Page Top


    第15章 ニカラグア運河の踏査と奇跡の生還
    第7節 オヤテ川踏査中における突然の心臓発作と奇跡の生還(その1)


              Top page | 総目次(Contents) | ご覧のページ


      第15章・目次
      第1節: ニカラグアに足跡を遺した歴史上の人物たち(その1)/コロンブス、コルドバなど
      第2節: ニカラグアに足跡を遺した歴史上の人物たち(その2)/海賊モーガン、英国海軍提督ネルソンなど
      第3節: 「ニカラグア運河の夢」の系譜をたどる
      第4節: 運河候補ルートの踏査(その1)/ブリット川河口など
      第5節: 運河候補ルートの踏査(その2)/エスコンディード川、エル・ラマ川など
      第6節: 運河候補ルートの踏査(その3)/サン・ファン川と河口湿原
      第7節: オヤテ川踏査中における突然の心臓発作と奇跡の生還 (その1)
      第8節: オヤテ川踏査中における突然の心臓発作と奇跡の生還(その2)
      第9節: コンセッション協定が締結されるも、「ニカラグア運河の夢」再び遠ざかる

      序章~第9章 | 第14章 第16章 | 第17章~最終章




  ニカラグア運河の最有望ルートNo.3がなぞることになるエル・ラマ川とオヤテ川。その分水嶺を一目見ようと踏査した。六つの候補ルート上にある うちで最も踏査したい分水嶺であった。第一回目の下見時には、県道沿いにあるエル・オヤテ村(ニカラグア湖北岸に沿ってサン・カルロスへ伸びる県道25号 線とオヤテ川との交点辺り)の少し手前から6㎞ほど内陸部にあるエル・サポーテ村に分け入り、その近傍を流れるオヤテ川の岸辺に立った。 そして、本番の踏査時に分水嶺へ辿る上で必要不可欠となる馬の調達を試みた。単独でそんな下見をした後、日を改めて、K隊員とともに馬に またがり、オヤテ川の源流を求めて探索に出立した。ところが、到達した最奥の地からの帰途、心臓冠動脈の狭窄による心臓 発作に襲われた。まさしく九死に一生を得ての辺境奥地からの奇跡的な生還となった。さらに奇跡的な幸運に恵まれ、ニカラグアでステント 留置手術を受けることができ、一命を取り止めた。JICAの総合的な情報力と組織力にも救われた。その後は、職務を全うできず悲運の早期帰国を 余儀なくされた。あれほど充実していたニカラグアでの、公私にわたる日常が瞬時にして暗転した。そして、身の回りの世話のためニカラグア入り した妻に付き添われ帰国した。

  序論はそれぐらいにして、ニカラグア湖に注ぐオヤテ川を遡上して、カリブ海側に流れ出るエル・ラマ川との分水嶺を踏査する最後の「冒険譚」 に話しを戻したい。例の運河調査報告書の中で最有望候補とされるルートNo.3の分水嶺のことである。実際にオヤテ川を遡上し、どの程度の 分水嶺が立ちはだかるのか、自身の目で確かめたかった。 先ず、遡上に必要となる馬の確保、情報収集と現地下見のため、週末に片道200kmほど車を飛ばして、オヤテ村とその奥地のエル・サポーテ村に赴いた。

  ニカラグア湖北岸沿いに南東方向へ伸びる例の砂利道の県道25号線をサン・カルロス方面に向けて走り、オヤテ川に架かる橋に行き着いた。 何度かこの県道を走ったが、川の様相を知るために車を止めてじっくり観るのは初めてであった。川幅は30mほどで、長雨や集中豪雨でもない 限り、水嵩は1~2mであろうか。大勢の子どもたちが橋下で水遊びをしていた。下流側では川底は岩や石でごつごつしており、緩やかに湖方面へ流れていた。 他方、上流側では川筋が大きくカーブしているためよく見通せず、その流れは淀み水嵩がありそうであった。遡上すればどんな自然があるのか、楽しみにしながら、 県道からそれてエル・サポーテ村へ向かった。途中、木を組み合わせ盛り土しただけの長さ10mほどの橋が現われた。 車で通れば崩れ落ちる危険を感じた。念のため下車して橋桁などを目視した。オヤテ川に注ぐ支流の一つである。小川のようなもので、雨期では あったが水の流れはほとんどなかった。

