺」
と呼ばれている。それへの大きな負のインパクトが危惧され、国内外において強い批判や反対を呼び起こすことは誰の目にも
明らかであった。
また、サン・ファン川を堰き止めることになるダム・堰堤と閘門は、同河川の流路や、同保護区およびその他の原生樹林への重大な
負のインパクトをもたらすことなく建設することは不可能であろう。ニカラグア湖は海抜32メートルほどにあるので、サン・ファン川
を開削して海面式運河にすると、ニカラグア湖の水は海へ流出してまうので、必ず閘門式運河にする必要がある。また、同河川南岸
の大部分の水際においてコスタリカとの国境線をなしている。同河川に沿って浚渫したり、堰堤・閘門などが建設されれば、両岸
周辺の自然環境や国境線自体に重大なインパクトをもたらし、二国間での協議は紛糾することも十分ありうる。
実は、ニカラグア外務省は、2014年5月に、コスタリカ外務省に対して、国境河川(サン・フアン川のこと)に沿っての運河建設計画を
放棄する旨、公式に通告した。エル・コラルという処には海ガメの重要な営巣場所があること、サン・フアン川のエコシステムへの
配慮による結果であるとされる。サン・ファン川の浚渫、その両岸の切削などによる動植物生態系や自然環境への重大な負の影響は
避けられそうにないからである。
また、「HKNDグループ」は、天然の大水源であるニカラグア湖から流れ出るサン・ファン川を経るルートは選択されえないことを
決定済みである旨を、コンセッション契約締結の早い段階で発表していた。100km以上にわたり同河川をはさんで国境線を接するコスタリカと
川底浚渫・川岸拡張に伴う国境線や自然環境の改変、航行などに関する外交交渉において、長期にわたる不毛な対立に関わること、
また利害調整に過度の労力をかけることを回避したいというニカラグア政府の思惑があったのは確実であろう。ニカラグア政府としては、
初期段階から賢明な選択をしたということになろう。
「大運河計画概要書(GCIN)」では最有望であった「ルートNo.3」は、自然環境や先住民コミュニティへのインパクトを最小限に
抑制する必要性から、「大運河プロジェクト」では候補ルートから外された。その代わりに「ルートNo.4」を若干修正したルートが
最適なものとして提案された。この「修正ルートNo.4」の選択によって、「インディオ・マイス生物保護区」を最大限に回避し、かつ
先住民コミュニティへの影響も縮小化されるという。
なお、太平洋側では、ブリット川河口付近を起点にして、ニカラグア湖西岸の地方都市リーバスの少し南方にある「ラス・ロッハス川」
河口に向けて、緩やかなS字形カーブを描きながら地峡を横断するというもので、そのルートいかなる運河計画でも一貫して不変である。
さて、「大運河プロジェクト」の技術的主要目について概観しておきたい。「修正ルートNo.4」の総延長距離はおよそ278kmと
概算されている (ニカラグア湖を通過する区間としての105kmを含む)。20フィート長のコンテナ25,000個(40フィートコンテナ
12,500個分)を積載可能なコンテナ船、積載重量40万トンのばら積み船、同32万トンの石油タンカーの両面通航を可能にするという
運河計画である。
航路の計画水深は、27.6~30メートル(ニカラグア湖の最大水深は26メートル)、その幅員は230~520メートルである。通過待ちの
ために供される側湾(待避用水域)での幅員は520メートルである。閘門は一つのレーンからなる。年間通航可能船舶数は5,100隻と
見込まれている。船舶一隻当たりの運河通過所要時間は30時間である(通過だけであれば20時間程度。パナマ運河の場合のそれは
6時間程度である)。なお、開削される分水嶺における最大標高差は200メートルである。
ここで、パナマ運河について少し触れておきたい。パナマ運河を拡張するというプロジェクトは2007年に始まり、9年を費やして
2016年6月に完成した。新閘門を通航できる船舶の大きさの上限は、長さ366メートル、幅49メートル、喫水15.2メートルである。
新しい運河閘室(チャンバー)は、コンテナ船について言えば、20フィートコンテナ積載換算で20,000個のコンテナを積載する
船舶を通航させることができる。従来の運河での閘門においては、通航可能船舶のタイプとサイズに一定の制約があった。即ち、
閘室の制約上から、長さ294.13メートル超、幅32.3メートル超の船は通航できなかった。