  エル・サポーテ村の入り口に一軒の簡素な家があった。雑貨屋のようであった。傍に車を止めて、徒歩でオヤテ川の川岸めがけて歩いた。 道はひどいぬかるみであった。深みのある泥に足を取られ、難義に難義を重ねながら通過し、ようやく川べりに出た。 次の踏査時には長靴が必需品と思われた。雨天が続き増水すれば濁流と なってすさまじい勢いで流るのであろうが、今は幅15~20mほどで穏やかな小川のような流れであった。川底までの深さは数メートルであろう。豪雨に なればたやすく氾濫しそうで、川岸周辺のぬかるみはそんな氾濫によるものであろう。オヤテ川の岸べりでの樹影は薄く、 放置された放牧地の様相であった。一般論として、ニカラグアでは治水対策は皆無であり、雨期に長雨や豪雨ともなれば、河川は想像を絶するほど 増水したり、時に河川流域に大洪水をもたらすので、住民らは日頃の天候や河川の増水状況に気を配っている必要がある。

  村の入り口の雑貨屋に戻り一息ついた。その時偶然にも、ガウチョ(カウボーイ)と思える壮年の男性が、奥地から下りて来たのか、 馬にまたがり2頭の馬を引き連れて通りかかった。これ幸いと思い間髪入れず挨拶を交わし、単刀直入に交渉話しを切り出した。「オヤテ川の上流の 自然環境を観たいので、来月あたりに川に沿って奥地へ辿りたい。その時に道案内とともに、馬2頭を拝借したいが、ご都合はどうでしょうか」と 頼み込んだ。彼は思案する素振りを全く見せることなく、その場で即了解してくれた。雑貨屋の主人のもつ携帯電話を中継して、日時などを 連絡することにした。賃借料のことを交渉するのをすっかり忘れていたことを後で気が付いた。ガウチョもそれを話題にすることもせず、 お互いのんびりしたものであった。ニカラグアが大好きになったのは、ぎすぎすることなく大らかで、素朴というか純朴なところを日頃から 感じていたからに違いない。

  さて、日を改め、2009年8月下旬にオヤテ川の分水嶺への踏査を敢行した。同行者はいつも踏査に参加してくれているK土木隊員で あった。途中フイガルパというそこそこ大きな地方都市で投宿した。翌日カーボーイと約束していた時間に、その雑貨屋の前で落ち合った。 カーボーイが馬2頭に鞍を付けてスタンバイしてくれていた。時間を浪費せず、三人はすぐに馬にまたがり出発し、分水嶺を目指した。下見の折に難義 したぬかるみの道では、やはり馬もひどく難儀した。馬は体重が重く、その脚は細身なので、人間とは比較にならないほど深く足をとられた。 馬は膝あたりまで食い込んだ前脚を引き抜くのに必死であった。他方の前肢を90度曲げて前かがみになった馬は、そのまま前方へ倒れ込み そうであった。私は前方へでんぐり返しになって落馬しないように、必死に馬の首筋に食らいついたり、後方へ反り返ったりせねばならなかった。 30分以上かけてようやくぬかるみを通過した。

  その後、オヤテ川の岸から離れたり近づいたりしながら、平坦な樹林地帯や放牧地のようなところを進んだ。時に緩やかな起伏が続く山中の 道なき道を進んだ。オヤテ川支流の小さな川を徒渉したりもした。幸いにも当日は水量が少なかったようで、水はごつごつした岩の合間を縫って 勢いよく流れていた。馬は上下左右によたよたしながら何とか徒渉できた。大雨で増水し流れが急になれば、その横切りはかなり危険なものとなろう。 恐らくは徒渉渡河は困難と思われた。さらに、背丈をはるかに越える見通しの悪い雑木林の中をくぐり抜け、また時には放牧地のような見通しの良い 所を通過しながら、暑さをこらえて突き進んだ。そして、目途の通過点の一つである、オヤテ川とある支流とのT字型合流点を地図上で確認した。 村から2時間余り経っていた。付近は雑木林に深く覆われ、支流の川幅は5mほどしかなく、まるで流れのない小川であった。オヤテ川の川幅も狭く 8mほどで小川の様相であったが、水は勢いよく流れていた。さて、その合流点付近で、用意しておいたおにぎり弁当をシェアして空腹を満たした。

  さらに源流へと踏査を続け、見晴らしの良い高台に行き着いた。そこから上流を眺望すると、川幅は意外にも広くなっていて、 30mくらいはありそうであった。そして、落差数メートルはありそうな自然の堰が川幅いっぱいに形成されているのが見て取れた。川幅や流れ具合からしても、 分水嶺はまだかなり上流にあると思われた。しかし、オヤテ川の上流域がどのような地形であり、どのような様相なのかを目視することができた。 更に遠方には、標高100mほどの山の連なりがあり、川はその裾野で大きく方向を変え源流へと向かっているようであった。その後高台から下り、 その堰近くの川岸に立ち、源流方面をしっかりと眺望した。分水嶺はその山なりの麓辺りから始まっているものと読み取った。

  さて、時計を見るとすでに午後2時を少し回っていた。学生時代にワンダーフォーゲル部で山行した数多の経験からすれば、前進を止めて テント設営する時刻である。この踏査では、折り返す時刻であった。陽の高いうちに余裕をもって、その日の「山行」を終えて帰路に就くことにした。 時間的余裕をもって少なくとも日が落ちる2時間前には村に帰着したかった。

  ところが、折り返して15分するかしないうちに、急に胸元あたりが変だなと、少し違和感を感じた。過去にたまに経験することもあった胸の違和感、 重苦しさとはちょっと様子が違うと直感した。だが、暫くしたら治まるのではないかと、馬脚を進めながら様子見をした。 だがしかし、違和感はだんだんと胸への確かな圧迫感へと変わり、次には差し込むような痛みへと変わって来た。 心臓に針を突き刺すような猛烈な痛みではないが、過去に経験したことがないような、かなり差し込む胸痛に変わって来た。これは大変な事態 になったと直感した。抜き差しならない事態であると認識したのは、その胸痛から余り間を経ずに襲ってきためまいであった。酷いめまいで、 とても馬上に留まっておられず、馬から降りざるをえなかった。まさに馬上から崩れ落ちた。そして、そのまま草むらに背中を丸めてうずくまってしまった。 そして、今度は吐き気が襲ってきた。めまいと吐き気に襲われ、これはただ事ではないとはっきりと自覚した。心筋梗塞ではないかと 強く疑った。

  母親がかつて心筋梗塞に襲われたことがあったが、「心臓をえぐり取られ、振り回されるかのような激痛が襲ってきた」と聞かされていた。 全くそれではなかったが、軽い胸痛というものでもなかった。過去一度も経験したことのない「尋常ではない胸痛」で、息をするたびに肺に針が突き 刺さるような痛さであった。2009年8月31日の日曜日、現地時間午後2時過ぎのことであった。

  胸痛はそのうちに治まるのではないかという淡い期待を抱きながら、祈るような気持ちで、転げ落ちた時の姿勢そのままに、草むらにうずくまった。 草むらにじっと身を埋め、耐え忍びながら容態を見る他なかった。吐き気が治まった頃、ふと思い出したことがあった。母親が24年ほど前に心筋梗塞で倒れ、病院で 二週間ほど生死を彷徨ったことがあった。母からその遺伝的形質を受け継いでいるのではないかと、真剣に懸念し出した。当時、九死に一生を得た 母親の主治医に頼み込んで、ニトログリセリンを少し譲り受け、お守り代わりにいつも財布に入れていた。そのことを思い出した。リュックに手を伸ばし それを取り出して一錠を舌下に入れようとした。だが、ニトロは錠剤の原形を留めず粉末状になっていた。一瞬驚いたが、そんなことに構わず、藁をも 掴む思いで、粉を指先で何度かつまんで、粗々舌下に押し込んだ。

  ニトロは年代物ではあったが、少しは効能があるものと思いたかった。時間の経過とともに、めまいと吐き気は治まって来たことで少しは 精神的に楽になることができた。だが、相変わらず胸痛で息苦しく、息を吸うたびにかなりの痛みが胸に刺し込んでいた。狭心症であれば、15分ほど で治まるはずだろうが、そうではなかった。だから、心筋梗塞に違いないと推測した。冠動脈のどこかでかなり狭窄していて、狭心症の少し 強めの発作が長びいている状態にあるのではないかと邪推した。さらに悪化するのか、回復するのか不安な思いで、伏せった自身の目の前にある雑草と 向き合っていた。時間が経てば狭窄が元に回復するかもしれないという期待を持ち続けていた。

  だが、倒れてから1時間ほど経っても胸痛は変わらなかった。冠動脈のどこかでかなりひどく狭窄し、もはや心筋梗塞に近い状態からの回復はなさそうだと 思い始めた。完全に心筋梗塞の容態になり最悪の事態に陥るのか、それとも、狭心症から脱して何もなかったかのようにほぼ100%正常に戻れるのか、 このまま現状維持となるのか、草むらにうずくまりながらじっと我慢していた。