また、熱帯淡水満載吃水線は12.04メートルを超えることができなかった。この最大限界ぎりぎりの船は「パナマックス船」と呼ばれた。
そして、その限界を超過する船は「ポストパナマックス船」と呼ばれていた。新しい閘室が完成した現在では、その最大限界ぎり
ぎりのコンテナ船は「ネオ・パナマックス船」と呼ばれる。
さて、「大運河プロジェクト」における人工湖、閘門・閘室、および水資源などについて話を戻したい。閘門は大西洋・太平洋側
に各1式ずつである。太平洋側では「ブリット閘門」がリーバス県内の集落「リオ・グランデ」近くに建設されることになる。
大西洋側では、「カーニョ・エロイサ」という小河川とプンタ・ゴルダ川との合流地点近くにある集落「アトランタ」の近傍に
「カミーロ閘門」が建設される。閘門の構造は、3段連続式閘室からなる「水の階段」である。それによって標高差32メートルを昇降する。
各閘室において10メートル余りを昇降することになる。各閘室の大きさは、全長520メートル、幅75メートル、深さ27.6メートルと
計画されている。
大西洋側での閘室開閉オペレーションのための水源としては、主に「プンタ・ゴルダ川」を堰き止めてできる人工湖の「アトランタ湖」を利用することになる。
その湖水面積は、395平方kmである(ニカラグア湖の4.8%ほどの広さ。琵琶湖の13倍の広さという)。
水量は運河のオペレーションにとって十分であると見積もられている。閘門を通過する船舶数は日量40~50隻と想定されている。
閘門は一つのレーンからなるが、それ以外の運河航路では両面通航となる。なお、「リ-バス地峡」の「ブリット閘門」でのオペレー
ションには、基本的にはニカラグア湖水が直接的に利用されるとされる。
「アトランタ湖」の水位はニカラグア湖のそれと同じ高さ(海抜32メートル)に維持される計画である。また、閘門開閉オペレー
ションにおける水消費量 (一隻の船舶が閘門を通過するたびに喪失する水資源量) を節減するために、各閘室につき3つの節水槽が
附属して建設される。総計18の節水槽が稼働することになる。運河のオペレーションによってニカラグア湖の水位に異常な
変移をもたらすことなく、正常な範囲内の変移を維持することが基本となる。ニカラグア湖流域の住民らの生産活動や家庭への水供給
においても、悪影響をもたらさないことが基本となる。
[参考データ]ニカラグア湖の表面積: 8,264 平方km (3,191 平方マイル)。最大水深:26メートル (85フィート)。平均水深は不詳。
同湖の貯水量は108 立方km。湖水面の標高は32メートル(100 ft.)である。
さて、「大運河プロジェクト」は2014年に着工予定であることがマスコミを通じて発表されていたが、その予定は2015年へ、さらには2016年末へと再三延期され、
工事は一向に開始されて来なかった。実質的な運河工事の着工は2024年現在になっても見られない。
「HKNDグループ」の主力母体である中国通信会社「Xinwei Telecom Enterprise Group」の株暴落、財務状況の悪化などのうわさがマスコミ
で取沙汰されてきた。そして、少なくとも2021年時点では、同グループのニカラグア事務所はすでに閉鎖された状態にあると報じられた。
2014年着工報道以降、ルート周辺にある農牧従事者、地域住民らによって、さまざまな理由の下に、反対の声が挙げられてきたことを
メディアは報じて来た。「ニカラグア運河の夢」は再び遠ざかってしまったような雲行きである。
私的には、開削工事が「ブリット川」河口付近からニカラグア湖までの「リーバス地峡」の26kmにおいて、少なくとも手始めに、
あるいは最優先的に開始されるものと読んでいた。現実に開削されるとすれば「リーバス地峡」からであり、それ以外に選択肢は
ないものと理解していた。大西洋側の地域に比べ、「リーバス地峡」で開削されるべき分水嶺は非常に低く、また掘削工事量も
距離数も圧倒的に少ない。さらに、大西洋側の工事サイトへのアクセスは亜熱帯ジャングルのために非常に悪く、またその距離も長い。
大西洋側の分水嶺は海抜100~200メートルで、数10kmも連なり、開削工事は何においても難航することは必定であると思料される。
「リーバス地峡」側では、最初から載貨重量40万トン級の超巨大船をやみくもに開通させなくともよいはずであると理解してきた。
先ずは数百トンクラスの観光遊覧船やランチャなどが、ブリット川河口の南15㎞にある太平洋岸の海浜リゾート地「サン・ファン・