  時々目を開けると、目鼻から10㎝ほど先の草むらの中を虫がはい回っていた。そして、ふと空を見上げた。濃密に生える周囲の草木が覆いかぶさり、 見える青空は狭かった。そこに真っ白い夏雲が浮かんでいた。今でもその夏空の光景を思い出す。ふと我に戻り、どうやってこの辺境の奥地 からエル・サポーテの集落まで脱出することができるのか、真剣に考えねばならないと意識した。「これは夢ではない、現実にわが身に 起こっていることである」ということをしっかり思い起こした。そして、首都マナグアの事務所に連絡すべきか否かを思い悩んでいた。 この危機をどう乗り越えることができるのか、どうやって村まで脱出できるのか、具体的なことはまだ何も思い描けていなかった。

  幸いにも冠動脈の完全な閉塞には至っていないものと勝手に思い込んでいた。何かの拍子に狭窄が解き放たれて、痛みも和らぎ、自力で馬に乗って 村へ戻れるのではないかと、祈っていた。だが、胸痛そのものはほとんど変わらないままの症状にあった。時間の経過と共に胸痛がますます酷くなり、 七転八倒の状態へと急変することを最も恐れていた。だが、幸いなことにそれはなかった。それに、脳内酸素が欠乏し意識不明となるような 気配もなかった。それゆえに、ニカラグア山中で死を覚悟する瞬間を迎えるのではないかという、死への恐怖心でパニックを起こすようなことはなかった。

  心は不思議なくらいに落ち着き払い、平常心に近い精神状態のままで横たわっていた。何故そうなのか自身でも理解できなかった。胸痛に堪え ながらも辛うじて安定的に呼吸を続けていた。痛みは発作以来ほとんど変わらなかった。これ以上悪化する気配は感じられなかった。 気のせいかもしれないが、時にはほんの少し痛みが和らぎ、回復への期待をわずかながらも抱く瞬間もあった。そんなことが幸いして、 パニックで発狂しそうな気持ちに陥ることなく、心に冷静さを保たせてくれていたに違いない。胸痛はともかく、めまいと吐き気は治まっていたので、当初のショックから 徐々に立ち直り、体力も少しは回復したと感じられるようになっていた。

  時計を見た。太陽が完全に落ちるまでに村に辿り着くには、どれほどの時間が残されているのか逆算した。何時にはこの草むらを離れ、村に向かう 必要があるのか。何の手立ても考えず、また行動も起こさず、このまま山中でひっくり返ったままでいる訳にはいかなかった。発作から 1時間ほど経過した時点で、 今以上に症状が良くなることはないと諦め、救援を求めることにした。日が暮れるまでに、物理的にどうやってここから脱出するのかが最大の 問題であった。樹木が濃く生い茂る山中を、また例のぬかるみのある湿地帯を、一人の大人を2時間以上も担いでどうやって抜け出ることができるのか、 思い巡らせた。

  救急ヘリコプターによる搬送を最も期待した。JICA事務所への緊急救援要請連絡について、同行のK隊員に口走ってしまった。その報を受けた JICAマナグア事務所も大使館も、東京本部も、一騒動に巻き込まれることを意味していた。通報は酷い迷惑を掛けることを覚悟する必要が あった。ヘリでの搬出は、樹林で覆われた山中での我われの正確な居場所を特定できないこと、またヘリのスタンバイに要する時間や救援に残された 時間などからみて、無理なお願いであったことは、後で知った。救援を待つ山中はニカラグアの地であって、日本のそれではなかった。 日暮れが刻々と迫まりくるなか、K隊員はカーボーイと相談しながら、携帯電話の通信が可能と推測される例の高台まで、連絡を取るために引き返して くれていた。

  脱出方法としてもう一つ思い付いたのは、急ごしらえの簡易担架による搬出であった。2本の丈夫な棒切れか枝切れとベッドシーツで 応急に作ったごく簡易の担架をもって、村まで運んでもらうというアイデアをK隊員に告げた。それには7~8人の担ぎ手が不可欠であった。 カーボーイに村まで戻ってもらい、村人7~8人を連れて来てもらうほかなく、救援隊の派遣をカーボーイに託してくれるよう頼んだ。 だが、ぬかるみの多い湿地帯を担架に乗せて、ずぶずぶと足を取られながら通過するのかと想像すると、そのアイデアは現実的ではないことを 後になって思い知らされた。それに、村人を7~8人も急に集められる訳もなかった。とは言え、私のアイデアを聞いたK隊員は、カーボーイと 相談してくれ、何らかのよりベターな策を考え、行動に移してくれたに間違いなかった。

  だが、そんなアイデアの吐露からもう1時間ほどが経っていたが、K隊員もカーボーイも戻ってこないまま、時間が経過して行った。 私的には、それくらいの策しか思い浮かばす、隊員とカーボーイに命運を託し、草っぱらにひっくり返ったままであり、他になす術はなかった。 症状は相変わらずで、悪くも良くもならず、息をするごとに針で肺を刺すような胸痛だけは続いていた。脱出のタイム・リミットである午後4時 がどんどん迫りつつあることだけは頭にあった。だが、耐えて待つことしかできなかった。