デル・スール」からニカラグア湖へと通航できるようになれば、ニカラグア国家経済・社会へのインパクトは大きいものと想定していた。
ニカラグア湖には双子の円錐型活火山を擁する風光明媚な「オメテペ島」や、多島海風景にある「ソレンチナメ諸島」などが
浮かぶ。また、同湖岸には、海賊ヘンリー・モーガンと所縁があり、またコロニアル風趣に溢れる古都・観光都市「グラナダ」がある。
さらに、同湖からサン・ファン川を50kmほど下ったところには、スペイン植民地時代に築造され、英国人ホレーショ・ネルソン海軍提督
との所縁をもつ「エル・カスティージョ要塞」がある。要塞までの同河川両岸は亜熱帯ジャングルとなっている。
例えば、米国西海岸都市から南航する大型クルーズ船の外国人観光客が、「サン・ファン・デル・スール」沖でランチャや小型船に
乗り換え、運河を通過しグラナダや湖内を巡覧し、さらにエル・カスティージョへと足を運び要塞やエコツーリズムを楽しむことができよう。
距離にしてわずか26km足らずの、「リーバス地峡」での幅員の狭い小規模な運河開通であっても(総延長のわずか10%ほど)、
一定規模の観光収入や雇用増への寄与が見込めよう。大西洋側での運河建設が未着工であっても、同運河開通を中核とした観光開発
やその他の地域開発が期待できる。因みに、「ブリット川」河口域での港湾開発をはじめ、空港、貿易、観光などでのインフラ整備
をも同時並行的に進めることで、地域発展のための基盤を整備することができよう。
また、将来フルスケールの両洋運河を完全開通させる上でのさまざまな土木技術、船舶運航、その他の事業運営・管理上のノウハウや
経験を蓄積することに繋がろう。手始めに、地峡部での運河開通を中核とする地域開発のポテンシャルに注目したい。また、
その費用対効果が一定程度見込めるものと期待しうる。私的には、将来の「フルスケールの運河の全面的開通への夢」に先立つ第一歩
を踏み出すことになるものと期待したかった。
オルテガ大統領は運河の夢を現実のものにしようとした。だが、現代ニカラグアを取り巻く政治情勢の中でフルスケールの運河の開通
を実現できるものと、大統領は本気で取り組んだのか、それとも拙速であることを内心認識していたのか、
あるいは「大運河」計画が政権維持のための財政資金源としうると目論んだのか、それは分からない。
米中露などの強大国による運河建設への本腰を入れた本気の戦略的取り組みやコミットメントが見られず、また建設資金に対する
国際的金融シンジゲートによる本格的資本出資や支援の動きなくしては、超巨大プロジェクトを実現することは困難であろう。
また、2016年に拡張されたパナマ運河でのネオパナマックスサイズ船の通航に対する潜在的需要が十分に見込めなければ、
運河建設に乗り出すことは到底困難である。
莫大な投資資金を数10年内に真に回収できる見込みを立てられるのか、また収支バランスを取り得る経済的合理性がどの程度見込
めるのか。投資者はつねにリスクを分散しておきたいはずである。また、自然環境保全や社会経済的発展の見込みにおいて国内
や国際社会からの幅広い賛同やサポートは極めて重要である。オルテガ大統領は、「HKNDグループ」との運河建設コンセッション契約
にあたり、その諾否を国民投票に付さなかった。オルテガ政権は2007年にその権力掌握以来長期化すると同時に、専制独裁的ガバナンス
への道を歩む傾向を一層強めてきたように見える。現政権の下ではニカラグア運河の夢を再び遠ざけてしまったかのように
思えてならないが、その動向について今後も見守っていきたい。
遠い将来、中国は自らの政治・軍事戦略的観点からニカラグア運河の建設に関心をもつであろうか。収支バランスを度外視して
まで建設に及ぶ戦略的有義性が生まれるであろうか。中国が米国を凌ぐスーパーパワーとなり、世界の海洋での覇権を握るために
運河が是が非でも必要というのであれば、運河建設構想は思わぬ展開を見せるかも知れない。中国にそのような野望はありうるのか
否か、予見できる将来においては予測し難いところであろう。
北極海の氷海がさらに融解し、通年通航が何の大きな障害もないほどにノーマルな常態化に至れば、世界
海運や軍事戦略におけるニカラグア運河への需要や必要性はかなり減退傾向に変移することになるかもしれない。中米地峡での運河
通航の世界的潜在需要、新規パナマ運河建設や既存運河の再拡張などを巡る情勢、異常気象に伴うパナマ運河での深刻な水量不足、
また地球温暖化に伴う「北極海航路」開拓の進捗動向などについて、これからも関心を払い続けていきたい。