  戻って来たK隊員が突然に私の耳元でささやいた。私はてっきり7、8人の村人とともに戻って来てくれたと思った。だが、そんな 気配がなかったので、一瞬理解できなかった。搬出方法につき一生懸命に知恵を出してくれた結果として、その策を聞いた時には正直 言って一瞬戸惑った。思うに、私の頭はすっかり硬直化していて、最早、簡易担架と担ぎ手による搬出しか念頭になかった。 かくして、カーボーイが午後4時頃に引き連れて現場にやって来てくれた救援隊とは、彼の仲間であるもう一人のカーボーイと、もう一頭の馬であった。 私とそのもう一人のカーボーイとが二人相乗りし、彼が後ろから私を抱きかかえるというものであった。 私には全く思い浮かばなかった素晴らしいアイデアであった。それを聞いて、果たして2時間も体力的に耐えられるか、一瞬不安になった。 だが、次の瞬間に気付いた。担架に乗せられての脱出こそ全く非現実的であること、そして現時点ではそれしか現実的方策はないことを 確信した。

  息をすれば肺に針を刺すような鋭い痛みは変わらなかったが、めまいも吐き気もなく、幸いなことに体力と気力はかなり戻って来ていたのが幸いした。 後は耐え忍んで、必死に馬にしがみ続けることだけであった。幸いにも、弱弱しくはあるが、息を吸って吐くことはできた。よくよく考えれば、大人一人 を担架に乗せて、7~8人の大人が、交替しながらとはいえ、2時間もかけて道なき道を、時に湿地帯の山中を担いで進むのは、やはり土台無理が あった。これで良かったのだと、痛く納得し、そのアイデアに感謝した。今となっては、相乗りにて支えられながら歩を進めるのがベスト であり、これ以上の策はないと悟った。力を振り絞って馬の背に這い上がり、リュックを胸元に抱え手綱をしっかりと握りしめた。 次いでカーボーイが後ろにまたがり、私をだき抱えてくれた。

  時間的には正に脱出せねばならないタイム・リミットであった。何とか陽が落ちる前には村に辿り着けそうだという思いの下、必死に 手綱を握りしめた。2時間は耐えねばならないと改めて自身に言い聞かせた。亜熱帯樹林の山中であるが故に、鬱蒼と茂る樹木下ではかなり 光が遮られ薄暗かった。陽もだんだんと落ち、例のぬかるみの箇所を通過する頃にはかなり暗くなっていた。二人を乗せた馬は、湿地帯では 可哀そうなくらい脚を取られ、往きの時以上に酷く難義した。馬脚は膝まで泥に埋まり、前足が抜けず、前のめりとなり馬上から一回転して転げ 落ちそうであった。他人から見れば、まるでロディオを超スローモーションで興じている風であったに違いない。集落に入った時には、陽が完全 に落ち、ほぼ真っ暗闇であった。

  かくして、最大の難関を切り抜けることができ、先ずは安堵することができた。さて、私の車を運転してマナグアまで連れて行って くれる別の「カーボーイ」を見つけなければならなかった。集落からの出発に当たって、その準備にあれこれと時間を要し、出立できたのは 1時間ほど後のことであった。生還のための脱出行はまだまだ続いた。



このページのトップに戻る /Back to the Pagetop.



    第15章 ニカラグア運河の踏査と奇跡の生還
    第7節 オヤテ川踏査中における突然の心臓発作と奇跡の生還(その1)


             Top page | 総目次(Contents) | ご覧のページ


      第15章・目次
        第1節: ニカラグアに足跡を遺した歴史上の人物たち(その1)/コロンブス、コルドバなど
      第2節: ニカラグアに足跡を遺した歴史上の人物たち(その2)/海賊モーガン、英国海軍提督ネルソンなど
      第3節: 「ニカラグア運河の夢」の系譜をたどる
      第4節: 運河候補ルートの踏査(その1)/ブリット川河口など
      第5節: 運河候補ルートの踏査(その2)/エスコンディード川、エル・ラマ川など
      第6節: 運河候補ルートの踏査(その3)/サン・ファン川と河口湿原
      第7節: オヤテ川踏査中における突然の心臓発作と奇跡の生還 (その1)
      第8節: オヤテ川踏査中における突然の心臓発作と奇跡の生還(その2)
      第9節: コンセッション協定が締結されるも、「ニカラグア運河の夢」再び遠ざかる

      序章~第9章 | 第14章 第16章 | 第17章~最終章